2016.07月開催 「身体のワークショップ」わかみねクラス

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R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) わかみねクラス



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何から記していいものか。今まで知らなかったたくさんの「わたし」に出会えた「身体のワークショップ」でした。
一緒に時間をすごしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。


まず、ものすごい超スピードで情報を処理して、ほとんど自動の速さで答えを出す「脳」について。
脳は、なんとか私を生存させ続けるためにがんばってくれていたんだということを知りました。

このことは、一般的な知識として知ってはいましたが、どうも、私は脳を、悪者扱いしていたんですね。今までの過去のデータから、自動で答えをはじき出す、心のない機械みたいなイメージで。

でもそうじゃなかった。
私の生存を考えたとき、たしかに脳はたくさんたくさん役に立ってくれていました。
心がないどころか、黙々と、与えられた任務を遂行してくれてたんだ、と、初めて脳に対してじーんとしました。

「思考」とか「アタマ」とか「顕在意識」とか、瞑想や座禅やセラピーなどでは邪魔者扱いされることが多い脳。
実はがんばってくれてたんだなあ、おかげで今ここに安全にいられるもんなあ、と、ありがたく嬉しくなりました。

他人の機嫌がどうしても気になって他人重心になってしまうとか、人と自分を比べて一喜一憂したりとか。自分の良くないところだと思っていましたが、これらも、脳が私をできるだけ安全に生存させるために、それが一番効果的なんだよ、と、脳なりに考えてくれた結果の行動だったのかとわかると、非難する気にはもうなれません。


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その後、チェアワークやミラーワークやロールプレイングを使って、自分の身体と心との対話を経験しました。
特に優月さんが実演してくれた、自分のなかの「二人のわたし」が、とてもとても身に沁みました。


誰かに、「お前はあれもこれもできないやつだ、がっかりした。」などと言われたとして。
自分に向かって、
「ほらまた言われた。ほんとなんにもできないし下手だし。かっこわるい。嫌い。あっち言って。」と責めるのか。
(これを実演してもらった時、いい年ですが、子どもみたいな嗚咽がもれました。)

それとも、
「(相手に対して)やめて、そういうこと言うの。一生懸命やってるのにひどいじゃない。(自分に対して)いいんだよ。全部できてないわけじゃないし、できないことがあっても大丈夫。私がついてるよ。」と守り励ますのか。
(これをやってもらって、嬉しさにさらに涙がどわっと出ました。)


私は、ずーっと自分を責めてたなあ、と痛感しました。
そして、その責めていた相手と、鏡の中で向き合うことで、対面することができました。
もうひとりの「わたし」は、最初はちょっと疲れ気味だったけど、辛抱強くて、いろいろよくわかっていて、冷静でしぶとくて、力強いヒトでした。とても意外でした。

どんなにしいたげられても傷ついても、しぶとくしぶとく決してあきらめず、私を明るい方向へ向けてくれる力を持っていて、実はなにが起こっていて何が必要なのかよくわかっていて、実は、他人の意見や動向なんてまったく必要としていなくて。
ずっと、私がその存在に気がつくのを、ひたすらじっと待っていてくれた子。
「インナーチャイルド」ならぬ、「インナーわたし」に会えました。


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私は、これまで「自分を愛する・受け入れる」というのは、高いバルコニーにいるお姫様みたいな人に、はしごをかけて会いに行く、みたいな捉え方でいました。
今の「この私」じゃない、もっと良い私になって好きになることなんじゃないかって無意識に思っていました。

でもそうじゃなかったです。
同じ高さの地面に、これまでずーっと一緒にいて、私を助けてくれていた「わたし」に気がつくこと。
挨拶すること。
話をすること。
知ること。

そういうことなんだ。
それなら今ここで、この私のままですぐできる、と思います。


今回気がついた一番大きなことは、「私は何かが劣っていて足りなくて、なんかダメだから、勉強してワークして、がんばって良く(=今のこの私じゃない、もっと良いものに)ならないといけない」のではないこと。
これです。
優月さんの文章で、今まで何度も読んでいましたが、ようやく実感として、ホントに、ホントにそうなんだ、と感じました。

いっぱい欠けてると思っていたけど、そもそも、欠けたところなんて最初からなかったと気がつくこと(より生存をたやすくするために脳が見せた幻だったのかも)。
そしてそれは、「私だから」とか「回復した人だから」とか「幸せに生きてる人だから」とかじゃなく、「実は全員そうなのだ」ということ。
これ、この先も忘れたくないなあ、と今思っています。


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終盤のチェアワークとミラーワークで、身体は、「(だれに何を言われても)関係ないよ。あなた以外なにもいらない」という声を聞かせてくれました。平常時の自分には考えられないくらいの強気発言ですが、その声はおだやかで落ち着いていて、自信に満ちていました。

日常に戻って、職場にいると、さすがの速さの脳がやっぱりいい仕事をして、いつもの反応が戻ってきてしまうのですが(身体が硬直する、呼吸が浅くなるなど)、そんな時はトイレでチェアワークを試してみています。
ワークショップ会場ほど完全にはできなくても、効果はあると感じています。

全然良くなってないなあ、とヘコむ日も正直あります。
下がったり上がったりです。
それで自然、それでOKと思います。


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優月さん、ご一緒に参加の皆さん。あらためて、ありがとうございました。
優しく勇敢な皆さんのおかげで、こんな私でも心を開くことができ、いろんなことを実感・体感することができました。

鏡に向かって、「インナーわたし」に「これからもよろしくね」と声をかけたら、すごく嬉しい、喜ぶ感じが伝わってきました。
「これからも(ずっと)」っていうのが嬉しかったみたいです。
この感じにつながっていけるように、私もこれからもしがみつきたいと思います。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) わかみねクラス



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「身体のワークショップ」のワークショップ・クラスに参加してまだ1週間。
もっと時間が経ったように感じます。

今回は、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」「身体のワークショップ」の3つのワークショップに参加しました。
今の自分にとってどれも外せない気がして申し込みました。
でも、そのおかげで参加人数が少ないながらも、このワークショップも開催していただけたとのお話を聞きました。
ありがとうございました。
そして、申し込んだ自分にも、こうして無事にすべてに参加できた自分にも感謝です。


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正直なところ、このワークショップに関しては油断していました。
「境界線(バウンダリー)ワークショップ」「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」とがっつりと自分と向き合って、最後にちょっと軽めの…という感覚でした。
でも、ふたを開けるとこのコースは1番エネルギーを使い、自分の中の傷ついた自分、むき出しの自分に会えた気がしました。
本当にぐったりしました。


そこで気づいたことは、自分が全く自分の味方ではなかったことです。
私は、「回復」の道を歩いていることで自分の味方になったのだと思っていました。

でも、その道を歩きながらずっと自分を責めていました。
そのことに全く気付いていませんでした。


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藤沢さんがワークの中で、家族に責められた時に「さらに責める自分」と、「自分の味方になる、かばってくれる自分」をしてくださいました。
「自分の味方になる、かばってくれる自分」を体験したとき、我慢していた気持ちがあふれ出して泣いていました。
とても、嬉しくて安心していました。

私は両親だけでなく、自分にも責められながら、ずっとひとりきりで、手をぎゅっと握って、気を張って、大丈夫なふりをして、泣かないようにしていたのだと気づきました。
そして、その私は小さな女の子でした。

自分を大切に出来るようになったと思っていたのに、ショックでした。
そのあとのミラーワークは始めの方は見るのも辛かったです。
疲れ切った自分が映っていました。
自分でいうのもなんですが、「本当に苦労ばっかりかけたんだな…」と思いました。
ミラーワークを繰り返すうちに、始めの方は怒った顔をしていましたが、徐々に柔らかい表情になっていったのが不思議な感じでした。


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そして、何よりも驚いたのが「からだ MEMO」でした。
もともと常時肩に力が入っていたり、肩こり首こりなどがひどく、これが体からの何かのサインならばそれを知りたい、と思って参加しました。
想像を超えました。
しかも、当たっています。
特に、ワークショップ・クラス後に改めて読み直してみると「脚が太くて大きい」「咽頭炎」の項目は本当に驚きました。


帰ってきた日から数日間、胃腸の調子が悪く消化不良を起こしたり、おなかを壊したりしました。
疲れもあったと思いますが、普段は胃にくることはほとんどなかったので「ああ、今回のワークショップは新しいことをいっぱいやって、いっぱい知ったから消化不良を起こしたのかもな。ゆっくり消化していけばいいや。」と思いました。

今までは自分の身体にあまり興味を持ってきませんでしたが、なんだかすべてがつながっているんだな…と実感しました。
心も、身体も信号をちゃんと出している。
それに敏感に気づけるようになりたいと思いました。


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今回も改めてチェアワークの大切さを実感しました。

クラスでご一緒したみなさん。ぜいたくな時間でしたね。
ワークは泣いてばかりいましたが、その空間はとてもあたたかくて、安心して心を開くことができました。
ありがとうございました。


そして藤沢さん、スタッフのみなさん。クラスの開催ありがとうございました。
今年、今、このタイミングで参加できたことに本当に感謝しています。
じっくり咀嚼して、また前に進みたいと思います。




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H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) わかみねクラス



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「わかみねクラス」のみなさま。
スタッフさん、優月さん。
改めて、今回のワークショップ・クラスでも、また、本当にお世話になりました。

なかなか送りたくなくて、でも、結局、何ともできなくて、そのままお送りします。
期日より、1週間と1日も遅くなりました。
拾っていただけて、未来の私や、もしかしたらいつかほかの誰かの役にも立てることがあれば、今の私は、それは本当に幸いだと感じています。


私は病気で、発達障害も、パーソナリティ障害の可能性も指摘されている。
発達障害は器の話だけど、パーソナリティ障害のラベルの方が私は辛い。
それって、私の個性が、社会に適応していなくて、私にも、周りにも、よくない影響を与えてしまう、ということだと理解しているので、異様に私は辛い。

だから、ここを、ここを、ここを治せば…。
そうしたら私の生き方は、この社会にもマッチしてOKになるだろう。

マッチできれば、この世界のなかで、この世界の人たちのなかで、私も、本当に心から、力強く、そして楽しく(自らの命の力を感じながら)、周りとの繋がりを感じながら、生き生きと、ノビノビと、生きていけるようになるだろう。
私は、私の中の様々な不都合や不具合を治して、この社会のなかで、外側に依存しないで、ひとりで、きちんと、生きていけるようになりたい。
そうすれば、私も、この世界のなかで、人の輪のなかで、健やかに過ごせるようになるんじゃないかしら、と思っていた。

同時に。

私は、ひとに迷惑をかけることが怖い。
なぜなら、ひとに迷惑をかけるということは、ひとの「境界線」を侵すということ。
「境界線」に踏み込むと、当然、ふつうの「健康なひと」からは押し返しがくる。

私は、(なぜか)その衝撃を、何倍にも振動を増幅して感じて、心身に影響(というか打撃という気がする)を受けてしまう。

そうすると、簡単に私は傷ついて、調子を崩して、さらに周りに迷惑をかけてしまう。
極力そんなことをするわけにはいかないので、何かある度に、あわてて、私は引きこもる。

めちゃ生きづらい。
そういうひとは扱い辛い=周りは困る(=迷惑)というのも分かりすぎて、もう私は辛い。

好き好んで、こんな状態にすぐなる私に生まれてきたわけじゃない。

それでも、発達障害だろうが、パーソナリティ障害だろうが、依存症だろうが、そういう状態になっている私をなんとかして生きていくのは、私の責任。
誰のせいでもない。
分かっている。

だけど、ハラでは全く納得しかねる。
今も悔しくて、ハラがたって仕方ない。
私、ONSA にはまだ出てないワークショップがあって、それは体験してみたかったし、Web. WORKSHOP も続けたかった。

そうなんだけど、もういい、とも思う。
もう治さなくていい。
痛くて痛くてたまらない。
さわらないで、もういい、もういいから、という気持ちです。

私がいま生きている社会にマッチしなくていい。
社会のシステムとか、どうでもいい。
依存症という概念すら、私はもう興味がない。

でも気になる。
流せない。
どんなに興味がなくても、この世界を生きのびていくのに必要な知識、わたしは何ひとつ落とせない、と感じている。

協調することに、本当は私は興味がない。
合わせることで得られるメリットを考慮して、我慢して合わせているだけ。
本当は、我慢することって、背中の神経が総毛立つほど、私は嫌でしょうがない。
「ああああああもおおおおおおおお無理!!! もう勘弁して!!!!!」と時々、私はさけびたくなる。
そうそうその都度、ふつうは叫べないので、ダメージの大きい心臓あたりを守らなきゃと、気がつくと、まず肩が凝ってて、そうすると鎖骨あたりから、わきの下あたりのリンパの流れが滞って、首から、頭が堅く重くなって、どうにも溢れてくると涙になって溢れてくる。
あたまが固まると、足元も固まるみたい。
そうすると、全身の流れが滞って、内臓もどんどん冷えてくる、という悪循環。

その上、受ける言葉によって、ダメージを受けるところが、心臓だったり、背中だったり、足首だったり、首元だったり、胃だったり、小腸だったり、なんかもう、ふつうに生きているだけなはずなのに、私は満身創痍です。

(……というような気がする。「からだメモ」を観察した限り。)


ひとに迷惑をかけることについては、結局、いまいち整理ができていないです。
その人に依存することなので、私はコントロールできない。
生きることとは、ひとに迷惑を掛けることなんじゃ……とさえ思う。

しかも、どうしたって、なぜか、私は、ふつうの人より、ひとに迷惑を掛けてしまう分量が多い気がします。
計ったこともないし、計る方法も分からないのだけど、そう感じています。
なにがどうして、いかにして、そうなってるわけ? と思う。

神様がいるなら、私はききたい。
私は、ひとに迷惑をかけて、ひとに迷惑をかけた分の、ひとの時間の花の山の上に立って、今も、わけがわからないまま、こうして生きているような気がします。
足場から、もう怖くて申し訳なくてたまらない。
それでも、私は、笑って、元気でいて、いいんでしょうか。

ひとの命なんて、私にはとても背負えないし、実際、背負ったりしていない。
よもや、その上に立つだなんて、恐ろしいほど、あり得ない。

未だに、私はうまく整理ができないでいます。
それで、それが、きっと私はとても辛いので、「答え」を、ひとに教えてほしくなるんじゃないかしら。

でも神様はしゃべらない。
神様さえ、たぶん、私のなかにいるらしい。
心底ムカつく。


周りのひとに比べて、幼稚で、子供っぽい私が、私はずっと恥ずかしかったです。

ゴーヤを輪切りにしていたら、うわ、ツルに近い方のデコボコが、きれいな星形になった。
なんとも、かわいい。
おしりの方の輪切りはただの丸だけど、よく見ると、種がふたつ重なってハートのカタチになってる。
ハート模様になった万華鏡みたい。
かわいすぎる。

発見。
ああ、誰かに言いたい!

こういうところが、歳をとればとるほど、周りのふつうの人と違う気がして、私はとても恥ずかしい。

「それではいけない」と言葉からも雰囲気からも注意をされてきたし、自分でも自分にしまくってきた。
どんだけ、どこまで、私は、「それではいけない」わけ?

でも実際、37歳にもなろう大人が、同じく大人に、子供をみるような微笑ましい視線を向けられて、子供に声を掛けるような優しい声で「そうだね」なんて言われる。
「…なんだこいつ(理解できない、変な奴)、近寄るな」ということもあるし、保護が必要な精神状態の方がお一人で出歩いているのかしら? という懸念の非言語メッセージを感じたことさえある。

これを「区別」というのかしら、と今週、私は考えていた。

偏見しない人間なんてよほど居ない。
様々な推測やデータから「区別」をされていると私が感じようと、私の命や思いや希望が、目の前の相手から、尊重されていないわけじゃない。
その人が、その人のこころに従って、自分や自分の大切なものを守るために、「境界線」をひいているだけ。
私も同じように、推測や過去データから偏見をして、人や出来事にラベルを貼って、区別分類して、そうして自分を守りながら生きている。
数秒、数語のやりとりで、偏見しない…なんて、人間の能力の限界を考えたら現実的な話ではない。

なんと見られても、なんと言われても、気にすることはないと頭では理解しているつもりなのだけど、油断して、「きちんと」振る舞うことを忘れていたことが、やっぱり私は恥ずかしくなる。

それで何億回目か、また私は瞬時にここに帰結する。
「ああ、こういう私だから、だからダメなんだ。」


ワークショップ・クラスの最中、「人をびっくりさせること」が、行動の目的になってしまう方の話を聞いたけれど、その方の感性が標準的な範囲だったら、どんなに苦痛で、どんなに孤独で、どんなに苦悩するだろうか、と思った。


ワークショップ・クラスの4日くらい前に、ONSA WORKSHOP の運営側から、私自身がこれまで受けてきた医学的なデータを集めて、もしよければクラスに持参してきてください、とメールで連絡をいただきました。
相当にイレギュラーなことだと思ったので、私はびっくりして、少ない時間のなかでも、できるだけのことをして正しいデータを集めて持っていこうと思いました。
急いで病院に予約の電話をして、それから3年ほどお世話になっている臨床心理士の先生にメールを打ちました。

私が、発達障害や、パーソナリティ障害の診断を頼んだ検査結果と、医師の所見。
データを持っていくということは、優月さんにも、そのデータを見ていただけるということだと思ったので、正直に言うと、今の私の助けにも、多少はなるかもしれないけれど、それよりも、後に続く誰かの道の参考にもしていただけるかもしれない、だから本当にできるだけ正しい役に立つデータを集めてもっていこう、と私は思いました。
私の前に、たくさんの「回復」の道を歩いたひとがいるから、だから今、私はここにいる。
それなら、私もできることをしたい。
しておきたいって思いました。

そんな感じで、相変わらず、私のこと、そっちのけでした。
ほんとごめん、わたし。
(そういうとき、私は、まだ大丈夫、いいよ、やりたいんだものね、せっかくなんだから、精いっぱいやろう、と理解を示してくれる。)

そして実際は、クラス中に私のこころに傷がつかないように、という助けにはなったものの、後に続く人には何の役にも立ちそうになかったです。
後から、これ、私、こんなにがんばって、結局、何だったんだろう、ととても虚しくなってしまった。
「じかんのきろく」から、必用なところを抜いて持っていったので、これを全部また元の状態にバラすのか…と悲しくなったところで、あれ…もしかして、この状態で、次の病院に持っていけってことなのかな? と気がついて、ますます虚しくて悲しくなった。

あ、そのために、これを作れって言われたのかな?
そっか、優月さんが見てくれるわけじゃなかったんだって気がついて、虚しくて、悲しくなったのだと思う。

(* 編集注/実際は藤沢が拝見し、特別枠で時間を用意し、ご解説を申し上げております。また弊社側でも、弊社が手持ちの資料を事前に読み込んで、ご対応を申し上げております。ご投稿者様も、そのような意図で記載されているのではないと思いますが、誤解を招くといけませんため、念のため注記させていただいております)

本当に、何やってんだろ、私。
もうほんとバカねって言って、抱きしめてあげることくらいしかできない。
外側に期待して、うまくいかないことばっかり一生懸命やってる。
ああもう、本当に、ああもう、です。

こんな詳細な素人がつくったデータを真摯にみてくれるような暇な医療機関が日本のどこにあるんだ。
よほどまともで心ある精神科医か、臨床心理士と結婚でもしないかぎり、そこまで真摯には見てくれないんじゃないの、と私は思ってしまった。
本当に、泣きたい。

わたしは、データを集めて、使うカタチに整えるところまではできても、その後のフェーズになる、データを読んだり、解決のために活かしたり、ということが自分でも信じられないくらい不得手なので、そこは得意なひとに助けてほしいと思っている。
仕事で、がんばって取り組んでいたら、いまよりもう少し、できるようにならないかな、という希望と。
どこに行けば、私がもっているデータを読んで、困っていることの解決に繋げていったりできる能力をもった人が提供しているサポートサービスにつながれるんだろうか…日本全国のなかの見えない細い針を勘で探しながら、しかもそこに白くて細い絹糸を、どのチャンスも逃さず、ミスなく、誠実に、慎重に、丁寧に通していかないと、何ひとつ落としても、この先の私の命は拾えないような、そういう感じ。
ほんと最悪…とムカついています。

そんなムカつく暇もなく、通じるなにかがありそうなら、ラッキーなのかもしれないけど、私は、私の人生のじかん、こんなことに使いたかったわけじゃないのにーーー!!!!! と言いたくなる。
ほんとそうだわ。
どうせこれからも一人なら、一人でいろんなところにもっといこう。
国内でも、海外でも、お金をためて、いけるだけ、いっとこう。


臨床心理士の先生の見立てを、私は面談の時々で、耳で聞いたことしかなかったのですが、改めてメールをいただくと、こんな感じでした。

・アタッチメントの形成不全による、トラウマへの脆弱性
・ASD(自閉症スペクトラム)の影響もあって、ふつうのひとより格段に傷つきやすさをもった気質

こちらの先生から受けているカウンセリングの主だった内容は、身体に蓄積されているトラウマの記憶の昇華と、養育的な態度? 人格? の学習? なのだと思います。

身体で感じる安心感を獲得することが私の課題ですが、衝撃をうけては、獲得しかけていた安心感ごと崩壊する、ということを私は記憶にある限り、18歳からの人生の中で、大きく3回繰り返しています。
他者に依存する安心感は、だから危険なんだ、と私は、連続した衝撃2、衝撃3、その後は地盤ごと揺れていて何があってもひどい衝撃…という時間を経過しながら学んだと思います。

ONSA の領域内でも、周りの方に、本当に、私の想像できる範囲を越えたご心労や、ご迷惑をおかけしたであろう認識でいるのですが、それでも、私の未来にとっては、とても有意義な時間であったと感じています。
お詫びとあわせまして、深く、お礼を申し上げたい気持ちでいます。

しんどい役目を、真摯に引き受けてくださって、本当に、ありがとうございました。
長らく私を観察していた優月さんが、これは優月さんにしかできないことだと思って、優月さんの立場から、できる限りのフィードバックをくれているであろうことをずっと私は感じていたので、それなら私はできる限り、どんなにめちゃくちゃでも、自分が感じるままにあろうと思いました。
本当に申し訳なくも、ここ約1年、ずっと私はありがたかったです。

こんな役回り、本当に私を大切に思ってくれる人じゃないと、とてもやっていられないと思った。
いくら大切に思ったって、気持ちを分ける相手がこんなにめちゃくちゃじゃ、何度やっていられない気持ちになって、何度その立て直しのためにお時間をいただいてしまっているだろう…と臆測しては、その分、私は私のことを、とにかく治さなきゃ、私のことを一番にできるようにならなくては、と、ついまた、がんばりすぎてしまってました。

そう書くと、私はまた自分から重心がズレていたみたい……。

(それから、念のため、余計だと思うのだけど、大切に思っているのは、もちろん私だけでなく、ONSA にいる、誰のことも、優月さんも、スタッフさんも、一人ひとりのことを、格別に、とても大事に思ってくれていると思うよ、と私は勝手に書き添えたいです。)


それに、だいたい、ちょっと待ってくれ。
いま気がついたのですが、ワークショップ・クラスの最中に、ふんわり私が扱った、「また迷惑かけて!」「いい加減にしてよ!」「ひとの気も知らないで!」という言葉を私に埋め込んだ人たちは、私の両親です。

そう思うと、ワークショップ・クラスの最中に見せてもらった、寸劇(?)は、私には「境界線」の勉強みたいでした。
何度もやってもらえて、すごくよかったです。
あのとき私は、「二人とも…よかったねぇ…;; 感動…;;」と思っていたけれど、私も、私のことを守ってあげなくては。

そこで、私は、私に、こう言ってあげたらいいんだ。

「だいじょうぶ、あの人たちの言葉に、耳をかすことないからね。」
「迷惑なんてことはない、あなたは、断固、ここに居てもいい人なのよ。」
「だいじょうぶ、あなたは、生きていていいのよ。」
「ひとの気なんか、本当は知らなくていいの。」
「からだに受けた衝撃は、あとから、私が何とかしてあげるから(何とかできないほどだったら、できる人に頼むから)、それ以上、もう傷つかなくていい、大丈夫だからね、本当に、大丈夫だから安心して、私のうしろにいるのよ。」

(そうなんだけど、そう言って守ろうとがんばっている私もまた、IQ的な能力値が割とバランスが取れた形で普通より少しだけ高めなので何とか毎日を泳ぎ凌いでいる、とはいえ、幼い状態のままなので、しょっちゅう共倒れている……という問題もある。)

4年半前は、おそるおそる、「わたしも、ここに居てていい人なんですよー」と私は、「身体のワークショップ」のあと、私に言ってみた。
あのとき、ワークショップ・クラスの最中、鏡を握りしめて、私は号泣していて、今でもよく覚えているんだけど、「こんなに人に迷惑をかけてしまう私のこと、大好きだなんていえるわけがない、いえるわけがない」って思って、悲しくて、辛くて、泣けて泣けて仕方がなかった。

今も、半分くらい身体が固まるのだけど、時間かかりながらも、あのころより、ずっとずっと私は私の味方になれている。
私が、私の味方になるって、それが「どういうことなのか」、掴みつつある。

責めない。
記録をとる。
即返しない。
原則(=私が私を断固大事にする=こうありたい(BE)=夢を守る、夢を生きる、ということ)は決して揺るがない基礎。

最近は、ここに、私は、『未来日記』の表紙に書いてある「心をごまかすのを、やめる。自分といちばんの友だちになる。」を追加して覚えようと一生懸命です。
(そう、いっこずつ。)

ひとに依存しない安心感は、もうあとすこし、数年以内の未来には獲得可能かと思う。
必ず、そこは、きっちりやり遂げるから。
何があろうと、必ず、です。
待っていてね、わたし。

(なんか、今は、どいつもこいつも結局なにひとつ信用ならない、ぶち壊して、蹴散らしてやる、みたいな気持ちなので、おいおい、今度はどうした私って感じなのですが……もう本当に大変です;;)


そして、そのあとにも、あーあ、私にも、課題があるってことみたい。
とはいえ、人生の課題なんて、誰にでもあるものなんだから、へこまず、向き合おう。

わたし、やっぱり仕事して、恋愛して、「ふつうに」結婚したかったな。
それで、「健全」な精神で、ダーリンや周りの人と助け合いながら、赤ちゃんに翻弄されながら、仕事して、私の背中をみて育て! みたいなことをする人生を夢みていました。
それなのに、別人格の赤ちゃんどころか、私のなかの私に、わたしは翻弄されて、疲弊しっぱなしです。

もし安全な人から、「あなたって、どんなひとですか?」って聞かれたら、今の私なら、「3歳7、8ヶ月くらいの剥き出しの感受性に支配されたまま、12歳くらいの私が、知識をつけて、技術を身につけて、刺激の多い社会のなかで、必死に一生懸命に生きている、それが私だと感じています」って答える。

だから、私には、「インナーチャイルド」の概念も有効だと、改めて思いました。
小さい私を守ってあげる、養育的な魔法使い(が12歳…だとしたら、またマズイ…そろそろ37歳のはずなんですが…)。
(でも ONSA にきたころは、感覚的に8歳くらいだったんじゃないか、という気がするので、そう思うと、順当に? 育っているね。)

そう考えると、やっぱりパーソナリティ障害というラベルも有効だと思うのだけど、臨床領域かというと…あまりにも私はふつうに問題なく生活できていすぎている。
すごい苦痛を感じている、というのも、いまいち伝わらない。
いろいろなところに掛かりすぎてて…、と敬遠するカウンセラーや医師もいたけれど、私は、現状、いろいろなところから、私に必要で正しいサポートを分割して得ながらやっていくしか、私が私を理解していく道はないと考えている。

理解できないと、意味がわからない。
人間って、意味を生きるらしいのに。


外向けの課題は別にあれど、内側についての必要なことは、たくさんここで学んできた。
で、確かに、私の次のステージは、ここじゃないんだな。

さすがに怖いな。
ちゃんと、内側の大切なことも、外側を見分けながら、歩いていけるかな。
今後も山ほどコケるだろうけど、起きあがれるくらいのコケに収まるかしら。
ひとりで起きあがれないくらいコケていたら、ちゃんとコケたことに気がついて、病院にいって、こんな風に転びました、こうしてほしいですって言えるかしら。

怖いけど、やるしかないし、やってきたわけだし、私の命は、私の責任だ。
それは命のルールだもんな。

うん。
いこう。

先にあるのが、大人の自由だし、優月さんがホワイトボードに書いてた「ハート」なのよね。
この歳で、改めて、また、ここからなんだ。
ちくしょう。
しょうがないなぁ。
そして、本当にムカつくわ。

たとえば、私が、私の幼児性を、すべて私が認めて、すべて私のなかに収めることができたなら、問題は解決する。
社会的にもっと受け入れられない、しかも器質に由来する個性があったら、本当に大変だと思うけれど、そうではなくて、何とかなる分量なんだろうなと思う。

少し…けっこう重いので…少しずつサポートを分けてもらいながらいきたいんだけど、私よりせっぱつまって、困っているひとの本当に多いこと。
いったいどうなってるんだろう。
この社会。

先人の作った道から外れなければいけないときがくるって。
何だっけ、何かで読んだんだけど。

もともとその道自体が、私はいまいち掴めていないので、何も変わらないんだけど…何もかもふくめて、これが私の人生なんだよ。

それでいいし、そもそも、そうでしかないみたい。
道じゃないところを歩いて、そのまま崖からおちても、やっぱりそれも私の人生なんだよな。
今までは、崖から落ちようが、川のなかを歩こうが、いろんなものに引っかかったり、踏んだり、刺さったり、何か落ちてきたり、飛んできたり、そもそも自分が居るところが、朝なのか夜なのか、春なのか冬なのか、どこなのか、何がなんだか、もはや分からなかったり。
どこもかしこも傷だらけだろうが、それが当たり前の状態だったと思うので、「そうならないように気をつける」、「そもそも崖から落ちたら痛いし、それは怖いこと」ということが、知識として、まず分かるようになってきたことも、こちらで指摘されながら学んできたことなので、本当にまず、よかったと思います。

臨床心理士の先生のメールに書いてあった、生きている世界が戦場、安心できる場所が防空壕のようっていう表現は、ああ、そうだな本当に…と妙に納得感がありました。

心はそんな感じ。
私の部屋は確かに防空壕。
それで、あたまで防衛しながら、身体がなんとかバランスをとってくれて、それで必死に今日もこの世界を、この社会を生きている、そういう感じ。

悲観することはないと学んだし、深刻になりすぎることもないとも学んだ。
なんだけど、今はわたしは、全力でさけびたい。

なんかもう、なんなの!!!
なんなの!!!!!
なんなの!!!!!
めちゃしんどい気が す る ん だ よ ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!


ONSA の仲間のみなさま。
道のさきで、途中で、空をみて何か思い出す折々にでも、またお会いできたら嬉しいです。

私、とても楽しかったんだと思います。

私にできることは、私が私を最高に笑顔に、元気に、しあわせにすること。

私のどんな感情もみとめて、大切にすること。
私の魂の乗り物であるからだを、大切にすること。
宝物みたいに、大事にすること。
(宝物って、それが私のものであったことが一度もないのだけれど、私のものでなくても、宝物は宝物なのよね。)
こころとからだは密接につながっているのだもの。

ハラをくくって、何があっても、何度でも、そっちを選択していこうね、私。
やるぞ。
やってくぞ。

一緒にね、いこうね。

ほんと、居心地よすぎて、長居をしちゃいました。
優月さん、たくさんたくさん、お世話かけてしまいました。

居場所を分けてくださって、真摯に関わってくださって、本当に、本当に、ありがとうございました、と思っています。
こればかりは、どうか余すところなく、伝わりますように。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。