2018.06月開催 「境界線ワークショップ」おらんじぇクラス

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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) おらんじぇクラス



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わたしへ

まずは、お疲れさまでした。
このワークショップに参加することを選択できたこと、ある意味腹をくくって参加したこと、偉かったと思う。
自分から出ていたメッセージを無視しなかったこと、ありがとう。


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今回の「境界線ワークショップ」は2年ぶり、4回目の参加でした。
正直なところ、参加するかどうか迷っていました。

それは、境界線に自信があったからではなく、逆に境界線に自信がなかったからです。
何回参加してもうまくできなくて…。

出来ないから練習するというのはわかるのだけれど、その時は練習をしても手応えも自分が考えているほどもなく先が見えなくて、なんとなく遠ざかっていったように思います。


そして、今回、自分の環境が少しずつ変わっていく中でいちいち境界線でつまづきました。境界線を侵犯されて傷ついたり、不安になったり。そして、逆に境界線を尊重されることで戸惑ったりもしました。
そういう中で、自分がいかに今まで不健康な環境が当たり前だったのかを再認識したりもしました。
また、苦手だと思っていた境界線を「もっと境界線について知りたい。もっと安全に引けるようになりたい」と思うようになりました。


そういうタイミングだったので、本当に申し込んでよかったです。
「ワークショップでうまくできなかったらどうしよう。」
のほうではなくて、
「境界線はわたしの幸せに絶対必要だよ!」
という小さな声を見ないふりしなかった自分に感謝しています。


実際、ワークショップに参加して良かったです。
ワークをしながら今までよりも、自分の軸がしっかりしてきているのを実感できました。
また「境界線は自分の問題」ということも腑に落ちた気がします。


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私は、このワークショップに初めて参加した3年前は「境界線が全くない状態」でした。
藤沢さんにも言われましたが、ワークショップ・クラスの部屋に入っただけですでに涙ぐんでいました。

境界線がなかったので、荒らされすぎて心身ともにボロボロでした。
しかも、荒らしたのは親でした。
「親だから…」それだけの理由で、当時の私は我慢していました。

ずっと力の入った状態で、どこにも力を抜いていい場所はありませんでした。
今思えばその当時、自分ではそのことにまだ気が付いてはいませんでした。

だから、どうして涙がでるのかよくわかりませんでした。
ただ、その場所がホッとしたことを覚えています。
身体の方がよっぽど正直だったのだと思います。

その頃のことを思い出すと、
「本当に大変だったね。もうだいじょうぶだよ。」
と抱きしめてあげたいです。

本当によく頑張ったと思います。
そう思うと、自分もここまでよく歩き続けてきたなあ…と思います。


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今回、自分の中で印象に残ったのは
「基本的に生きることは、楽しい。楽しんでいい。それを共有すること。そのためには、境界線が必要。」
ということでした。

自分の中には生きるということが「楽しい」「快」という発想がまだ定着していません。
言われると思い出しますが、実際にそう感じることがまだ少ないので、すぐに忘れてしまいます。

境界線も「今の苦しい状況をくぐり抜けるためのスキル」と思っているところがまだあります。
そうではなく、境界線は「もっともっと先、広がりのある、自分がしあわせになるための、自分の生きたい人生を生きるためのスキル」。

初めて、自分が本当に「楽しい」「快」に向かって進んでいるということを、ぼんやりとですが実感できた気がします。
今回教えてもらったことは、自分の中の生きる励みにもなる気がしました。


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このワークショップに参加して、本当によかったです。
これから、自分のためにしっかり境界線を引く練習をしていきたいと思います。

クラスのみなさん、ご一緒出来てうれしかったです。
お疲れさまでした。

安心してしっかり練習できました。
ありがとうございました。

藤沢さん、今回もより実践的なワークありがとうございました。
迷っていた境界線もまたなにかつかめそうがするので、しっかり勇気をもって練習していきたいと思います。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) おらんじぇクラス



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優月さん、「おらんじぇクラス」のみなさん、ありがとうございました。
このワークショップ・クラスに参加したときはまだ梅雨だったのに、一週間経った今はすっかり夏になってしまい、おどろいています。


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私は、「境界線ワークショップ」参加は、4回目です。
そしてずっと、このワークショップのゴールは「境界線のレベル2や3が、自然と引けるようになること」だと思っていました。
そしてそれができない自分をなんとかしたくて、今回の参加を決意しました。

でも今回
「レベル2や3を引かないといけないような人とは、つきあわない」
と聞いて、私は驚くとともに、納得しました。

なんて現実的な解決法なんだろうと思いました。
自分の日常での大ボスとのやりとりを振り返ると…そうだね、あの人はたとえどんなに説得しても、変わらない。
骨を折る分だけ、私の貴重なエネルギーがどんどん消耗されてしまう。

「つきあわない、距離を置く」
「そういう関係を、自分で見極めてゆく」
私の人生を安全に守る、本当に大切なことに時間やエネルギーを回す。
とても大切な戦略だと私は思いました。


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そして、クラスで学んだこととともに、アフターワークに取り組んでみて、私は、もうひとつ大きな発見をしました。

私が言われていやな言葉に「お前はおかしい」があります。
ずっと、何度も自分の課題として取り組んできた、私の親から言われた言葉です。

でも、今回の学びに照らして感じてみたら、

あ、これは親の考え。
その人が、そう思ってるだけのこと。
これは、真実ではない。

そして私は、そう思わない。
だから、私は私の境界線の中に、その人の言葉と感情を、入れなくていい。

あぁ、そうか…。
そうだったんだ。

腑に、落ちました。


私は、頭ではこのことを理解していました。
でも、今回でようやく、私は「実感」できました。

あの言葉は、私の親からの呪いだった。
そして、私の人生に多大なる影響を及ぼし続けていた。

でも、あの言葉は、あの人が思っているだけのこと。
ただ、それだけ。
私の存在も人生も、別にそう決まってはいない。
誰にも、そんなことは決められない。

けれどそれを、あたかも「そうなんだ」「本当なんだ」と、私が無抵抗で受け入れてしまっていた度合い。
それを私の存在価値にまで取り込んでいた度合い。

その度合いが、私の境界線の状態。
ぼこぼこに穴だらけで、親の気まぐれな感情やコントロールばかりを入れていた。
肝心の私は「お前であるな」のルールによって、存在すらしていなかった。
…「私」の、境界線なのに。

それを、ハッキリと、表しているんだと思いました。


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私は、自分の心と体でこのことを「実感」することができました。
「そういうことだったんだ」と仕組みを、からくりを理解できました。

この「実感」「自覚」が、きっとこれからの私のアンカーになってくれる。
これからの日常でまた、誰かに境界線侵害やコントロールされても、たとえその瞬間はのまれても、
「あ、あれはあの人の考えなだけ」
と、切り離してゆける。


その練習を、私はたくさんたくさん、します。
そうやって、私は自分と他人を、切り分けてゆきます。
私にも他人にも、それぞれの境界線があるんだ。

そして、その人の考えや感情は、たとえ私に向けられたものであっても、その人の境界線の中に、お返しする。
それでいいんだ。
それが「私が私を守ることなんだ」って、わかりました。


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今までの私は、「とにかく線を引くこと」、それが「私を守ること」だと思っていました。
でも、方法はそれだけじゃない。

「入れない」
「関わらない」
「距離を置く」
「スルー」
そういうことも、私と私の境界線を守ることなんだって、わかりました。
選択肢が増えて、かつ現実的な方法がわかったら、私はホッとしました。
これなら、できる。

練習は必要だけど、できる距離まで来れた。
よかった、うれしい。そう思いました。


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あとは、チェアワークの効果と大切さをますます感じました。
ワークショップ・クラスの後、仕事中もこまめにやってます。
私は、もっともっとチェアワークを習慣づけたい。

こんなに回復作業を短くしてくれるものを、使わない手はない。
ガンガン、活用していきます。私のために!!


少人数で、みっちりがっつり学べたこと。
境界線に、プラスアルファの知識もふんだんに教えてもらえたこと。
とってもとってもありがたかったです。

参加して、本当によかった!!
ありがとうございました。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) おらんじぇクラス



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今回で3回目の参加。
追加募集で滑り込みで参加しました。

他に2つ参加予定だったので、「境界線ワークショップ」はどうしようかと悩んで参加を決めました。
今は、参加して本当によかったと思う。

今回は、仕事を始めたばかりということもあって、心も身体も慌ただしい中での参加でした。
参加者が少人数だったのでびっくりしましたが、少人数な分、集中できたように思います。

仕事で振り回されていたので、ワークショップ集中できるかなと不安だった。
意識はしていたと思うけれど、それはそれ、これはこれ、と分けられている私がいて、安心しました。


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前半は、今悩み真っただ中の仕事の話が聞けて、ありがたかった。
健康な仕事の考え方を聞いて、「こんなにシンプルなんだ」と力が抜けました。

きっと、健康な世界は、今私がいる世界より、シンプルで、力が抜けられる場所なのかもしれない。
まだまだ歪んだ思い込みや刷り込みが私を苦しめていると気づいた。
何が健康で、何が不健康なのか、まだわからないことがたくさんあるけれど、一つ一つ、知識をつけたり実際に体験したりして、変えていけたらいいと思う。


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「言われて嫌な言葉」が、あんなにふっとでてくるとは思わなかった。
でも、その言葉は確実に私を苦しめてきた言葉だった。

直接言われたわけではないけれど、子供の頃の私は
「自分はこう思われているはずだ」
と歪んだ視界や思考で思っていた。

私が思っている非言語メッセージでそう感じていた。
それが今も私を苦しめている。
それに、今のタイミングで気づけたのは、よかったと思う。


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後半は、チェアワークを何回も何回もすることで、嫌な言葉と私の距離が遠のいていく感じ、「ふーん」という感じ、私の境界線を感じた。

自分の境界線って、言葉よりも、身体や心だと思う。
チェアワークで身体の一つ一つの力を抜いていくのも、身体の力を抜くこと=身体を開いていくこと=心を開いていくことなんだと思った。

そして、「今ここ」の状態になることの大切さ。
身体や心が「危険!」と教えてくれる。身体も心も、私以上にいろんなことをわかっている。それが境界線なんだと思った。


文節区切りの線

一発正解なんて、ない。
やっぱり毎日の積み重ねが私を変えていくんだと思う。

ONSA WORKSHOP(対面式)は、私にとって、毎日の積み重ねを見直す場であり、新しい気づきをくれる場であり、なにより、回復していくことで大切な「感覚」を教えてくれる場だ。


あれから、毎日チェアワークをしています。
しつこくやり続けようと思う。

もう解離の状態ではいたくない。
「人の目を気にする、歪んだ心と頭で」を手放したい、卒業したい。
「しつこくやり続ければできるようになる」という言葉を信じて。

優月さん、スタッフの皆様、参加された皆様、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。