2019.09月開催 「お金と自立のワークショップ」ちゃーびるクラス

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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) ちゃーびるクラス



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「お金と自立のワークショップ」のワークをしていて、私は「自立」というものに生まれて初めて向かい合って、考えていることに気づいて、驚いた。

そもそも、わが家に自立している人がいない。
おそらく、私の両親には「自立する」ということが頭から抜け落ちていて、「子どもである私が自立する」ことが想像できず、「お姉ちゃんだからできるよね」と考えているか、本当に何も考えていなかったのだろうな。

一般的に、親御さんは「子どもがひとりで生きていけるよう、自立できるよう学資保険に入ったりする」と知って、本当に驚いた。
私の親が私に進学を命令したのは、「世間様に顔向けできるように」「お母さんが恥をかかないように」だったから。

このように、親の面目を守るため、親の機嫌を取るため、イライラ発散のサウンドバックになるため、親の話相手になるため、「親のため」に私のエネルギー・時間が搾取されっぱなしだったら、「何のために生きているんだろう?」と悩んでも当たり前だった。
私がおかしかったのではなかったと気づけて、心が軽くなった。


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また、「自分の身にならないこと」に安く見積もっても年間72万円も支払っていることに驚き、ショックすぎて、茫然自失だった。
しかも、その内訳のほとんどが、今のバイト先で感じるストレスを発散させる(と思いこんでいる)やけ食い代だった。
そして、そのバイトに週40時間から50時間、通勤時間や頭を悩ましている時間も合わせたら60時間以上も私の時間を使っていた。

私の労働の対価としてお給金をいただいていますが、安すぎる。
しかも、やけ食いしていたらマイナス。
今、この現実に気づけてよかったです。
しかも、数値でホワイトボードの大きな文字で目にしたことで、衝撃がすごかったので、この苦しさ、不快から進路を変えたほうが絶対にいいと強く決意できました。


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今回、ワークショップに参加して、目的や目標、夢をもってお金や時間を使うことは、私自身を豊かにするために大切なことだ、と思いました。
何も考えずに「イライラしてお菓子食べたいから買って食べる」をしていたら、「後悔」と「ゆたかなお腹」は残るけど、決して心地よさや楽しさは感じられない。

極端な話を言えば(極端でもないのかな)、今までの私はお金を払って、後悔とぜい肉を買っていた。
これからは、買う前に深呼吸して、売場の前から移動して、即返せず「これは私を豊かにするか」と考えてから、行動したいと思います。


最後になりましたが、優月さん、「ちゃーびるクラス」のお仲間さん、時間をご一緒できて嬉しかったです。ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ちゃーびるクラス



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私へ

今回は、2日間連続でお疲れさまでした。

この PAY FORWARD を書こうと当日を思い出そうとしたら、私の中で「時間のためのちいさなワークショップ」の内容と混ざってしまっていたね。
単に私の記憶力が落ちたのかもしれないけれど、それだけ時間とお金は密接に結びついているし、分けられないものなんだと感じる。

どちらも、スタート地点は「私」。「私がこうしたいから」から始まる。


前回このワークショップに参加したのは2017年9月だから、丁度2年前だ。
「自立は選択ではなくて、しなければならないこと」に衝撃を受けたのを、よく覚えている。
それでも、あの時は「自立」というものがつかみきれなかった。

今回お仲間の姿を見て話を聞いて、「そういうことなのか」と感じた。
何というか、とても鮮やかだった。


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ワークで、自分が1週間で「惰性で買っているもの」の金額を見て、「うっ」となると同時に「あれ?」ともなった。

「うっ」は、その金額が1年になり10年になるとどうなるかに直面して。
「私、お金あるじゃん!」と思ったのと同時に、これだけの金額が流出していたのか・いるのか…と、ショックだった。

「あれ?」は、私は前回の後お金に対して意識があがって、気を付けるようになっていたから。
台帳はもちろん、自己流だけど時間単価を出して、何か欲しい時「これは私の時間単価で○時間分」と立ち止まるようになっている。
それなのに、なぜ?

帰ってから改めてワークを確認して、謎が解けた。
私が選んだ週は法事があって、いつもは発生しないお金がでていたからだった。
うっかりしていたとがっくりきたけど、ほっとした。

とはいえ、他の週を見ても BE の出費より消費の出費が優勢だった。
まだ改善の余地があるね。


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まとまったら「満足の遅延」の口座に入金しようと思って、そのままになっていたお金を入金した。
結構な額になっていて、びっくりした。

何というか、この2年間がんばっていたということが、目で見て分かって嬉しかった。
こういうのはいいね。
これからは、もっとこまめにこういう機会を持とうね。


「お金は使わなかったら、稼いだのと同じこと」も覚えているし、満足の遅延貯金もしていたけれど、私の中ではお金はどこか「自分に主導権がなく、すり抜けていくもの」と感じていた。
(前回、消化出来ていなかったってことだよね。今回それが分かって良かった。)

でも、それは違った。
お金も私が主導権を取らないといけないものだし、私が生み出していくもの。
今の私に出来ること・工夫する点が、まだまだある。
お金も自立も「出来る」ってことは、地に足がついていて心地いい状態なのかもしれない。
怖いと思うだけじゃ、始まらない。

こう思えたことが、今回の大きな出来たことだね。
参加してくれて、ありがとう。


最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、お仲間の皆さん、今回も本当にありがとうございました。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) ちゃーびるクラス



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今回2回目の参加でした。
お金の計算の話もショックだったけど、それ以上に時間のことがショックだった。
確かに、今の私の状態は、もしかしたらお金以上のものをとられてしまっているのかもしれない。

時給に換算したら…恐ろしいことになるのかも。
そして、話を聞きながら、原家族を思った。


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後半は、もっとショックだった。
優月さんに言われたことを全て理解できないにしても、ショックはショックだった。
ファッション好きって頭悪いんだろうか?
じゃあ好きでいることは悪いことなんだろうか?

私ダメってこと? 私の存在否定されたってこと?
そう思ってワークショップ・クラスの帰りも、今もぐるぐるしていた。


私なりに考えると、もっと考えてお金を使えってことなのかな。
それを買う前に「それは私を豊かにしてくれますか?」と自分に問いかけてみる。

要は、私は消費財にまんまとハマっているということかな。
わかってたけど見ないフリをしていた。
あとモノの意味も知らないことも痛感した。
このままではマズイと思うならやらないと。
そして、消費財にお金を使うんじゃなくて、ずっと何年も使えるもの、私の今やこれからに役立つものにお金を使う。


なによりショックだったのは、私自身が消費財でしかないかもって思ったこと!
何年か経ったら劣化してしまう、若さがなくなったら劣化してしまうなんて、悲しすぎる!

私が何をもっていることで自信が劣化せず、60歳70歳になっても保ち続けられるか、正直わからないけれど、少なくともそれは服や容姿という外側じゃなくて、内側だと思う。
私はその内側を育てていけるように、その内側をみていいと思って長く付き合っていける人と出会えるように、していきたいと思う。

まずはできるところからやってみよう。




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T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) ちゃーびるクラス



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「お金と自立のワークショップ」を初めて受講した。
ずっと受けたいな、受けたいなと思って、なかなか受けられなかった講座。
申し込んだ時は、やるぞ! ってやる気に満ちていたのに、「ひとりじゃないよ」がオープンしてもなかなかアクセスせず、プレワークもダウンロードしたままほったらかし。そんなふうに数週間が過ぎた。
もう、本当にこの課題に向き合いたくないんだな。

「やりたいな」が、「やらなきゃ、やらなきゃ」に変わってきて、やっと始めたプレワーク。やっぱり最初には「すっごくこわい」と書いてある。
(どんなワークショップのプレワークにも、最初はこわいと書いてあるけど。)


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プレワークではコツコツと日々のお金を振り返りながら、お金の価値観を振り返った。
父からは「お金さえあればなんとかなる、お金を稼いでいる奴が一番偉い、俺が稼いだお金を俺が使って何が悪い、お金がないと人がついてこなくなる、働かざるもの食うべからず」なんていう価値観があった。

母からは、「お金は怖い、お金は汚い、お金を使うことは悪、お金を持ちすぎると不幸になる、お金を貯められる時に貯めておかないと」という価値観。
よくよく目を凝らすと、同じものがどちらも私の中にあった。
そして私は原家族のどちらかのパターンでお金に対処していることがよく見えた。


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そして、直面したワークショップ・クラス当日。

自立。自立は常に両親から求められていた。

「早く家を出ていけ。一人立ちしろ」
「そういうことは稼げるようになってから言え」
「自分の面倒を自分で見られるようなれ」
とか。

今振り返ってわかることは、彼らにとって自立とは、経済的に別家計として生活することということだったらしい。
そして、それができていれば、どんなめちゃくちゃなことをしていようとも、大人として認めると。それはそっくりそのまま私の両親がやってきたこと。
でもその人たちを大人だと認められるかというと、絶対できない。


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彼らは知らなかった。
何を自立というのか。自立に何が必要なのか。
自分で感じ、自分の意見を持ち、社会でそれを表明し、行動し、責任をとるということ。そして、どういう試行錯誤を経て自己実現が成し遂げられていくのか、知らなかった。

そういう時期を過ごさず、自立できないままに人生を生きてきた。
だから、彼らは私が彼らと別の価値観、生き方をしたいと思うことが理解できない。
自分たちの人生に子供たちを巻き込んで当たり前だと思っている。
あまりに当たり前すぎて、巻き込んでいるという自覚すらないだろう。


全く同じ人がいないように、人は自分が思う考えで生きるものだ、ということがわからなかった。
自分に属するものは、自分の考えで染めようと、従わせようとした。

それができないと排除した。
理解できないものは悪で、脅威だった。
理解しようともしなかった。

それでは生きるのが怖いだろう、辛いだろう、苦しいだろう。
彼らからみた世界は、確かに恐ろしく、頼るものがなく、孤独で不毛で、先行きも見えなかった。
だから子供たちにもそういう世界を教えたのだ。


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そして、お金。
もちろんお金は生きていくために必要なものだけど、それは本当に私の中に何を残しているのか? ワークショップ中に考え込んでしまった。
そういう目線から見ると、これは何も残らない、これは、間に合わせのものと、たくさんのお金が見えてきた。
動いているお金の量はたくさんあるのに、自分の中に残せているお金も、交換した価値も少ない。

さらに、時間。
私たちは生きる上での時間を投じてお金を得る。
その生きている時間が無駄に消費されていたら? それは確かに損失だ。
なのに、家族の問題に巻き込まれていったり、付き合いでランチしたり、簡単に時間を明け渡している。

その時間に私に何が残るだろう? 家族や友人との豊かな時間? そんなのない。終わった後どっと疲れて、別れてからも考え続けてる。
それこそが奪われている時間だ。
それがスケジュール帳から見えてきた。


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時間とお金と自立。
私の方から境界線を強固にし、自分のなかに本当に大切なものを残していかなければ、どれも守れない。何をやっても空っぽなままだ。
それをこんなにジャブジャブと他人に時間注いでいて、消費されていくものにお金を投じていて、そりゃ現実が動く訳ないわな、と納得できた。

私の真っ白な手帳のページ、それが無駄遣いしている私の時間。
日々の記録から試算した何も残らないお金、それが無駄遣いしている私のお金。

それらを自分に向けていく。
手帳から離れない。私が私の「今」を埋める。
お金から離れない。私の「BE」のために使う。

お金を無駄に使わないことでも有効にお金を活用したことになるという視点も新鮮だった。
そういう風に自分を認めたことがなかった。

なにより、こうしてスケジュール帳や日々の記録で目に見える形にすることの大切さ。
そうして記録を残していくこと、しっかり認識することが私が「今ここ」にとどまり続ける方法。
まずはそれを徹底しよう。


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私はお金が怖かった。
私は私の時間を過ごすことに罪悪感を覚えてた。
だから、自分で自分が使っているお金や時間をボヤかしていた。そうしてお金や時間は簡単に漏れ出していった。

「お前は一人では生きていけない」
「お前は生きていくのに充分にはお金を持てない」
「社会はこわいところで、お金しか頼るものがない」
「お金を稼ぐためには、自分だろうが家族だろうが犠牲にしなくてはならない」
「お金を持つ者に服従しなくてはならない」
原家族から繰り返し、繰り返し、暗にそうやって刷り込まれたんだ。

そうして、私は自分のこと、そう思うようになった。
「私には、一生社会で一人生きていくなんて無理」
「私はこれだけしかもらえなくても仕方ない」
「私には充分にはお金は入ってこない」
「お金を稼ぐため(仕事)のためには、プライベートも犠牲にするしかない」
「お金を与える人が正しいんだ。従うしかないんだ」
ものすごくゆがんだ価値観。


でも、私が感じていた恐れが、本当は私のものでなかったら?
罪悪感を感じる自分がハリボテの自分だったら?

ハッと水をかけられたような感じ。
そうなんだ。この嫌が応にも湧いてくるこの恐れや罪悪感。
これは私の感じていることとは、本当は違うのかも?
私、両親の感情再生機だった?
今ならそれを少しは見通せる気がする。


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「私なんて、この程度しかできないし」
「怖い、でもやらなきゃ」とか…やめればいいんだ。自分への嘘を。周りへの時間やお金の漏れも。
本当は、私は私を信じている。本当は、私は自分を知っている。

「自分の足で立てると信じなきゃ!」じゃなくて、自分の足で立つ。
立ちたいんだから、やればいいんだ。
そのためにお金と時間を使おう。


今まで、どんなに自分に「大丈夫だよ、大丈夫」と言い聞かせても、なかなか「できる」って自分を信じられない私がいた。
自分自身を信じられないように、世界も信じられなかったんだね。
自分を怖がっているように、世界も怖がっていたんだね。

私は世界の一部でした。私が恐れたものは私の中にあった。
私が怖がっていたから、世界が恐ろしく見えたんだ。

本当の私は何を感じてる?
本当の本当の私の気持ちは何をしたいと言っている?


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私はここにいていい、私はここで試してみたい。私を。
無駄なことだと言われていたことも本当はそうじゃないのかも。

あなたらしくない、と他人が言っても、私には楽しいのかも。
物事がうまくいくか、失敗かじゃなくて、
それは私に合っているか、合っていないかを知りたい。


私が世界を楽しんでいいと思えた。
私の立てる場がちゃんとあると思えた。

世界は、信頼できるところ。お金は世界を楽しませてくれる。
お金を良きものだと思えた。大切なものだと思えた。

そんなワークショップだった。


「ちゃーびるクラス」の皆さま、ご一緒できたこと、いろんな生の声を聴けたこと、本当に嬉しかったです。
一つ一つが自分に響いて、私もそうだなあって思ったり、そういうやり方もいいなと思ったり、大きな学びになりました。本当にありがとうございました。

優月さん、ONSA の皆様、日々の積み重ねとしてはまだまだ課題がありますが、今まで言われてきたことはこういうことか! とまた目が見開かれた気がしました。
優月さんの熱意と、スタップの皆様のサポートにいつも感謝です。
今回もありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。