2018.09月開催 「境界線ワークショップ」おれんじぶーけクラス

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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) おれんじぶーけクラス



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Sちゃん(自分)へ

今回も ONSA WORKSHOP(対面式)よく頑張ったね。
参加したこと、たくさん気づきがあったこと、前回聞いて分からなかったところがなんとなくでも分かったこと、楽しかったこと、すべてが本当によかったね。
本当に、本当にお疲れ様。


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私は、「『快』と『楽しい』を土台に、目標に、人は生きている」と聞いたとき、少し驚きました。
そして、仕事は「快づくり」であると聞いて、とても驚きました。
なぜなら、私にとって今まで仕事とは、「不快づくり」であり、不快の我慢料として給料をいただけると思っていたからです。


お客様に怒鳴られようが、上司からぞんざいな扱いを受けようが、それを我慢して、何ならお客様や上司のご機嫌を損ねず完璧にするのがお仕事だと思っていました。

でも、今、「A=大人性」の力で考えてみると、他人のご機嫌とりがお仕事だなんておかしいですし、永遠に GOAL がこないマラソンを全力走でこなしているようなものですね。


バイト先の店舗がつぶれて、異動せざるをえない状況の今、仕事でも「私にとっての快や楽しい」を基準に目標に考えていいとわかって、気づけて、よかったです。
私の冒険に必要なコンパスは私のなかにある、そして、それを信じて進もうと思いました。怖いですけど。


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前半のワークのなかで、私の「アキレス腱」の言葉を聞いたとき、「私がない」感じがしました。
私の存在が消されたようにも感じ、とても悲しく、苦しかったです。

そして、これだけ苦しくなる言葉を、小さいころの私は日常的に浴びていたことを思うと、タイムマシンで飛んでいってギュッと HUG して、その世界から連れ去ってあげたいです。
そして、「あなたは悪くない。あなたはあなたのままで、十分にステキで、愛される価値がある。もうこれ以上頑張らなくていいよ。」と声をかけてあげたいです。


それから、父の機嫌を常にうかがい、父を上機嫌にし続けるよう世話していた母の姿を、小さいころから見ていた私にとって、他人の機嫌を真っ先に考えて、世話をすることが処世術のひとつになっていたのだろうな、と思います。
だから、バイト先の後輩の作業の遅さ怒りながらも、手を出して世話していると、イライラするけど落ち着くのだと思います。その代わりに、私の作業が止まっていたとしても。


また、母が祖母の愚痴を聞いてきたように、私も母から父や祖父母、ご近所さん、仕事などの愚痴を聞いてきました。
母自身、子供に愚痴を言うことでストレスを発散する方法しか知らなかったのだと思います。

でも、母が母自身で自分の機嫌をとることができなかったため、私が母のストレスのはけ口になってきました。
そして、
「母の機嫌をよくしなくては! 母の機嫌が悪いのは私が悪いからだ!!」
と、母の機嫌の世話を子どもの私が見てきました。

母が怒り出せば、殴られ、蹴られ、罵声を浴びさせられて私が母のサウンドバッグになることで、母の機嫌をとろうとしていました。
究極が「私が消えれば、母が幸せになる」とすら考えていたこともあります。

今までの私は、どんな手を使ってでも、母の機嫌をとろうとしていました。
これが今までの私の処世術でした。

だから、不機嫌そうな人がいると、
「なんとかして機嫌よくしてあげなきゃ。でなければ、殺される。」
とスイッチが入ってしまい、全く関係ないのに「相手の機嫌が悪いのは私が悪いからだ。」と自責の念に勝手にかられて苦しくなっていたのだろうな、と思いました。

そして、相手の機嫌は相手の境界内の問題であると、私はこの古い処世術を優しく手放したいです。


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後半のワークで、チェアワークをしてみて、すべての体の力が抜けたとき、胎児のように丸まって、羊水につかった安心を感じることができました。
そして、上半身を起こしてリラックスした時の頭ぽかーん感がとても気持ち良かったです。


そして、その状態で境界線をひいたとき、初回は相手を境界内に入れたまま棒読みで「私はそうは思いません。」と言っていた。
私と相手との境界が無くて、「私がない」感じもした。

でも、3回目の練習の時、「アキレス腱」を聞いて思わず「何を言っているの?」と言いたくなってしまうほど、「今ここ」の私には関係のない言葉に思えたことに、驚いた。

同じ言葉なのに、チェアワークで「今ここ」に戻って「A=大人性」の力を使える状態と、昔に引きずられている状態とで、感じ方が違うことにとても驚いたし、「今ここ」に戻る作業が大事だなとつくづく感じた。


また、地獄の番犬ケルベロスのように、相手の境界線を破って
「私の言うこと分かって!」
と首根っこつかんで揺さぶらなくても、私が私の考えを理解して、私の境界を守ると決意するだけで私自身が落ち着いて、安心できて、心地よい状態になれることが体験できて、とてもよかったです。


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日常で、私の境界線を守りたいとき、誰よりもまず私自身が私の境界線を理解して、守りたいと思いました。
そして、そのためには、もっと私自身のことをよく知りたいとも思いました。

私はこれから、肩ひじはらず、常に戦闘モード、全速力で走り続けるのをやめて(やめていいと知って、肩の荷が下りたような身軽さと、安心を感じています。)、リラックスモードで「今ここ」に自分をおいて、私にとっての心地よさを求めて、私自身の人生を楽しく生きたいと思います。

最後になりましたが、優月さん、「おれんじぶーけクラス」でご一緒したお仲間さん、本当にありがとうございました。




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M. I. さん(30代/福岡県よりご参加) おれんじぶーけクラス



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「境界線ワークショップ」は、兎にも角にも、今現在のわたしの姿をあぶり出したワークショップだったと思う。

体調が万全じゃなかったのもあり、ワークショップ自体は初めてじゃないのに緊張もしていて、TEG のエゴグラムの説明のときに、なぜか泣きそうになってる自分もいて、心や身体が反応していた時間だった。


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「境界線ワークショップ」に参加するのは初めてで、これまでの参加された方の PAY FORWARD を読み、参考書籍も読み、正しい境界線の感覚を得られることを実は期待していた。

そんな期待に反して、わたしは過去から引き続いた「今」のわたしの境界線のとらえ方を知ることになった。
自分の自動的に出てくる「いい子」パターンも見えた。

期待してたものとは違ったけれど、わたしにとっては、大きな収穫だったと思う。


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わたしの境界線のあり方は「後ろへ下がる・差し出す(負ける)」か「反発(戦闘モード)」。
いくつかのチェアワークと練習で、チェアワークで身体がゆるんだとき、わたしは密かに心が戦闘モードになってることに気づいた。

どうせ、他人の怒りには負けてしまうし、怖いし、嫌われるから、差し出す自分になれるように訓練して生きてきたところがあったので、戦闘モードは極力出さないようにしてきたのに。だから、出てきたそれに内心驚いていた。


以前のわたしなら、周りの人の感想や「せっかく参加したのに…」なんていう気持ちも生まれたと思う。

だけど、今回、不思議とあたたかく見ているわたしがいて、
「ああ、そうか。こっち隠して生きてきたんだなあ。これって、わたしの家で当たり前に繰り広げられてきたものだなあ。健全な境界線を体感覚で学んでこなかったんだなあ。Web. WORKSHOP に書かれているように、家族関係が基本って、こういうことかあ。」
と妙に納得したのだった。


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そして、自分が無意識でやってる「いい子」パターンも出てきた。
他人からはそう言われたこともあったけれど、実は、ONSA を始める前、わたしは自分が「いい子」という自覚もあまりなかった。


藤沢さんは、「境界線ワークショップ」が初めてのわたしに声をよくかけてくれた。
何度か練習して、「いい感じですよ、大分、緊張は取れてきたんじゃないですか?」と励ましてくださったとき、本当は、わたしは感覚も掴めておらず、なんだかお腹の調子もよくなくて、緊張がとれたわけでもなかったのだけれど、口角を上げたつもりで「はい」と言ってる自分がいた。

反応までにいろいろ考えを巡らせているわけでもなく、パターンに身体が脳が口が引きずられてる! 
パターンって、すごいぞ。

正直になっていい場所でも、勝手に相手の気持ちや期待を予想して、喜ばせようとしてパターンになってしまった自分の処世術なんだなあ、頷いて同意したほうが平和だと勝手に決めつけて返答したり、フォローみたいなことを頼まれてもいないのに言ったりと、一瞬でやってしまうものなんだなあ、と少し経ってから思った。


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別に強制されている訳でもないのに、人に緊張しつつ無意識に圧倒されてしまう、今のわたし。
これって、相手ではなく、わたし側の問題なのだとわかったことは大きかった。

でも、こちらも自分を責めずに、ちょっと離れて眺められたのは、成長したところだと思う。
今のわたしの状態に見合ったものを感じることのできた1日だった。

藤沢さん、ONSA のスタッフさん、参加された皆さん、ありがとうございました。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) おれんじぶーけクラス



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今回、4回目の参加でした。
今年の夏も受けたけど、秋ももう一回受けておきたいと思って参加しました。自分の境界線をもっと感じたいと思ったから。
「インナーチャイルド・ワークショップ」と合わせて受けました。


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前半は、ガーン。
TEG をみてもあまり変わってないし、AC はあいかわらず高いし。どうしてもクラスの人と比べてしまって、正直落ち込んでました。

ただ、AC が高いということは、それだけ周りとうまくやれているということ。私は思ってるより周りとうまくやれているんだ、それなら周りとうまくできないとそんなに落ち込まなくてもいいんだ。だからそんなに人の顔色をうかがわず、もっと自分を表現してもいいかもしれない、そんな風に思えた。

そう思うと、世界が少し優しく思える。
投影しても意味がないこともわかって、少し楽になった。


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後半、奇跡が起こった。
本当に、演技じゃなく、フリでもなく、自然に、言われて嫌な言葉を言われても、冷静だった。心も静か。そして、「そうは思わない」と言う度に、私の境界線が広がっていくのを感じた。

どうしちゃったの? 私?
すごく嬉しい。


言われて身体はかたくなったなーって思いながらも、冷静に対処できた。

地道にチェアワークをし続けてきてよかった。
4回このワークショップに参加してよかった。

自分の感覚と判断を信じて、秋も参加してよかった。
優月さんの「練習すればするほどできるようになる」って言葉を信じてよかったし、それを信じてやり続けた自分に大拍手!
本当に、積み重ねたものは裏切らなかった。


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現実は同じようにはいかないと思う。
でも、今回のことは大きいと思う。

自分の境界線がしっかりしてきたことを感じられたことで自信をもらえたし、できたんだから現実も変わっていくと思う。
自分の変化や成長を感じられるって、こんなに素敵ですごく嬉しいことなんだな。

しかも、この自信も変化も、誰かにもらったものじゃなくて、自分で積み重ねてきたもの。
本当に1ミリ1ミリの小さな行動が、大きな変化を生み出すことを実感した。

優月さん、ONSA のスタッフの皆様、クラスの皆さん、かけがえのない空間をありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) おれんじぶーけクラス



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境界線、それは、目に見えないもの。
でも確かにあるもの。大切なもの。


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まだ自分と向き合い始めて間もない頃、最初の「境界線ワークショップ」を受けた。

その時には、正確な知識を知ってただ驚き、自分が今までどれだけのものをだだ漏れにしてきて、どれだけのものを招き入れていたかに気づいて、ただただショックだった。悲しかった。
そして、私の中に、私の人生と言えるものがどれだけあるのか、怖くなった。


それからの私は、自分の中にあるものを必死で守ろうと日々奮闘してきた。
それは、時間だったり、身体のことだったり、また私なりの感じ方、意見、立場、そういうものだったように思う。

それを守るために、何度も確かめ、トライした。でも失敗ばかり。
学べば学ぶほど、自分がいかにいろんなことに巻き込まれているか、見えてくる。


達成ではなく、「快」を。正しさではなく、「楽しさ」を。

そうわかってはいても、できない自分ばかりが見えた。
わかっているのにできないのはなぜだろう…。
もう一度自分の中で、基礎力を身につけたい、筋力をつけたいと思って参加したワークショップだった。


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当日は、目からうろこが落ちるというよりも、目が一気に見開かれた感じ。

私は、生まれた時に境界線ごと飲み込まれた。そこから自分の境界を健康に築くことを学べなかった。
そしてずっと他人の境界の中で生きてきた。

他人の境界線の中にいるから、いつも緊張している。パワーゲームをしている。
それこそが、異常事態。
その異常事態に気付けないのは、自分が他人の境界にいるからだった。

そして何より驚いたのは、私は他人の境界線に入り込み、他人を攻撃し、また他人の境界線から自分も攻撃していた。
そして、その中にいながら、自分を守ろうとして、自分の境界をコンクリートで固めてた。


しなやかな境界線、それは、生きた境界線。
私はそれを生き埋めにしようとしてた。
でもそれでは、本当に大切なものは守れない。
どんなに強固に作り上げても、他人の境界線の中から出なければ、わたしの境界線は築けない。

それを「おそろしいこと」だと言われた。
それを「恥ずべきこと」だと言われた。

「あなたはそんなことしないわよね」
「そんなことをすれば何が起こるかわからないよ」
「常識ではやらないよね」
「いままではこうだったんだから、従えばいいの!」

いろんな言葉、いろんな態度で、拒否された。

でもそれは、わたしにとって、大切なこと。
だから、静かにそっと出ればいい。それが私にできることだと気づいた。


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その方法は、もうずっと前から知っていた。
それは、「今ここ」にあること。

な~んだ。
「今ここ」に戻る=自分の境界線の中にいる

ずっと藤沢さんが言ってたのは、そういうことだったのか~。
それにやっと気づいた。


自分の境界線の中にいるとき、自分の今感じるまま、あるがままを尊重できる。だから他人が感じることも尊重できる。
わたしは、他人の境界線からでて、自分の境界線に戻ればいいだけだった。

チェワークを何度も繰り返した。
身体に新しい空気が入ってくるのがわかった。
手が熱くなるのがわかった。


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わたしの「快センサー」は死んでなんかいない。
ただそれを切っておかないと、苦しすぎて、生きていけなかっただけだ。他人の境界の中では。

私はどこかで感じていたのだと思う。
ここでは私の「快」はただ消されてしまう。

だから「快」を感じようとはせず、ただ生きていた。
私は「いた」けれども、自分そのままで「ある」ことはなかった。


でも、そこから1歩でて、自分の境界線の中の大切なものをよく見れば、わたしの楽しいも、気持ちいいも、夢もちゃんとある。
わたしのわたし用の夢は、わたしの境界線の中に埋まっている。
そこを探検するのは、私だけだ。

それが自分用の自分だけの夢なのだと知るのも私だけだ。
これは競争でも達成でもない。本当にワクワクする宝探しなのだ。

それが、今からできるってことは、わたしの人生のご褒美かもしれない。
今から自分の夢を叶えるということは、わたしのこれからの人生に与えられた楽しみだ。


文節区切りの線

「私たちは強い。強さは、優しさと賢さの総合物。」

今回のワークショップで藤沢さんにもらった言葉。
そう、私たちは自分を明け渡してしまうほどに優しく、ここに至れるほどに賢かった。


境界線を守るとは、正しい知識を学び、そして、自分の優しさを自分に向けるということ。

自分に優しくするとは、
・自分の境界線に踏みとどまり、
・自分の感情や感覚を十分に感じて、受け止め、
・自分の「快」や「楽しさ」に基づいた表現を共有していくこと

本当に、ここに他人は関係ない。
自分の境界の中にいれば、強固な境界線などいらない。


文節区切りの線

今のわたしにとっての境界線、それは、どんな圧力にも、どんな侵略者にもふわりとやわらかく形を変え、自分の迎え入れたいものを優しく抱きとめること。

柔らかく、暖かく、軽い、そんな境界線の中にわたしの大切なものが全部入っている。
自分を認めることを、自分の境界にとどめれば、それは成長になる。

でもそれを承認を得るために他人の境界に持ち込むと、増長になる。
そうしてパワーゲームが始まる。その流れがありありと見えてきた。

ああ、こうだったのか、こんなことしてたんだ、こんなパターンがあるのか…自分の今までを鳥瞰で眺めるようなワークショップだった。


文節区切りの線

また、今回のワークショップでは、体感もすごかった。
チェアワークをして、初めて立てた気がする。

それは、ふわりとしていて、どこも緊張していなくて、とてもラクだった。
最後にみんなで交わした「快」も私をどんどん軽くしてくれた。

帰りは心身ともに疲れてもいたけれど、スキップで帰りたいぐらい楽しかった。
この感覚を忘れないでいたい。


いつもたくさんの気づきをくれる、藤沢さん、お仲間のさん、一緒に組んでくださった方、本当にありがとうございました。
宝石のような1日でした。大切にします。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おれんじぶーけクラス



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私へ

この秋も、お疲れさまだったね。

日々のこともあり、仕事上のごたごたもあり。夏の疲れもどっときて。
そんな中、よくワークやってきたよ。
いつも私の為に、ありがとうね。


今回の「境界線ワークショップ」は3回目。
もっとやっていた気がしたから、意外だった。

1回目とも2回目とも違った気付き。
なくさないように、書いておくね。


文節区切りの線

「健康な人は、『快(心地いい)・楽しい』の為に生きている」
…ガーン!! そうか、ここだったのか! そこが違ったのねーーー…。

夏の ONSA WORKSHOP(対面式)で聞いたはずなのに、なぜか今初めて聞いたかのように「ズバン!!」と心の中に入って来た。
いつまでもたどり着かないはずだ。

私はいつも、いつの間にか「努力して達成しなければいけない」になってしまう。
楽しくないはずだ。
仕事も、「快を提供して、お金を得る」なんて発想なかったな。

そもそもの世界観が違うし、正直なところ、私には「『快(心地いい)・楽しい』の為に」って、どこかあいまいな感じがする。


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「境界線を引くのは、『快・楽しい(目的)』の為の『手段』。目的がないと苦しい。」って、自分のことを言われているみたいだった。
やっぱり、「ここ」なんだよね。
以前聞いた「境界線の問題は、人の問題ではなく、自分の問題」って言葉が、じわじわ腑に落ちる。

思い返すと、私は初めて「境界線ワークショップ」に参加するまで、言葉を知らなかったのはもちろん、自分の中に概念もなく、どこか「境界線を持ってはいけない。引いてはいけない。」と思っていた。


「なぜ境界線が築かれなかったか?」の話を聞いて、私の母を振り返ってみると。
やっぱり、そうだよなぁ…と思う。
自分の老後まで面倒をみる便利な存在に、去られては困ったんだよね。

言葉5%で微妙に隠されていたけれど、今ならそのことがよく分かる。
あの人たちに、「投影」は出来なかったんだなぁ…私がおかしかった訳ではなく。


そして、今も日常のささいなシーンで、どこか「境界線を持ってはいけない。引いてはいけない。断ってはいけない(特に、年上の女性に対して)。」と感じていた理由が分かった。
今回も、貴重なルーツ発見したね。


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TEG の結果は、前回とほば変わらずで、正直がっかりしている自分もいたね。
でも、それはそれで貴重な気付きがあった。

私は AC が一番高く、次に CP、やや下に NP、A、FC だった(ワークショップ・クラスでは、なぜか CP が1番高いと勘違いしてたね)。
「高い部分は、自分の弱み」って、「その通りです」と言うしかない。確かに…。
データを見るとよく分かるってことが、今回特に腑に落ちた気がする。


自分に取っての嫌な言葉をあげた時、「私の言う通りにして」「私に逆らうな」「あなたのせいで」「そうされるあなたが悪い」って、もろ AC を刺激する言葉が沢山出て来た。
(日常の中でも、こういう言語・非言語メッセージを発する人・シーンに弱い。)

でも、今回気になったのは、最後の方に出て来た「そんなことも出来ないの?」という、多分 CP を刺激する言葉だった。
(後から「何で出来ないの?」もあったと思い出した。)
ワークの時、今回は全てこの言葉を言ってもらった。


そして、何となく感じた。
「そうか、私はこんな風にして巻き込まれてきたのか。こんな風に『がんばって』きたのか」と。

私は、こう言われない為に背伸びして、自分の出来ること以上を自分の境界線の中に入れて、あなたに達成を強いて来たんだね。


それはどんどん拡大して、「こんなことも知らないの?」と言われない為に、興味のない情報を知るのに時間を使ったり、興味のない人と付き合って出かけたりして、膨大な時間を失っていた。
(「(相手が嫌な人でも)人はあの人とうまくやるのに、私だけうまく対処出来ないなんて思われたくない。うまく付き合えるべき。」と、自分で自分にプレッシャーを与えていた。)

仕事でも、そう言われない為にずっとがんばってきて、嫌でも「出来るべき」とガマンしていたな…。
こんなところにも、人の目線が基準になっていて、心が痛む。


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それから…。
私は、家族の中では別として、正直日常生活ではそんなにリーダーシップを取ったりすることがないと思うから、何で CP も高めなんだろう? と思っていた。

でも、確かに高めだったってことだ。
分かりにくかったけれど、こういう面で CP の弱点を突かれて、自動行動していたんだ。背負わされていたんだ。
自分でも気付かなかった・あまり意識していなかった CP に反応して動いていたんだ、こういう風にこういう所で出ていたんだ…と気付いた。
(「エゴグラム=性格ではなく、処世術」というのも納得だし、客観的なデータって大事なんだなぁ…。)


そして、何となく思い出した。
私は、心のどこかで「CP を発揮すると、又、背負わされる」と恐れていて、自分のそういう部分を否定してはいなかっただろうか?
「私なんて」って自身のなさから、そういう部分を発揮できなかったのではないか?

でも、CP な面も元から私の中にあった、いい面でもあるのかもしれない。
うまく表現出来ないけど、今まで自分の中にあった「何となくちぐはぐした感じ」のつじつまが合った気がする。
私の大切な1部分、これからはもっと見ていくね。


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ワークでは、何度も常態⇔異常を繰り返して、身体にもろ反応が出ていたところから、
「そうだよ。出来ないよ。悪かったね。」
「関係ないし!」
にまで変わっていった。

TEG に表れるのは、「弱み」。
(* 編集注/「強み」であり「弱み」。「強み」と「弱み」は表裏一体)

でも、チェアワークをして切ると、ちゃんと A(大人性=今ここの自分)もあると気付ける。
(AC、CP で反応するのは、子供の自分。でも、身体のポジションを整えると、ちゃんと「今ここ」の大人の私もいる。我に帰れる。…現実の時間の中では、それだけのことがとても難しいことが多いけども。)

逆に、「私は、そうは思わない」と言われた時も、このやり方なら自分を否定されたり攻撃されたりしている感じはなくて、「相手にも私にも境界線があって、違うだけなんだな」と感じられる。
(初めて参加した時は分からなかったけれど、「人と人との間には、境界線がある」って感覚を、体感出来たんじゃないかな?)
こういうコミュニケーションなら、いいよね。


文節区切りの線

私の育った環境では、いきなり LEVEL 3(以上のもの)を投げつけられた。
彼女たちが私に対して境界線を引く時は、「感情的にたたきのめすまで、責める。ネガティブな感情を、そのままぶつける。」だった。

これじゃあ、引くこと自体怖くて出来なくなっただろうし、私もこういう不適切な形で引いてしまったこともあるかもしれない。
…人として大切なことを学ぶ時期に、本当にパワーゲームの中にいたんだね。

「世間話は、存在の肯定(1番低い境界線で、相手をストロークする。プライベートには踏み込まないけれど、お互い快を共有する。)」と聞いて、自分の育った家庭を振り返って。
そういう会話さえ、ない時が多かったと感じる。
(どこかへ出かけて帰って来ても、何も聞かれなかったし。)

…私、相当、私の存在をストロークされていなかったんだろうな。
なぜ、私が「孤立が怖い。でも、人を避けたい自分もいる。どうしていいのか分からない。」と感じるのか、分かった気がする。
(そもそも、孤独と孤立の違いもあいまいだったし…。)

全く、1つ思い出すたびに、がっくりめり込むよね。
それでも、全く何も知らなかった頃に比べれば、何千倍もすがすがしい。
今回も、今まで気付けなかった自分・痛みに気付いて、私をまた1つ理解出来た。


文節区切りの線

日頃「私は、変わってない!」とつい思っちゃうけれど、最初の頃から比べると、少しずつでもちゃんと進んでいるんだよね。
…もし、あの時始めなかったら、今も私は押し殺していたんだろうか?
そう考えると、すごくラッキーだった。


私には、失ってしまったもの、これからでは叶えられないものが多い。
でも、これからの時間を深く味わって、喜びや快や楽しさを沢山感じられる豊かな人生を送る可能性は、残されている。
そうなるために、今日も明日も、また1歩ずつ歩こうね。

最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、仲間の皆さん、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) おれんじぶーけクラス



タイトル下の線


「境界線ワークショップ」を受けたのが遠い昔のように感じています。
今回も盛りだくさんで、受ける前と後では見える世界が変わってしまいました。

特に身近ですぐ変化を感じたのが、会社での見方というか自分の今までの窮屈だった理由がはっきりして少し過ごしやすくなりました。

仕事の場における世界観を知ると、今までの私の苦しいことや迷ってもやもやしていることが基本のルールからずれているから感じてしまっている。
はっきり自覚してみたら自分の仕事や上司とのかかわり方に線を引くことができました。

お昼ご飯を食べながら、無駄に気を回すことも減りました。いい意味で諦められて仕事がしやすくなりました。

家族の中で起きたことから繋がって、全然違う場所の会社でも苦しんでいたのにびっくりしています。
すべての根はつながっていて、そこをどうにかしないと変わらないのでしょうね。


文節区切りの線

「境界線ワークショップ」は3回目なのですが、前回前々回よりもわかることが増えました。
知識としてわかることは同じでも、腑に落ちてくる量がどんどん増えています。

ワークショップ・クラスではいつも同じことを言ってても私が受け止められる範囲でしかわからないのが、自分がうまく出来てると思うし歯がゆくも感じます。

まだやることもやりたいことも山のようにあり、しんどい状態が続きます。
諦めず、こつこつやっていこうと思います。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) おれんじぶーけクラス



タイトル下の線


前回参加したのは、ONSA WORKSHOP に参加しはじめたずいぶん前のこと。
あれから多くのことを学んで、境界線はいつも意識してきたつもりだったけど。

境界線は自分の側の問題であって、相手をどうにかしようとする必要もないこと。
だから、自分で何とかできるし、自分を守ることができる。練習を重ねて上達できる。

そして、自分が巻き込まれがちな関係性に上手に境界線を引く方法を知ることで、私はもっと強くなれると思った。私は相手に勝ちたいわけじゃなくて、ただ自分を守りたい。


文節区切りの線

境界線を荒らされがちだったこの頃、改めて学ぶことは、実感となって身に染みた。

今回、このタイミングで参加できて本当によかった。
今の私にまさに必要なスキルだった。

学んだことを反芻しながら、自分の選択に感謝しつつ、日常に戻ってきた。


文節区切りの線

毎日色んなことが起きるけれど、私は日々強くなっていく。
周りのことに徐々に動じなくなっている。
そういう自分が誇らしく思える。

自分の人生を幸せにするためのスキルを、もっともっと磨いていこう。

そして自分の「夢」を遠慮なく追いかけよう。
私は人生を楽しむために生きていたい。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。