2020.10月開催 「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」まろうクラス

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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) まろうクラス



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「交渉」の定義が今まで私が思っていた事とは大きく違って驚きました。
もっと技術的なものだと思っていたけれどそうではなく、私がどう思うのか、どうしたいのかなど軸は自分にあるのがとても印象的でした。


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ワークショップに申し込んだのは仕事上やプライベートでのイベントごとで交渉をするのは得意だけど、それ以外の場で自分の意見を通すのが苦手、それが少しでも解消されてもっと上手く自分の気持ちを伝えられたら楽になるんじゃないかと思ったのがきっかけでした。

説明を受けてびっくりしたのが私の最初の立ち位置がもう交渉からズレていたということ。
あと交渉は私がどうしたいか、つまり意見がないと始まらないというのが、本当に衝撃的でした。


同時に納得しかなかったです。
だって私は自分の意見をがなかったから。それならできるはずもないのがよく分かりました。

あと安心もしました。
知らなかったからできないのは、練習すればできるから。
救いがあるなあとおもいました。


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何かを勝ち取るためではない、皆で win-win になるようにする。
想像よりずっと準備と見極めが必要で、Stage.3 になるのもわかりました。

1週間日常生活に戻りましたが、まだ交渉することはないです。
私の場合はまず、交渉していい相手が見極めるところからなので、そわそわしながら日々過ごしています。

ちょっとハードルが高すぎて、できるようになるとは想像がつきませんが1年間ヨロヨロと練習していこうとおもいます。
ありがとうございました。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) まろうクラス



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「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」のワークショップお疲れさまでした。

ワークショップ・クラスを終えてから、しばらくは涙が止まりませんでした。
疲れていたのもあります。
「自分がある状態」で自己主張することが今の私にとっては、かなりの力を入れないと難しいことでした。

それなのに、その状態が小さな子どものときから普通で自然なことだった人がいることに対して、うらやましく思いました。
そして、私が子どものときに「自分がある状態」がなかったこと、奪われたことに激しく腹が立ち、悔しく、悲しくも感じて、涙が止まりませんでした。


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今回、初めて「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」のワークショップに参加して、私が交渉だと思っていたものと、本来の「交渉」とではまったくイメージが違ったことに、私は驚きました。

私が交渉だとおもっていたもののイメージは、感情を押し殺して、どちらかが勝って相手をひれ伏せさせるまで、意見を闘わせるような、冷酷なゲームのようなものでした。

しかし、今回知った「交渉」は、時間をかけて育むあたたかくて、生きものや生命のようなイメージでした。
このようにあたたかく、人との絆を育めるようなイメージの「交渉」であれば、「私もやってみたい」と思いました。


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そして、そのためにも、私がどうしたいのか、私が何を好きなのかを、私はもっと知りたい。
それと同じぐらい、相手に興味・関心をもって質問できるようになりたい。

私は、私自身が何を好きか分からなかったとき、私は他人から興味・関心を持たれて、質問されることが、何を答えたら正解なのかが分からなくて、とても苦手でイヤだった。


今でも質問されて固まってしまうことがある。
そのため、相手にもイヤな思いをさせないように、相手に興味・関心をもったり、質問したりしないようにしてきた。
この習慣が、人とのあいだに信頼関係を築けず、私を孤独にしていることに、今回気づいた。

でも、私はもう孤独でさびしいのはイヤです。
私は人とつながりを持ちたいし、信頼関係を築きたいし、楽しいを共有できるようになりたいです。


また、人とつながりを築くのに時間がかかること、予定調和の答えがないことに慣れたいです。
そのためにも、即返・即反応しないようにしていきたいです。

最後になりましたが、優月さん、「まろうクラス」のお仲間のみなさん、ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) まろうクラス



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私へ

今回も、本当にお疲れさま。
この状況の中、よく参加してくれたと思う。


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「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」は、今回初めてだった。
何年か前に「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」に参加した時は、「自分が分からなければ、これ以上はとても無理だ」と感じて、「交渉」には進まなかった。

あれから何年かが経ち、自己主張がうまく出来るようになったとか、「自分」が分かったとか言えないけれど、私はどうしても「その先」が見たかった。
「交渉」って何なのか、知りたかった。


だって、交渉はこれから自分の望むように生きていくのに、すごく必要な気がする。
けれど、私は健康な交渉が何なのか、知らない。
漠然としながら、日々「らしきもの」をしながら生きている。


仕事では、納期やもろもろの交渉ごとはしている(大義名分みたいなものがあると、やりやすい)。

けれど、私は本当に、出来てる?
こんな思いがあった。
それに、自分の素直なニーズ・本音に近いことほど言いにくい。


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プレワークする前は、交渉=仕事・業務のイメージだったけれど、実際やってみると、仕事の時だけじゃなく日常のささいなシーンでも、思ったより多くの「交渉(人との関わり)」をしていることに気付いた。

日常生活の全てが交渉といっていいくらい、身近なものだと感じた。
当たり前のことだけれど、人は自己主張して人と関わっていかないと、生きていけないと思った。

それなのに、私は交渉している時、している自覚がない時があった。
いや、自分から始める時は、自覚はあったかな? 人からもちかけられた時の方が、していなかったかも?
どちらにしても、私は、日常の中では交渉というものに無自覚だったと気づいた。


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ワークショップ・クラスに出て、私は「交渉」に対して誤解があったし(私も、某大統領の deal のイメージを持っていたし、「追い込み」もそうだと思っていた)、やはり健康な意味での「交渉」を知らなかったと気づいた。

そして、交渉は、「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」の先にあるものだと感じた。
うまく書き表せなくて、もどかしいけれど。


「交渉」って、口先だけの小手先のことじゃない。
私が思っていたより、もっと大きくて、深くて豊かなものだった。

話を聞きながら、
「ああ、こうやって自分の世界を、安全に自分に取って心地よい方へ広げていくのか。こうやって新しくしていくのか」
「私の硬直した世界も、硬直したままにしておかなくていい。自分の手で変えていっていいのか」
こんな風に感じた。


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実際出来るようになったら、生きること自体軽やかで、どんなに楽しいだろう。
こんな風に自分から世界を広げていけたら、こんな風に関われる人が増えたら、何て素敵だろう。

そして、ふっと人間関係も生き物と同じだな、と思った。

手をかけて育てていくもので、一定でなく変化していくもの。
だから、一回築いたら終わりじゃなくて、なりたい方向へ向かって手をかけ続けなくてはいけない。
これが生きるってこと?


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交渉は「私」が分かっていないと出来ないし、丁寧に細かくプロセスを重ねていくから、きっと思ったよりずっと時間・エネルギーがかかると思う。
(だから、限られた自分の時間の中で、誰を・何を選ぶのかが大切なんだと思う)


どのワークショップに出ても感じるけれど、「私」が全てのスタート地点。

私が、私を理解して、自立して、自分も人も認められるように変わっていかないと、永遠にさまよいかねない。
それは本当に嫌だから、私が変わって行く為に、今とこれから何をすればいいか考えて行動したい。


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今回は、「交渉」のしっぽの先っぽをさわれた気がする。
とはいえ、交渉って奥が深いし、難しい!

私は、実際出来るようになれるだろうか。
(道のりの遠さを思うと、冷汗が出る)

それでも、受身の発想に1個ひびを入れられたのは、大きいと思う。
今回受け取れた大きなギフトだ。


途中、自分の過去の人間関係や自分のしてきたことを目の当たりにして、「ううっ」となった(私にとって、「冬の大勉強 & 大準備会」みたいだった)けれど、今、この時期にこのワークショップに参加出来て、本当によかった。

最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆さん、ご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) まろうクラス



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私にとって、「交渉する」という知識は、これまでの総まとめのワークショップとなりました。
これまで得た知識が重なり合い、一層深まっていく、点と点がつながっていく、そんなワークショップとなりました。

OK 同士で、Win-Win を築いていく。
関係を築くには時間がかかる。

「なにを」、「誰と」作っていくかが、私にとって大きく大事なんだと理解する。
「OK 牧場」への理解がぐーっと深まる。

「なんか憂鬱」、「被害妄想」、「不毛だな」と感じる理由。
あらためて整理できると、私自身が「No」を発していたことに、私自身も気づいていなかったことに気づきます。

また、私は私の境界線を正しく感じられていなかった。
感じられてはいたかもしれないけれど、正しくシグナルを読み取れてはいなかった。
そればかりか、実は自分では境界線を閉じているのに無理に自分が開けようとしていた。そんなことが見えはじめている。


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私の世界観に、なにかを交換し合うイメージが出てきました。
これまでの私には全くなかったあたらしい感覚です。

この感覚の芽生えは、私にとって私の存在も等しく平等であることを思い出させてくれたし、その基本認識の大切さをしみじみ痛感します。

私にも「『交渉をする』相手」という存在がいると思える。
この感覚が備わったことによって、より相手を観察し、相手を尊重したり認めることを前提としていることが、自然と納得がゆくし、逆に、交渉をすべきではない相手、あるいは、交渉の成り立たない相手というのがいることをこれまた自然と受け取れるようになりました。

これまでの私はちからまかせに、見ようによっては強引に、生きていたように思えてきました。
これからはそうではなく、しなやかに、もっと自分の中に備わっているものをコンパスとして使って、生きたいです。

知識が開けてくれた世界観に感謝します。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) まろうクラス



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私は長年、「WIN-WIN」という言葉が理解できなかった。
満たされずに残った部分に対して感情を持ってしまい、結局モヤモヤしてしまうからだ。

今回のワークショップで「交渉とはそもそもニーズの合う人と行うこと」と知り、愕然としました。

ニーズの合う人と交渉するから「WIN-WIN」は成立する。
「交渉」は結果も予定調和ではないし、断念・保留もある。
自分が得たい結果を得ることではない。
私がしてきたのは「調整」「妥結」であり、交渉ではない。

ようやく腑に落ちました。


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世界の捉え方が全く違っていた。
産まれてからずっと世の中を生きてきたつもりなのに、「世の中を景色は縦に見えるだって? 正しくは横だよ。今までどうやって生きてきた?」と言われたぐらいの感じ。

周囲にいる人たちの何を見て、何を聞いて、何を理解したつもりで過ごしていたのか。
今は、聞こえるもの、見えるものをどう感じて言葉を発していけばよいのか、戸惑ってばかりです。


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私はずっと自分の心を閉ざして生きてきました。
仕事の成果や表向きの印象は良くても、心の中では人間関係を築けずにいて、ずっと孤独を感じていました。

回復の日々を重ねて、もう自分の世界の閉じこもっていても、それは同じことを繰り返すだけで、私は幸せを感じることはできないのだと、わかるようになってきました。


もう、この感じたことのない「普通の世の中」に勇気をもって飛び込んでいかなくてはならない。
どんなに怖くても。
やったことのないことを、今からで練習していかなくてはならない。


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教えていただいた「交渉」はまるで畑仕事のようだと思いました。

与えられている場をよく見る。観察する。
良い作物を育てられるように、自分の土を掘り起こして「自分を知り」、相手の土も掘り起こして「相手の興味を知る」。

不健康な土は掘り起こしてはならない。
時間を割かないようにしたり、場合によっては関わりすら持たないようにする。

作りたい作物を思い描きながら、育てる。
上手くいくこともいかないこともある。

何度もトライ&エラーを繰り返すことで、理想に近づいていく。
きっと…だが、その頃には、私が育ている過程をみた人が、何か教えてくれたり、
反対に何か尋ねられたり、作った作物を交換したりして、世界が広がってゆくのだろう。


そんな日が私にくるだろうか?
今の私には不安も先立つけれど、怖くても一歩を踏み出し、私を、幸せになる方向に育ててあげたいと思います。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) まろうクラス



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本当にお疲れ様でした。

交渉は、私がイメージしていたいかついものではなく、暖かな交流があり、未来があるものなのだと知った。

参加する前に、自分が仕事上でやっている交渉と思われる物は、きっと違うだろうな、なぜなら自分がなくてもできるから…と薄々感じていたけれど、ワークショップ・クラスの中ではっきりと言われて、やっぱりそうだったか、と頭の整理がつかない中でもくっきりと感じることができた。

仕事上でも、「私がどうしたいの?」がはっきりしない中で働くことに、少しずつ違和感があった時期だっただけに、私が行っていたことが妥協と調整だと言われたことで、痛いけれど、私が私として生きていく上で、知っておかないといけないことだと思った。


文節区切りの線

私は、もっと私の好きを知って、それに正直に生きていい、それがあっての交渉なのだと。
根本を見失わないようにしたい。

自分のこれからの未来を築くために、相手とも暖かな交流を築けるために。


クラスの皆さん、優月さん、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。