2016.10月開催 「境界線ワークショップ」こげつクラス

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K. I. さん(30代/大阪府よりご参加) こげつクラス



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振り返ると、ONSA のことを知るきっかけとなったという言葉、「境界線(バウンダリー)」。

ずっと自分の人生がうまく回ってなくって、上手く回ってないことさえ「大丈夫、大丈夫」って言い聞かせて、見ないことにしてた。「家庭環境が普通じゃなかったの解ってるし、自分なりになんとかしてきたし」って。
そうして本当にやばい状況に気づけてなかった。

なんでこんなことになるの!? って辛い出来事がきっかけで、2年半ほど前に、遂に心も身体も止まってしまった時を過ごした時期がありました。

「このままでは本当にやばい。なんとかしなくては!」って色々調べた。
そこでたどり着いた「境界線(バウンダリー)」。

最初は何これ? って思ってたけど、調べるうちに、私はこの「境界線」が無いに等しいかもと思い始めました。
そして ONSA の Web. WORKSHOP「コース0/STEP.1」を受けて、自分の問題が明らかになった。


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自分を立て直すために、全部の WORKSHOP 受けてやる!! ってくらいの意気込みの中、「境界線ワークショップ」はとっても受けたい WORKSHOP でした。

プレワークで知識はある程度頭に入ってましたが、会場に行って、対面で実際に実感しながら知識をつける事でとても身についた感じがしました。

曖昧だった「境界線」を実感できた。
「境界線」があるって解った。

そしてそれを侵されるってこともどんなに恐ろしいことかよく解った。
実感って大事です。


TEG を使った分析も目から鱗でした。
たぶん以前、職業訓練で受けたことがあったけど、高い数値の部分を活かせと言われたような。
WORKSHOP では全く違う見解でしたし、「そっか!!」って納得できました。


チェアワークは不思議な感じ。
「えっ? これが??」思ったけど、今は騙されたと思ってやってみようって感じです(笑)。

私にも人生が上手くいってると感じてる時期がありました。
その時期は15年ほど前です。

けれど、ずっとずっと私はあの時は上手くいっていた。何が今と違うのか? って、ずーーーっと昔にばかり思いを馳せていたのです。

よく考えたら、今と15年前では状況も環境も自分自身も大きく変化してます。
何かの参考にはなるかもしれないけど、私はその過去と今を比べて自分を裁いていたのです。
「何で上手くいかないんだろう…私の何が悪いの?」って。

「今に生きる」事が出来てなかったなー。
そう気付けた。
だからチェアワークをやって「今に生きる」ように自分を整えていきたい。


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そしてそして、自分の問題が思っていたより、ずっとずっと深刻なんじゃないかって気づくこともできた。

色んな気づきを得れました。
本当に本当に参加してよかった。

今はまだ WORKSHOP が終わってから時間がたってないから大きな変化はないかもしれない。
けれど日々色んな気づきがあります。

優月さんの表現を借りると、「レモンの味は、二度と消えない」ってやつですね。
これが積み重なっていった未来はどんな風に変化しているだろう? って楽しみでもあります。

自分を守る。
自分の人生を守る。
そして他者との良い関係に必要な知識とスキルだと思います。


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とびっきり幸せになろうね。
自分のやりたいこと実現させていこうね。
自分自身で生きる事、人生を楽しもうね。

今まで生き延びてくれた私にもありがとう。


このような体験ができる機会と場所を創ってくださった優月さん、スタッフの皆様、
そして共に時間を共有したお仲間さんの皆様、本当にありがとうございました。




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T. H. さん(30代/東京都よりご参加) こげつクラス



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ワークショップ・クラスから1週間が経ちました。
普段気にならないことでも、「ん?」と疑問に思ったり…たまらやく悔しくなってきたり…気が立っているような、ヒリヒリした1週間でした。


私が ONSA ワークショップを知ったのは、6~7年前。新卒入社した会社で、「大ボス」のチームの一員として働いていた頃。同じチームにいて転職を決意した先輩が使っていたのが『夢かな手帳』でした。

藤沢さんのメッセージを読んで「ワークショップに参加できたら」と思っていた当時は関西に住んでおり、また金銭的にも余裕がなく…数年経てやっと参加できたことが嬉しかったです。


あれから環境を変え「自分の時間」が持てるようになった気がするけれど、また新たな「大ボス」の出現により負のループに陥るのではないか…。
実際に「大ボス」でなくても「中ボス」と言うべき人が出てきて「自分の時間」を生きているとは到底言えない…というのが現状でした。


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事前に提出したエゴグラムのテストでは AC(Adapted Child)が満点で高く、これには自分でも驚きました。
私は「人にとって不都合で、怒られると思う案件」を先延ばしにし、早く言えば何もなかっただろう出来事を悪化させてしまうことがあります。人から怒られることを極端に恐れて、どうしようかと悩んでいるうちにどんどん時間が経ってしまいます。

自分が言われて1番辛い言葉を、ロールプレイングで(「あなたは恥ずかしい」と言われて)気がついたのですが、母からの強いヒステリーじみた叱責を避けるため、急いで誤魔化したり、嘘をついてしまったり…このような経験が、今も確実に私の中にいる。

これが実感できたのはワークショップ・クラスに参加できたからです。

もっと堂々としていたらいいのに、いつも自分の思い込み? や恐怖心で、不利な方向へ話が進んでしまっている。

色々な点が、うっすら線で繋がった瞬間でした。


また、私は過去の自分を思い返して発達障害(ADHD)なのでは? という疑問を持ち始めています。あまり自分で認めたくない部分ですが、しっかり診断してくれるところを探して、自分としっかり付き合っていかなくては…。

きっとこれから始まりなのかな…と思います。


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「境界線ワークショップ」で教えてもらった、チェアワークと、境界線を意識した話し方。実践してみて目から鱗でした! 健全な精神は健全な身体に宿るのですね。

ここから抜け出すには? ワークショップで気付きがたくさんあり、まだ色んな気持ちが交錯しています。

性格を変えなきゃダメだと思っていましたが、「人と私の境界線を引く」という「技術」を持ち得ていなかった…と。他にも要因があるかもしれないので、徹底的に調べよう…と。

こう思えたのは、温かくもまっすぐ投げかけてくださる藤沢さんの言葉が、後押しをしてくれたから。参加者の私がフラフラなのに、藤沢さんはこれを受け止める、しなやかで強いパワーをお持ちなんですね! 本当にありがとうございました!

相当時間はかかりそうだけど、まずは引き続きアフターワークに専念したいと思います。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) こげつクラス



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まずは、私へ。
今回も参加してくれてありがとう。
「わかるまで、出来るまで、参加しよう。」
と続けていること、偉いと思うよ。

今回、「境界線ワークショップ」は3回目の参加でした。
初めて、なんとなく境界線を引く練習で手応えのようなものを感じることができた気がします。

前回は、境界線を引くことにものすごく勇気が要る。そして引けたとしても「ちゃぶ台返し」で「もう、どうなってもいい!!」という3段階のうちの一番強い境界線の引き方しかできないというところでの参加でした。
そして、ワークの「言われて嫌な言葉」は受け止めることで精いっぱいで、境界線をうまく引くことはできませんでした。

今まではその「言われて嫌な言葉」を言われると色々なことがよみがえって、混乱して泣くことしか出来なかったように思います。
今回はやはり最初に言われたときは涙がでましたが、「どうして、そんなことを言われないといけないんだ。くっそ~。」という、悔しさや怒りが出てきました。それは、初めてでした。

そして、チェアワークをしながら「NO」と境界線を引く練習を続けてていたとき、自分の姿勢にも気づくところがありました。
「引いていいのかな…。」とちょっと迷ったり、気をつかったりしている時、弱気な時は体がしゃんとしてないというか、ぐらぐら、くねくねしている自分に気付きました。
身体が、姿勢がしゃんとしていると境界線も自信を持って引けるというか。
それがきっと「今、ここ」「今の自分の年齢」に戻っているということなのかな…と、改めて実感できました。

そして、「頼みごとがあるとき、相手は1番グサッとくるところを突いてくる」というのも「なるほど…。」という感じでした。
実際に藤沢さんに言われたとき「そういわれると…」という感じで断れませんでした。
自分のいつものパターンでした。


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私はエゴグラムでは「NP」「AC」が高い。
だから、必要とされると、頼まれると嫌とは言えない。
そして、そこを変えていく。その処世術を変えていく…ということが今回学んだことでした。

藤沢さんがスーパーマリオに例えて
「同じ雲に乗ってトラブルを避けながら進んでいくのではなく、雲を乗り換えて進んでいく。その勇気を持つこと。決断すること。」
と、言われました。

「自分の根本的な考え方、習慣の中の中、芯だと思っていたもの」それは今までの処世術からできたもの。だからそれ自体を乗り換える。
Web. WORKSHOP に参加して、「グラグラの土台に何を乗せてもダメなんだ」ということはわかっていたつもりでした。
そして今回その土台がなんだったのか、ということがつながった、実感できた気がします。


今回、ご一緒だったクラスのみなさん。お疲れ様でした。
そして、ペアを組んでいただいたYさん。安心して、全力でぶつかることができました。
ご一緒出来て楽しく、とても心強く励まされました。ありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) こげつクラス



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「自分がないこと」
「他人は関係ないこと」

その言葉が、ずしりと響いたワークショップでした。

“私” がないと、そもそも、境界線は引けない。
引こうと、思わない。

ワークショップ・クラスが終わってからの1週間、ずっとそのことを、ひしひしと感じ続ける日々でした。


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クラスで見せてもらったように、私も、親に首根っこをつかまえられて
「お前は俺の言う通りにしろ」と、振り回されて、生きてきました。

たとえ体は大人になって、今は家族と離れて暮らしていたとしても、
そこの痛みと呪いがとけない限りは、
私は、どこに行っても、誰に対しても、同じような処世術をくり返してしまう。

無力な子どものままで、おどおどと怯えながら対処し、
自分を健康に守ることもできなくて、いいように利用されてしまう。

だから、苦しい。


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ワークの時、優月さんに「言われてイヤな言葉」を言ってもらう機会がありました。
「お前は黙って俺の言う通りにしろ。」

きつく言ってもらいましたが、それでも私の第一の反応は
「こんなもんじゃない。私が受けた痛みは、こんなレベルじゃない。」でした。

それだけ、私は、雷に打たれるような衝撃を
親から、ずっとずっと受け続けてたんだと思います。

そして、それに対して息を止めて
「どうしたら、何をしたら、私はこの場を安全に切り抜けられるだろう。」と
一生懸命考える私になってることに、気づかせてもらいました。

それが私の、処世術。
親の機嫌を取りながら、とにかくこの場をしのぐ方法を探す。
それを今もくり返して、だから私は苦しいんだと、気づきました。

だって「お前は黙って俺の言う通りにしろ。」なんて言われて
「そんなの、やだ!!」って言う権利を、私だって持ってる。
人として、ここまでの尊厳の踏みにじりは、悔しいし、許せないよ。
私にも、そう言っていい権利は、あるんだ。

なのにそれを私は「言ってはいけない(そんなのわがままだ)」って
無理矢理自分に呑み込ませて、ひたすら我慢で切り抜ける術を選ぶしかなかった。
それが私の、苦しみの根っこでした。


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今回のワークショップでは、自分がされてきたことの不健康さと
「私がもてなかった」状態で生き抜こうとして、結果「私がいない」状態に陥っている。
そのことを、ワークショップ・クラス後もずっと実感し続ける日々でした。

でも、苦しみに気づいたのなら、もうそこから、出てもいい。
私はわたしに、そう言ってあげたいです。
そうすることが、新しい扉をひらく気がする。


「境界線ワークショップ」への参加は、私は3回目でしたが
これまではつい「境界線が引けるか/引けないか」というスキルにばかりとらわれていました。

でも、そうじゃない。
スキルの前に「私があるかどうか」が、ずっと大事なんだ。
「どんな私や時間を、生きたいと思っているのか」がないと、
何を守ればいいのかも、わからない。

ようやく、核を頭でなく心で感じ取れました。


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「共依存から回復していくには、夢が必須」
という優月さんの言葉も、深く響きました。

これまで、様々なワークショップに参加してきましたが、
全部、つながってるんですね


今回のワークショップ・クラス後は、クレンジングリアクションがきつかったです。

自分が子どもの頃に、どんだけ不健康な仕打ちを受けてきたか。
それを「当たり前」として生きてきてしまったこと。
それ故に、人や社会に対しての不信感もぬぐえないし、
どんなことにも「あきらめ」ばかりがよぎってしまう…。

そういった、諸々の暗部が日々浮かび上がってきて、すごくきつかった。
クラスでたとえてもらった「七面鳥を焼いた後の鉄板」そのもの。

いままで受けてきた痛みの重さが、ようやくずしんと感じられるようになったんだと思います。
反対から見れば、それだけ麻痺させてきたということ。
麻痺させなかったら、とてもじゃないけど生きていられなかったよね…。


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相変わらず、クラス後も私は、境界線をうまく引けません。

「私に重心を置く」感覚も、人と話しているとすぐにどこかに吹っ飛んでしまうし
(焦って、相手の感情にばかりアンテナをはってるからだと思う。)

「私の境界線の中だけを話す」のも、すっかり忘れて
私はすぐ、他人重心になってしまいます。

「あの人も大変だと思いますが…」とか
「この人も大変だろうからなぁ…(言うのやめよう)」とか
「こんなことで根を上げるなんて、弱いのでは」とか…。

この、気づいたらすぐに人のことを優先してるクセこそが
私の「他人重心」なんだと、改めて思いました。

そして、「相手を自分の思い通りにコントロールしたい
(そのためには、どう言うといいんだろう)」が
一番にきてしまう自分も、たくさん感じました。

ほんと、子どもの頃の「安全じゃない、怖い、とにかく身を守りたい」状態を
どんなシーンでもずっと、引きずってるんだと思います。


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この1週間は、心の痛みや汚れの浮かび上がりを感じ続けることで、手いっぱいでした。
境界線を実践できず、あーあ、って落ち込むことも何度もありました。

でも多分、これからの私がしていくといいことは
「とにかく、何度も、立ち止まる」ことなんだと思います。

誰かと話して、うまく境界線引けなかった(他人重心になってしまった)。
そこで終わったり、「またできなかった」と自分を責めるんじゃなくて、

「本当は、なんて言いたかったの(たとえまだ実際には言えなくても、気持ちを出してみよう)?」
「何がひっかかったんだろう?」
「どうすれば、次は変えられるかな?」

チェアワークしながら、今に戻って、A(大人)の力を使って、考える。
失敗してもいいし、「(本番で)できなかった」でもいいから
ひたすらに振り返る。感じる。違和感をキャッチする。
ほんとうは私はどうしたいかを、地味に地味に、でも一個ずつ、確認していく。

原家族のルーツも掘る。
私は、このシーンで、誰を思い出してたんだろう?
あの時、本当は誰に何を言いたかったんだろう?


大人になった私なら、あの頃は言えなかったことも、言えるかもしれない。
私は、過去のパターンにとじこもってなくていいよ。
新しいやり方を模索して、トライしてみて、いいんだよ。
その力は、ちゃんと私の中にあるんだよ。

そうやって、過去からの不毛な影響を見破って、断ち切って
今に戻って、今ここで、対処する。
新しいやり方になじんでいく。

よくやった、頑張ってる、しがみついてる。
新しいことに心をひらこうとしている。
そうやって、1ミリでも前に進もうとする私を、たくさんほめる。認める。

そして、苦しいことじゃなくて、私を幸せにする考え方の方を
私は選ぶ。

私は、そうしようと思います。


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どの対面式ワークショップもそうですが、1回目の参加では、
「知らなかった、想像もしなかった知識や仕組み」を理解するのに手一杯で
かつ、それを理解したことに「これでできる!」と高揚して
でも現実は「あれ? うまくできないんだけど…。」に、私はなっていました。

今回、3回目の参加にして
私はようやく、「境界線の何に、”私” はひっかかってたのか」が
たくさん見えた気がします。

肝心の中身がなきゃ、どんなにスキルを理解しても
私には意味がないんですね。

自分に何が起こったのか、
ワークショップ中のどの言葉に、私の心は揺れるのか
そういうことを感じながら参加できたのが、よかったです。

「問題のパターンは、数えるほどしかない。
だから枝や花ではなく、根っこを掘ればいい」

その言葉にも、勇気づけられました。


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優月さん、「こげつクラス」のみなさん、
ありがとうございました。

最後に、ワークショップ・クラスに参加してくれた私へ。
しんどかったけど、行ってくれたから
私はまた、大事な気づきを得て前に進むことができたよ。
ありがとう。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) こげつクラス



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私は今回、初めて ONSA WORKSHOP(対面式)の「境界線ワークショップ」に参加しました。

「境界線」のプレワークをしているとき、
私は「私には境界線が無い! むしろ、私の境界線どこよ?!」と思っていました。

しかし、対面式のワークショップで、
お仲間さんに距離を縮めてもらうワークをしていて、
「おっ!? ココで何かモヤっとするものを感じる。」
「ボスキャラで想像したら…『もう一歩も近づかないでいただきたい』と感じる。」
と、肌で「自分自身に境界線がある!」ということを感じることができました。

また、想像上ですら、女性と男性、そしてボスキャラとでは、
「モヤッ」と感じる距離・境界線に違いがあることに少し驚きました。

なぜなら、ワーク前やプレワーク中の私は、
境界線とは「ココまで!」と決まった位置に固定されている、
「不動の鉄壁」のようなイメージを持っていたからです。
でも、人によって(もしかしたら同じ人でも状況によっても?)、境界線が「変幻自在のアメーバ」のように変化することを体感できて、面白かったです。


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また、
「境界線を侵犯されたとき」は、
「境界線を越えて手を伸ばして首根っこをつかまれてコントロールされている感じ」
という例えを聞いて、
バイトでたまに遭遇する、急に怒鳴りだして無茶を言うお客様の接客をしているとき、まさに「首根っこつかまれて、『言うこと聞け』」という感じがするかもしれない、と思いました。

そして、対面式ワークショップ・クラスが終わって、日常に帰ってきて、
バイトで、まさに急に怒鳴りだしたお客様に対面したとき、
「首根っこをつかまれてコントロールされている」ように感じて、とても怖かったです。
お客様に「割引券の期限が過ぎていて、使えません。」と伝えただけなのに、
「期限があるとは聞いていない!」(券に記載もある。)
「こんなしょうもないもんにも消費税がいるんか?!」
と、怒鳴られっぱなしで、本当に怖かったです。

でも、私は反射的に昔のやり方で、
お客様の怒りに何も反応しないよう平気を装っていました。
しかし、内心では、
「私が悪い。」
「私が折れて(?)お客様の望みを叶えれば、お客様の怒りはおさまるかも。」
と、考えていました。

お客様が帰ってからもココロがざわざわして、乱されて、落ち着きませんでした。
そんな私自身の様子にあとからでも気づけました。
気づけたからこそ、
「早くチェアワークをして、『今ココ』に戻りたい。」と接客が終わってから思いました。


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今まで、『夢かな手帳』でチェアワークを読んで知ってはいましたが
(実際にも試してもみたこともありますが)、
今回、ワークで実際にチェアワークを体験してみて、
私の「殺され文句」を言われたときに、
チェアワークをする前と後では感じ方が少し違うかな、と感じました。

する前では、「ダイレクトに」ココロにズバッと、
「私の役に立たないあなたは、存在する価値がない。」と届きましたが、
チェアワークをした後では、そのコトバが少し遠くから聞こえるような感じでした。


そして、境界線を引くワークでは、
プレワーク中とチェアワークをする前までは、
「境界線を引く・守る」とは、地獄の番犬ケルベロスのように、
相手が境界線内に一歩でも踏み入れようもなら…
「嚙み千切ってやるッ!」と、力を入れて「NO!」と言うことだと思っていました。
しかし、チェアワークをした後では、
私自身の中にある力を信じて、
「私は私の境界線を守るのよ。」と不思議と穏やかな気持ちで、
守護天使のように(?)「境界線を引く・守る」ことができました。

ケルベロスの時は、
藤沢さんがおっしゃっていたように、
「相手の首根っこをつかんで、納得させてやる
(納得させなくきゃ、境界線を踏み荒らされる)!」と
力んで相手にエネルギーを使っている感じでした。
そして、そうできないから境界線を守れないんだとも思っていました。
しかし、守護天使の時は、
力むことなく、無理な力を入れるわけでもなく、
「私が私に集中して」
自然に、そして穏やかに「私はそう思いません。」と
境界線を守れたように感じました。

また、反対にお仲間さんから「私はそうは思いません。」と言われた時も、
チェアワークの前では、少し怖くて、ココロがざわざわする感じがありました。
でも、チェアワークをした後では、
「ごめんなさい。ここがあなたの境界線なのね。」と
穏やかな気持ちで受け止められるように感じました。

やはり、ケルベロスのように「NO!」と言われたら、
言われた相手もゴングが鳴ったかのように、
恐怖で、噛みつきに行きたくなるかも、と思いました。

「境界線を守る」には、
「戦う」ことなく、
本当に心穏やかに平和に、
「境界線を守ること(主張すること)」ができるんだな、
と体感して、私は本当に驚いています。


また、私は、チェアワークの威力のすごさに驚きました。
こんなにもスゴくて、
一度体験するとチェアワーク後の穏やかな気持ちに戻りたくて、
「チェアワークをしたい!」と強く願うものだとは思いませんでした。
そして、
「今ここ」で、大人性を使って、現実に対処していく、
「私は私に集中する」ことで、穏やかに私を守れる、私の人生を歩めるかも、
とも感じました。

大げさかもしれませんが、それぐらいチェアワークの威力はすごかったです。

(でも、現実に戻るとチェアワークすらうまくいかなくなるのが不思議です。
チェアワークしっぱなしでないと、現実では間に合わないのかしらん?
現実世界でのチェアワークも練習♪ 練習♪ ですね。)


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「13回行えば慣れる」と言いますが、
対面式ワークショップ・クラス中にすでに境界線を守る練習を13回もしていたことに、私は驚きました。

藤沢さんから「13回」という数字を聞いたとき、内心、
「13回終えるのはいつになるんやろう…遠いなぁ…。」と思っていたら、
クラス中にすでに練習を13回終えてしまっていました!
気づいたときは本当に驚きました。

「私が私に集中すること、私の夢に集中すること」が
境界線を守ることにつながって、
共依存からの脱出にもつながっていることに、
今回のワークで少し腑に落ちた感じがしました。


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私を悩ます「相手」とは別に、
熱中できる「私の夢、好きなこと」があれば、
「相手」なんか気にならなくなるだろうし、
時間やエネルギーにもリミットがあるから、
「相手」に費やすより、「私の夢」に費やそう、と
優先順位が移りそうだな、と思いました。

そして、どれだけ相手にヒドいことを言われても、
「私の夢、好きなこと」がライフジャケットとなって、
私を守れそうだな、とも思いました。


最後になりましたが、
藤沢さん、「こげつクラス」の皆さん、ありがとうございました。
アフターワークでも、よろしくお願いいたします。




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A. K. さん(20代/静岡県よりご参加) こげつクラス



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今回初めて対面式ワークショップに参加しました。
健康的な考え方の人なら自然とできているはずの「境界線」って一体なに? どういうものなの? というところからのスタートでした。
プレワークで境界線については読んだけれど、ちゃんとこれだと掴めるだろうか、と不安になりながら会場に向かったので、会場のみなさんが暖かい雰囲気で少しほっとしました。

事前に受けていたTEGを参加した人たちのものと一緒に見てみると、グラフの形が人それぞれ違っていて、境界線の説明も合わせて考えると、同じ共依存という問題だけれど人それぞれ向き合う課題が違うんだな、とはっきりと感じました。

私が人間関係で悩む時、似たような人が現れるのはなぜだろうと思っていて、環境を変えてもまた、なんとなく似たような人が現れるだろうな、という予感が薄々していたのですが、それがなぜなのかボードに書かれた説明を見ていてはっとなりました。
そして、ますます自分の課題には「私」がしっかり向き合わないと前に進めないし、私が変わらないと解決しないんだと感じました。
どうしてこうなっちゃうんだろう、とぐるぐる悩んでいたところからは一歩前進できたと思います。
あと、今まで、どこか相手が変わってくれないかな、と思っているところがあったなということにも気付きました。


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そして実際に境界線を引く、「NO」と言う練習をしてみた時、こんな感じなんだ、と少し感覚がわかった気がしてうれしかったです。
行く前は境界線を引くってどうやるんだろう、できるだろうかと不安でけっこう構えてしまっていたけれど、なんとなくでも感覚が掴めたのは私にとってすごく良かったと思います。

相手を傷つけずに主張する。
実際にできるようになるには時間がかかるかもしれないけれど、お互いに気持ち良くコミュニケーションをとれるようになりたいし、練習していきたいと思いました。


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参加してみて、今の私は、人の目を気にしてしまう他人重心になっているところから、自分がどうしたいかという自分重心に変えていくことが必要だということ、それから、自分がどう思っているかについてもう少し向き合っていく必要があると感じました。

今回参加して、共依存の問題を解決するためには、私の人生は自分で責任を持つ必要があるし、私が自分のために行動していかないと、という気持ちが強まったので参加して良かったと思います。
今回、クラスで一緒に参加されたみなさま、ペアを組んでいただいた方、そして、藤沢さん、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。