2017.07月開催 「身体のワークショップ」れんぬクラス

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タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) れんぬクラス



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藤沢さん、ご一緒したお仲間さん、おつかれさまでした。
どうもありがとございました。


あれから、身体が軽くなっていることを感じています。
まず、あまり食事を取りたくなくって。それは、今までの「太るから食べるのを控えよう!」という感じではなくて、身体から「今はお腹すいてないよ~」という、ゆるい優しいサインの様に思っていて。
それに、私も素直に聴けるようになった。
それでいいんだって自分を許せる様になったというか…。

そうしていると、胃が痛くなりました。今も少し痛い。
この痛みは、あーこういうことかと、実感しています。


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この一週間は、右胸が痛くなったり、朝起きたら息苦しくなったり。
耳が痛かったり。
身体は、いろんなサインを送ってきてくれました。

その度に、「あー、これはこういうことか。うんうん、わかったよ」と身体と会話しています。
会話して、手でさすってあげると、痛みが引いていく感じがします。
そして、そのサインから、自分の行動を意識して過ごしています。


今までの私は、自分の身体の声を無視していたんですね。
ごめんね、私の身体さん。いままで、ほんと、ほんと、ありがとうね。


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練習したミラーワークを、毎朝しています。
「おはよう」と声を掛けます。
「おはよう、お疲れさん」と私が返事してくれます。
こんなにも傍に、私の親友がいたのかと思うと、胸がいっぱいになって、涙が出てきます。

目から溢れてくる自分の涙を、こんなにじーと観たのは、初めてでした。
黒目が大きいことも、眉毛がしっかりしていることも、思い描いていた自分の顔とは違っていました(かなり美化していた、苦笑)。
そして、今、等身大の私がいます。

鏡に映る私と、本当の私が一致した感じ。
それを、やっと許せた感じがします。
なんか、ぶれちゃう事もあるけれど、そんな時は、「うんうん、オッケー」と思って、チェアワークをしています。


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いろんな事を学んだ一日でした。

コツコツやっていこうと思います。
そして、いつか、それが自分の一部になる日がくるように生きていこう。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) れんぬクラス



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優月さん、クラスの皆さん お疲れ様です。ONSA WORKSHOP(対面式)ありがとうございました。

今まで受けた中でもずば抜けて濃厚な対面式ワークショップでした。
少人数だけどその分深くまで掘り下げる事が出来ました。

皆、本気度が違ってすごく刺激になりました。
一緒にクラスを作ることができて本当に良かったです。


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最近特に心身ともにぐちゃぐちゃで行き詰まっていました。
手帳も『未来日記』も停滞してて、ワークもなかなか進まないし、やればやるほどうんざりでした。
体調も良くないのでいつも以上に、無力感と投げやりな気持ちでクラスに臨みました(笑)。

行く前は参加する事自体がしんどく感じていましたが、今は行って良かったです。
行き詰まった様に感じる、そこから続けていくと、スッとわかる瞬間がくる、皆さんもこの感覚を持っていて続けているのが確認できて、とても励みになります。


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今回のクラスは一本芯を通す様な感じでした。上滑りの知識が理屈として自分の中にカチッとはまる様な感覚になりました。
今まで理屈の部分が自分の中に、なかなか上手く落ちてこなかったのがここで掴めたような気がします。

私の状態を「深刻だ」と言われるたびに、そこまでじゃないよね? と認識していたのが、実はそんなことなくて正にその通りのしんどさがあったこと、理屈としてわかってきました。
この知識を受け止めるのは、辛い気持ちもありましたが、「いかに」なっているかを知って冷静に受け止められてきたとおもいます。

体調のことや、辛い思いは今も変わらず現実にありますが、知ってしまった今はただひたすら無力感に襲われる事は減りました。
それよりも向き合わなきゃいけないこと、知ってやらなきゃいけないことがわかってきて立ち上がれるようになってきました。


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クラス中のワークは手こずりました。
ミラーワークはすごく苦手で何度も繰り返して補助してもらえてやっと向き合えました。

心を開くこと、自分との信頼関係の難しさを感じました。
今週は鏡を見るたびチャレンジをしてますが、鏡の中の自分をみてはひたすら「ごめんね」を連呼しています。

私が私を蔑ろにしていた、謝りたいという気持ちが溢れています。
鏡の中の私はいつも泣きそうです。早く笑顔にしてあげたいと、強く感じています。


チェアワークも身体から力を抜くのがなんて難しいんだと、実感しました。
私は良く息を止めてしまうので、どれだけ身体がガチガチになってるのか怖く感じています。

こんなに力を入れてたら、疲れてしまう。
私の頭と腹はバラバラになるのも納得できます。こまめにポジションを直していきたいです。


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私の体は誰よりも私の事を分かってるのがよくわかりました。
今まで体の調子が悪いから心が塞ぐし、時間もお金もエネルギーも奪われて嫌だと思っていました。

しかし、それは順序が逆で私のしんどさはずっとあって、わかりやすく体にでてきたのではないか。
内と外、それぞれの私の辛さがアラームをあげてると思えました。


しんどさは変わらずあるし、わかればわかるほど先の長さを感じていますが、投げ出さずにやっていこうとおもいます。

ありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) れんぬクラス



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「私と、仲直りする」

それがこのクラスのテーマ。
頭では「私は、そうしたい」。
そう思って、私はこのクラスに申し込みました。
(この対面式ワークショップは2回目の受講です。)

でも、クラス開始の時に「自分と仲直りするよ」と優月さんに言われたときも、
クラス後半のミラーワーク開始の時に、再び同じことを言われたときも

私の心は

「げ~~(やだ、むきあいたくない)」
「ムリだ」
「ぜったい、無理」「できない」
「したくない(ワーク、やりたくない)」


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私は、自分の奥底に無理矢理押し込んできたこと、
「自分否定」とか「うそ」「ごまかし」「つくり」「演技」「ニセモノ」
そういう、あらゆる「汚いもの」「隠し続けてきたもの」が
露呈されるのが、いやだった。

だから、自分で申し込んでおきながらも
「あーぁ、逃げたい…」という落ち着かなさでいっぱいだった。


でも、ミラーワーク、できた。
私と仲直りすることが、できた。
これが、このクラスに参加しての、私の一番の収穫です。


なんといっても、1週間経った今も
鏡を見て、あのときの感覚が自然とよみがえってくる。

鏡の中の私は、頼もしくて、力強くて、私の味方でいてくれて
とても信頼できるし、アドバイスや励ましもくれる。

クラスのときに感じた、あの穏やかで自然な感覚のまま、つながれる。
これは「正解」だと、私は心で思えます。


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これまでの私が「自己流」で「本を見ながら」やっていたミラーワークは
ごまかしとすりかえと、過大な期待まみれでした。
つまりは、私自身へのコントロール(暗示)だった。

そりゃ、やっててしんどいし、ぜんっぜん私の心に届かないよね。
だってそんなコントロール、私の心は受け付けたくないもん。

でもそれでも「なんとかしたい」という切実な思いでもがいていた私を
責めはしません。
あのとき「うまくいかなかった」「ぜんっぜんしっくりこない(効果ない)」という経験があったからこそ、
今回のこの感覚に「これが正解」と思えたのだから。
なにより、私は、結果ではなくて努力していた私を、ほめます。


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ミラーワークの最初は、そりゃもうひどいもので
鏡に映る自分に話しかけようにも
私は自分の肌の汚さにばかり目がいって、気もそぞろ。
自分に話しかけるどころか、自分を責めて批判してばかりでした。

同時に、私、すごくテキトーに扱われてるな…。
すごく、見捨てられてる。みすぼらしい…。
この寒々しい感じで、わたし、生きてるの?
なんか…あぁ、いやだな(実感すると、ずしんと重い…)。

こんなんじゃ、うまくいかないまま、終わってしまう。
かといって、無理に泣けって言うのもちがうしなぁ…。
自己憐憫、自分は哀れだよ~~って、泣くのも、なんかちがう。
それは演技や、酔いって感じ。


そういう違和感を感じながらも
「それっぽく、泣いてみようか(泣いてみたら変わるかも)」とすら、
私は思っていました。

でも、真実はそんな力づくでなくて、よかった。
その後、チェアワークを何度かして…。


そうしてから鏡を見たら、
それまでは「鏡を見てる私」が主体だったのに
「鏡の中の私」が主体になりました。
自分は、鏡の中の自分に、見守られている、励まされている
そんな、不思議な感覚になりました。

鏡の中の私を、私は「美しい」と思いました。
さっきまで気になりまくってた肌荒れが治ったわけではありません(笑)。

そうではなく、目の輝きが、美しい。
存在そのものがしゃんとして、凛と、そこに在る感じ。
誰かや何かにおびやかされるような、不安定さや心許なさがない。
穏やかで、力強くて、私の真実をちゃんと知っている感じ。

肌荒れなんかより、その存在感とエネルギーみたいなものに、
私は心奪われました。


そして驚いたのは、その感覚がとても穏やかで自然だったこと。
自分を妙に褒め称えて、高揚した「高刺激」の状態でもなく
必死で懸命に「前向き」なことを塗り固めて、そうだそうだと無理矢理ポジティブになるのでもなく、
ただ、静かに「私はこれでいい」「この私で、ほんとうに素晴らしい」と思えたこと。

その穏やかさ…心が自然と満たされていく感じ。
とても幸せな気持ちになりました。


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そこからは、自分との対話もすごく自然にできたし、
鏡の自分からも、たくさんの励ましをもらえました。
私は、自分を憐れむばかりではなく(「ごめんね」「いいよ」をくり返すことよりも)
「わたしは、本当によくがんばってきた」
「これから、もっと私は、わたしらしく生きていけるよ(その力があるよ)」
という、心に響く励ましでいっぱいになった。


あぁ、今の私はこうなんだ。
ここまで、私は歩いてこれたんだな。
歩いてきたからこその、このメッセージなんだな。

そう感じられて、私はとてもうれしかったです。


(あと、メイク用品を買いに行こうと思えた。
私はメイクすることにそこまで気持ちが乗らず、
「そんなのに大事なお金使うの、もったいない…」とも思っていたのですが
でも、単に、肌をきれいにしてあげたいなと思って、
そうしようとふわっと思えたこと。

あぁこれが「私を大切にする」のひとつかも。
行動の中身じゃなくて、「大事にしたいな → そうしよう」と尊重できたこと。
その気持ちや感覚が大事なんだなって、気づくことができました。


実際、クラス後に新しいメイク用品を買いに行き、日常で使っています。
こんなささいなことでも、「する」と私はとても嬉しい気持ちになります。
これでよかったんだな~~。
「自分を大切にする」って、壮大なことでも高尚な精神論でもなく
「自分に素直になること」から始まるんだ。)


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うそでも演技でも、強がりでもなく
私は、わたしとつながることができた。

これは私のこれからの回復を支えるお守りだし、
一生の宝だと思います。

もがいて、苦しんで、トライしたけどうまくいかなくて…。
そんな日々があったからこその、このクラスだった気がする。
一発では、ここまで辿り着けなかったよね。
ほんとに、休まずに歩き続けてよかった。


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ほかにも、このクラスでは密度の濃いことをたくさん教えてもらいました。
発達障害のことも、その後情報を集めて、
自分の家族の特徴とてらしていったら、
たくさんの「つじつま」があってきました。

私の家族にはこういうことが起こっていたかもしれなくて、
だから私の手には負えなかった。
あれもこれも、本人の脳の性質から起こっていたことかもしれなくて
決して「私に何か落ち度があったから」起きたことではない。

私はそれらを全部「私のせい」にして、私を苦しめていたけど
もうそれ、しなくていいんだね。
これは「私のせい」ではなかった。

そう思えたことが、私の心を軽くしました。


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回復とは「私を古い思い込みから、自由にしていくこと」。
そう思えました。

私は、今回のワークショップへの参加で
「私、まだこんなに回復すべきことがある」
「私の一生、回復で終わるの?? (そんなのやだ!! 勘弁してよ。)」
と思っていましたが

「回復=義務、重荷、解決すべき問題」として、私の肩に重く乗せるより
「回復とは、私を自由にしていくこと」と思って、進んでいきたい。

その方が、ひとつ何かのしこりがほどければ
ひとつ、自由になれる。
そういう幸せなイメージがついてきて、私にやさしいし
前に進んでいくパワーも湧いてくるからです。


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身体のサインも、知っていたけど、改めて読んで実感&納得…でした。
頭は物事を簡単にねじ曲げて、合理化したりうそついたりするけど
身体は、本当にうそつかない(うそをつけない、ごまかしがきかない)と思いました。

クラス後も、いろんな身体のサインを感じて、大変でした。
なかでも、せきが続くのが、長引いています。
そういうときは「私は何を言ってないんだろう?」と内省して、書き出すようにしました。

そして正直なことを書き出すことができると、せきがおさまる。喉の違和感がなくなる。
なるほどな~~と、思います。

身体のサイン、これからの日常でも使っていきたいです。


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クラス中、「身体を信頼して」と優月さんに教えていただきましたが、
このクラスは「自分への信頼を取り戻す」ことをたくさんしたなって、思います。
(「変容ワークショップ」の「信頼」ともつながっていますね。)

身体を信頼すること。
鏡の中の自分を信頼すること。

それは「私の中に私を安全に生かす力があって、それはいつでも私のために働いてくれている」ということ。

私はそれに、頭でなく、心とハラで納得できたのが、大きな収穫でした。


文節区切りの線

「努力で人を好きになることはできない」
それを、最後のミラーワークで深く納得できました。

私は、努力でなく、素直な心で、私を好きになれました。
素直になれば、自分のなかにある
「私は私が好きだよ(大切だよ、当たり前じゃん)」という気持ちに
ちゃんと気づくことができるんですね。


これを入り口に、私はもっと、わたしを知っていきたい。
安心感が出てきて、心の重荷やブレーキが外れてきた分、
いろんな側面の私が出てきそうです。

「え? こんな私もいるの?」なんてくらい、
心をひろーく、縦にも横にも伸ばして
面白がるくらいの気持ちで、自分探しを楽しんでみたいです。


優月さん、「れんぬクラス」のみなさん、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。