Pay Forward

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) あらぶすたクラス
私は今回のワークショップに参加したことで、原家族から与えられたものが、いまだに自分の中の基調低音として流れているのだということを再確認した。
そして、それは自分が思っているよりもずっと根深いもので、今も自分の生き方に影響を与え続け、立ち行かなくしている原因のひとつになっているのだとわかった。

今回、私は人間関係の自分のやらかしについてワークを通して向き合った。
私は、そもそも関係を始めるときの入り口から間違えてしまっていた。
うまくいかなかった原因は、入る前に十分に時間をかけなかったからだ。
私は時間をかけたつもりだったけれど、それでは全然足りなかった。
自分が納得するまで時間をかけないから自分で決められず、結局人に乗っかってしまった。
責任を負うことから逃げて楽な方に走ってしまった。
その結果が今なのだ。
なるべくしてなった結果なのだ、ということがわかった。

私はもともと考えることに時間がかかるので、何かを決めることにも時間がかかる。
また、この「納得するまで考えて自分で決める」ということを原家族から取り上げられてきたので、さらに時間がかかる。
今、私は小さなことを決める時ですら、とても時間がかかることを自覚している。
このことを踏まえて、今回ワークで扱ったことをふり返ると「どうしてそれで入ろうと決めたんだ」というくらい時間をかけていなかったことに気づいた。
そして、覚悟も持たずに「なんとかなるだろう」と軽率に関係の入り口をくぐっていた。
それは相応の結果になるだろうと、今はわかる。
客観的に見ると、自分がしていることはとても危険だとも思った。
私は、すべてにおいてそうなのだと思う。
そして、これが私が原家族から受け継いだものなのだと思う。
私はこれを止めて、新しい方法を学んでいかなければいけないと、改めて思った。

一方で、私はこれまでも新しいやり方を学んで練習してきた。
そして、ちいさなことは出来るようになってきている。
今回もそのちいさな自分の成長を感じることが出来た。
ワークで「私はどう生きたいか?」の問いに取り組んだ。
私は今まで漠然とした希望を出すことは出来ても(以前はそれすら出てこず苦戦していた)、それを深めて具体的にすることがなかなか出来なかった。
今回もそれほどうまくは出来なかったけれど、以前より苦手意識なく取り組むことが出来た。
これは、自分の中では嬉しいちいさな成長だった。

また、今回扱った件についても「気が付いてから現状を変えるのに1~2年かかる」と言われたときに、今までなら「え? そんなに?」と思って焦っていたと思うけれど、なんとなくだけれど「現実はそれぐらいかかるかもしれない」と思うことが出来た。
「なんとなく」でもこういう時間感覚を持ちつつあることは、自分にとっては成長のひとつだと思う。

私は、どんなにちいさくても自分の変化や成長をひとつひとつ見つけて、それを認めながら、これからも自分と一緒に進んでいきたいと思う。
また、調子に乗ったり気を抜いて、転げ落ちることのないように気をつけたいとも思う。
そして、私は今回の失敗を糧にするためにも、まずはしっかりと振り返りたいと思う。

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) あらぶすたクラス
私へ
以前と比べると、私が巻き込まれて来たものの仕組みがずっとクリアになったね。
私自身が持つ癖は、つかんだと思ってもすぐ見失ったり間違ったりを繰り返している。
今も格闘中だけど、以前よりは輪郭がはっきりしてきた。
それにつれて私は私を責めなくなってきたし、見えている景色と自分自身の捉え方が変わった。

分かってみれば、本当にシンプルなことだった。
知ることを怖いと思っていたこともあったけれど、知らないことほど怖いことはない。
それでも、起こったこと・自分自身の癖の大きさと今の自分に及ぼしている影響の度合いを理解して解決していくことは、本当に難しい。
本当に、「しないようにしよう」では太刀打ち出来ない。

私は、今も、ともすれば「いかに相手に気に入ってもらえるようにするか」に気を取られる。
「相手に『価値がある』なんて、当たり前のことだから普通の大人は言わない」と聞いて、私は共感すると同時に痛みを感じた。
そんな言葉を面と向かって言われるのは気持ち悪いと思う反面、まだかすかに暗い引力も感じる。
かつて私は、その言葉を手に入れる為にどれほどのものを失ったことか。
そんなものに頼らないと、私は生きられなかったから。
そうならざるを得ない環境に生きたことが、悔しい。
私は、自分にも相手にも価値があるのが当たり前の環境で成長したかった。

「あなたはどう生きたいの?」という問いに対して、私は真っ先に「安全に生きたい」が出てきた。
そのこと自体はいいと思うけれど、私は又「大きな理想」になってしまっていたね。
頭で考えていたし、「自分のこと」になっていなかった。
お仲間さんのシェアを聞いて、我に返った。
こうやってすぐずれるのは、i – message が出来ていないからなのかもしれない。

私は夜寝る前に横になった時に、身体の力が思うように抜けない。
だったら、脱力して眠くなって眠れるようになりたい…だよね。
私は業務を指示される時、メモを取って復唱する習慣はあると思う。
でも、振り返りの時間が不安定だ。
外出する時は、大抵時間ぎりぎり。
色々な事が後追いになってしまって、しんどい。
ゆっくりペースでないと動けないのに、時間に追われた生活をしている。
…これって、安心・安全感じられる?

ゆっくりなのは仕方ないけど、私は生活のあれこれに時間がかかり過ぎている気がするから、何とかしたい。
そういえば、お金の遣い方も見直したいと思っていた。
やる気はあっても、休みの日に思うように身体が動かない日も多い。
疲れてしまって、平日は仕事と生活で手一杯だ。
疲れているから、家事も余計時間がかかる。
そもそも、「何となく調子が悪い」のが当たり前だったから、それが当たり前じゃないことをすぐ忘れてしまう。
「変えられる」という発想自体も薄い気がする。
やっぱり、時間と身体だ。
装備も手薄なところが気になっている。

そうだった。
「安全」だって、目の前のほんの小さなことの積み重ねだ。
「小さなこと」は小さくないし、それが私に取ってのすることだ。
私は、土台の底上げが必要だ。
私がすることは、今取り組んでいる目の前の出来ないことを、出来るようになること。
今していることを完了させること。

…私、また同じことを書いているね。
笑えないことだけれど、思わず笑ってしまう。
私には、外側のものに引っ張られる癖がある。
すぐ頭でっかちになってしまう。
私は、学んだことを自分自身に結びつけるのが苦手だし、考えていること・思っていることを行動に移すのも苦手だ。
でも、それでいい。それが私だ。
何度でも気付いて、自分との付き合い方のこつをつかめばいい。
間違っては気付くを繰り返しながら、自分に取っての答えに近づけばいい。
それだけのことだ。

「又、来年」があるのなら、私は1歩前進した私に逢いたい。
「そのためには?」を問い続け、小さく行動を続けよう。
お仲間さん、優月さん、今回も貴重な機会をありがとうございました。

A. M. さん(40代以上/愛知県よりご参加) あらぶすたクラス
私は自分に何が起こっていたのかを、知的に理解することで、自分のはちゃめちゃ具合がわかってきました。
私は例えるなら、ドッチボールのルールで野球をしていたのがよく分かりました。
私は新しいルールを覚えて、少しでも安全に生きていきたいと、強く感じています。
私はできなくても、やめない。
少ししかできない自分を、責めない。
でも逃げるのと、怠けるのをやめる。
これを繰り返しチャレンジします。

私は「私は何がしたいの?」の答えが、あまり出てきませんでした。
私は以前よりは出てくるようになり、ワークショップ・クラスで口にすることができるようになりました。
けどまだまだだと感じていました。
私は夢はいくらでも持ってもOK、果たせなくてもOKと聞いて、自分がまた変な思い込みをしてる事に気がつきました。

夢に正解や立派さは関係がない。
絶対達成すべきものではない。
そんなものは探しても出てこないし、全然私の答えではないということを、わからなくなっていました。
私はもっと制限を外して、引き続き何がしたいかを考え続けていこうと思います。

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あらぶすたクラス
自分で自分の豊かさを作っていくことが、生きること。
ワークショップで聞くたびに、私ははっとして自分が真逆の中で生きてきたことを改めて思う。
私が閉塞感でいっぱいだったことには、十分すぎる理由があった。
その場所を出て随分経ったけれど、私はただ頑張ること、他人の役に立つことで、自分の存在意義を確認してきた。私は他人を満足させることが当たり前になり過ぎていた。
私の受け身と依存は、悲しいくらい根深い。
私は自分の人生から目を逸らして、自分の時間を他人で埋めて生きてきた。
それでも、他人でいっぱいになっている自分に気付いて立ち止まり、自分に戻ることは少しずつ増えてきた。
私は本当は、自分の人生を自分の足で立って生きていきたいと願っている。

ワークの中で改めて確認した、今の私のテーマは、ぐっすり眠ってすっきり爽やかに目覚めること。
今日一日自分の人生を生きたと感じて、明日を楽しみに思いながら、フカフカの布団で眠りにつく。
朝は十分に休んで充電された状態で清々しく目を覚まし、今日を楽しみに気分よく一日を始める。
考えただけで私は何だか嬉しい気持ちになる。
そういう日々が送れたら私は幸せだと思う。

そこに少しでも近付くために自分にできることを洗い出すと、アイデアは幾つも浮かんでくる。
その中から、優先順位をつけて、スケジュールに入れて一つずつ試す。
私はそのために時間の試行錯誤を続けていく。
そうやって自分に集中して、私は自分の人生を生きていることを実感していきたい。
今回もありがとうございました。

H. M. さん(40代以上/福島県よりご参加) あらぶすたクラス
今回も共依存等のことについてたくさん学ばせていただき、自分自身のこと、してきたことについてさらに理解を深められた。
「禁止令」については、言葉を確認しただけでは自分には関係のないことのように感じられた。
けれども、その禁止令はその言葉がそのまま使われるのではなく、雰囲気によって伝わるものだと言うことや、その短い言葉が意味していることがどんな状況なのか具体的な補足説明を聞いたことで、まさに自分に関係していることだということがわかった。
言葉でそんなひどいことを言っていないからセーフではなかった。
それが直接的な言葉ではないからこそ、もっとたちが悪く、子どもを蝕むのだと思った。
禁止令が蔓延する家庭で、子どもは正常な感覚を失い、自分の人生を自分で豊かにしていくということができなくなるということの恐ろしさを感じた。

「自分はどう生きたいのか」という問いを常に自分に問いながら少しずつ時間をかけ、自分のキャパシティやペースを探していくということを子どもはしていかなければならないのに、それをさせない、その環境を与えないことがどれほど重大なことかについても考えさせられた。
子ども時代は、家庭で親に守られながら身につけていくべき感覚や知識があり、安全が守られた上でたくさんの経験を積み重ねていく大切なときであること、そしてそれが親に奪われできなかった時にその人がどのようになっていってしまうのか、人間関係や職場でどんな困りごとを抱えてしまうのかを改めて学んだ。

そうやってまずい環境に育った影響を、子どもは大人の年齢になっても引きずってしまう。
その悪影響を取り除くために必要な膨大なことを子どもは、本来なら自分の豊かさを得ることに使えるはずの時間やエネルギーをつかって自分自身でやっていかなければならなくなる。
自分のせいで起きたことではないことを、理不尽に子どもが負わせられる損失の大きさを思うと苦しい気持ちになった。
今回学んだことをしっかり胸に刻み、今後に生かさなければならない。
今回の勉強会でもたくさんの貴重な学びをありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「経験者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「経験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
そのため、基本に忠実でありつつも、現況に即した、実践的な内容が特徴です。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて現状を変え、新しい時間を生きはじめています。









