2019.07月開催 「身体のワークショップ」かもみーるクラス

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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) かもみーるクラス



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「身体のワークショップ」PAY FORWARD

鏡の中の目を見つめているときに感じたこと。
それは「この身体はイノセントです」ということです。

この身体はただ生きてきた。
そして頭も同じぐらいにイノセントです。
一生懸命に生きてきた。


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そしてその人はわたしです。わたしが生きてきた。
わたしがイノセントなのです。
わたしが生身の人間なのだということです。
わたしが一生懸命に生きてきた一人の人。

わたしのことをこんなに大事に思って、こんなに一生懸命になってくれている張本人はわたし。でした。
イノセントなわたし。でした。

イノセント。それが瞳の奥にいる人の存在の大きな大きな表現だった。
ここにいるよ。ここにいたよ! ずっといるよ。ずっといたよ!


ノックしてもノックしても誰も出ない、誰もいない、ひとりぼっち。
探しているその人がどんなに探しても見つからない。

だけどわたしは家の中からノックしていた。
振り返ればよかっただけ。
そこにはずっとずっといたから。
大事な人が。


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ワークショップ・クラスの終わった後の帰り道。
角の木枠の壁のバーではサックスでミスチルを演奏していました。
肩を寄せ合い音楽を聴く男女、ガヤガヤとした店内から漏れる明かり。
「ああ、この世界に入り損ねちゃったんだなぁ」と思いながら、しばし佇んで聞き惚れていました。

「快」の成り立つ世界。
大人の世界。
自分の足で立つ世界。


サックスは大人の音色だと思いました。
この1週間は特にそのことをひしひしと感じました。
大人=身体=快楽=現実
子どもの時にこれができてたら自然とそうなったんだろうな。
子ども=身体=快楽=現実

わたしが周りの人に苛立つ理由もわかったし、わたしが周りの人を苛立たせる理由もわかりました。
頭 VS 身体
理屈 VS 快楽
当然ギスギスしますね。


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生きるってこと、わたしが思っていたようなことじゃなかった。
生きるってこと、わたしがしてはいけませんと言われてきたこと。

主体性=欲求、欲望、なのにわたしは主体性=頭、理論になっています。
べき、せよ、すな に縛られてがんじがらめになって理屈っぽくて、誰が一番損をしているかというと、自分自身だった!
身体で生きていない、欲求に従って生きていない。

どのような仕組みでわたしがそれを阻止されてきたのかが、夏の4つの ONSA WORKSHOP(対面式)を通してとてもよくわかりました。

わたしが「成長」するたびに繰り返し阻害されてきたこと。
何が切り離されて置いてけぼりにされたのか。
そしてそもそも、それは誰の都合だったのか。


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快、不快のあり方と境界線のこと。
自分の快、不快がわからなければ境界線の引きようがなく、わからなければ当然ここで引くべし、というラインが見えません。
探るにはそれぞれの境界線をちょこっとだけ触ったりしつつ調整するのに、その感じがわからなければ、感覚で探る、ということができないのです。

わたしは境界線を越えてこちらを探ろうとする相手には、逆に引き込まれて振り回されてしまう。 
相手がそれを意図していなくとも、しつこくついて行ってしまう。
そして傷ついてしまう。

それしか知らないから。そういう風にしか学べなかったから。

大人はそれを使って距離感を測りながら駆け引きしたりしながら、綱引きみたいにしてお互いのベストな距離を割り出してゆくのに、その回路が壊されてしまっていたら、重心がどこにあるのかを見失ってしまっていたなら、その距離の測りようがないから、繰り返し、繰り返し、誰とでも同じシナリオで傷ついてしまうんだとわかりました。


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わたしは女らしさをしっかりと自分に取り戻そうと思いました。
性別のあるひととして、生きている生身の人間として、生まれ変わろうと思います。

「色」を持つこと、女っぽさや秘密=大人になる、成長するということに繰り返し罪悪感を感じさせられてきてしまったこと。
そして主体性にいつもいつも鋏を入れられ続けてきたことで、わたしは頭と身体とを切り離さずには生きられなかった。
そうでなければ生き抜けなかった。傷つきたくなかったから。

けれども身体と切り離された状態がいかに生きにくく、危険であるか。
色っぽいことの方が危険だという一部の大人たちの口車に乗って、実際に生き物として女として生きるすべを手放しながら成長してきたことの重み。

悔しさを全部バネに変えて、わたしは自分をちゃんと取り戻す。
生きている自分を生身の自分を性のある自分を女としての自分を取り戻そうと思います。


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大人の色気とかお色気ムンムンとかそういうのが悪いこと、いけないこととしてずっと遠ざけられていて、わたしはディズニーランドに閉じ込められたラプンツェルでした。

大昔から東西問わずおとぎ話でそうやって女の子は閉じ込められてきた。
それはその子の周りの一部の大人の都合でした。
女の子が利用価値としての財産でしかなかったような時代から。

(でもディズニーの歌には女の子がそこから出ようとする歌がとっても多いですね。ただ、現実の世界では王子様は永遠にやってこない、ということ。そしてそれは、幸いなことです!!!!!!)


怖がらせるようなことがあると信じていたから、わたしもそういうのがとても怖かった。大人になるのが怖かった。
でも時が来れば身体は成熟して大人になる。
それを誰も止めることができない。

何よりもその時がきたら大人の世界で生きてゆかなくてはならないのに、身体だけは成熟してしまって、心を準備されていないのはとってもとっても不利。

心だってそれに伴って大人になってもよい。
もちろんなるべき。
大人になったら、嘘とか駆け引きとか当然ある。
その時子どものままでいたのならば、ずっとずっと利用されるか、仲間外れにされてしまうだけなんだ。


わたしは自分が女だということに罪悪感と恐れを感じ続けて生きてきたんだなぁって思いました。
そう仕込まれてきたんだとわかりました。


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これからは、わたしの傷ついた心の核をわたしが大切に大切に守る。
こんなにボロボロになっても、一心に誠実にわたしのことだけを考えて生き抜いてくれる、その人本人、私自身を私が一番大切にする。
それがわたしにとっての女らしさです。

わたしに「色っぽさ」がなかったのではない。
それはずっと前からも今もずっとここにあります。
封印されてきただけ。

わたしはこのわたしの性=命を大切に守ろうと思います。
封じ込めるのではなく、利用させるのでもなく、わたしの大切な力として。

命として。
潤いとして。
豊かさとして。
資源として。


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わたしは決めつけらることなく、いろんな資質を持っていいし持っている。
そのどれを使ってもわたしの自由です。

わたしはきっと自由に生きられるし生きる。
わたしがそう決めたから。
これから何が起こっってもそう決め続けるとわたし自身が決めたから。


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きっとこれからもいっぱい転ぶと思うけれど、まだまだ問題は山積みなんだけれど、意思は固い。
ここまで諦めなかったし、だからこれからも諦めない。
だって生まれてきたことを後悔したくないから。

死ぬまで絶対頑張る。最後の一歩まで後悔しない一歩にする。
後悔しない生き方を、自分の生き方を今すぐに始める。
何度こけても、また立ち上がって始める。
何度でも何度でも。イマココの一歩から。


転んでももう気にしないぞ。
全部学びに変えるんだから。
失敗しても自分をいじめないよ。

だって挑戦したってことだから。
うんとうんと褒めてあげるんだ。
くじけそうになったら、わたしが励ますよ。
誰よりも愛しているから。


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生きるって理屈じゃない。
それでいいんだ。

わたしは生きるぞ!
わたしは生きるよ。

優月さん、スタッフのみなさん、お仲間さん。
どうか見守っていてください。




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M. Y. さん(40代以上/静岡県よりご参加) かもみーるクラス



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優月さん、一緒にワークショップに参加なさった皆様、ONSA の皆様、どうもありがとうございました。


「身体のワークショップ」、とっても私に必要でした。

クレンジングリアクションがすごくって、疲れた~、と言うのが正直な感想です。

ワークショップ・クラスの後、2日間の有休を取っておいて正解でした。


元々右半身の緊張や歪みが大きいのですが、クレンジングリアクションもしっかり右半身の方が強く出ました。

首、肩、背中、腰が痛くなって、特に右半身は痛みが引くのにたっぷり2日間かかりました。

チェアワークの威力を思い知り、もっと丁寧にやろうと思った次第です。


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そして、ミラーワーク。
とっても良いですね!!

今までも、鏡をのぞき込んだ時に、「よし、いいね」と自分に声をかけた事はあったけれど、ああいう言葉をかけたことはなくて、ワークショップの最中に涙を流せて、なんだか不思議と落ち着きました。

私、これからもよろしくね、と思いました。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) かもみーるクラス



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Sちゃん(自分)へ

「身体のワークショップ」お疲れさま。
前日から、寝ても寝ても眠い状態でしんどいなか、本当によく頑張ったね。

私にとって「カラダはないもの」で、何か症状が出たときに、「あるな」と思うものでした。
私自身のカラダを大切にしなきゃ、メンテしなきゃ、と思うことはなかった。

また、自分を大切にするために体調を保つのではなく、休んで勉強に遅れないようにするため、仕事に穴をあけて人に迷惑をかけないために、体調をよくするのだ、と思っていた。

「思っていた」というか、そのように、母から「教わってきた」。
だから、身体のサインが「次に何をしたらいいか教えてくれる大事なもの」だとは思いもしなかったし、そもそも、「出してはいけないもの」という考えだった。

そして、ワークに参加して、薬が必要になるぐらいにならないと、私は身体のサインに気づかなかったし、そもそも言われてみないとサインが出ていることに気づいていない、「ないこと」にしていることに驚いた。

今まで「私」という身体をぞんざいに扱いまくってきたのだな、と初めて気がつきました。


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チェアワークでは、背中から肩、首にかけて鉄板が入っているのか、と思うぐらい凝り固まっていたことに驚いた。
そして、そこまで固まっていることに気づいていないことにも驚いた。

1度目のチェアワークでは、まだ凝り固まっていたのか、私の内側からの声として、「怖い。分かんない。」としか聞こえなかった。
でも、回を重ねるごとに、「今ここ」に戻れてきたのか、「私は今、自分を大事にしたい」という声を聴くことができた。
そして、そのために「頑張っている自分を労ったり、チェアワークをする時間や場所を確保したりしたいな」と思った。

ここ数か月間、私の頭を悩ませている就活問題(?)に関しては「むしろ後回し! 疲れている私を大事にするのが先!!」と思うのと同時に、「私を大事にする、行動を選択しよう。」とも思った。


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そして、ミラーワークでは、人生で初めて購入した手鏡で、人生でこんなに長い時間自分の顔を見たのは初めてじゃないか、と思うぐらい自分をみつめた。

始め、「鏡の中のアタシ」は、悲しそうな目をしていた。
そして、私が「ごめんなさい。」と謝ると、アタシは「やっと気づいてくれた。でも、今さら遅いんだよ!」と怒りだした。

でも、「何か悪いことが起きると、いつもアタシのせいにしまくっていたこと」を謝り、心から「ありがとう」を伝えると、「お互いに、大変だったよね。本当に頑張ったよ。もうこれ以上頑張る必要はないよ、お互いに。」とアタシは泣いた。

最後に、「Sちゃんを何よりも一番に大事にするね。一生一緒にいようね。」と伝えると、初めて鏡の中のアタシが笑った。
それを見て、私も嬉しくなって笑顔になった。

今までよく「私がない」と思ってきたけど、ミラーワークをして、鏡のなかに確かに物理的に「私」がいたことに気づけて、世界中に探しに行かなくても、「私はココにいるのだな」と私は少し安心できた。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) かもみーるクラス



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ワークショップ・クラスお疲れ様でした。
終わって随分長い時間が過ぎた気がしています。

私は身体と仲良く出来てなくて、自分の体のことを「ままならない」「扱いにくい」と感じていました。
アトピーはあるし首や肩はガチガチ、胃腸も弱いのに食欲のコントロールはできない。何か始めると不調がでる。病気にならなければ、もしくは病院に行かなければ上々くらいにとらえていました。


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プレワークで私の不調は当たり前のことじゃなくて、身体のサインということを観察していたけど、それより普通の人はどれだけ自分の体調に敏感かを聞いて驚きました。
プレワークで課題になってるから普段よりは観察してるつもりだったけど、自分の身体のことをもっとわかってていいというのは意外な気持ちになりました。

自分のことに関心を持ったり、気をつける、調整したり大事にする。言葉にはしてたけど、それが言葉通り真摯に手をかけて良いとは思ってなかったのです。

自分のことなのに、やって良いって思えなかった。
そんなこと後回しだよ…そんな風に思っていました。

しばらくの間チェアワークがしっくりこないことが続いててモヤモヤしてました。全然力が抜けなくて、自分では脱力してるつもりだけどガチガチのままでした。

ワークショップでチェアワーク前にほぐすところから始まって、正しいポジションをたくさん練習できて、ようやく脱力できました。
力が抜けた時、やっと体がストンと落ち着くのがわかりました。
普段どれだけ緊張して過ごしているのか、びっくりしてます。


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もう一つのワーク、ミラーワークは本当に苦手でした。

感情を表に出すのが怖くていやで、とても抵抗がありました。
頭でわかっていてもなぜか出来なくてしんどかったです。

ごめんね、ありがとうって言うのがなかなか言えなくて、言ったらすごく鏡の中の私が可哀想で、つらかったです。
どうしてあんなに私は言えなかったのか…つらい鏡の中の私が許してくれるかどうかがこわかったんじゃなくて、謝って終わらせるのが可哀想でたまらなかったです。

謝ったら許さなきゃ行けない、謝られたら水に流さなきゃいけないって思ってて、だから私が謝ったらしんどくて可哀想な私の頑張りが全部水に流される、なかったことにされる感じがして辛かったです。

私はどこかで謝られたら許さなきゃいけないって思ってて、許さないなんて傲慢だとか心が狭いって思っていました。
でも他人に対してはそんなこと思わないので、もしかしてこれって歪んだ見方かも…と気付いて、今ぞわっとしています。


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身体のサインって、表に出るほどしんどいなんてわかってなかったです。
むしろ当たり前すぎてそうじゃないのがわからない状態です。

もしかすると皆もっとリラックスしてるのかな? とすごく気になってます。


観察とワークを続けてアフターワークまで完結させたいと思います。

ありがとうございました。




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) かもみーるクラス



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私は「身体のワークショップ」への参加は2回目でした。
前回よりも身体のサインを読めていると思っていたものの、まだ日常生活では気づいても見なかったことにして、毎日をやり過ごしていたことに気づきました。

プレワークでも、過去の状況や感情に引っ張られていることに気づきました。
身体に力を入れてがんばっている、でもそれは私が「今ここ」にいないんだと理解できました。

私は原家族にいたときのように、張り詰めた緊張感をもって生きてきたように思います。
リラックスが難しいと感じます。
いつも肩はガチガチです。

そういった身体のサインを紐解くことができてよかったです。

また、過去の身体のサインについても、どうして高校卒業前のあの時期に過食をしていたのかの謎が解けて、身体のサインってすごいんだなと思いました。


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今の私の身体は常に緊張していて、何かに対して身構えていて、リラックスが日常に足りていないと感じました。
身体を動かすこと、自分の健康方法を探っていきたいと思います。

また、チェアワークを繰り返すことによって、大人の自分としっかり繋がる感覚がありました。
これは、ワークショップ・クラスが終わって日常生活に戻ってもしっかり残っていて、同じシチュエーションでもプレワークのときに感じ取ったものとは違って、その状況自体が全く気にならなかったりしました。

今までもチェアワークはやっていたものの、より深く何度もやってみることが大事で、自分の「今ここ」としっかり繋がっていたいと思いました。


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また、ミラーワークでは、前日に受けた「感情ワークショップ」で気づいた、母親にされたことと同じようなことを自分にしていたことに気づきました。
自分が自分にしていた仕打ちの酷さに気づき、涙が溢れました。

ミラーワークを繰り返すことで、私の表情が穏やかになり、安心してとてもいい顔になりました。

私はまだまだ頭でっかちだったと思いました。
自分と仲直りしたつもりで、真の意味ではできていなかったと思いました。
口先だけだったんじゃないかと思いました。


今回、身体の感覚、自分の今ここの感覚を体感することが出来て、本当に良かったです。
自分の今ここと繋がっている感覚を日常生活の中に持ち続けていきたいです。

藤沢さん、ONSA スタッフの方々、クラスのみなさん、ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) かもみーるクラス



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私へ

夏の ONSA WORKSHOP(対面式)も、これでラスト。
3週連続だったけれど、よくやったね。


「身体のワークショップ」は今回で3回目。
素直に、身体って本当に奥が深いと感じる。

1回目は、自分の中にも生の感情があること、未解決の過去が詰まっていることを初めて感じられた。
2回目は、私の不安症が身体のサインと気付けて、幼い私が解離させるためにやらざるを得なかったことだと学んだ。

そして、3回目。
今まで学んできたことを、現実に活かせていなかったな…と気付いた。
ここずっと、私は私と離れ離れになっていたし、過去の習慣と同じに私を大切な存在ではなく、モノのように扱っていたかもしれない。


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ミラーワークをした時、私の顔を見て「何だか生気のない顔だな」と感じた。
…疲れているなら、そうなって当たり前だよね。
私が私に、無理なスケジュールを強いていたのに、ごめんなさい。

私は私を、とても悲しそうな目をして見ていた。
初回のワークショップの時のミラーワークでは、謝ってこれからも宜しくと言ったら、すぐ素直に「うん!」と笑ってくれたけれど、今回はずっと不信の表情をしていて、でも最後にやっと笑ってくれた。

あの時、私は「私の言うことを、聞いて」と言われた気がした。


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本当だ。
私は、Web. WORKSHOP もやっているし日記も書いているから私の声を聞けていると思っていたけれど、聞けていなかった。
毎日鏡を見て話しかけてるし…と思っていたけれど、目を見て「分かろう」としていなかった。
日常的に、「私」の声をおざなりにしていたかもしれない。

自分では、気を配って大切にしているつもりだった。
実際、栄養のバランスに気を付け、温度調節にも気を付け、お腹を温めたり、バレエのレッスンも続けていたし、ストレッチだって毎日やっていた。
「身体にいいこと」をしていた。

その反面、整腸剤は常用していたし、胃薬もよく飲んでいた。
…そして、私は、身体のサインを読んでいなかった。
「これだけ気を付けてるのに、なぜ調子悪くなるの!?」と思うだけで。

私、色々なことを消化しようと奮闘してたり、おそれや古い考えを手放したいのに手放せないと葛藤したりしているんだよね。


気付けば、ごはんも美味しく食べられていなかったね。
そもそも、心を開きたくない相手との食事は美味しくないし、「食べないと身体に悪いから」って義務感で食べてたかもしれない。
「私」が食べたい物・食べたい量で食べてなかったかもしれない。

ストレッチも、「効果がありそうだから」といきなり大きく動かしては、「私は、身体硬いなー」と思ってた。

それで、睡眠時間けずったり、何時間も根をつめたり、ゆとりを持つ時間もなくして、私に「がまんして!」ってしょっちゅう言ってた。
週末になっても疲れがとれなくてやる気が起きないのを、「超低血圧のせいだから、仕方ない」とも思ってた。

ああ…土台がこれだけおろそかになっていたら、変わる元気も出ないよ。

私は、今も私にずいぶん一方的だったんだね。
私は、人からそうされるのがとても嫌なのに。


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私に取って、大きな身体のサインの不安症。
今回も、向き合ったね。

症状が出ている時、全身に力が入ってぎゅっとこわばって、息がつまって、頭と肩と足に特に力が入っている。
目にした悪いことが自分の身にも起こるんじゃないかという考えに捉えられて、怖くなる。不安に飲み込まれる感じがする。

でも、「何も感じていない感じ」もする。
悪い考えを抑えつけようとしているようにも感じるし、よみがえる過去を抑え込もうとしている感じもする。
自分のニーズをうまく読めない時も、そうなっていたかもしれない。

そして、怒り・おそれ・不安などの感情を感じたくない時も、そうなっている。
感情を「感じさせない」ようにしている。
…私は、以前より少なくなったけれど、今も解離させているんだね。


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何か月もの間、私は躍起になってエンジンかけようとするのにギアが入らず、空回りしているような感覚で苦しかった。
頭では色々分かっていたけれど、心がストップしてしまっていた。

「私」がいなかったからだったんだなぁ…。

私が私とつながらず、感情を感じずにいたら、私がどうしたいのか分からなくて当たり前だし、すること全てが義務感になってしまってしんどいはずだ。
「自分を理解する」のではなく「スキルを身に付けよう」になってしまって、肝心の「私」を見ていなかった。
本当、上辺になってしまっていた。

いつの間にか、そういう生活になってしまっていたんだな。
「感情」はワークショップで沢山名づける練習をして、WEB でも沢山書いて出来るようになったと思っていたけれど、いつの間にか「感じないでやりすごす・こなす」「耐える姿勢」という過去のパターンになっていた。

…あまりに痛い気付きだけど、気付けて本当に良かった。


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今回は、チェアワークの他にも手軽に出来るボディーワークを教えてもらい、みんなで実際にやってみた。
何だか楽しかったし、やった後身体が軽くなったら「安心・安全」=「今、ここ」を感じられた。
不思議といつもの不安は出てこない。

不安症は完治しない。
自分で調べても、カウンセリングで相談しても、同じ結論だった。
だから、私はあきらめていた。
でも、同時に、発症する前のまっさらな状態に戻りたいとも、強く思っていた。

身体を整えて日常の中で「安心・安全」を感じられる時間が増えていったら、症状はもっと出にくくなるかもしれない。


そして、「まっさらな状態に戻る」というのは、違うのかもしれない。
不安症も私の歴史の一部だ。
私に取ってそれだけの体験をしたから、サインとして出て来たもの。
そこには、理由があった。

あきらめて投げ出すのではなく、躍起になってなくそうとするのでもなく、ただ受入れる。
私が「今ここ」にいられるように身体を整えて、その上でサインを読んで目の前の小さなことを解決につなげるのが、今の私のすることじゃないだろうか?
「感情=本音を感じて、対処する」「実際に、行動する」シンプルだけど、大きいことだ。


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ワークショップ・クラス当日の夜、疲れたから水分だけ摂って早めに休んだ。
そうしたら、次の日から数週間ずっと調子の悪かった胃腸が回復を始めた。

胃が温かくなって身体に血が通う感じって、こんなに心地いいんだっけ?
これだけで、穏やかで安心した気持ちになる。
身体がリラックスすると、いつもより心がクリアに見える気もする。

身体の調子が良くなければ、前向きな気持ちややる気が起こらないのも無理なかったかも?
「身体と心はつながっている」と知っていたはずなのに、忘れていた。


そうだった。

身体を整えるのも、境界線を引くのも、こうして続けているのも、全ては「私を快にする・快に保つため」にしていることだった。
私が心地よくいられるようになるために、していることだった。「心地いい」「だから、やる」。
その為に、「実際動くこと」「解決」が必要なんだ。
目的を完全に見失っていたね。

教えてくれて、ありがとう。
あなた(身体)は、私に取って誠実で頼りになる味方なんだね。
だから、私が私に悲しい顔をさせてちゃいけない。


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身体を「ニュートラルゾーンから外れたら戻す話」や、私はなったことはないけれど拒食症・過食症の話も心に残っている。

「身体のサインを使って、何とお別れするのか理解するワークショップ」

このテーマは、本当に重かった。
小さいことから大きなこと。正直、本当に理解できたか自信がない。

早速、足にサインが出ている。先へ進むのが怖いって。
大丈夫、私はいつも一緒にいるから、あなたの言うことを聞かせて。
こんな時だからこそ、沢山話そう。

不器用な私たちだけど、これからも一緒にやっていこうね。


最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、ご一緒した皆さん、今回も本当にありがとうございました。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) かもみーるクラス



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今回2回目の参加だった。
去年も参加したけれど、ミラーワークの感覚が日常で薄れてきている感じがして、自分とつながれている感じがなくなってきて、今回また参加しようと思った。

来年は「感情ワークショップ」と一緒に受けよう。

身体と感情はつながっている。
説明を聞きながら、プレワーク中では思いあたらなかった身体の症状に気づいたり、最近の原因が不明だった症状がわかった。
改めて、プレワークをしてから当日のワークショップ・クラスに来る意味を実感した。

私の身体の症状と原因がいくつもあって、どこから手をつけていいかわからなくなるけど、どれも心からきている。
だから、一つ一つ意識して癒していきたいと思う。
それが、自分を大切にづることにつながっていくと思うから。


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前半はなんとなく受け身だったけど、昼休憩中、去年の PAY FORWARD を見直して、このままじゃいけないと思った。

「そうだ! 私そもそも『自分とつながりたい』って思って参加したんだ。それを今年の目標にしてたんだ。ヤバイ、忘れてた。ただ受けるんじゃなくて、自分から取りに行かなきゃ! よかった~、去年の PAY FORWARD 見直して。」

1年前の私に救われて、後半のワークはすごく気合が入った。

チェアワークは何度もやっているけれど、全然力が抜けていないことを改めて感じた。
肩が前のめりになってしまう、肩まわりがすごく緊張している。

私のこれはやっかいで優月さんに力を抜いてもらったり、4、5回チェアワークすることでやっと感覚がわかってきた。
それをもっと深くしていくには、ワークをする前に身体をよく動かして、身体を柔らかくしてからワークする。これを続けていこう。
今回チェアワークをしていて、大人な現実的なアイディアがでたけど、これを毎日続けていけば、もっと深いアイディアが出ると思う。
この感覚を大事にして、もっと深くしていきたい。


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そして、ミラーワーク。
最初、鏡の中の私をみた時は、さびしそうで悲しそうな目をしていた。

「今までごめんね」と言うと、私は「え? 何?」って感じで驚いていた。
でも、もう一度言ったら、少し言葉が届いて泣きそうになっていた。
謝ることが最初はぎこちなかったけれど、回数を重ねるごとに切実になってきて、心から伝えたいと思うようになった。
ワークを続けていたら、だんだん、胸のところでつまる感じがした。

それは多分他にも私に言いたいことがあるからだと思う。
私自身も私ともっと話したかったのかもしれない。

去年参加してから、日常でもミラーワークをしてきたつもりだったけど、それは本当に「つもり」で上辺だったり、自分をコントロールしていたと思う。
言い聞かせているというか、強制して流していることが多かったと思う。

それなのに、私が「今までごめんね」「今までありがとう」と言うと、私は泣きそうになって、そしてうんうんとうなずいてくれた。
その瞬間、私は私にこんなに愛されていた、こんなに愛してくれる人は他にいないって、すごくすごく感じた。

外側にばかり愛されることを求めていたけれど、本当はずっとずっとすぐ側にその存在はいたんだ。
それなのに散々傷つけた。
泣きそうになるのに時間がかかるのも、もしかしたら私と同じように、私も感じないようになっているのかもしれない。
本当は私自身胸がつまっていっぱいになるほど、話したいことがいっぱいあったのに。

今までごめんね。
今までありがとう。

ぎこちないし、時間がかかるかもしれないけれど、私の話、聞いてくれる?
これからは、朝起きてすぐ、チェアワークした後、話したいとき、相談したいとき、まっさきに私に会いにいく。


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ああ、今回感じたことを日常でも感じられるだろうか。
まず、どうしたら私を大切にできるかを一番に考えて、私に伝えていこう。

大丈夫。私は私を愛してくれているから。
もうこれ以上傷つけない方を選択していけばいいんだ。

ミラーワークで、よーく私をみるようにしよう。
ぱっとみただけでは、私がどんな顔をしていて、何を感じているか、わからないから。
私と一番の親友になろう。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) かもみーるクラス



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私にとって身体は、仕事の予定や都合に合わないと「もう! なんとか動いてよ。」ときりきりする、厄介なものでした。

でも、それは私の親が私に「オレの都合よく動かないのは、ダメだ」としていた、それと同じ扱いを、私は私にしていたんだと気づいた。

私が身体を後回しにしているのは、親に植え付けられた「感じるな」の具体的な現象だったと、気づきました。


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身体は、私そのもので、ごまかしや嘘をつかない。
理性でフタもしない。

私の限界がきたら、すぐに教えてくれるし、「この人(こと)には近づかない方がいい」ということも、教えてくれる。

そんな精度の高いものを、私は上手に活かせなかった。
活かしていいどころか、信頼していいとすら、私は思ったことがなかった。
それは「感情」と同じく、私の身体感覚(とその重要さ)も私の親によって封じられたから。

「そんなことで弱音を吐くな」
「そのくらい我慢しなさい」
「気のせいよ」…


私は親に、言語/非言語でこんなメッセージを浴びるように受け取った。
私は、それを真実だと思い込み、「こんなことで疲れたとか感じる私は、まだまだダメなんだ(もっと強くならないと)」と考え、もっともっと頑張らなくちゃ…と、疲れた私に我慢と無理ばかりを強いてきました。

…でも、今なら私は、こう言いたい。
「そこで弱音を吐くのがダメなら、じゃあ一体いつ吐けばいいのよ」

どうして「痛み=我慢するもの」なの?
痛みがあるなら、ケアすればいいじゃない。
緩和や改善策を考えればいいじゃない。

そんな当たり前の発想ができないくらい、私の心も感覚も、暗闇に覆われていたんだな…と私は気づけました。


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痛みに目を向けられない。
「ある」のに、気合いで「ない」と思いこめと強いてくる。
目をそらして、「そのうち何とかならないか」と受け身で待つ。

私の親は、体質上の問題で、そういう発想と行動しか持てませんでした。
だから私も、そのやり方しかわからなくて、ずっとそれしかできなくて苦しいまま、何も解決しないままで生きてきたけれど、でもこうして、健康で自然な考え方を学べたから、だから私は、ここから変わってゆける。

身体こそ、信頼に足るものなんだ。
だって、嘘もごまかしもない、自然で、私そのものだから。

私や、親や他人や世間の言うことより、私の身体の声、感覚に耳を澄ませればいい。
だってそれが、私専用の、超優れたセンサーなんだから。
これを信頼していれば、私は大丈夫。


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チェアワークして、「次の私の行動を感じる」のワークでは、私にとって楽しく、心地よいヒントがたくさん得られた。

きっと、これまでの私なら、同じワークをしてもつい「こうすべき」優先の行動ばかり並べて、アタマでは「そうだ、こうすべき」になっても、身体と心が「え~~(やだ、気が進まない)」と反発してただろう。

でも、今回はそうじゃなくて、私に素直で、楽しくて、ほっとするものが出てきた。
私に、無理や我慢がなかった。

このことが、私はとても嬉しかった。
私は、私に無理や我慢させるの、もういやなんだね。
「もうそれをしても、私をしあわせにしない」って、わかってきたんだ。

そして「それをもう、しない」が、できるようになったんだね。
私とつながれている感覚が強くなって、うれしくなった。


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私は、折に触れて「もっとくつろぎたい」と思っていた。
でも願う割になかなかくつろげなくて「うーん…」と悩む日々を送っていた。

きっとそのくつろぐって、単なるリラックスじゃなくて
「私は、そんなに責任を負わなくていい」
「私は、そんな恐怖に覆われなくていい」
そのことに気づいて、手放すのが必要だったんだ。

私の背負っている恐怖や責任は、私の境界線や限界を超えていた。
それをそのままにして「くつろぐ」なんて、できなかったね。
そういうことにも、私はちゃんと気づけたね。


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今回、「感情ワークショップ」と「身体のワークショップ」のクラスを受けてそれぞれの重要性も深く実感しつつ「境界線」の大切さも、改めて感じた。

「境界線」を守る、持つからこそ、私は「感情」も「身体感覚」もより強く感じられる。
そしてそれらを「境界線」を守るために、活かせる。

相互作用なんだなって、私は思えた。
つながりが感じられて、私の中の芯がよりしっかりしてきた感じがする。
学びが深まることは、心強い。頼もしい。


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ミラーワークは、これまでのワークショップ・クラスで何度やってもなかなかつかみきれないものだったけど、今回トライしていく中で
「ごめんねより、ありがとうって言ってほしい」
「いろいろ言われるより、こっちの言い分を聞いてほしい、自由にしゃべりたい」
そんな、鏡の私からの声が聞こえたら、しっくりきた。

あぁ、私と心が通じた。
そうか、こうやって「心が通じる」ように会話すればいいんだ。


今までの私は、ミラーワークは「できた/できない」の目線で取り組んでいて「できない…できるようにならなくちゃ」のプレッシャーで、苦手意識が強まっていた。

でも今回トライして
「手順ができたか」ではなくて「私の心とつながれるか」
そっちを大切にすればいいんだ。
そうわかって、つかめたら、ミラーワークが楽しくなった。

ワークショップ・クラス後は、鏡を見ていろいろ話しかけるのを「どう話しかけると、やりとりしやすいかな?」って実験みたいに楽しみながらできるようになったし、鏡に限定せず、電車の窓とか、ちょっとしたところでも意識できるようになった。
私は、ミラーワークと、私と、仲良くなれてきた!
これはけっこう、うれしい。


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一方で、やりとりしつつも、どこか私って、ピッと一本線を引いてる感じがあるよね、と感じ、それはなんだ? とクラス後にしばらく考える時期があった。

そして『未来日記』に書き出してみて、気づいた。
私は、私に対しても「大崩れ」しないように、構えているんだ。
私は、感情や弱音が出て、あふれて、私が決壊してしまうのをどこか、怖れていたんだ。

それはきっと、不健康な環境の中で自分が崩れてしまったら終わり…という恐怖と緊張をずっと抱えていたことの名残り。
それを今も、私はひきずっていたんだね。


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今は、まだ気づいたばかりで、わかってもゆるめるのは、まだ感覚としてできない。

でもこうやって、ミラーワークを重ねることで私はまた、私を知ることができたから。
焦らず、私を急き立てずに、ていねいに、やさしく私をゆるめていってあげたいと、思う。

ずっと身体も心も雑に、乱暴に扱ってきてしまったから、ごめんねとありがとうもこめて、ていねいに私を大事にしたい。

このクラスで学んだこと、体験できたことがあればきっと私はうまくいく。
大丈夫だよ。

その安心感が得られたのが、何よりのしあわせです。


優月さん、スタッフのみなさん、クラスメイトのみなさん
ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) かもみーるクラス



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身体はとても正直で、私に色んなことを教えてくれていた。
ワークショップや本などで知識を得て、自分なりに身体に気を遣っていたつもりだったけど、もっともっと自分のことを大事にしてよいのだなとつくづく実感する。


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チェアワークで、最近起こった怖い出来事を、自分なりに解決したり消化したりしていたつもりが、そうじゃなかったことに気が付いた。
怖い思いは抜けていなくて、思い出してぎゅっと縮こまっていたんだね。そしてそのために睡眠も浅くて、最近毎日、ワークショップ・クラス当日も眠たかった。そんなことにも気付いてないなんて。うーん、うすうす気づいていたけど、ここまでとは思ってなかった、というところか。

だけど、そんな風につい自分を責めるのではなく、必死に戦ってくれていた私の身体に感謝して、もっと気遣ってあげることにエネルギーを費やそう。


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久しぶりのミラーワークは、最初知らない人を見ているようだった。よそよそしい感じ。
回を重ねるごとに、少しずつ警戒が溶けていって、さみしくて怖かったんだよって訴えてくるような気がした。

そうだよね。
さみしくて怖かったのに、ごめんね。ほったらかしにして。
そう思ったら、私がほっと安心して、身体が緩んでいく感じがした。


身体が訴えていることに気が付いて、その真因に気が付いて、その原因を取り除くことに真剣になろう。自分で思う以上にもっと自分のことをいたわろう。

本気でゆっくり休もう。
駆け抜け続けてきた毎日に一息つける休息を取ろう。
毎回思うけれど、私、自分のことにもっともっと本気になろう。


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必要な時に必要な場に参加している自分に感謝して。
そして、優月さんに私のがちがちなチェアワークに気付いて、話しかけてもらわなかったら、きっとワークショップ・クラスの場で口にしなかったかもしれないこと。それを引き出してもらったことに感謝しながら。

私はまた毎日を大事に大切に生きていこう。
そう改めて決意する。


優月さん、スタッフの皆さん、そしてご一緒したお仲間の皆さん。
今回も本当にありがとうございました。



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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。