2012.06月開催 「身体のワークショップ」スイセンクラス

画像
タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/大阪府よりご参加) スイセンクラス





「『身体のワークショップ』って、チェアワークをたくさんやるらしい……どんな感じだろう!?」
期待と不安が入り混じった中での参加でした。

最初のチェアワークで、意識が飛んで夢の見始めの様な感覚に襲われ、一瞬寝そうになりました。
ハッとして周りの状況に気付き、あわてて上体を起こしたら、優月さんが「ゆっくりでいいよー」と声を掛けてくれて、ホッとしました。
終盤には、骨盤に内蔵が乗る感覚を初めて味わえて嬉しかったです。

鏡の中の自分に語りかけるワークは、聞くとやるのは大違いでした。
「自分に挨拶!? そんなに丁寧に扱っていいの?」と驚き、「大好きよ」と言うのにも抵抗があって、なかなか言葉が出てきませんでした。
今までそんな風に話しかけたことは無いし、自分を好きじゃないのもずっと分かっていたつもりでしたが、「好きじゃない」どころじゃなく「大嫌い」だったのかなと思いました。

イキイキしてた小学校低学年の頃の自分に、なんで戻れないんだろう……。
「私が悪いんだ」って、長年自分を責めてきました。
ここ数年、自分の心の内に向き合うようになって、ほんの少しずつ自分を認められる様にはなってきたものの、
「何かをやり遂げたら」
の条件付きだった様な気がします。

「ありがとう」
「大好きよ」
って自分に何回も何回も言って、気持ちがどんどん変化していきました。
外側の私は、身体はリラックスして、心もゆるく落ち着いて、どっしりと会場の椅子に座っていました。


文節区切りの線

途中で凄く泣いたので
「しっとりと繊細な感じで慰めてくれるのかなぁ?」
と、一瞬想像しました。
でもそれは最初の方だけで、鏡の中の私は元気でした。
以前からその存在には気付いていましたが、なぜか認めたくありませんでした。

「もう~~~、待ってたのに。遅いよーーー」
ちょっとむくれたり。
「行こう」
今にも手を引いて連れ出しそうになったり。
「よし、それ来た!」
ピョーンピョーンと飛び跳ねていたり。

元気で、行動的で、茶目っ気のある私。
長年戻りたいと切望していた幼い頃の私は、今も生きていて、身体の中にいました。


クレンジング・リアクションはやはり眠くて、過去の出来事を色々思い出して泣いたり怒ったり。
五感も敏感になりました。
これまで、クレンジング・リアクションが激しくなると、今まで自分をほったらかしてきたことと、怒っている自分を二重に責めてしまい、辛くなっていました。
回復するまでゆったり過ごすのがいいのかと、あえて家から出なかったり。

でも、ワークショップ・クラスの2日後に好きなアーティストの LIVE に行ったら、純粋に楽しめてスッキリした感覚がありました。
私の場合、泣いて悲しむだけだと消化不良になるのかなと。
発散がすごく大事なのかなと思いました。

優月さんに
「荒れてるときは『荒れてるんだな』って受け入れるといいよ」
「それまで自分が我慢してきたってことだよ。底をついたら終わる」
とアドバイスをもらいました。
パワーのある私を受け入れていく段階にある様です。


文節区切りの線

3回目となるワークショップ、今まで一番リラックスしてワークを受けられたおかげで、場の空気に委ね、心身から湧き上がる流れに身を任せることができました。
プレワークが「境界線(バウンダリー)ワークショップ」のクラスと重なって、気持ちの切り替え、時間のやりくりがけっこう大変でしたが、我ながらよく頑張ったなぁと思います。

優月さん、田宮さん、会場の皆さん、
大事な時間を一緒に過ごせたこと、本当に感謝しています。
「身体のワークショップ」、何かターニングポイントになるような気がしています。

力を抜くって、力が出ることなのですね。
体感出来て本当に良かったです。
ありがとうございました。



タイトルはじまり目印

M. K.さん(30代/千葉県よりご参加) スイセンクラス





優月さん、田宮さん、クラスのみなさん、お疲れさまでした。
WORKSHOP で安心して温かな時間をご一緒できて、本当に良かったです。
ありがとうございました。
まだ WORKSHOP からそんなに日にちが経ってしまったわけではないのに、何だかもうあの時間が恋しいです(これもクレンジング・リアクション?)。
みなさんは、あれからどうされているでしょうか。

2012年6月。
私にとっては一生忘れられない時間になりました。
「境界線(バウンダリー)ワークショップ」→「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」→「身体のワークショップ」を終えて、ようやく自分の問題の全容が、おぼろげに見えてきたと感じています。

問題の大きさや深刻さは重要ではないとわかっていますが、本当に WORKSHOP を受ける必要があるのかどうか、迷ってい時期もありました。
私が家族について辛いと思っていることは、大なり小なりどこの家庭でも起こっていること(巨人の星だって、父さんはちゃぶ台ひっくりかえすし)で、私が感じやすいだけだと。
実際、父が機嫌を損ね、「何か悪いことを言ってしまったかな」と私まで嫌な気分になってしまうとき、母からは「気にしないの」と言われ続けてきました。

家を出て、家族と距離を取れるようになってからは、辛い気持ちになることは減りました。
それでも、職場その他の人間関係のなかで同じような場面に出くわすたび、自分には居場所がない、自分は存在していてはいけないと感じていました。
居場所がなくなるので仕事を転々とし、それにも疲れて結婚、新しい家庭へ逃げました(新しい家庭にも安心して居られず、WORKSHOP に参加しました)。

友人との付き合いも、誘われれば会うけれど、自分からは連絡しませんでした。
他人と極力関わらないことでしか、生きていることを自分に許可できませんでした。


文節区切りの線

WORKSHOP CLASS 途中までは、家族が原因で身体も不調だらけだと思っていました。
前半に配られた「からだ MEMO」に目を通したとき、新たな問題に気づいたのです。
身体の症状の一部は、「罪の意識」から来ていると。

確かに、私にはどうしても自分を許せない過去があって、自分を罰していました。
その罪を償うために、人の倍以上、充実した人生を送らなくてはいけない。
人の倍以上、愛情をかけて育児をしなくてはならない。
必要以上に自分で自分を追い込んで、身体をすっかり疲れさせてしまっていたのです。

そのせいか、最初のミラーワークでは、こちらが話しかける前から「眠い」と訴えられ、その後の数回でも、
「眠い」
「ここから出してよ」
と、自分をいじめ続けてしまったことを痛感する対話が続きました。

このまま自分と対話ができないのではないかと心配になりましたが、最後の方では
「大丈夫」
「頑張らなくてもいいお母さんになれるよ」
と励まされ、涙が止まりませんでした。

今回の WORKSHOP で、やっとわかりました。
誰かのためではなく、自分のために生きていたいのだと。
鏡の中の自分は、私が戻ってくるのをじっと待っていました。


文節区切りの線

WORKSHOP CLASS から1週間。
現実は何も変わらないし、「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」後から、もう2週間もクレンジング・リアクションが続いていて、ぼんやりしています。

以前だったら
「クレンジング・リアクションをいいわけにして、のんびりしすぎ」
と、自分を裁いてしまいそうなところですが、今は
「少しずつ戻ればいいや」
と気楽でいられます。

これからは、チェアワークやミラーワークをしながら自分とよく相談して、丁寧に時間を過ごしたいと思います。
物心ついた頃からの夢も、早く結果を出したいと焦っていましたが、自分を追いつめることなくできる時期が来たら、再開しようと決めました。
その夢にこだわらなくても、自分が「他のことをしたい」と思ったら、手放していけばいいかなと思ってもいます。

とりあえずは、物理的に「自分の居場所をつくること」から始めたいと思います。
妊娠7ヶ月で引越、未だ部屋が片付かないまま、2ヶ月後にまた引越を控えています。
本当に必要で好きなものだけを持って、新しい家に行きたい。
落ち着いて「灯台の時間」を持ったり、チェアワークのできる部屋を用意したいです。



タイトルはじまり目印

A. I. さん(30代/東京都よりご参加) スイセンクラス





藤沢さん、田宮さん、クラスの皆さん、先日はありがとうございました。
あれからクレンジング・リアクションと気付きの嵐の中にいますが、自分の中心は意外に静かです。
問題の原因や、これからどうすればいいかが、はっきり見えるようになったからかもしれません。

今回のワークショップ・クラス中に、大きな気付きが2つあったので、そのことについて書きます。

1つ目は、身体が発するメッセージについて。
私は、1年前から右手の甲をよくぶつけるようになり、それがずっと不思議だったのですが、藤沢さんのお話を聞いて、その原因は、私の中のマインドコントロールされた部分だということに気がつきました。(母がある宗教の信者で、その思想の影響下で育ちました。)

「右手で何かを作ること = 自分の幸せ」と、「世俗的」な成功を求めること。
それは「神の目的」ではないから、許さない。

長い葛藤の末に、すさまじいクレンジング・リアクションと共に捨てたはずなのに、まだそういう部分が残っていることに驚きました。

たまに、子どもの頃に失ったことと、取り戻せない時間について考えがよぎり、涙が出ることがあるのですが、その度に自分に対して
「もういい加減、終わったことにとらわれるのはやめようよ。次に進もうよ。」
とうんざりした気持ちを抱いていました。

でも、まだまだ自分の中に癒されるのを待っている、傷付いた子がいる。
身体はそれに気付いてほしくて、メッセージを送っていたんだなと思いました。

問題の根深さに、一瞬暗澹とした気持ちになったのですが、同時に、身体ってほんとにすごいなーと感心してしまいました。
右手の他にも、腑に落ちたことがたくさんありました。


文節区切りの線

ミラーワークで起きたことも印象的でした。
1回目に自分に話しかけたときに返ってきたのは、「ホントに?」という言葉と、不信感でいっぱいの表情。
ショックでした。

今の自分は、自分のことを好きでいる、と思っていたので。
私は、子どもの頃からずっとセルフイメージが低く、自分の事が嫌いでした。
でも、ここ数年で新しく身につけた習慣(「灯台の時間」や食生活など)のおかげで、ようやく自分の味方になれたと思っていたのに、鏡の中の人は
「私、あなたのことなんて知りませんけど」
みたいな顔をしていたのです。

20年以上も自分の本心をないがしろにしてきたのだから、まだ信用されていないのは仕方ないですね。

最後のミラーワークでは、一瞬ですが、自分と強くつながる感覚がありました。
プロポーズする人の気持ちってこんな感じなのかも、と思いました。
もっと揺るぎなくて力強い「好き」がある。

ワークショップに参加しなかったら、このことに気付くまでさらに何年もかかったかもしれないし、最後まで気付かないまま、ということもあり得たかもしれません。
今回、ほんの一瞬でも自分にもそれが「できる」と分かったので、本当によかったです。
いつもあの時のように、強い絆で自分とつながっていられたらいいなあ、と思います。


ワークショップ・クラスでの気付きから、安心して自己表現できる場所を、もっと自分につくってあげる必要を感じました。
小さなことからあせらず、ゆっくりやっていこうと思います。

長くなってしまいましたが、さいごにもう一度。
あの場所にいた皆さん、本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) スイセンクラス





一歩踏み出したあの日から、6日経ちました。

以前から、ONSA のワークショップは気になっていました。
日程や場所を見ては、
「まあいいや。仕事が忙しい時期になるし……」
「娘の○○があるから……」
「遠いから……」
「今の状況で私一人、東京に行くなんてわがままだよな……」
と、あれこれ理由をつけては断念していました。

自分の
「行ってみたいな~!」
「なんか気になる~!」
と、わき上がってくるささやかな気持ちを抑えつけて。

今回のスイセンクラスの募集を見た時も、行けない(行かない)理由をあれこれ考えましたが、どうにもこうにも気になり、申し込みのクリックをしていました。

思えば、申し込みをした時から、私のワークは始まっていたように思います。
プレワークで身体を意識するようになると、私の身体が日々どれだけサインを出しているかを、嫌になるほど自覚しました。

家族に、東京へ行くことをなかなか伝えられなかったこと。
ワークショップ・クラスの日が迫ると、「私、出かけていいのかな……」と自問自答するような家族の状況が展開されたこと。
ワークショップ・クラスに参加した後の今、これらのことは、私の中にある「恐れ」や、長年の習慣「止まることのないぐるぐる思考」の象徴だどいうことに気づきました。


文節区切りの線

あの日、妙に懐かしさを覚える緑に囲まれた明日館の一室にたどり着いた瞬間、私の中にわき上がってきた気持ち
「私、ここまで来たよ! 本当に変わりたいんだ!!」
は MAX でした。

ワークショップ・クラスが始まると、人生で「初」といえるくらい自分から手を挙げて発言していました。
「今の気持ちを表現したい!」
「私の感じたことを口に出したい!」
ワークを進めれば進めるほど、手が挙がるようになりました。

「自分を後回しにしたくない!」
「自分を大切にしたい!」
という、私の腹の底からの思いが強くなっていったんだなあ~と、今しみじみ感じています。

「一歩踏み出してよかった!」
今、本当にそう思っています。
藤沢さんの優しくて温かくて信頼できる心強いサポートと、田宮さんの柔らかくてクッションのようなフォローと、ご一緒した皆さんの言葉や存在感に刺激を受け、眠っていた私の底力が蘇ったように思います。

あの日、あの空間で同じ時を過ごした藤沢さん、田宮さん、参加者の皆さん。
本当にありがとうございます!

まだまだ下手っぴですが、「眠っていた私・再び目を覚ました私」を大切にしていきたいと、今も心の底から思っています。



タイトルはじまり目印

M. S. さん(群馬県よりご参加) スイセンクラス





藤沢さん、スタッフの方、先日はありがとう御座いました。
ワークショップ・クラスを受けてから、1週間しかたっていないのですね。
遠い日のような感じがします。
あの時間、誰の話しを聞いても、ペアの方に自分の事を話しても、涙が止まりませんでした。
あの空間は別世界でした。

今は、すっかり何時もの生活に戻ってます。
でも、ワークショップ・クラスを受けてから、いくつか変化がありました。
まず、ガチガチだった肩こりが、ウソのように楽になった事です。
会社でも、肩こりが発生しそうな時は意識して、肩の力を抜くようにしています。

あとは、人と話す時に声が前に出ていかない症状がなくなった事です。
ハラの部分に力が入った感じがしています。
今までは、周りの人中心だったものが、自分を味方にして、自分を中心にして考える事が出来るようになってきた気がします。
自分勝手と言う意味でなくて。

毎日、チェアワークを寝る前にやっています。
体の力がスーっと抜けて、とてもリラックスして眠る事が出来ます。
自然と眠くなります。
今回は初めての参加でしたが、思い切って参加して良かったと思っています。
少しずつ変わってゆけたらと思っています。

最後に、藤沢さん、スタッフの方、ワークショップを受けたクラスの皆さん。
お会い出来て良かったです。
ありがとう御座いました。



タイトルはじまり目印

Y. S. さん(30代/大阪府よりご参加) スイセンクラス





ワークショップ・クラス当日、お部屋の中で待っていてくれたお二人の顔を見たとたんに、懐かしいようなわくわくするような、不思議な気持ちになりました。
私は、7年前、1年前と、計4回ワークショップを受けていて、今回が5回目のワークショップでした。

ワークショップ・クラス当日までの私は、何度もワークを受けているのに、これ以上、何が出てくるんだろう、もう手遅れじゃないのかな……など、ネガティブ感情しか出てこなくて、不安が高まって黒こげになりそうでした。
ワークショップ・クラス当日も、藤沢さんと少し話しただけで、涙が出そうになっていました。

そして、ワークが始まり……思ってもなかったものが出てきました。
私が悪いから、私が未熟だから、私が我慢すれば済むことだから、もう大人なのに引きずっている私が悪いから……。
そんな風に自分の奥深くへ押し込めて、見ないふりをしていました。
本当はずっと前に、「それがある」ことに気づいていたのに。
それに気づいたのは、ワークの時に藤沢さんに何気なく質問したことと、藤沢さんの言葉からでした。

それが起きたのは、中学生の時でした。
その後の私は、家から一人で出れない、スカートをはけない、学校でも男子とは怖くて話すことができない(安心できる場所なら話せる人もいました)、道で男性とすれ違うのも怖くて震えるほどでした。
中学を卒業して、高校へ行っても、大学へ行っていも、社会へ出ても、それは形を変えながら残っていました。

私は、自分の女性性を肯定できていませんでした。
私は、できれば結婚したいし、子どももほしい。
何より、そばにいて一緒に励ましあいながら生活していけるパートナーが欲しい。

でも、現実の私は、男性とうまくつきあっていくことができない。
どうやってコミュニケーションをとったらいいのかわからない。
1年半前、知人に紹介されて付き合いだした彼とも、結局結婚前に破局しました。


文節区切りの線

まるで、自分の中にふたつ自分がいるみたいに、思う方向へ進めないでいました。
長いこと迷子になっていて、やっと私は、今の年齢の自分に、出会うことができた気がします。

ミラーワークの時、「なんて年をとったんだろう」と、まるで浦島太郎みたいな感想が出てきてしまいました(笑)。
自分の感覚ではもっと若いつもりだったので、この一週間は、何をするにも遅いんじゃないのかって、自分の年齢が気になってしかたありませんでした。

でも、ふと、「夢」って言葉が耳に入ってきて、気付きました。
最初のワークショップに参加した7年前から今日まで、ずいぶんいろんな夢をかなえてきていました。
一番は、やりたい仕事についたこと。
今月より異動があり、仕事のしんどさばかりが目について、自分がやりたいことを仕事にしているということを忘れていました。

それ以外にも、一人旅に行く、岩盤浴に行くとか、小さな事をあげたらきりがないくらいです。
昔の私にとっては、一人でカフェに入ることだって、ものすごく勇気のいることでした。

それに気づいて、ここまで一緒に頑張ってきた自分に、感謝の気持ちがわいてきました。
今は、チェアワークとミラーワークをお守りに頑張っています。
今の職場は、狭すぎてトイレの数が二つしかなく、チェアワークをやりづらいのが悩みです。

やっと出会った自分を見失わずに、アフターワークを頑張ろうと思います。
本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) スイセンクラス





藤沢さん、田宮さん、そしてスイセンクラスの皆さま。
先日は本当にお疲れ様です。
皆さまとワークショップを受けることができて、本当に良かった!
本当にありがとうございました!!

実は、PAY FORWARD は月曜日位から取組みはじめたんですが、書くたびに色々なことが湧いてきてまとまらず、どうしようかと、途方にくれたりもしました。
文章も全然まとまりがなく、自分の「未来日記」と同じような状態になってしまい、他の誰かが読んで伝わるのかあやしい気がします。
でも、今の私の正直な所を伝えたいので、そのまま送らせていただきます。


私のクレンジング・リアクションは、ワークショップ・クラス中からはじまっていたようで、休憩後のワークショップ・クラスの途中から頭が痛くなっていました。
終わってからの2,3日は鼻水が止まらなくて、この1週間は疲れやすかったように感じます。

今回のワークショップ・クラスをうけて、ようやく私の中にも自分の家族にも「問題」があるということを、認める準備が出来てきたと思います。
前回受けた WORKSHOP でも、「完璧な親・家族はない」というようなことを聞いていたのですが、私はそれを受け入れることがずっと出来ませんでした。
知識としてはわかっても、自分の気持ちがついて行かず、もやもやとした感覚がずっとありました。

「だって、こんな仲の良い私の家族に、問題があるだなんて考えられない。むしろ、そんな風に考えてしまう私は、なんて奴なんだ!」
正直そんなことを繰り返し考えていました。
自分に罪悪感が湧いて、私は悪い子、そんな私はダメなんだ。
これが、私のお決まりのパターンになっているようです。


文節区切りの線

プレワークは何を書いたらいいのか、最初からずっと戸惑っていました。
ない所からひねり出す様な気持ちで取り組んでいました。
自分の身体のサインを感じようとしても、わざわざプレワークに書く程のサインを掴めず、以前病院に行ったり、不調を感じた時の症状を手掛かりに、近いものを感じたらメモするという状態。
ワークに強く書くほどのことには思えないけど、メモ程度に書いておくか……と苦々しく思いながら、記入をしていました。

ところが、WORKSHOP で「からだ MEMO」を見たら、連想できることがどんどん出てきて、びっくりしました。
私が当たり前すぎて、プレワークに「書くまでもないこと」と切り捨てていたことが、身体からのサインだったとは。
持病だと思っていたアトピーも、環境の変化によるただのストレスや運動不足が原因ではないかと思っていた過去の突発性難聴も、首・背骨の通院も、私の身体が出していたサインだったとは。
そして、そのルーツと身体が知らせたいことを考えていくと、ああ、そうだったのか、とストンと納得できることばかりでした。

自分の不健康な状態に対して、私はなんてダメなんだろう、もっとちゃんとしないと。健康に気を使うのなんて、基本的で当たり前のこと。それもできないなんて……と、自分を責めるパターンを繰り返していました。

でも、「身体のワークショップ」で、これは私が私に出しているサインということがわかり、すごくほっとしました。
こんなに私ががんばっている証拠で、もっとこういう事に目を向けて理解すればいいんだよ、って教えてくれている。
私ってこんなに頑張ってきたんだ! と認められた気がしました。


ミラーワークは、セルフトークと他人と比べることをしないようにするので、必死でした。
すぐに私はダメ、と自分で自分を他人のフリをして叱りつける事の繰り返し。

チェアワークをしても、鏡に向かおうとすれば、すぐにセルフトークになってしまい、つらかったです。
2回目も3回目のミラーワークも、ほとんどそんな感じでしんどかったです。
最後の最後に、ようやくちゃんと鏡をみて伝えられたのかなと、感じた気がしました。

今に戻って、出来たことを見つめて、自分を褒めてあげるということ……それを私がしても OK、私も私の味方で OK、と納得できてはじめて、鏡の中の私に向き合えた気がします。


文節区切りの線

あまり今まで意識していなかったのですが、 WORKSHOP と課題に向かってみて、私は自分のことを「何もできないダメな子」だと思っているのだな、と感じました。
自分のイメージがそこから始まっているので、大人性や、自分の味方・頑張っている可愛いヤツ(自分)なんて言葉は、私には当てはまらないもの(私以外のあらゆる人はそうであっても)と思い込んでいます。
だから、実は WORKSHOP の中の話もなかなか、ストンと自分の中で消化することができず、もやもやとどんよりした感覚が付きまとうことがよくありました。

今回 WORKSHOP にて、セルフトークをやめて今に戻る、身体のサインを読んで、今考えてみる。
この流れをやってみて、初めて私の中の自分イメージが違うんじゃないか? と思え始めてきました。
もしかしたら、私は十分頑張ってきてる、立派な大人なのかもしれない……そう見えるような感じがします。

話には聞いていたけれど、「身体のワークショップ」中は涙がこれでもかって位あふれ、今も PAY FORWARD を打ちつつ泣いて、こんなに涙は溢れるものなのかと、自分のことながら驚いています。
ただ泣くことが苦痛ではなくて、溢れてくるから流れるという自然な感じなので、とてもすっきりできるのが不思議に思います。

今は、PAY FORWARD に取組みつつ、薦めていただいた『毒になる親』を読んでいます。
未だに自覚は薄いんですが、読んでいくと、私の考えと感情は親に、かなり絡み合ってるようです。
これもびっくりしています。
自分の家族に関する記憶を、掘り下げるのは不安で怖いですが、アフターワークに向かいつつ、少しでも取り組んでいけたらと思っています。

自分のことを掘り下げるのも怖いですし、家族のことと向き合うのはもっと怖い。
自分のパターンを知るのは不安ですし、そうして変わるのか、変わるためにこの先していくことを思うと不安。
ついでに、自分を無意識で卑下し続けていくこのセルフトークをどうにかしていく、なんて思うとますます不安で怖い。

でも、WORKSHOP CLASS でがんばったことは本当。
スイセンクラスの皆さまとがんばったのは本当。
なので、それにすがりつつ、そして自分を褒めて(難しいけど!)取り組んでみようと思います。


一緒に WORKSHOP CLASS を受けたスイセンクラスの皆さま。
藤沢さん、田宮さん、本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) スイセンクラス





優月さん、田宮さん、スイセンクラスの皆さま、先日はお世話になりました。
そして、ありがとうございました。

この一週間は、眠くて仕方ないのに、いざ寝るとなるとなかなか眠れなかったり、夜中に何度も目が覚めるような日々でしたが、不思議と「今」にいる感覚が続いています。

今回の「身体のワークショップ」は、一番参加してみたかったものでした。
「もう不安に思うのはやめよう」と思っても、しばらくすると再び不安を感じていたり、心を変えるのは難しいけど、身体からなら変えられるかも、と思っていたからです。

実際に参加してみて、身体と心は思っていた以上につながっていたのだなと思いました。
いつも感じていた肩コリや喉の詰まりに、そんなメッセージがあったなんて!
とても驚くと同時に、身体の症状のひとつひとつに意味があることになんだか感動し、身体についてもっと知りたくなりました。

身体の声を聞くこと = 自分の声を聞くこと。
これからの人生を生きていくうえで、とても大切なことを学んだように思います。

私にとって難しかったのはミラーワークです。
自分からのメッセージを言葉では受け取れなかったのですが、「いる」ということを認識できたのは大きかったです。
焦らず話しかけてみることが大切かなと思っています。

「今」にいる感覚を心の底から感じられたことも、大きな収穫でした。
「今」にいることは、とても安心できて、自然に心を開くことができるように思いました。
「今」にいることと、ワークショップ・クラスでのあたたかい時間は似ているなぁと思います。

本当にありがとうございました!



タイトルはじまり目印

M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) スイセンクラス





クラスの皆さん、藤沢さん、田宮さん、ワークショップ・クラスでは大変お世話になりました。

ワークショップ・クラスの翌日の月曜日は休みだったので良かったのですが、火曜日は身体がだるくてだるくて、仕事するのがすごく大変でした。

今回のワークショップ・クラスでも出た、「許す」という課題。
自分が何を許さなくてはいけないのか、分かってはいるけれども、ずっとできずにいました。

ところがある日、突然、「もういい」と思いました。

もういい。
もう ”わたし” の中から、嫌な人たちには出ていってもらう。
このままにしていたら、私の人生は、嫌な人たちで占められてしまう。
そんなの全然楽しくない!
”わたし” は私が守ってみせる!

そう思った時、身体の真ん中を、すうっと爽やかな風が通ったような気がしました。

それには、ワークショップ・クラスでのミラーワークの影響があったんだと思います。
1回目のミラーワークの時、鏡の中の自分は、
「こんなにボロボロになっちゃって……。どうしてもっと早く助けを求めなかったの?」
と言ってきて、その言葉に涙が出てきてしまいました。
私はずっと私の傍にいて、ずっと私を見守ってくれていたのでした。


文節区切りの線

たったひとり、どんなにひどいことを言っても、どんなに無視していても、決して離れずにずっと傍にいてくれた人がいた。
これからも、どんなことがあっても、ずっと傍にいてくれる、とても心強い味方の ”私” という存在がいる。

私はひとりぼっちではないんだ、と初めて思えたような気がします。
だから、「嫌な人たち」に出ていってもらえたのだと思います。
そんな人たちがいなくても、自分自身というもっと大切な人がいるから大丈夫だ、と心から思えるようになったから。

それから、自分を大切にすることと、今の仕事を続けることが並び立たないことに気付きました。
私は結構いいお年なので、これからのことを考えると不安がいっぱいですが、もうこれ以上自分に嘘をつきたくないので、心強い味方である自分と相談しつつ、自分のやりたいことに人生をシフトしていこう、と思います。

最後になりましたが、ペアを組んでくださった方の、柔らかい笑顔にとても癒されました。
ありがとうございました。
貴女のような素敵なお母さんの娘に生まれたら、すごく幸せだろうな~と思いました (*^v^*)

大切な時間をシェアしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

M. T. さん(20代/広島県よりご参加) スイセンクラス





藤沢さん、田宮さん、スイセンクラスの皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私はこの一週間、言葉や文章がうまく形にならなくなり、珍しく大量の糖質をとってむくんだり、久しぶりにだらだらゲームをしたり、しょっちゅう睡魔に意識を奪われたり、引っ越し先を探したりしていました。
そして、今になってあわててこの文章を書いています(汗)。

結果から言えば。
6月24日は、私の「甦った日」になりました。

「変容」の時点で実感していた、大きなものが欠けている感じ。
それをようやく自分の中によみがえらせ、取り戻すことができました。
2歳の時に失っていたんですから、相当時間がかかってますよね(笑)。


自分には身体がある、と自覚するのは、一般的には幼児期らしいのですが、私の場合は 20代になってからでした。
操り人形のように、手足を外から操っているような感覚がずっとあって、昔から走ったり、跳んだり、ボールを投げたり、という動きがうまくつかめませんでした。
もちろん、体育は軒並み苦手で。

大学で古武術を習い、理論と実践で体の動かし方を教わるまで、この体も「考えている私」と同じように動かせるのだ、ということを、私はまったく知らなかったのです。

また、他人との見る・見られるの関係を実感したのも、20代に入ってからでした。
しかし、その自覚はどちらかというと、
「他人にとって、目の前に私が居ることと、私の体があることは、同じだと見なされているらしい」
という、どこか他人行儀な感触でした。


文節区切りの線

この体を見て、他人は「考えている私」を含めたMさんだと言う。
けれど、ここに私の名を持つ体があるからって、どうして「考えている私」までここにいることになるんだろう?
ずっと、本当に、不思議でならなかったのです。

今なら、わかります。
理屈ではなく、身体と心と脳みそがぴたりと「そこにある」感覚。
うまく言えないのですが……
私がここにある、ということを、当たり前に感じられるのです。
びっくり。

次の日、池袋のホテルでだらだらしながら、
「ああ、私よみがえったんだ」
と、何の根拠もなく思いました。
それまでは、ずっと仮面だった。
うそではなかったけれど、本当でもなかった。
生かすためのプログラムで、ずっと、ずっと、生きていた。


文節区切りの線

言葉なんてかけらも浮かばないほど泣いているときに、「言わなきゃわからないでしょう!」と重ねてしかられたこと。
完璧主義で、自分以上の責任を勝手に負う母と、経済的に共依存気味で、私を甘やかしながら傷つけてきた父と。
それが全てではなかったけれど、幼い私にとっては、死ななければ生かしておいてもらえない環境に思われたのでしょう。
そういえば、私が気管支喘息を起こして入院したのも、2歳の時でした。

親とは子供を世話するものだ、と思っているから、私には「愛情」というものがよくわかりませんでした。
それは、定義であり義務であって、犯罪者とならないための行動に私には見える。
逆に言えば、それ以上の理由もない、不安定なものに見える。
おかげで、生き延びるための戦略として、反抗期を捨てたくらいでしたから。

周囲が結婚したり、近い世代が親になってきたのを見ることで、「愛情」というものの存在や輪郭は察してきているのですが……
やっぱりよくわかりません。
ただ、自分に瑕疵があれば(あると見なされれば)捨てられる、生き延びられなくなる、という考え方からは、もう脱出していいんじゃないかな、と今は思っています。


ところで、ミラーワークで本名を呼ぶのに、私の中でものすごく抵抗がありました。
というのも、私は長いことネット上での人間関係が多くて、ハンドルネームで名乗ったり呼ばれたりすることが普通になっていたからです。

自分でつける「第二の名前」は、本名の自分と適度に離れていて、頭中心で生きていた私にとっては、それはそれは便利なものでした。
特に初期のインターネットは、どこか異世界めいた印象を与えていて、情報を出している限りそこに存在できるので、「考えている私」にとっては外よりも楽だったのだと思います。

社会に出て、本名で知り合う人が格段に減って、社会的に必要なときくらいしか本名を使わなくなって。
本名をもじったあだ名さえ、私にはハンドルネームと同じで、取り戻した私そのものとは、全くつながった実感がなかった。
空虚を被う殻のように、「私」というシステムが働いていて、それをいろんな名で名指されていたように、今は思うのです。

一番最後の最後、まるで奥深い淵からぬっと出たような、恐ろしく冷たい鏡の中の顔は、もしかしたらそれだったのかもしれません。
20数年働いといて、2歳児を取り戻したからと存在を脅かされたら、そりゃ呪いにいきたくもなるわな。


文節区切りの線

さて、怒濤のワークショップ祭状態を経て、ずいぶん遠くまで来たものだと感慨深いです。
前回のメモがもう他人のようで……アフターワークどうしよう(汗)。
以前の文章を読むのもまだしんどいですが、少しずつましになってきました。

思い返せば、いつだって面白そうな方に歩いてきた。
そのための情報もつながりも、行き合うように簡単に見つけてきた。
その嗅覚は確かだと、今は思うのです。


どうにも、今のことになると言葉にするのがまだ難しいです。
ただ、以前よりずっと肩や背中は軽いし、誰かの言葉や感情に振り回されることも減ってきました。
事情により、今後しばらくはワークショップへ参加できそうにないですが、機会が合えば、またお邪魔したいと思っています。

皆様、本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

N. N. さん(30代/埼玉県よりご参加) スイセンクラス





ワークショップ・クラス、泣けなかった。
ひとり、ケロっとしていた。
苦しかった。
つらかった。
クレンシング・リアクションが表れながらも、ワークショップ・クラスを想うことも、ワークも、自分のことも、今の今まで、逃げていた。

でも、私は知っている。
ワークショップ・クラスのあの空間に、優月さんの話に鳥肌がたっていたことを。
優月さんの言葉に、泣いてしまったことも。
身体のサインのメモに、納得がいったことも。

それらの全てのことが、私には、この方法が大切だって、身体が叫んでいる。
ワークショップでの学びが、私には、とてもとても大切なことだよって。
だから、例え、今、やる気力が落ちていても、迷っててても、どうしようもなくなっていても、これは、やっていかないと大変なことになるって、どこかで、気づいている。


文節区切りの線

やっていかないと、いつか、死んでしまうだろう。
無意識の重みに耐えられなくて。
生きづらくて。
居場所が見つからなくて。
生きているけれど、死んだように生きていくんだろう。

基本をやろう。
自分を大切にするために、自分の声を聴くことから。
今の私には、それがスタートだと思う。
くじけそうになるけれど、逃げたくなるけれど、何度でもスタートに戻って、ここから、いつでも始めよう。
そして、人と比べるのをやめよう。
出来ないことは認めよう。

帰り際、優月さんに聞いてしまいました。
「私は、ゴールにたどりつけるのだろうか? 私は、どこがゴールなんだろう?」って。
そしたら、やっぱり、私の思う答えが返ってきた。
私も、人に聞かれたら、そう答えるだろうし、素直に「そうだよなぁ」って思った。
誰もがみんな、人の人生に責任は負えないから。

けれど、何で、私、そんなことを優月さんに言ったんだろう?
自分の言ったことに、不思議で仕方なかった。

後になって、ワークショップ・クラスを振り返って、ああ! って気づいた。
私、ここでも人と比べていた。
だから、ただただ、不安になっていたんだなぁと。


文節区切りの線

ワークショップに取り組む前の生活に戻りがちだけど、怠けてしまうけれど、道のりは遠いけれど、時間がかかりすぎるけれど……。

そんな自分も好きだと、愛しながら、ゆっくり進んでいきます。

思いきって、飛び込め!!
思っているより、怖くない。
たぶん、きっと。

あの日、手をつないだ仲間と、今もここでつながっているみんな。
お互いに知らないけれど。
仲間がたくさんいる。
それは、心強くて、あったかい。

いつもいつも、ありがとう。

優月さん、田宮さん、ありがとう。

ありがとうございました。


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。