2014.09月開催 「境界線ワークショップ」しんびじうむクラス

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R. G. さん(40代以上/東京都よりご参加) しんびじうむクラス



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優月さん、しんびじうむクラスのみなさんお疲れ様でした。
久しぶりの対面式ワークショップで凄くドキドキしましたが、有意義で優しい時間を過ごす事が出来ました。

今回のワークショップ・クラスは上手く時間を取れず準備不足での参加でした。
優月さんにすみませんと謝りに言った時に「自分に対してすみませんですよ。」と言われて、はっとしました。
準備不足で一番困るのは私自身であり、自分自身を大切にしていない事の表れでした。

そんな中で私が今回学んだ事
  • 境界線の問題は他人とは関係なく自分の自尊心の問題であるという事。
  • 完璧でなくてもいい。
  • 出来る範囲で良いので1つの事をやりきる事。
  • 基礎をしっかりとやること。
  • アルコール問題をなめない事。
  • チェアワークで今ここに戻る。
「境界線ワークショップ」への参加は2度目で、以前にも教えて貰った事なのに本当の意味で理解してなかったんだなと改めて思いました。
そして、わかるまで何度でも同じワークショップ・クラスに参加する事も必要なんだなと思いました。

今回あらためて気付いた事
  • 自尊心が低いがゆえに、面倒な状況に巻き込まれていた。
  • 完璧主義であるがゆえに、中途半端が嫌で途中で投げ出してしまうクセがある。
  • チェアワークをすれば“今”に戻って来られる事を忘れて、ぐるぐる同じ事を考えてしまっていた。
  • つい感情的になってしまい、かえって物事をこじれさせてしまっていた。
早く回復したいという思いが強すぎて、一人で焦って出来ていない自分を責めていた気がします。
しばらく出来ない自分が嫌で嫌で仕方がなくて、もうやりたくないとかもう出来ないとかばかり考えていたけれど、それでも今回のワークショップ・クラスに参加したのは諦められなかったから。


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家に帰って『夢かな手帳』を開いて2014年10月のページを開くと

“願う人は多い
一歩踏み出す人は少ない。
あきらめない人はもっと少ない。
だからあきらめない”

とありました。
すごくタイムリーな言葉で涙が止まらなくなりました。
これもクレンジングリアクションのせいでしょうか?
とにかく、自分のペースでゆっくりでいいから、あきらめないで歩き続けようと改めて思いました。

今回のワークショップ・クラスでは、みなさんに勇気をもらった気がします。
本当にありがとうございました。




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M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) しんびじうむクラス



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まず・・・「よくぞ、この『境界線ワークショップ』を申し込んでくれた、ホンマありがとう!」と自分に言いたい!
そして、実際に会場まで連れていってくれて、ありがとう!

今、この PAY FORWARD を書いてることが、ほんとに幸せ。ずっと、読む側にいたものね。書いてる方にいるんだ~! うれしいー!

ほんとはやりたい、って思ったことを、やる。ってこんなに自分が喜ぶことだということを感じられました。
だから、ありがとうね!


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会場に行く日までに夢(眠るときに見るほうです)まで見てたけど、実際のレクチャーは、超現実的だった。
日本にいながらの、カルチャーショック。
観光気分も入ってたけど、そんなのが、ぶっ飛ぶ。

対面式ワークショップはスゴイ。
優月さんの発する気(というものがあれば)がバンバンきた。

気楽に構えてたのが、始まったとたんに、受けとったものを自分の中に入れるのだけで精一杯。
だから「境界線問題とは、なんだと思いますか?」の質問付近では、もう何も出てこなかった。
「なんだろな。」ぐらいしか。

そのあと教えて頂いたことに、ガガガーンとなった。
それ、やってたよー! そうだと思ってたよー! わああー! 壁に頭を打ち付けたくなりました。


優月さんが実際に体を動かして見せてくれた、人の境界線に侵入すること。
そういうことなら、正直、ほんまにえげつないと感じた。

こんなこと、誰もする権利ないやん。
そして、私もしていたこともあったと思い、もう、気付いたら、できないよって思った。今の私にできうる限り、これからはしたくない。

そして、「自分を責めない。失敗してもいい。」
優月さんの凛とした声で聴いたら、Web. WORKSHOP や本で見る、のとは違って、もう自分の中で、その声が古い習慣が塗り替えられるように思った。
何度も、何度も、そうしていこうって思った。


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お昼休みも、ぼーっとしてたし、どこか頭痛っぽい感じもする。
自作の地図を作ってて、ここそこ行こう~なんて予定してたけど、こりゃムリやな、と思った。
普段、すごいよく食べる私なのに、ランチが全部入らない。マジで~? 食べられないってこういう感じか、もう体の中にご飯が入る余地なしかい。

なので、港の見える丘公園のほうへ行った。
階段を上りながら、こうやって一歩ずつだよな、って思い、午後が始まる前には、よしっ! って気持ちになった。


だから、「言われてイヤな言葉」は最上級のものを選べた。
初めてだし、こっちのまだマシな言葉にしとこかな、なんて思ったけど、次いつ来られるかわかんないんだし、いっそのこと、これ選んじゃえって感じで。
パートナーさんには途中で困らせてしまって、ほんとにゴメンナサイ。
「自分に集中」を乱してしまったかな、と思った。


一番最初に言ってもらったときは、もうその場があの時の場になってた(それぐらい、愛をこめて言って下さってありがとう!)
悲しくてしかたなかった。

優月さんが言ってくれたときは、崩壊しそうだった。いすに座ってる感覚がなかったように思う。
全部丸ごと入れて、
「私のせい。どうにもしてあげられない。わかってくれない。どうしてそんなこと言うの? あなたがそんなだから、私安心できないんだよ。」

そして、「感じて。こんなひどいこと言われてる。それがふだんガマンしてるところ。」と優月さんの声が聞こえてきたときは、丸ごと受け入れたけど、「あ~、悲しい。悲しいんだ。悲しいんだな、私。」って思った。
泣いた。悲しくて泣いていいんだと思った。負けでもなんでもなかった。


3段階に境界線を引く、のもより強く自分を持つって感じなのが、なんとなしにわかった。
私は、やっぱり相手にわからせたくてしかたなかったんだ。


リベンジも自分に痛いことも同時にわかった。
あの「言われてイヤな言葉」は、なにも、母は玄関開けて顔を見るなり言ってくるわけではない。
最初に相手が、私の中に入ってくるのを、私が我慢してるかセルフトークで批判してる状態でいて、それがガマンしきれなくなったときに、言い争いが始まり、そしてあの決め台詞を言ってくる。

優月さんがやってくれた、境界線のえぐりあいの結果がこの言葉。
自分を守る、なら、我慢やセルフトークでなく、まさに i-message を自分でしっかり持つってことかと思った。

あと、母は妹と私のことも「同じ」だと思ってるので、自分と妹が争ったときは、電話で前触れなく私にも言ってきたことある言葉なので、やっぱり、この言葉を選んでおいてよかったと思った。
パートナーさん、ありがとう!
断る練習のときは、断ったけど、やっぱ一緒にご飯行こかって思いました。


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もう一つのカルチャーショックは、番外でお話ししてくださった、夢をかなえる、ってこと。
スーパーモデルさんの例えは、私の思い込みから根底がひっくり返りました。
拒食症になるぐらい、好きで極めようとしているんだと思ってた。それが、「合ってない」ってことだったとは!

おそらく、私の父はワーカホリックだったと今では思います。
そういうことから、私の仕事に対する考えも、こりゃアヤシイぞって思った。

そして、どうやら、私の疑問は「ONSA Web. WORKSHOP コース2/STEP.2」にあるようなので、またコツコツと向かっていきたいと思います。目標があるって幸せ。


最後に、対面式ワークショップで一番得られたものは、自分との関係、でした。
サイン会の短い時間でなく、優月さんに実際にお会いして、やはり、自分と仲良し、ってこういう感じなんだと思いました。
私は、スピリチュアルとかよくわからないけど、優月さんの中にあるもの(魂か、命か、インナーチャイルドか)が、喜んでる、楽しそう、この人の中でいられて幸せって言ってる感じでした。

「あなたも自分のこと、好きになれるよ。」って言ってくれたその言葉に、私にもできそう、私も私ともっと仲良くなりたい、一緒に楽しみたいって思いました。
もう、スーパーマリオはやりたくない!


対面式ワークショップは、初めての編み物みたいって思いました。
説明書一人で読んでにらめっこしてても、針と毛糸の持ち方すらわからなかったけど、実際に人に会って教えてもらえば、基本の編み方ができる。
それをコツコツと練習して、そしたら、次のレベルの編み方を練習して・・・作品ができたら、自分をほめて味わって、そして楽しくなってきたから、次のレベルに挑戦する、みたいな感じ。

また機会があれば、違う対面式ワークショップもやってみたいです。
今は、これから自分にできることを、コツコツとやっていきたいです。




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J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) しんびじうむクラス



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クラスでご一緒した皆様
藤沢様

あれから数日経ちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

この人危ないとか、この状況ってと気がつくことがだんだん増えてきて、最近は断ったりすることもチャレンジして少しは出来るように・・・と感じていました。
チェアワークもちょっと危ない人に会う前はしてみたり。
危ないと思ったときもトイレに行ってやってみたり。少しずつですが実行していました。

しかし、外側は関係なく内側の自尊心の問題でそれが満たされないと他人に承認を求めたくなるといわれ、が~~~んとなっておりました。
断れた! やった~って思っていたけれど、自分の自尊心だって。
自分責めはずいぶん減ってきたと思う。


でも自尊心あります! とは・・・。どうだろう。
こんな恥ずかしい自分にあるわけないじゃんって以前は・・・、1年前だったら確実に超速攻で断言できた。
今は「私にはそんなものない!!」って断言はできない。
なんか嘘ついている感じがするから、ということは、少しは進歩しているかな。


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前回と同じ事を聞いているはずなのに、入ってくることはまるで初めて聞いたかのような情報ばかりで、受け入れ態勢が整っていない状況では聞いても人はスルーしてしまうのですね。

今回ワークするときに選んだ言葉は母親の言葉でしたが、ワークショップ・クラス後にぱあ~っと思い出しました。
何百回も聞いているので気にもとめていなかった母の言葉の数々。
その言葉で私は母から自分の感情をそれは違う違うと継続して洗脳され育ってきていました。

そんなこと泣くことじゃない
そんなこと怒ることじゃない
そんなに喜ぶようなことじゃない
そんなことたいしたことじゃない
そんなこと言う必要ない
そんなことする必要ない
なんでそんなことするの?
どうしてその友達に会うの?

常にそんなことばかり言われていた(今も)ので、私は自分の感情は間違っているという認識になってしまったのだと気がつきました。
恐ろしいし、怖い。

私はずっと母親のことが大好きでした。
深く気がついてしまった今は悲しい気持ちと悔しい気持ちと色々な感情が入り混じっています。

まだまだ、道のりは長いですし、毎日のことなので、決意バロメーターのアップダウンも激しいですが、まず自分のために、そして、娘のためにも訓練を継続します。
やめません。

まだ、「ひとりじゃないよ」コミュニケーションスペースに書き込んだりするまでにいたりません・・・。
遠慮してるともったいない! と藤沢さんの声が聞こえてきそうです。

ご一緒した皆様からも本当に沢山の気づきをいただいています。
ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。




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Y. M. さん(30代/千葉県よりご参加) しんびじうむクラス



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まずは自分にお疲れさま! と言いたいです。

初めての対面式ワークショップでド緊張でしたが、クラスの皆さんと優月さんの温かい雰囲気に支えられ、最後まで駆け抜けることができました。

今まで Web. WORKSHOP に2回参加しましたが、やはり Web. WORKSHOP と対面式ワークショップは別物でした!


例えば水泳の本を読むだけでは泳げるようにはならないように、Web. WORKSHOP には限界がある・・・と言われてた意味が分かりました。
知識を実際に自分で使えるようになるにはやっぱり練習が必要で、その練習の場が対面式ワークショップなんだなぁと。

とは言っても今回はその場にいるだけで精一杯だったかな。
参加できてたか・・・というと、ちょっと違う。
でも私、よくぞあの場所に最後まで居続ける選択をしてくれてた! ありがとう。


しかしながら、後半の i-message で話す練習はホントにきつくて、しかも13回もやるの!? って心がくじけそうになった。
日常で「私が~」って主語で話すことなんてめったにない上に、自分が言われて傷つく言葉に対して「私は違う考えです」「私はそうは思いません」と言うのは、恐怖で、逃げたくて、しかなかった。

恐怖だから、相手と対決して、やっつけなきゃ! と思っていて、それが口調にも現れてて、そんな自分が恥ずかしいやら、罪悪感やらでいっぱい。
でも練習して、チェアワークをして練習して・・・を繰り返してるうちに、だんだん心が落ち着いてきて・・・「対決むき出し!」が、「ちょっと小出し」まで落ち着いたと思う。
これはまだまだ練習が必要そう。

練習に向き合って下さった、ペアの方には本当に感謝です。
ありがとうございました。


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あとは姿勢のこと。
たぶん、私は、小学校一年生の頃から姿勢が悪くて、いつも「姿勢を正して!」と先生や親に言われ続けていたけれど、自分では自覚がない上に、周りの大人はどうすればよい姿勢になるのか教えてはくれなかった。
最近になり、猫背かなあと意識しはじめて、いろいろチャレンジしたけれど、なおらなくて・・・まあいいかと思いつつ、姿勢の悪さにコンプレックスを感じていた。

午後のワークで私の姿勢の事を優月さんが指摘して下さったけど、でも、あの時も、言われるまで本当に無自覚だった。
チェアワークの時に心と身体はつながっていると教わって、ずーっと昔から、私の心の状態は姿勢に現れていたんだなぁと思った。
今、私の背中や首はすごく凝り固まっていて、肩甲骨を触ろうとしても、どこにあるのかわからないくらい。

そういえば私、自分の姿を鏡や写真でみたことがあまりない。
今まで無意識のうちに、いろんな問題を考えないふり、見ないふりをしてきたのかな。


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今、ワークショップ・クラスを終えて、一週間。
現実の世界に戻ってきて、またいつもの日常。

相変わらず私は夫に言われたことにムッときたり、苦手な人の発言や態度にグサッときたりしてる。
でも、前と違うのは、私が心の中で誰かの悪口を言ったり、自分を責めはじめると、優月さんの 「さ~ば~か~な~い~(裁かない)」の声が聞こえてくること(笑)。

これは、対面式ワークショップに参加しなかったら絶対ありえなかったこと!
おかげで、ぐるぐる思考を一瞬でも止めることができる。
不思議なんだけど、この声が聞こえてくると、心がずしっと重いのがふーっと軽くなって、ネガティブな思いを引きずりにくくなる。
これだけで、もう、本当に、まるもうけ。


今後は Web. WORKSHOP と対面式ワークショップを行きつ戻りつしながら学んでいけたらいいなと思う。
そして日々の生活の中で、自分に一分でも一秒でもいいから手をかけてあげたい。

それはお金をいっぱいかけるとか、贅沢するとかいうことではなく、例えば、お風呂にゆっくり浸かることとか、お財布の中身を整理するとか、明日気持ち良く過ごすために手帳を見直すとか、そういうこと。
今まで自分のことを後回しにしていて、ごめんね。いまから、挽回していくからね。

ワークショップ・クラスに参加された皆さん、優月さん、貴重な時間を共有して下さり、ありがとうございました。
たくさんの気づきに感謝いたします。




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H. M. さん(30代/広島県よりご参加) しんびじうむクラス



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今回は、6月に続き二度目の「境界線ワークショップ」でした。
前回の初めての対面式ワークショップは、一人時間!! 飛行機移動!! 横浜!! と刺激が強すぎて気持ちがフワフワとしたまま終わってしまいましたが、今回は前回よりも落ち着いてワークショップ・クラスの内容に力を注げたと思います。
二度目なのに、「え? 前回も同じこと習ったっけ?」と何度も思いました。

特に、境界線は自分の自尊心の問題、という言葉はとっても心に残っています。
やっぱりソコかぁ、やっぱり自尊心かぁ、私の課題はやっぱりそこに戻るんだなぁと感じます。
境界線を築けない自立できない自分、いつも誰かのせいにして責任を取ることから逃げてしまう自分、他人を使って自分の自尊心を上げようとする自分、そんな自分のズルさや甘さと向き合うことこそ、私のするべきことなのだと思います。


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色々な気づきがありましたが、その中でも、すごく納得したことは、「察する」ことについてです。
人は一人ひとりみんな違うから、それを尊重している健康な世界では「察する」ことを求められないと知り衝撃でした。
逆に、人は自分と同じように考えていると思っている(境界線を共有している)不健康な世界では「察すること」や「テレパシー」が求められるそうで、私がいるのは正に不健康な世界なのだと感じました。

「空気を読め」
「そのくらい言われなくてもわかるだろう」
「これをやっておけばお母さん助かるってなんでわからないの」
・・・そんなことを何度も言われる度に気が利かない自分を責めてきましたが、やっぱり私のいる世界がおかしいようです。健康な世界に引っ越したいです。

「察する」とはちょっと違うかもしれませんが、日本では(私の周りだけかもしれませんが)、相手の境界線に入り込んで共感することが必要以上に求められているように感じます。


私には、寝たきりの娘がいますが、そのことを話すと「気持ちわかるよ。」と元気なお子さんを持つ子に言われたり、「あなたは神様に選ばれたんだよ。」なんて言われたりして、モヤっとすることが多いです。
みんな私を思って励ましてくれるのに、こんな気持ちになる私は性格悪いのかなと考えたこともありました。

イギリスの友人は「子どもが病気なんてどんなにタフなことかわからないけど、あなたが笑顔でいてくれて嬉しい」と言ってくれて、その言葉がとっても励みになっています。
境界線を守った i-message は本当に心を温かくしてくれると実感しています。


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それからもう一つ、今回特に心に残っていることは「許す」ことについてです。
私は境界線を踏み越えて攻撃されたら、どうしても自分の境界線だけに責任を持つことにとどまらずに相手の境界線に踏み込んで攻撃やコントロールをしてしまいます。そしてますます状況を悪化させてしまうのです。
頭ではわかっているつもりでも、言われたら反応して相手の境界線に踏み込むことがやめられません。

今まで私は「許す」ことを「無かったことにする」と思っていました。
でも、今回、そうでは無くて、「参加しない」という概念を教えてもらい、あ、そうか、それなら出来そうだ、と感じました。

何だか目から鱗、でした。
言葉の概念が変わりました。
実際に出来るようになるまでにはまだまだ練習が必要だと思いますが、「参加しない」が出来る様になりたいです。


そうそう、一つ、面白いことがありました。
お昼の時間が終わって会場に戻ってくると、会場入り口で警備員さんがうろうろ。
「何か売ってるの?」
「だってほら、ワークショップって書いてあるから。」(ホワイトボードを見て)と言われました。
「勉強会です。」というようなことを答えましたが・・・確かにワークSHOPだけど、お店じゃないよって思いました。

仮に「境界線」が買えたらいくらくらいなんだろうか。高いだろうな。なんて考えたら、ちょっと笑ってしまいました。
既製品じゃなくて、自分が自分の力で築くから、価値があるんだ、とも感じました。

最後になりましたが、優月さん、ご一緒してくださった皆さん、本当に有難うございました。
お会いできて、一緒の時間を過ごせて、本当に幸せです。




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T. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) しんびじうむクラス



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久しぶりの対面式ワークショップでとても緊張しました。

横浜での参加は初めてで、横浜は少し遠いな、日帰りで大丈夫かな、と思ったり、早めに行って、お茶を飲んでから行こうと駅を出たら、元町でセールをやっていてうわー、と思ったり。

今回ぎりぎりになって参加を決めたのは、Web. WORKSHOP を続けていて、どうやら自分の境界線が混乱してるみたいだ、と思ったからでした。


Web. WORKSHOP を始める前にも「境界線ワークショップ」には参加していて、わたしは自分の境界線の問題は、人に壁をつくることはできるけど、自分の境界線の中に誰もいれることができないことだと思っていました。
ノーということはできるし、人と距離を取ることはできる。でも、人に自分を見せることができない。
自分の嫌なことや辛いこと、ダメなところなんか絶対人に言えない。だからそれをなんとかしたい、と思っていました。

でも、Web. WORKSHOP に取り組んでいくと、どうやらわたしは自分の内側にも人を入れていて、そして人の境界線のところまで自分の責任だと感じてしまっているようだ、と思うようになりました。
ムッとしたことでも、怒っていても、そのまま行動させられている。

その一方で、人のやっていることまでわたしのことのような気がして、自分の思うように進んでいないと気になったり、イライラしたりする。

今回はそんな自分の境界線を見直そうと思って参加しました。


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レクチャーで、境界線の問題は外側ではなく、自分の内側の問題、と聞いたのはすごくびっくりしたし、すごく納得しました。あまりの衝撃で、それ以外はほとんど覚えていません(笑)。
以前のワークショップ・クラスでも聞いているはずなんだけど、まったく覚えていません・・・。  

それで、あー、それならなんとかなる、と思いました。

これまではずっと、境界線の問題は人とわたしの間にどう壁を作るか、だと思っていました。
だから、混乱した境界線を立て直すには、感覚を頼りに自分にとってちょうどいい境界線をひとつひとつ探っていかなきゃいけないんだ、と考えていました。それはやらなきゃいけないけど、ちょっとキツイな、と思っていました。

でも、自分を大切にすることなら、今、Web. WORKSHOP でやってることだ。
その先に心地よい境界線をつくることができるなら、それならできそうだ、と思いました。
それなら、今やっていることをひとつひとつ進んでいけばいいんだ。そうだよね、自分の内側がしっかりしていれば、しっかり立っていられる。高く壁を作らなくてもいい。
そう思ってすっかりラクな気持ちになりました。


ロールプレイでは、感覚に気がつきました。

自分にとって、辛いことを言われたとき、1回目にわたしは感情をマヒさせました。
そのときの感覚。

そして2回目ではマヒさせたことに気が付いて、マヒさせるのをやめよう、と思いました。
そのまま言葉を受け取ったときの混乱した気持ち。
でも、言葉を受け止めても大丈夫だった。
そして、i-message で境界線を作って、自分と相手を切り離す感覚。それがだんだんしっかりしていく感じ。

パートナーの人にもらった言葉をかけるとき、わたしはその言葉にすっかり呑み込まれてしまい、言うのがほんとうに辛かった。
でも、チェアワークをしたあとは、不思議とそのセリフを自分からすっかり切り離すことができました。なんだか自分の外で言っている感じだったのです。

最後の、ランチに誘うロールプレイで、パートナーさんの笑顔がすごくよくて、わたしはとてもうれしかったです。


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ワークショップ・クラスのあと、なんだかボーっとして、ときに感情の振れが激しくなる1週間でした。

アフターワークをまとめていて思ったのは、わたしは感情をマヒさせることで自分がこれ以上傷つかないようにしていたけれど、だから自分を守れなくなっていたかもしれない、ということでした。
感情をマヒさせると外側がみえなくなるけど、自分の内側も見えなくなる。自分がどう思うかも感じられなくなるから、伝えるはずの自分の思いや考えがわからない。

感情を凍らせるのは無意識にしていることで、かなり手強いし、何とかするにはけっこう時間がかかると思う。
でも、今回、マヒさせるときの感じ、凍らせるのはやめよう、と思って受け止められたこと、凍らせなくても大丈夫だ、と思えたこと、それからもう止めよう、と思えたのはよかったです。

藤沢さん、そして今回ご一緒したみなさんに、安心な中でワークショップ・クラスをうけることができて、感謝しています。
みなさんが暖かく、豊かな時間をすごされることを願っています。




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K. I. さん(30代/静岡県よりご参加) しんびじうむクラス



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私は、2014年9月27日、第136回 ONSA WORKSHOP 対面式「境界線(バウンダリー)ワークショップ」に参加をさせて頂きました。
藤沢さん、OFFICE ONSA ONSA WORKSHOP 開催チームのみなさま、お世話になりました。
貴重なお時間をありがとうございました。

iPad mini を持って、「ひとりじゃないよ」スペース内の会場情報を頼りにどきどきしながら、向かいました。
会場情報が、とてもわかりやすく、無事に入室することができました。

初めて訪れる場所でも、「ひとりじゃないよ」スペースと繋がっていることができたので、ありがたかったです。
自宅の PC で繋がっていた時にも、居場所があることの安心感がありましたが、その安心感とはまた違った、あたたかさと心強さを感じました。
「ひとりじゃないよ」スペースに、助けられながら、変化・変容の時を迎えることができました。
ありがとうございました。


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私は、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」に参加をさせて頂いて、Web. WORKSHOP の画面から受け取ってきたものと、実際に、身体を使って体験することの差を実感することができました。
いい意味で、参加をする前の私には、戻れないように感じています。
過去の出来事から感情をひっぱってこないで、今ここ、の出来事として受けとめることの大切さを学ぶことができました。

そして、境界線(バウンダリー)の知識や、チェアワークを通じて、自分の境界線を、しっかり主張する練習をすることができました。
自分の感じていることを言葉として声に出して伝える練習をすることで、精神的な安定感を実感することができて、よかったです。
自分の境界線は、自分で守ることの大切さを学ぶことができました。

そして、練習を繰り返すうちに、相手が自分の境界線を自分で守っていると、相手の境界線をそれ以上は侵犯できないと感じましたし、自分も相手から攻撃されないので、その先へと進まないし、ぐじゃぐじゃしたトラブルに巻き込まれないことを実感しました。

最後になりましたが、9月27日、同じ空間で過ごした、しんびじうむクラスのみなさん、ありがとうございました。




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K. N. さん(30代/埼玉県よりご参加) しんびじうむクラス



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ワークショップ・クラスに参加するちょうどひと月程前に、職場での人間関係で悩んでカウンセリングルームを訪ね、はじめて境界線という言葉を知りました。
そのときは、人には境界線というものがあって、私はうまくそれが引けていない、というヒントをもらっただけだったのでもっと境界線について知りたいと思い、今回のワークショップ・クラスに参加しました。

あのとき境界線というキーワードを得ていなければ、私はいまだ漠然とした行き詰まり感を抱えながら、同じところをぐるぐるしていたことでしょう。
まずは一歩踏み出せた自分に、「でかした」と言ってやりたいです。


自分にはどうやら「自分」がないらしい、ということ。
自分で思っていたほどに、自尊心が高くなさそうだ、ということ。
今まで考えてもみたことがなかった事実を目の当たりにして、衝撃を受けるとともに、長年の謎がとけたような思いがしました。

共依存という言葉も言葉として知ってはいましたが、自分のこととして考えたことがありませんでした。
長年、自分自身や自分の人生から、目をそらし続けていたのです。


エゴグラムの解説も、聞いた時点ではあまりピンときていなかったのですが、振り返れば自分の処世術に思い当たる点が多くありました。
これからアフターワークや参考図書を通して、自分に対する理解を深めていきたいと思います。


「不健康な人」の特徴として、一発逆転のような、魔法の解決法、他人を求めるというところがある、というようなお話があり、私もそうだったな、とギクリとしました。
自分自身を頼って、一歩一歩、ふみしめていくしかない。
そのお話を受けて、不思議とつきはなされた気はしませんでした。
きっと自分にだってできるという、勇気を頂いたように思います。

過去ではなく、他人でもなく、今ここの、自分の位置に重心を置くこと。
後戻りしそうになったら、何度でも今回の学びを思い出し、進んでいきたいと思います。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しんびじうむクラス



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優月さん、しんびじうむクラスのみなさん、ワークショップ・クラスではありがとうございました。
その後、いかがお過ごしでしょうか?

今回、2回目の「境界線(バウンダリー)ワークショップ」を受けてみて・・・いろんなものが、ものすごく立体的に見えてきました。
あれとこれが、こうつながるのか! という驚きや気づきがたくさんでした。

境界線の中に手を突っ込まれて
「あんたの考えは間違ってる」と捨てられるところ、「代わりに、こう考えなさい」と考えを押し込まれるところ・・・恐怖でした。

でも、私もずっとそういう目に合ってたんだと思いました。
目に見えないからって、ものすごいひどい暴力を受け続けていたんだって、そのことが認識できるようになって、よかったです。


あと、私は過去の思い込みやセルフトークをくり返してばかりだったから、ぐるぐる状態から出られなかったこと。
場所や人をどんなに変えても、処世術自体が苦しいから、問題が起こっていること。
そのことに気づけてよかったです。

「処世術だから、変えられる」ということにも、気休めではない、しっかりとした希望を感じました。
自分ではなく、処世術を変えればいいんだと思ったら、気がラクになりました。


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2回目の参加で思ったことは、1回目も、いっぱい気づけた! と思ったけど、やっぱりついていくので精一杯だったんだね~ということ。
2回目は、より自分の状況を意識しながら学べたのがよかったです。

ワークショップ・クラス後に日常に戻っても、健康な境界線の図をイメージして、今の状況を観察できたり、「あ、これは you message だ」と気づけるようになって、心の切り替えができたり、少しずつ、観察する力が身に付いてきたのが嬉しいです。


そして、今回のクラスで優月さんに言ってもらった言葉

「(体の前面に)シールドがあるよ」
「思ったことを、言っていいんだよ」

・・・これが、私にとってものすごく大きなきっかけになりました。


そのために涙が止まらなくなって、ワークができなくなったことは本当に申し訳なかったのですが(ペアの N さん、ワークの回数が減ってしまって、本当にごめんなさい。優月さん、全体の指揮もありながらフォローしていただき、本当にありがとうございました)安全に泣かせてくださったこと、本当にありがたかったです。

私自身、あんなふうに体ごと泣けたのはすごく久しぶりでした。
しんどかったけど、何かがごろっと出ていった感じがしました。

あの言葉がなかったら、私はきっと心をガードしたお決まりの状態でワークをこなし、「うまくできた!(やった!)」と高揚して終わっていたと思います。
でもきっと、それでは同じところに留まっていたと思います。
あのままで終わりを迎えなくて、本当によかった。


終わってから、散々な状態だったけど「でも私、今日やれることはやり尽くしたし、予想外のことにまでチャレンジできたね」と自分に声をかけることができました。

これまでの私だったら、ずどーんと落ち込んで、何もかもを「0(ゼロ)」にしていたか無理矢理ポジティブに矯正して、心を押さえつけていたと思います。

でも今回は、素直に出し尽くして「よくやった」と自分に声をかけられました。
自分のコツコツ努力の進歩も感じられて、うれしかったです。

ワーク終了後の N さんの「ありがとう」の言葉、「今まで、頑張ってたんだね」とあたたかく手を握ってくださったことも、優月さんの「ナイスファイトでしたよ」も、心に染みました。
お二人には、本当に感謝しています。


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境界線のテーマとは少しずれてしまうかもしれないですが(でもきっと、つながっている)ワークショップ・クラス後も、「感情を溶かすこと」に意識を向けています。
おかげで、少しずつですがヒントや気づきも手に入ってきました。

私にとって大事なテーマに目を開かせていただいたことは、本当に大きな大きなきっかけでした。

対面式ワークショップの「一撃必殺」の威力を、改めて痛感しました。
いやー、すごい!!
参加して本当によかった!!


最後に、ワークショップ・クラス後の5日目に、上司から「4時までのこの仕事を手伝って」と言われました。

私は「私の仕事も5時までに仕上げないといけないので、難しいです」と言えました。
そして、上司にわかってもらえました。

言ってから「あれ? 私、No って言えたじゃん(クラスでやったこと、できたじゃん)」と気づきました。
上司がいるのでおおっぴらには喜べませんでしたが、内心じわ~~~っと嬉しかったです。

その時の、心の芯があたたかくなる感じ
自分を誇らしく思えた気持ち

忘れずに、これからもしっかりと育てていきたいです。

私にとって、忘れられないワークショップ・クラスになりました。
本当に、ありがとうございました。




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T. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) しんびじうむクラス



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優月さん
会場でお会いした方みなさま

先日は、ありがとうございました。
駆け込みで申し込んだ、3回目の「境界線ワークショップ」。
プレワークのテキストを自分の中に落とし込むのが精いっぱいでプレワークもできずに、みなさんとお会いすることになりました。

交流分析の結果が、その人の性格ではなく、自分が生き抜いてきた手段、処世術であること、それが3歳までで学習してしまうことに改めてショックを受けました。
AC が満点の私は、前回と全然変わっていませんでした。(* 「 AC 」は交流分析の用語/編集注)
それでも、優月さんは、「少しずつでもよくなってきているから」と励ましてくださいました。


初めて体験した、断る場面でのワーク。
自分からの誘いを断られることは、「自分が避けられているのではないか」とどうしても傷ついてしまいます。
どうしても誘うことに勇気がいります。

だから、「ありがとう、また誘ってね。」の言葉に人は救われるのではないかと思います。
現に少し前に、ある方をお茶にお誘いしたところ、「ありがとう、また誘ってね」の言葉もなく、無碍もなく断られたことがあり、とても傷ついたことがあります。
自分がお誘いを断る時も、断りづらいことがありましたが、ワークをしてみて、でもそれが自分の境界線なんだとわかりました。
意外に断ることに抵抗のない私に気が付きました。

でも、断る、断られるとこれはワークと分かっているので傷つかないのですが、実際にこういう断られる場面があったら傷ついてしまうでしょう。
だからこそ、相手を避けているわけではない、ということ「ありがとう、また誘ってね。」の言葉にどれだけ救われることかを実感しました。


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あとひとつ。
もしかしたら、自分が人から言われてイヤな言葉が、自分ではまだ気が付いていないことかもしれないかも知れません。
だからこそ、境界線を引いた言葉で答えた時に、複雑な感情が入り混じってしまったのだと思います。


クレンジングリアクションは、私の場合は疲れやすいという形で出てきたと感じました。

ワークで私とペアになってくださった方、かなりしんどいものをきっと背負ってきたんだと思い、思わずジーンとこみ上げるものがありました。
自分だけではなく、ほかの方もそれぞれに背負ってきたものがある。
だから、私は一人ではない。

そう思いました。


あと、チェアワークはあなどれません。
これは、本当にそう思います。
もしかしたら、わたしの歩みが遅いのは、チェアワークを怠っているからかも知れません。


最後に、みなさん、そして優月さん、本当にありがとうございました。
もう自分に与えられた時間が少ないと言われる世代ですが、自分を掘り下げて、見えなくなってしまった自分にとっての幸せを探していこうと思います。
そのために、またお金を貯めて、対面式ワークショップにお世話になると思います。(Web. WORKSHOP には参加できないためです。)
そのときは、またよろしくお願いします。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

N. T. さん(20代/東京都よりご参加) しんびじうむクラス



タイトル下の線


対面式ワークショップには2回目。「境界線(バウンダリー)ワークショップ」は初めてでした。
1回目でしたので、やっぱり知識を取り入れることに必死で、なかなか頭がついていかなくて、お昼休憩の時は頭がボーッとしてしまいました。

エゴグラフでは、私は AC が満点でした。(*「 AC 」は交流分析の用語/編集注)
やっぱりっていう気持ちと、これは手強いぞって気持ちと。
優月さんに満点の人は特に注意して真剣に取りかかるように言われました。


境界線は対他人のことだと思っていたけど、自分の問題。
自分の自尊心を自分で満たすことと聞いて、『未来日記』とか、WORKSHOP とか、『夢かな手帳』とか、やっていることが全て繋がっているんだなと思いました。
そして、今やっていることをやり続けながら、今回ロールプレイでやったことを実践しながら、自分の境界線を守っていこうと思いました。
やっていく内に「これならできるかも」とも思えました。


そして、今回びっくりしたのが、ロールプレイで言われたくない一言を言っていただいた後、泣いてしまったことです。
前回は涙なんて出なかったのに。
それだけこの場に、そして自分の心に心を開いてきてるのかなと思ったら、ちょっと嬉しくなりました。

あの時の私のペアの方、そっとティッシュをいただきましてありがとうございました。
泣いたと同時に、その言われたくない一言に私の境界線が崩壊したこと、それを言われたくない為に必死でエネルギーを費やしていたことを感じました。
それが全てとは言えませんが、ほんの少し、自分の理解に近づきました。

そして、そんな私を優月さんはちゃんと見てくれているんだと実感し、すごく心強くて、安心しました。

まだ回復の道をはじめたばかり。
周りに振り回されたり、浮いて沈んで沈んでの繰り返しだけど、少しずつでも前に進めたらと思います。
2回目も参加しようと思います。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(30代/東京都よりご参加) しんびじうむクラス



タイトル下の線


ワークショップ・クラスに参加して、思いの外、しんどいなと感じていました。
終了後から軽い頭痛があり、翌日から仕事だったのですが、本当にきつくて・・・何とも言い難いけだるさや頭の重さなどが襲ってきて、仕事中、横になりたいと何度も思うのが2日くらい続きました。

「境界線ワークショップ 」は2回目で、前回“自分がない”そして“共依存だということ”にカウンターパンチをくらうくらいの衝撃を受けて、この1年、ワークショップやカウンセリングを継続してきました。
“自分がない”ことは自覚し、他人の評価が怖いと言いながらも他人に評価されないと不安があるということも今回実感しました。

当日のワークショップ・クラスで、言われてグサッとくる言葉を、今回は母からでなく、仕事の場面で言われた言葉に挑戦してみました。

言われた時はサラーッと流していたけど、ワークショップ・クラスでやってみると、いろんな感情が出てきた。
「私のこと知らないのに、何でよ!?」という怒りや、がんばっている私を認めてほしいことが見えてきて、相手に自分の精一杯を認めてほしかったことの表れだったと気づかされた。
まだまだ、自分で自分のことを認めていないのかな? これが現状なのかな・・・って思った。


文節区切りの線

境界線を引いて、i-message で言う練習では、1回目はふわふわした感じで、言った後に相手のことが気になってたり、言おうとしたら一瞬言葉を飲み込み、言ってももやっとしていた。
何回か練習を重ねると、力まず、そのままで言えた感じがして、相手のこときにしてなかったし、言ってもいいんだって思えた。
段階をつけて言うとき、最後の3段階目では自分を守りたい、だから言おうって感じられ、私が、ここにいた感じがした。
今回は、自分のことを大切にする感じを初めて感じられたような気がする。

とはいえ、ワークショップ・クラスを終えて、今回は自分の他の抱えている問題ばかりに気を取られていたりし、なかなか思うようにできなかったりで、目の前にあるワークショップ・クラスでの課題にしがみつくこととのバランスをとることの難しさも身に染みました。

焦りたくもなるのですが、焦らず、少しずつ進んでいきたいと思います。

ワークショップ・クラスではペアになってくださった方のおかげで、隠されていた感情を知ることができ、本当に感謝しています。
クラスのみなさん、優月さん、本当にありがとうございました。



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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。