2019.06月開催 「自己肯定のワークショップ」おれがのクラス

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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) おれがのクラス



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わたしへ

お疲れさまでした。
ただ、「自分を認める、肯定する」。
条件はいらない。

難しかったね。

でも、難しく考えすぎたのかもしれないね。

ゆっくりでいいから、自分の良いところ、強み、探していこうね。
練習、練習。


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ワークショップの感想をひと言で言うなら「むずかしかった…」です。
自分の良いところ、自分を褒める…本当に苦手だと思った。

帰りの新幹線の中で、「うまくやろう」としていた自分に気づいた。
今はうまくやろうとしていたわけではないのかも…とも思う。

ただ、わからなくて、表面的な感じになってしまった気がした。
それだけ自分にとって自己肯定はむずかしいことだったのだと思う。


ただ、ワークでペアを組んでいただいた方の言葉にヒントをもらった気がした。
「その行動は、自己肯定が出来ているから出来るんだと思う。自己肯定できなかったら動けないもん。」

そうなの?
そういう小さくて、当たり前にあるものなのかも…と思った。
こういう時いつも、とてつもなく大きな、わかりやすいものを想像する。


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そして、今回自分の中で変化を実感できた。
それは「質問できるようになったこと」。

このワークショップでどうしても知りたいことあった。
日々、人とかかわる中で迷ったり、理解できないことがあった。
以前なら
「こんなこと聞いていいのか?」
「こんなことみんなの前で言って恥ずかしくないのか?」
と迷って結局質問できなかったと思う。

今回は我慢できなかった。どうしても知りたかった。
「聞きたい!」
があふれ出た。

そして、みんなの前で質問できた。
質問できたこともうれしかったし、自分の認識が違っていたこともわかって良かった。


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こういう質問ができるようになったことも自己肯定感が育っているってことなのかな。
わかりそうでわからない、まだまだ消化できないけれど、ゆっくり消化していこうと思う。

ありがとうございました。




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Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) おれがのクラス



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私にとって、自己肯定は、必要でとても大切だと思うけれど、よく分からないものでした。
ただ、自己肯定は、「いいね!」をつけるようなものではなく、もっと根本的なものだろうとは思っていました。


実際、ワークショップに行ってみて、自己肯定は、見つけるものではなく、そもそも「ある」ものだと知り、衝撃を受けました。
私が知っていた自己肯定は、条件付きの自己肯定でした。

実感ではなく、頭でジャッジした結果を肯定していただけでした。
私は本当の意味での自己肯定というものを全く知りませんでした。
このワークショップに参加しなければ、ずっと知らないままだったと思います。


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ワークで練習してみた、自分の好きなものを話すことや自分のいいところを話すこと。やってみたら、緊張することでもないし、恥ずかしいことでもないんだな、と思いました。
心が軽やかでした。

同時に、自分で自分にものすごくブレーキを踏んでいる自分がいるし、まだまだ他人目線で、どう思われるかを無意識に気にしている自分がいました。
それに、最近の私は、「好き」や「楽しい」「わくわくすること」をすっかり忘れていたので、まずはそれを取り戻したいです。

あと、このワークショップがなぜ3rdステージなんだろう、と思っていましたが、実際に行ってみて納得しました。
そして、私にはこのワークショップは早すぎたみたいです。
難しかった。
これからどうやって回復を進めていくのか、改めて考え直したいと思います。

最後に、「おれがのクラス」の皆さま、優月さん、ありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) おれがのクラス



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自分の好きを語るのって、こんなにも楽しいんだ。
それを受け入れてもらえるって、こんなにも安心できるんだ。
こうやって話してもいいし、むしろそうすることで、関係性を構築していくんだ。

好きなこと。気になる人。してみたいこと。
天真爛漫に口にできる人たちが不思議だった。何でそんなこと、いとも簡単に言えるのだろう。私なら恐ろしくて、そんなこと口にできない。

普通の家ではそれが普通のことで、それって自己肯定感だったんだ。
全然知らなかった。

私の人生の初期段階になかったこと。
むしろ口にするととんでもないことになった。
経験を思えば、私が自分の望みを言い出せずにいたのは当然のことだった。


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私、今この瞬間から何をしよう?
自分の望みに遠慮なくと思っていたつもりだったけど、頭で考えてどこかで自分をセーブしていた。望みを認めていなかった。

自分の良いところ。自分の好き。仕事で得意なこと。みんなつながってた。
話を聞いてもらって、そのことに気が付けた。
ペアの方からフィードバックをもらって、素直に嬉しかった。

直前の上司からはいつもひどいことを言われていたから、ここしばらくは人からフィードバックされることは恐怖だった。
でもホンモノの健康な関係って、こういうものなんだ。
ただありのまま。そのままで OK なんだ。


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私の自己肯定は存在肯定ではなく、言動の肯定。だから条件付き。
結局立派かどうか。頑張ってるかどうか。

それじゃあ何か違和感があるのも、当然だよね。
私は親から受け継いだ承認方法をそのまま使っていて、プレワークが上手くいかなかったのも納得。新しい知識を得て、私は自分の人生を生きていける。


私には良いところがいっぱいある。ステキなところ、魅力的なものも、いっぱい持ってるよね。
今回、それをたくさん拾えた。

自分の持っているものに気付くと、胸がいっぱいになるような、温かい気持ちになれる。
無条件で自分の望みを叶えるために、ひとつひとつ進んでいこう。

本気で自分の人生を生きていこう。
私の一つの通過点として、また一歩大きく前進しよう。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) おれがのクラス



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今の私にはまだ自己肯定が遠くて、でも絶対にできないってわけじゃない。
そんな私が今すべきこと。
日常の一つ一つのもやもや、境界線を見逃さないこと。

確かに、現実とワークショップを切り離して、区別してたし、一つ一つのサインを最近は見逃していた。
これを続けていたら、現状維持どころか、後退してしまう。
一つ一つ何かあったらメモをして、「灯台の時間」に何が嫌だと思ったのか、本当はどうしたいのか考える。
これにひたすら取り組んでいく。
新しい世界、新しい人間関係に飛び込むにも、境界線、スケジューリング、前向き表現、交渉力など全部必要になっていく。
みんな必要なんだ。


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私が生きやすい、幸せになる道を進むためにはすべて必要で、だからワークするんだ。
根本がまちがっていたかもしれない。
改めて、意識していかないと。

そして、リスク(挑戦)を重ねていくこと。
やってみたいことがあるなら、とことん学んでみる。
時間は限られている。
耐えられるからと我慢しない、そのサインを見過ごさず拾っていく。

自己肯定=存在肯定
条件で貢献するわけではない。
皆「私は OK だから(~する)」を前提にしている。

正直まだつかめきれていない感じがする。
でもそれでも OK だ。

私は多分いきなりは自己肯定できない。
だから、「境界線」や「感情」などのワークショップを通して、そしてそれを現実で実践していくことで、自分を知り、愛して、自己肯定につなげていくのかなと思う。
自己肯定は、実感の積み重ねだと思うから。


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後半は、ひたすらワーク。
最初は自分のいいところを言ってみるというすごく心もとないワークで、言っててもそれが合っているのかわからない状態だったけど、ペアの方にそれを肯定してもらうことで、
「そうか、これが私のいいところなんだ!」
って確立していく感じがした。

これを一つ一つ実感していくことで自己肯定をつくっていくんだな。

あと、ワークをしていて思ったのが、私条件ばかりみていてやりたいことを優先してなかったなということ。
だってやせたいなんてやりたいリストにないのにそっちばかり目がいってた。
容姿や外見を気にしすぎなんだと思う。

あと、私はこれが好きなのねってことをワークしていて実感した。
仕事になるかはわからないけど、それについてもっと勉強したいと思った。

ああ、これが自己肯定かもしれない。
自分が好きだと思うことに、素直に取り組むってことが。

「私は OK だ、だから~したい」って思ってる。
なるほど、こうして一つ一つ実感して学んでいくんだ。
もっと好きなことにとことん取り組んでみよう。
自己表現しよう。


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プラス、ワークショップで学んだことを現実でも意識していこう。
後半のワークで話したことを話せるような人も、確かに欲しいし必要。

そのためにも、新しい世界に飛び込んでみよう。
一つ一つを、「今」をあきらめなければきっとできるよね。
そのために行動あるのみだ!

あー、私、まだまだいい方向に変われるんだ。
嬉しいな!
もっと貪欲にいこう!




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) おれがのクラス



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自己肯定は、参加する前の想像とははるかに違いすぎて、別次元すぎて、正直面食らった。
けど、これまでの育ってきた環境や生きてきた過程を鑑みると、前提条件がそもそも違っていたのか、ということを衝撃をもって知った。
だだ、まだほわーんとしていているような感覚というのが、実感レベルでの感覚かなと思う。


今、自分に必要なすることは、すごく理解できた。
最近、なんとなく停滞しているような感覚でいたことの、意味するところ(停滞じゃなく、低下)を知ったこととか、暮らしとワークショップは別物ではないこととか…、はっとさせられたことはたくさんあった。


私にとっては、あとは、限られた時間の中で、ひとつひとつを感じとって、やるしかない! という、よい意味での切迫したものとして感じられた。
自己肯定のなんたるかは、私の実感としてはこれからがスタートではあるけれど、今、それを知れたことを、本当によかったと思う。


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一歩一歩やってきたからこそだとも思う。
何をどうやっていくかということは、なんとなく腹の中で、見えてきたような気もする。
今度は、それを暮らしの中で確かめる、やってみるということなんだ、と身体が教えてくれている。

その一方で、自分の身体を通して感じていくことの、質感というか重みを感じる。
頭じゃなく、身体で生きる…ということは、こういうことなのかもしれないと、まだきっかけにしかすぎないけれど、そう思う。

優月さん、クラスのみなさん、本当にありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) おれがのクラス



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私は、このクラスで「自己肯定」という「透明な空気」に触れにいきました。
自己肯定は、ハウツーやスキルではない、「存在」なんだと強く感じました。

自己肯定は「私を生きること」そのもの。
物量のあることなんだと私は感じました。


「私はよい…」と唱え続けることではないんだなと、自分のこれまでの行動を振り返りながら、私は思いました。
でも最初は、唱えることから始めても、私はいいと思います。
だって私はその「発想」=「私は、私を良いと思ってもいい」ということすら持てなかったのだから。


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子どもの頃の私は、親の事情により、いわゆる「自己肯定」を得られませんでした。
親から言葉などで与えられることもなく、それ故に、私の内側にも「感覚」「実感」として生まれることはありませんでした。

そのため、私は私を
「自己肯定できない、欠けた存在」
といつも感じ、
「みんなと同じ、普通の存在にならなくちゃ」
と焦って、必死で、様々な条件を埋めよう、達成しようとしてきました。

「自己肯定」というものがあって、幸せな人生には不可欠らしい。
でも私には、それができない。
どういうものかの実感すら、ない。

「私にはないけど、みんなは確かに持っている(と思える)もの」
それを手探りでつかもうとする日々は、不安でいっぱいでした。

早く、これを手に入れないといけない。
かつ、実はそれが「ない」私であることを、ばれてはいけない…。
そんな怖れで、私はいっぱいになっていました。
とても苦しく、孤独な時間で、私はとても怖かったです。

そんな私だったから「自己肯定」への憧れは人一倍強く、このクラスに参加することで「自己肯定できる自分」になれるだろうと強い期待と希望を持って、参加しました。


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…結果、様々なことを教えてもらうなかで
「(私が得ようとしていた)自己肯定というものは、ない」
「得ようとすることで、むしろ遠ざかる」
「得ようとするから、永遠に得られない」…。
そんな、本来の流れとはまったく逆の世界観で生きているんだ、ということに気づき、私は愕然としました。

私は「存在」より「条件」が優位の人生になっていました。
それはまさに、私というコップの外側に何かをくっつけることで、自分を形作ろうという行為そのものだったと気づきました。

でも、そうではない。
まずはそこから、私を自由にすること。
それがはじまりなんだと私は思いました。


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今回のペアワーク、私はやっていてとても楽しかったです。
(ペアを組んでくださったMさん、ありがとうございました!)

「私、自己肯定できるじゃん」という確かな手応えを感じました。
それは素直に、嬉しいことでした。

しかし、クラス後に少し私は違和感を感じてなんだろう? と感じてみました。

そうしたら
「あの私も私そのものだから OK だけど、あれ100%でやっていくのはいやだ(無理)」
という心の声が聴こえてきました。

私は、たったひとつの側面だけでできているんじゃない。
AもBもCも…様々な側面があっての、私。
その時々でニーズに応じてバランスを変えながら、その時に心地いい私でありたい。

そんな「新しい私」を私は知ることができました。


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自己肯定は、私を知ること。私であること。
だから、自己肯定は常にアップデートされてゆく。

プレワークに「一度やって、終わりではない」とあって、どういうこと? と私は考え、答えが出なかったけれど、ワークショップ・クラスを終えた今では「そうだなぁ」と、私は思います。

自己肯定=私を生きることなら、私の歩みとともに、時間とともに、自己肯定も変わってゆく。

反対に「常に一定」の自己肯定は、仮に成り立ったとしても、私を「一定のある場所」にとどめ、閉じ込めてしまうかもしれない。

だからこそ自己肯定は、一度得て終わりのものではない。
今ここで、私が私を感じ、ともに生きることで湧いてくるもの。
それが「自己肯定」なんだなぁと私は思えるようになりました。


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今回のクラスでは、「私が、私を生きること」。
その重みと意味を改めて教えてもらいました。
(優月さん、たくさんのメッセージをありがとうございます。)

「私、自分らしく生きたい!」って意欲満々で書くのと、実際に「私がそうする、やる」のとでは、私にとっては大きな壁、隔たりがあります。

でも、今こうして「あぁ、私にはこんなに大きいのかぁ」。
そのサイズ感、距離感が感じられるようになったこと。
それもまた、大きな一歩だと私は思いました。


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このワークショップ・クラスから1週間後に、私は海外の先生のダンスのワークショップを受けました。

その先生の人生観、話、在り方にたくさん触れて…。
「自己肯定ができている人は、その土台の上に、その人の世界観、意見、価値観がしっかり立ち上がっている」と私は強く感じました。

自分の意見を持っている人。
凛とした決意で、それを語り、生きる人。
自分にも、周囲にも嘘(演技)はなく、開かれた心で力強く、そこに存在している人。

そんな「存在」の強さを、私は感じることができました。

きっと、これまでの私なら「いいよなぁ、環境や才能に恵まれている人は」どまりで終わっていたんだと思います。
でも今の私は、先生の強さに「たくさんの経験や実感、自分と向き合うこと…それらを自分の足で、力強く積み重ねてきたからこその存在の確かさ、強さ、美しさなんだな」と感じることができました。

これも、このクラスで「自己肯定」について、たくさんの「言葉」を与えてもらえたから、感じられたことだと思います。


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今まで、ぼんやりとして正体不明だった「自己肯定」。
それが整理できたことで、私は自分の日常でたくさん観察し、感じ、フィードバックすることができるようになりました。

最初「このクラス1回では学びきれない」とお聞きして、内心「え~」と思っていましたが(すみません…)、でも、それはそうだなと思いました。

だって、私と人は、違うから。
誰かに合う自己肯定が、私に合うとは限らない。
私には、私にぴったりの自己肯定が、ある。
それを見つけ、それを生きること。


「自己肯定」はハウツーや知識ではなく、一生続けてゆく習慣なんだと私は思いました。
だからこそ「答え」ではなく、「自分で感じ、見つけていくための、たくさんのヒント」をくださったのだと、私は感じています。

そしてその「確かさ」に私は感謝しています。

いつか、私にとっても「自己肯定」が「透明な空気」くらい自然なものになるように、私は、このクラスで学んだことをたくさん活かして、私の道をつくっていきたいと思います。


優月さん、クラスメイトのみなさん。
真剣さのなかにも、明るさや笑いのあるクラスで学べて良かったです。
ありがとうございました!




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おれがのクラス



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私へ

本当に「自己肯定」出来るようになれたら、どれだけ幸せなんだろう。
そして、今の私にはその感覚がさっぱりつかめない。

プレワークで自己肯定の行動リストを作った時は、自己肯定は特別なことじゃなくて小さいことなのかと思っていた。
自分との小さな約束を守った時や、自分をねぎらったりする時、当たり前だけどちょっと勇気のいることをした時、自分の小さなニーズを大事に行動した時に感じる、心地よさ・満足感・自分を誇りに思える感じかと思っていた。
Web. WORKSHOP で、自分を認めるワークをしている時みたいに。

一方で、沢山の仕事をこなしたとか、ワークを沢山やったからとか、何かをすごくがんばった時にしか感じられないもののようにも感じていた。
それに、調子のいい時は出来るけれど、自分が本当に必要としている調子が悪い時は出来ていなかったりで、不安定なものだった。


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「自己肯定」=「丸ごとの存在肯定」と聞いて、ああ、これはずっと欲しかった物だと思った。
どんな時でも、あるがままで感じられたら、どんなにいいだろう。

健康な人が、なぜあんなにも自然にやりたいことをやり、言いたいことを言えるのかも分かった気がした。
そもそも、前提条件がないからだ。

私は、自分の状況・年齢を考えて、自分自身の人生の始末をつけるので精いっぱい。
今の仕事を続けながら自立を目指す。そして、仕事以外の時間に自分の心から楽しいことを見つけ、そこに新たな人間関係を見つけようと思っていた。

現実と折り合っているのか、「条件付きの肯定」なのか、よく分からなくなった。
ただ、「こうするしかない」と思い込んでいるのは確かだ。


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自己肯定を生きるには? の話を聞いて、思った。
「自己肯定」は、至るまでの道のりは小さいことの積み重ねではないのかと思うけれど、思っていたよりはるかに大きなものだった。
「生き方そのもの」に見える。

今の私は、気が付くと過去のパターンにはまり込んで、自分を責めたりお決まりの思考パターンにはまったりもしているけれど、それで苦しいのは自分自身。

私は、この狭い制限の中から自分を出してあげたい。
その為に、「小さいこと」を本当に大事にしていきたい。
「大きなもの」も「小さいこと」の積み重ねだと思うから。



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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
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「人生は、いつからでも変えられる」
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