2015.04-07月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(3)コース3/STEP.1(前期日程)」しらゆきクラス

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タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) しらゆきクラス



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わたしへ
夢と現実は、かけ離れたものではないんだ。
現実の中に夢があるんだな。
現実を生きること、夢をもって生きること。
わたしは、現実から夢の世界へ飛んで行けると思っていたみたい。
いつか、夢の世界へ移り住める、そんな幻想を抱いていた。

「しらゆきクラス」での12週間は、わたしの共依存度をさらに自覚することができた時間だった。
親の生き方が、わたしのパターンになっている。
課題投稿を読み返して、本当にそう思う。
そして、長い間このパターンをくり返して生きてきたから、未だに同じパターンで生きてしまっている。

「しらゆきクラス」までやってきたわたしの時間は何だったんだろう…正直そう思った。
何も回復してない…絶望的な気持ちになった。
腐って、嘆いて、悔しくて、泣けて…そして、気づいた。
時間がかかる。
やり続けるしかない。
諦めたくない。


文節区切りの線

「しらゆきクラス」でわたしは新しい世界に入れる…そんな気になっていた。
たぶん自分でも無意識に。
新しいやり方で、新しい自分に出逢える、そして何かが変わる…そう思っていた。
しらゆきクラスでも、わたしは自分の共依存に向き合わざるをえなかった。

そういうことなんだ。
手強い、本当に手強すぎる。

わたしのパターンに気づけたこと、これはわたしにとって救いでもあり、反対に自覚したからこそ怖くもある。
「人に合わせてしまう」「人に委ねてしまう」「流れに乗って行くとこまで行ってしまう」
「役割にはまってしまう」「自分を犠牲にしてしまう」
「とりあえず…まあいいか…そのうち何とかなる…で自分の権利を放棄してしまう」
「正解や答えを他人に求めてしまう」
「自分で決められない」

これは、全部
「自分の人生を生きることを怖がっている」
「自分で選択すること、決定することが怖くてたまらない」
そんな不安と恐怖があるからだと思う。
自分の人生に向き合わなくてすむように、他人のことで24時間を埋めていく。
わたしの時間や労力を使い果たす。

もう、こんなやり方はやめたい。
わたしは、わたしを責めるのではなく、わたしを支えて励ましてやりたい。
わたしの人生を生きることにちょっとずつトライしていきたい。


文節区切りの線

今回「ペイフォワード」は、まるで決意文のようになったね。

わたしがわたしと約束したい。
いま、あらためて、ここで。
わたしは、わたしの人生を生きると決めます。
わたしが、わたしの時間をエネルギーを心を守ります。
わたしが、わたしを癒します。

だから、やり続けよう。
時間を必要なだけかけよう。
ここだけは、譲れない、譲りたくない。
諦めない。


文節区切りの線

<YさんとSさんへ>
12週、このクラスでご一緒できたこと、感謝しています。
二人の課題投稿は、わたしにとってすごい刺激でした。
忙しいから…と、言い訳している自分と容赦なく直面することになりました。
周りと自分を比較して落ち込むというわたしのパターンにも気付くことができました。
ありがとうございました。

<優月さんと ONSA スタッフのみなさま>
今回も、伴走と見守りをありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しらゆき



タイトル下の線


わたしへ。

3ヵ月間、おつかれさま。

ほんとうに、よくがんばった。

はっきり言って、「じかんのきろく」を読み返しても、
まだまだ、頭で書いてるところがいっぱい。
もっと、からだやこころで書きたいと思った。
こんだけ書いても、そんな声はほんの少ししかないのかって思った。

でも、いい。
それはこれからすればいい。
こうやって「もっとからだやこころで書きたかった」と感じられたことが、
今の私にとって上出来。
ちゃんと次のステップを感じ取れている。
どうやっていいか、さっぱりわからないけど、
わからないままでも、「そうしたい」と掲げている。
それだけで十分、すばらしい。


それに、今回のコースは、今の私にできるベストを尽くした。
仕事も忙しい中で、思えば、十分すぎるほどのがんばりをした。
食らいついた。
むしろ、少し休みを入れてもよかったかもしれない。

そのぐらい、毎週毎週くらいついた。
はっきり言って、何度課題を読んでも、投稿しても、
「??? …よく、わからん」というものも、あった。
(私にとっては、「最初の3秒」が特にそうだった)
手痛い過去も、出してみたけど、3週重ねても「しっくりこない」だった。

でも、それでもとにかくやってみた、
それで十分。
「どんなに書いてもしっくりこない」というのも、立派な成果。
「わからない」ことをそのままに出したことで、十分 OK だし、
「今はわからないけど、何か埋まってるんだろうな」とかすかな予感が得られただけでもよかった。
それが次のフックにもなるだろう。


文節区切りの線

今回の「じかんのきろく」を読み返して、一番印象的だったのは、
「母さん、ごめん」という、子どもの頃の自分の声に気づいたことだ。

このことは、12週終わった時にはあまりおぼえてなかった。
でも、「じかんのきろく」を読み返して、思い出して
そうだ、こんなことがあったって、思った。

思い出したら、子どもの自分とのつながりがよくなった。
今、表面上に浮かんでくる、たくさんの怒りやいらだち。
それを解放していくのも大事だけど…。

それ以上に、この、はじめの気持ちをキャッチできること。
私の中の子どもの私が、一気に安心した。

そう、それをわかってほしかったんだよ、っていうのが聴こえた。
わかってほしくて、何度も何度もサインを出していたんだ。
わかったら、心とからだ、過去と今がすっと一致した感じがした。
この感覚、この経験ができたことは、よかったよ。

私はわたしにわかってほしいことがたくさんあるし、認めてほしいことも、たくさんある。
私を無視したり、軽んじるの、やめていこう。
やっても、意味ないなって、ようやく実感ができてきたし、
「私が私に求めてもらえること」が、ある意味、私にとって夢のような出来事なんだって気づいた。

ええ~、そんなことが、私にとっては「夢のよう」なの? って思ったけど、
「…でも、確かにそうだ」って、思った。
そんなに、私は私をバッシングして、ないがしろにする生き方をしてたんだなぁ、
気づけて良かった。

これをやる方が、どんな大層な夢を叶えるより、私には幸せな気がする。
ささやかな夢だなんて、笑うことはしない。
やろう、私のために。


文節区切りの線

相変わらず、私は散々よくころぶ。

ダメージや出費を少なめにして、手際良くスマートに回復したい気持ちは、常につきまとう。
いい子ちゃんへの執着も、なかなか(どころかちっとも)落とせない。
こう言われたけど、そうでもないんじゃない? (私の場合は、うまくできてるんじゃない?)
なんて、あまーく考えて、うつつをぬかして、大事な時間を無駄にしちゃう。

古いやり方でなんとかしようとして、「…やっぱ違った」と戻ってくることも、多々あり。
ふらふらと、耳障りのいい情報に目移りしてしまうことなんて、日常茶飯事だ。

でもさ、こうやって自分で体当たりでやってみて、こけてみるから、
「あぁ、やっぱ自己流はやめよう」ってしみじみ思える。

だからさ、今の時期の「痛い」は、痛いけど、
自分で歩いて試してみてる証でもあるんだよ。
痛いけど、学ぶから、次からは気をつけられる。
その積み重ねで、いいんだよ。


文節区切りの線

「コース3」にまで来たって、私は相変わらず、
自分の本音がどれか、さっぱりわからない。
頭でぱぱぱーっと書いちゃって、きれいにまとまったことに満足しちゃうことも多々ある。

でも、それでもすこしずつ、
心の深い部分にちょっとでもふれた瞬間と、
頭でさーっとやり過ごしたものの感覚の違いが、
感じられるようになってきた。

言葉ではうまくかけないけど、ずしんって表せるくらいに、
体感覚の差は大きい。

自分では自覚しづらいけど、継続しての積み重ねは、ちゃんと自分の中に積み重なっている。
だからほめる、よくここまで歩いてきたね。
よくがんばった。

「コース3」に来ても、まだまだ原家族のことや過去の痛みにひっぱられまくってる自分を感じたけど、
それも、コース3にトライしてみたからこそ、
「あぁ、やっぱりまだそこか」って、自覚できた。

コースが、自動的に私を変えてくれるわけではない。
私の状態を理解して、何が必要かを考えて、与えてゆく。

アドバイスはもらえたとしても、それをやる主体は、私だ。

だからこれからも、その時々で、私は精一杯の選択をし続ける。
間違うこともあるけれど、その都度ベストを尽くして、
そしてフィードバックして、また進む材料にすればいい。


文節区切りの線

今はまだよくわからないけど、
私には、生きる力がある。

だって、あんな大変な家庭状況で育って、
その上、今こうして日常や仕事もしながら、
過去を振り返り、習慣を変えることにトライして、回復を進めている。

めちゃめちゃ、頑張ってるじゃないか!!

これからの道のりも、油断はしないけど、
失敗も休むことも、それぞれに許して、
もうできたことをしっかり認めて(当たり前じゃんって、ないがしろにしないで)、
進んでいこう。


よくわからないけど、きっと今の自分が感じてるより、
生きることって、楽しいはずだ。

私はその楽しみを、まだ味わってない。
でも、前に比べたら、「そうなのかもしれない」という予感を持てるようになってきた。
きっと、着実に近づいているんだ。

だから、これからも、やっていこう。
ただ、私のために、やろう。
自分でいるって、すがすがしいな。

あれこれまとまってないけど、まとめなかったからこそ、
私は、すがすがしい気分になった。

このクラスでも、きっといろんなものをつかんだ。
だから、参加して本当によかった。


優月さん、ONSA スタッフのみなさん、クラスメイトのみなさん、
本当にありがとうございました。

そして、がんばったわたしへ。
ありがとう!!!




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/アメリカ地域よりご参加) しらゆき



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結局、一番の要注意人物は自分だった。
自分が自分のストロークを最も必要としているという意味でも、他人を警戒する以上に酔っ払っている自分を警戒すべきという意味でも。
自分の病状の深刻さ、病理の根深さに愕然とする。
もう高刺激はお腹いっぱい。気が済んだよね?

人間観が変わった。
「これが私」と思い込んでいた自己像が次々と覆っていく。
生来の私ってどんな人物だったんだろう?
私は何者?
一人で考える時間がたくさん欲しい。
時間はあっという間に消し飛ぶ。
30年はかかるかもしれない。
それでも粘り、等身大の自分を知り、理解し、大切にし続けたい。

今すごく重要なターニングポイントだね。
どうか慎重に、しらふで。
そして、一人で抱えて閉じこもらないで。
じっくり時間をかけて一人ずつ信用できる大人を見つけていこう。




| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。