2015.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」ひなぎくクラス

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タイトルはじまり目印

J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) ひなぎくクラス



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12週間ありがとうございました。

この3ヶ月は、娘の中学卒業、高校入学で普段の生活が大きく変わった時期でした。
「灯台の時間」も沢山とれたわけではなかったのですが、なんとか12週までたどりつきました。


今思うことは・・・

自分の全ての選択は私に責任があるということ。
言うこと。やること。考えること。休むこと。など全ての選択。
選択は私が感じる周りの態度や私が感じる周りのニーズにおもねったものからくる選択ではないこと。

たとえ、意にそぐわないことを選択するときでも、自分で能動的に選択すべきこと。
私がどう感じるかは私しかわからないことで、それはわからなくても、人が教えてくれるはずも無く、自分ひとりで見つけるしかないこと。
そして、選択した結果がどのようなものであっても、自分で責任をとらないといけないこと。


私はまだまだ周りに依存して、役に立つでしょ? 私、おとなしくやることやってるでしょ? だから、私のことを守ってください。私のこと好きになってください。ってやってる。

出来る人に嫉妬して、私はあの人より、みんなのために色んなことしているのに。
どうして?? 私はダメなんだ。できないんだ。出来が悪いんだ。ってやってる。


じゃあ、それをどうにかしようとして、自分で考えて、自分で決めて、何か行動しているか? といったら、ほぼ、していない。

だれか、頑張っている私を見てくださいって周りに対してやってるだけ。
周りに対して、肯定的なサインを出しているだけ。
邪魔してません。敵じゃありませんって。

そして、無条件に自分の時間や労力を差し出すことは得意だけれど、自分の本当の中には入ってこないように壁を作ってがっちり守ってる。
入ってこないでくださいって。
外側の部分しか見せません。見えてる部分しかありませんっていう顔してる。

これじゃ、何も動かないのは当たり前だった。


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私はどういった生活をすることが望みなのか? 良いのか? と、自分に問いかけても、今は明確な答えが出てきません。
私の中で、何が「希望で良いこと」なのか? という「希望と良いこと」の基準がわからなくなってしまったから。

外側が立派なことが「良いこと」じゃないっていうことは、感覚的にはわかるのですが、じゃあ、私にとっての「希望と良いこと」って何?


健康な人達は、自分がどこに行きたい! とかわかるのだろうけれど、わかることが、私にはわからない。
感情を基準にというけれど、どうなんだろう。
ちゃんとキャッチできているのかもわからない。
いまでも、達成で喜ぶことのほうが多い。


でも、自分の選択と責任について認識を新たにしたことで、わからなくても自分に問うてみて、能動的に一つ一つ選んでいこうと決めたこと。
お! やってる。また、助けるから助けてねとやってる! と気がつけるようになったこと。
自分と向き合うことを続けないと、私が辛いということを実感したこと。
これらに気がついたことは褒めていいのかな? と思ってます。


自分が、自分を支えられるようになりたい。
私の人生が悲しくならないために続けます。




タイトルはじまり目印

K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) ひなぎくクラス



タイトル下の線


今回は、何度も課題を出せなかったことがありました。
年度の変わり目で物理的に忙しかったこともあったけれど、東日本大震災から4年の節目だったし、例年のごとく春先で不安定だったし、いろいろ疲れて気持ちも沈みがちで。

それでも振り返ってみると、少しずつ自分の気持の輪郭がシンプルになってきて、「う~ん、こんな感じ、かな?」ではなく、「これです。少なくても私にはこうなのよ」って思える気持ちが、強くなってきているのがわかります。


自分の身近な失敗、過去の失敗への悲しさや、将来への不安がきれいさっぱり無くなった訳じゃありません。
むしろ、ぼんやりしたまま放置していたものが、具体的に見えるようになってきました。


思い出して、気持ちを揺さぶられることだってたくさんあります。
まだまだあるよねぇ、と軽くため息をつくことや、具体的な対処として、数枚の書類を前に面倒に思うこと、気付かなかったふりをしてやり過ごして、自分の人生が終わるまで逃げ続けるって方法もあるんだよね、と思ったことも、正直に言えば、あります。


でもね、気が付かないふりをして、逃げ続けるのはハッピーじゃないのも知っています。
だって、自分の気持はそんな風に誤魔化している私自身にもちゃんと気が付いているから。

結局私自身ががっかりするのがわかっているのに、自分を誤魔化し、言い訳し続けることに使う時間や労力なんて勿体ない、シンプルに私がハッピーになるのに使えばいい、って思えるようになってきました。


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私は地道な努力も、反復練習も、こつこつ何かを続けることも本当に苦手です。
でも、「何かが違う」って感じ続けていた気持ち、
「今までできなかったんだから、これからだってできるわけがない!」
「私は不幸だったんだから、これからだって幸せになることはできない!」
「今更何かをしようって、もう40代後半だし遅すぎる」
なんて思いと向き合って、時々自分とケンカの様になりながらも、こんがらがった過去と現実と感情などを少しずつほどいてみれば、こちらの方が自分のこころやいのちの力をまっすぐに感じられて、のびのびして楽しいのに気が付きます。

そして苦しさもあるけれど、これは意図的なトレーニングを続けたことで身につけつつある習慣だから、知らないうちにできたこととは違って、物事が滞っている時にはそのプロセスを振り返ることも、再度トレーニングしなおすこともできます。


より健やかな毎日を過ごすための食事や歯磨きや睡眠、運動の習慣と同じで終わりはありません。
でも続けていくことで気持ちがよく、より健康な体を維持できたり、新しいイベントも楽しめたりもします。

これからもこの習慣を忘れることが無いように、WORKSHOP も続けていこうと思います。
一緒のクラスだった皆さん、ありがとうございました。皆さんの健康と幸福を心から祈っています。これからもよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/東京都よりご参加) ひなぎくクラス



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ひなぎくクラスの皆さま、優月さん、スタッフの皆さま、12週間ありがとうございました。

このワークショップが始まった頃は、精神的にとても消耗していました。
でも、まだ「頑張り」で現状を変えられるのではないかともがいていた時期でもありました。


ところが、その疲れは「頑張り」で誤魔化せないほど大きくなっていき、仕事を休職するという選択をせざるを得なくなってしまいました。
15年間勤め続けた会社をこんなふうに後にするとは思ってもみませんでしたが、究極まで考えに考えて、自分で決断しました。

休職したいと切り出すまでにものすごく勇気を必要としました。
他人の目も気になって、ダメな奴、弱い奴とレッテルを貼られるのではないかと恐かったです。


仕事を休んでみて、私はずいぶん無理をしていたのだと気がつきました。
疲れすぎて、思考もマイナスに傾いていました。
仕事に労力を取られ、余裕の無くなった心が、日々起こる問題を更に深くしてしまっていました。
休むという決断をしたのは私にとってよかったと感じています。


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私は職場で、苦手なパターンの人間関係にはまり込んでしまっていました。
始めは境界線を引くことを意識したり、「ノー」と言ってみたりといったことで対応できていました。

ところが、相手はそんなことは意にも介せずといった様子で執拗に攻めてきました。
私は、もう自己主張するのも億劫で自分の殻に閉じこもって、声も小さくしか出せなくなっていました。
そうすると更に関係がこじれていきました。


相手と私の鍵穴がピッタリ合ってしまったようでした。
相手は私を奮い立たせようとして数々のハラスメントとも取れる言葉を私に投げかけていたようです。
まったく悪気は無かったようでした。

私にとって心地よい境界線で過ごそうとすると「そうはさせない!」とばかりにぶち壊される、昔の私と父の再現のようなことが起こってしまっていました。
私の側にも問題がたくさんあったし、私は相手のそういった態度を引き出してしまいやすい傾向があると感じているので、相手だけを悪者にはできないと思っています。

私のパターンは、不機嫌になって攻撃的になるか殻に閉じこもってかたくなになるかのどれかで、どれも私を守ろうとしてしたことでしたが、それが問題をこじらせてしまいました。
もっと上手く立ち回る方法もあったのかもしれませんが、今は立ち止まること、逃げることを選びました。
こんな環境で15年もよく耐えたものだなと感じます。


ほんの少し前までは、今の仕事を辞めたら私の価値がなくなってしまうと思っていたけれど、今はそうは思わなくなりました。
また、この職場でしっかり境界線を引けるようになったら最強だと考えていましたが、その時間ももったいなくなってきました。

もう感謝して手放してもいいかなと思えています。
私は、よくがんばってきたね。


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私は過去にとてもつらい思いをたくさんしてきました。その痛みが現在の私の生活に悪影響を及ぼしていることも分かってきました。
相手の暴言をサラッと流せないのも過去の痛みと重なって倍以上の痛みに変化してしまうからです。
私にとって、過去はまだ終わっていない部分が多く、傷が癒えるには、それ相応の時間がかかると感じています。

ここ数ヶ月、感動した、傷ついた、悲しいなどと、心が大きく揺れ動いて、よく泣いていました。
そうした日々を過ごすうちに、私は普通の何でもない生活を求めていることがわかりました。
仕事も家事も完璧なスーパーウーマンになることよりも、日々の家族との関わりや自分との対話を大切にしながら、ゆったりと生活したいと感じていることがわかりました。

そして気がつけば、私は安心安全な家庭が築けていました。連綿と受け継がれてきた虐待と暴力の中で、よくやってきたなと思います。
また、以前より他人と自分を比較しなくなってきたし、誰かと一緒にいるとき、「この人は私を必ず嫌うだろう」とは考えなくなってきました。


加えて、他人に身も心も任せなくなってきました。
私と相手を分けて考えられるようになってきました。

私はじっくりと変化をしてきているのだということに気がついて、すぐにできないからと自分を責めることから、もう自由になってもいいのではないかと感じました。


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「コース2」に入ってから、自分のできないことにばかり目がいってしまって苦しかったです。
私のつらさなんて誰も分かってくれない。自分一人で向き合って行かなければならないなんてつらすぎる! と苛立っていました。

そんなにつらいなら、もうやめようとも考えていました。
私の中から響いてくる、「幸せになってはいけない、楽しんではいけない」という声も苦しかったです。


自分が今どの辺りを歩んでいるかがわかれば、少しは見通しが立つのに、このままどこまで行っても苦しみが続くのではないかと思うと、更に苦しさが増して感じられました。

ひとつ気付くのに、その気付きが定着するのにものすごく時間がかかります。
願わくば、自分でバイトをして稼げるようになった高校生時代に戻って、そのお金と時間を回復にあてたかったです。
過去はもう戻って来ないので、今から始めるしかないのですが…。
それでも、何もしないよりは早いのだと気がついてもきました。


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私は身も心も健康になりたいです。安心して暮らしていきたい。
過去に今に必要なエネルギーまで取られたくありません。
今を充分に生ききれるようになりたいです。

私は一度で完璧に何もかもできなくてもいいから、あきらめずに歩んでいこうと思います。
自分の選択に自信を持って。


たくさんの変化と気付きがあった12週間でした。
こうした場があってよかったです。
ここで自分の考えを整理することができることは、私の人生にとてもプラスになっていると感じています。

これからもお願いいたします。
ありがとうございました。