2012.02月開催 「境界線ワークショップ」ぽらりすクラス

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Y. I. さん ぽらりすクラス





藤沢さん田宮さん、そしてクラスの皆さんお疲れ様です。
そして、特別な時間をありがとうございます。

私は今、非常に疲れてます(笑)。
昨日の今日なので当然ですね。

正直、今回の WORKSHOP は、最初は参加しないつもりでした。
というのも、日程的にハードスケジュールになることが分かっていたからです。
それに、今年はいっぱい開催するみたいだから、そのうちでいっか~、とか思っていました。

けれど、何故か模擬試験中に「本当に参加しないの? したいのに?」と急に浮かんで来て(その瞬間までは全く迷ってなかったのに)、びっくりしました。
そんな自分の前提の考えと別の意見が出てくるのは、初めてのことでした。

その後、ゆっくり灯台タイムをとって、本当は行こう! 行こう! と言ってるらしいことに気づき、「しょうがないな、やってみる?」ってな感じで参加を決めたのでした。
なので、コンディションとしては良くないのですが、夜行バスで行って WORKSHOP 受けて夜行バスで帰る、ということをしました。
それぐらいしないと、その先どんなに待っても行けないと、心のどこかで分かっていた気もします。


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今回は WORKSHOP 2回目だったので、以前より空間の安全さを感じることができ、また、自分のまま心を開いて参加できたと思います。
そして、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」は随分前から受けたい(が、どうせ私は一生受けられないだろうな)と思っていたものでもありましたので、念願叶った WORKSHOP でもありました。
そういう意味で、本当に特別な時間を過ごさせていただきました。

WORKSHOP がはじまり、最初から涙が出るのには自分でも驚きました。
泣いているのに、自分の感情が全く分からないのです。
ここは泣いてもいい場所だからと、何かが緩んだのかもしれないです。
でも「何でまだ何もしてないのに泣いてんの!? やめなよ恥ずかしい!」と思い、涙を止めようとしたのも事実で……普段私が気が付いていないだけで、自分を責めるセルフトークをしているのかもしれないな、と思います。

今回の WORKSHOP では、本当にいろ~んなことに気が付きました。
それを全部書くと、さすがに長くなりすぎるのでやめますが、本当に盛りだくさんでした。


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二つだけ書かせてもらいますと
(1)自分の家庭に問題があると人に知られるのが怖い
(2)境界線があるかないかは透けて見える
ということです。

まず(1)ですが、私の父は酒癖の悪い人で、怒りをまき散らすタイプの怒り上戸です。
だから、お酒を買ってるのを見るとその本数から、今日は危ないぞ、なんて子供心に警戒したものです。
しかし、普段はとても優しく、とても私と仲が良かったので、私は見ないふりをしました。
それしかうまくやっていく方法が分からなかったのです。
それに、家族もそれを望んでいると思いました。

その結果か、私は今でも、自分の家庭に問題があると自分で言うことにとても抵抗があり、人に知られるのが怖く、ひどく敏感なのだと思い知らされました。
つまり、ジェノグラムがなかなか書けなかったのです。
途方にくれました。

次に(2)ですが、そのことに気が付いたのはロールプレイをしている時です。
相手の人にそのことをフィードバックすることができなかったので、ここに書いておきます。
それに、それは同時に自分の姿でもあったと思うので。

最初のうちは、見ていて本当に境界線がなく、スカスカでした。
気の弱い私でさえも、もう少し押せば意見を通せるな、と思いました。
なんていうか、迷い、戸惑い、怯え、自信の無さみたいなのが、キレイに透けて見えるのです。

それが、回を重ねるうち、徐々に線(まだ頼りないですが)になったのが感じられたのです。
本当にこんなに違いがはっきり見えるものなのかと、驚きでした。
線のあるなしが見えるので、線が無ければそりゃ相手も突っ込んでくるわな、と妙に納得したのを覚えています。

境界線の練習を、もっともっとしたいと思うし、まだ心配ですが、ここで練習できたことは確かに自信に繋がったと思います。
この機会に恵まれてよかったです。

まだまだ下手だし、実際失敗もするとは思いますが、ここでみんなで練習したこと、悩みながらも良い方に変えたい、と同じ志を持って集まったクラスのことを思い出しながら、なんとかやっていこうと思います。

ありがとうございました。



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K. W. さん ぽらりすクラス





藤沢優月様、田宮様、ご参加の皆様

お疲れ様でした。ありがとうございました。
クラスの皆様が、お昼休みが終わったあと、本当にやわらかな優しい顔で戻ってらしたのが、すっごく嬉しかったです。
あったかくてやさしくて、人ってきれいだなって思いました。
一緒に参加できて嬉しいです。
ありがとうございました。

今回の感想は……私、泣けるんだ! ってことです。
これまで参加した2回のワークショップでも、今回でも、最初から涙を流してらっしゃる方たちのことが、私、すっごく羨ましかった。

私が育った家では、涙を流したり、感情を表現するのは私以外の家族の役割で、私は黙って仕事をする役割だったから、私は冷たくて感情ってないのかも、って小さい時から思ってました。
でも、たとえば無理難題を押し付けられたり、好きなことを奪われたりすると、そんな権利ないはずなのに、勝手にかーーーっと耳が熱くなって、涙、流れてくる。
要らないのになあ。
もう解放されたと思ってた枠が、ふっと浮かんできて消えてった感覚がありました。

今回取り組んだテーマは、最初絞り込めてなかったのですが、ぐっと集中したとき、分かりました。
中心に向かおうとちゃんと決意すると、ほんとに小さなことからでも開けてくるんですね。

私が泣けたのは、2年前、親と「対決」した時のことを思い出したからです。
私は、親と典型的な共依存状態でした。


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対決の目的は本来、
「これから私、夢を生きていくんで、ほっといてください。こういう試験に受かってこういう学校行きます。お金は工面して大学はちゃんと出るから、よろしく。」
そう告げるだけのはずでした。
でも、対決の方法を知らなかったので、結局は私の言いたいことはなに一つ伝わらず、夢を選べませんでした。

その後1年間ぐらい、泥沼のように毎週毎週実家と往復して、ゲームを繰りかえして、進路は二転三転して……対決をしたこと自体はよかったと思います。
そこで思いっきりやりあったから、お互いに膿を出して、それまでの人生とは 180度景色が変わりました。

そんな人生を許す、って思って、ここ2年は生きてきました。
夢叶えられてないけど。
一つは確実に失ってるけど、でも、まだ死んだわけじゃないし、やり方変えればいくらでもできるし。

でも……やっぱり私、悲しかった。
正直、その対決から始まった2年間のことは、あまりに多くの希望と絶望が一緒くたで、よく思い出せません。
今のほうが、対決前より幸せなのは間違いないです。
でも、確実に私は、大きなチャンスを失いました。

どうして日常の幸せを得るために、心が踊るような喜びを明け渡さないといけなかったの?
……このワークショップの最中に、初めて、悲しむようになりました。
悲しむヒマもなかったから。
健康に生きるために一生懸命だった。
ただ生きるために、いろんなものを犠牲にしなければいけなかった過去に、涙を流したいと思います。


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なので、クレンジングリアクション、今回は長いこと出る気がします。
今も書きながら泣いちゃいました。
でも怖くないです。
お弔いをしたかったんだなあ、って気づきました。

「NO」を言う練習は、伝わる快感を味わうことができました。
こうやって、1つずつできるようになってるから、確実に進んでる。
パートナーの相手の方の「NO」が聞けたのが、本当に嬉しかったです。
お疲れ様です、すっごかったと思います!

最後に、ONSA WORKSHOP が受けられるぐらい健康になれた私を、本当にほめたいと思います。
親しい友達が言ってくれました。
「正直、それでよく病気にもならずにやってきたね。」って。
本当に思います、気を抜いたら普通に心折れて、実家の座敷牢か精神病院への社会的入院だったな、って。
あとは、暴力癖のあった元恋人と結婚とか?
ふふ、笑っちゃいますよ、もう。


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今は、普通に働けて、職場でも信頼されて、境界線を持っている恋人に支えられてて、夢に向かう体力も気力もついてきてる。
しかも家族と、普通に紅白を見て笑ったりもできる。
奇跡だと思います。
だったら、ここでもっともっと自分と向き合って、自分の人生を肯定していくことで、自分が夢を叶えることを許します。
安心して、私のなかの小さな子に預けて、いきたいと思います。

ONSA は、本当によく考えて作られてる空間だなあって、今日いろんなページを見ながら思いました。
始まりから終わりまで、ずっと信頼できる場所に出会えて嬉しいです。

優月さん、スタッフの皆様、本当に真摯に考えてくださってありがとうございます。
ONSA に縁あっていらしてる皆様へ、すべての愛と勇気を祈ります。



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H. T. さん ぽらりすクラス





優月さん、田宮さん、ペアをくんでくださった方をはじめ、ぽらりすクラスのみなさま、先日はありがとうございました。

今はクレンジングリアクションなのか、頭痛、歯痛、ものもらい、口内炎で体のコンディションがすごく悪いです……。

前半の TEG(エゴグラム)で、自分はクラスで一人だけCP(* 交流分析の用語/編集注)が高く、自分でもその素質はあると思っていたのですが、それが家族や友人との関係が苦しくなる理由だとは思ってはいませんでしたが、あのクラスで「CPとは」ということを聞いた瞬間、「あー」っとわかってしまいました。

そして、そのことが
「私が頼まれもしないのに勝手に引き受けてたんだ」
「いや、でも、あのときはしかたなかったんだ」
「でももうその役割はおわったのかも」
と、セルフトークがはじまってしまい、後半のワークは実は集中できていなかった気がします。


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「断る」のワークのとき、「あなたは優しくない」というフレーズをいってもらいましたが、頭のどこかで「そう、私は優しくないかもしれない」という声がしていて、きちんとできていなかったかんじがします。

2日間たって、ふと、昔の出来事なんかを思い出して、
「ああ、だからこうなってるんだ、自分」
「しかたないよね、教わらなかったんだから」
なんて、穏やかに考えられるようになってきました。

あと、ワークショップ中にも気づいていたんですが、私は本当にいつもファイティングポーズをとっているんです(笑)。
寝てる時も、リビングで家族といるときも。
それに気づいて
「あ~、いつも自分がふんばってないといけない、次のことを考えてないと何もすすまない、って、勝手にがんばっちゃってたのね……」
と思い、泣けてきました。

まずは、チェアワークや『未来日記』で自分を甘やかして、自分の気持ちを聞いてあげることから始めたいと思います。
そして、自分の問題じゃないのに手をだしたくなってしまうときは、ぐっとこらえていこうと思います。



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M. K. さん ぽらりすクラス





藤沢さま、田宮さま、「ぽらりすクラス」のみなさま

大切な時間を、ありがとうございました。
本当にあのような時間をもたらしてくれたことに、感謝しています。

正直、藤沢さんの「変化は一瞬」を疑ってました。
ごめんなさい。
変わる瞬間はわからなかったけれど、変わったことは実感できています。

翌日は、午前中はアフターワークをやりながら、前日のワークショップを思いだしたりして、泣きまくりました。
午後は寝て、夕方から少し落ち着いた感じです。
いつもなら見られるテレビも 10分と見ていられず、心の声を聞くことに集中した一日を過ごしました。

そして気がついたこと。
生まれて初めて、自分を良くしたいと思っています。

私は、今まで「向上心」がよくわかっていなかった。
どうして周りの人は、よりよい自分になろうとするのか、全然理解できなかった。
そりゃぁ、自分じゃない自分をよくしたいとは思わないですね。
当たり前のことだけど、それがわかっていなかった。


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今は、なんだかわからないけど、もっとよくなりたい。
まだどうなりたいかまでは出てこないけれど、とりあえず健康になりたいです。

そして、予告されていたことは、何と翌日に発生しました。
例の「練習」を試す時です。
幸い、対面ではなく電話だったので、あまりオタオタせずに済みましたが、もう「きたきたっっっ!」って感じ。
訓練した甲斐あって、無事クリア!
それも、そんなに強い感じではなく、穏やかに行ったのに、すんなり終了。
あれ? こんなんでいいの? なんだ……こんなんでよかったのかぁ(号泣)。
すぐにチェアワークしました。まだまだのようです。
あの練習のペアを組んでいただいた方に、本当に感謝しています。ありがとうございました。

最後に。
40代で参加を迷っていらっしゃる方。
まだ遅くないですよ~。
残りの半分の人生を、ちゃんと「自分」として生きるために、踏み出してみませんか。

また藤沢さま、田宮さま、そして新しいワークショップの皆さんに会いにいきます。



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K. T. さん ぽらりすクラス





藤沢さん、こんにちは。
その節は有難うございました。

帰ってから、背中が痛かったり、だるい感じの日々が続いています。

初めて参加したワークショップでしたが、まずは藤沢さんの元気のよさに驚かされました(笑)。
「この人似てるな……まさか……まさかだよね……えっ」
って感じでしたね(笑)。

ワークショップ・クラスの始まりに、手を握っていただき、思わず涙がこぼれましたが、実はその前の1週間、ストレスで会社に行くのが苦痛な日々をすごしていました。
朝、だるくて起きられないのでした。

そして、ワークショップに参加したことで、
「人は(というか私は)、感情をたくさんたくさん溜め込んでいたのだな」
と思い、そして
「それに蓋をして生活をすることも、なんと可能だったということだな」
と思ったのでした。

「自分の本音にストレスをかける生き方……」
は、知らず知らずのうちに身についてしまったものだと思います。


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そして、感情を素直に開放することが、こんなに楽で心地よいものだということも、久しぶりと言いますか、初めてと言いますか、実感することができました。

チェアワークをして感じることは、心の「玉」がぽよぽよと? 体の中心で小さく揺れているような、跳ねているような状態になるということです。
ちょっとぽかぽかして、嬉しい気持ちになります。

心の「玉」って、かわいく元気な生き物みたいです。
夢を見まして、とっても可愛い猫が出てきたのですが、ちょっと私の心の「玉」と似ているかも~、と思いました。

心が、心のままに生き続けるのはどうしたらいいか。
それを守ってやる為に、ちょっとした工夫が必要と感じました。
そして自分が、その心の「玉」を大切に守っている限り、無駄に他人を傷つけたりする気持ちにもならないような気がします。


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実はその翌日、懸念の人と会うことがあったのですが、そんな心の目で見てみると、やっぱり良い人だな、かわいいな、と思います。
けれども、生きる都合があわないかもしれません。
それを摺り合わせようとして、私はくたくたに疲れきっていたのだろうと思います。

今、この瞬間は、楽しい。
だけど、結婚するってなんだろう。
結婚って必要なもの?
しなきゃいけないの?

幸せってなんだろう……。

と思うと、結婚していても、していなくても、子供を持っていても、持たなくても……。
幸せであることとは、たいして関係が無いのかもしれない。と思ったりも、します。

藤沢さんは、「期限を気にするな」「他人の気持ちを気にするな」と仰いましたが(正直衝撃でしたが)、私のようなものに対する荒療治だったのかなぁ、と思いました。

まず、自分自身に焦点をあてること、自分に集中すること。
自分を幸せにすること。

あれこれと考えるより、その感覚を大事にすることが、まずは問題解決の第一歩なのかもしれません。
その感覚を、しっかりと覚えていこうと思います。


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しかし、現実世界は複雑です。
いろんな人の意見に添っていると、摩擦も少なく、毎日は一見つつがなく流れていきますが、ふと。
「あぁ、私、また問題の先送りをしている……」と気づくのです。

あの ONSA の安全な空間で感じた、100%ジュースのようなきらきらした「自由」を、現実の世界で味わうことは、時に難しいのかもしれませんが、それでも。

現実を生きるにどうしたらいいかを、今後考えて生きたいなぁ、というのが私の課題として残りました。

最後に、決して依存するわけではありませんが、藤沢さんの情熱を、真剣な瞳を、私は忘れません。

ありがとうございました。



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K. K. さん ぽらりすクラス





藤沢さん、田宮さん、ご一緒しましたクラスのみなさん、
ワークショップでは本当にお世話になりました。

私は、初参加にも関わらず、3週連続でワークショップへの参加でした。
「とにかく変わりたい!」
「今やらなきゃいつやるの?」
そんな思いで、意を決して参加を決めました。

今回が、3週目の最後のワークショップでした。
そのため、私が抱える問題に対して、どこかで勝手に、今回が仕上げというような意識がありました。

結果から先に申し上げますと、とてもとても変化を実感しています。
何が変わったかと言われると言葉に詰まるのですが、心が軽くなり、やわらかくなったような気がするのです。

それと同時に、今までいかにファイティングポーズをとり続けていたのかよく分かりました。
今は、もうファイティングポーズをしていないかと言われるとウソになりますが、以前は常時何かに怯え、不安ばかりで、心も体もガチガチだったような気がします。


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そんな私が、安心して心を開くことが出来、自然に笑顔を浮かべることができるようになったことは、とても大きな変化でした。
ワークショップ・クラスが終わった後に、1週目にご一緒した方から「1週目と雰囲気が違う!」と声をかけて頂けた時は、本当にうれしかったです。
内側の変化は、ちゃんと外側の変化にもつながる。
そんなことを実感しました。

今回のワークショップでは、色々と大きな物を受け止めなくてはいけないことが多かった気がします。
特に、共依存について藤沢さんがお話下さった時には、衝撃が走りました。
私は、自分がアダルトチルドレンだということを自覚していましたが、お恥ずかしいことに私の勉強不足もあって、共依存は畑違いのことだと勘違いをしていたのです。
私の勘違いもあって、改めてガツンと大きく心に衝撃が走りました。

どうしよう……。なんとかしなくちゃ……。
このままだと、せっかく変化を感じられてきたのに、抜け出さないとまた同じことの繰り返し……。

そんな不安がこみ上げてきましたが、ワークを重ねていくうちに、今出来ることを精一杯やって、絶対に自分の人生を生きなくては! と強く思うようになっていきました。

「今を生きること」

繰り返し藤沢さんがおっしゃって下さいましたが、抜け出すためには、まず今を生きなくては意味がない。
それを体験を通して、心で理解し始めることができたような気がします。

自分に集中することは、私にとって、とても難しいことでした。
心の声だと思っていたことが実は数パーセントで、必死に動かしている頭の中の声だったり、過去の声だったりと、うまくできないことが多かったです。
でも、難しいと感じることこそ、私が変わるために必要なことだということが、だんだん分かってきたので、とにかく耳をすませ続けようと心に決めました。


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後半のワークでやったロールプレイングでもそうでした。
「i message」を使って自分の意見を言うことは、私にとって、全身の勇気をふるわなければ言えないほど勇気を必要とすることですが、これも、それだけ私を変えてくれるものである、ということが分かりました。
ワークショップ・クラスを終えてから、まだ実践する機会は来ていませんが、もう自分を傷つけるのは嫌なので、勇気を振り絞ってでもやる覚悟を決めています!

藤沢さんが重ねておっしゃる「心を開くこと」は、本当に本当に重要であるということが心で理解できたというだけで、私にとっての大きな収穫であり、変化でした。
私は、心を開く事ができた後、来るべきクレンジングリアクションを体験し、そして自分の変化を感じることができました。
本当に心を開いただけでこれだけの変化を体験できたので、私からも「心を開かなければ損☆」ということを、この場を借りてお伝えできればと思います。

やっとやっと、私は本当の意味で、スタート地点に立てたのだと思っています。
ただ、今はスタート地点に立てただけなので、これからの本当の戦いに向けて、ワークショップで頂いたたくさんの知識とワークを武器に、一歩ずつ努力し続けていきたいです。

重ねて、ステキな時間を共有して下さった藤沢さん、田宮さん、ぽらりすクラスのみなさん、本当にありがとうございました。

そして最後に、
ワークショップへの参加を、勇気を出して決断してくれた私へ。

ありがとう。



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N. O. さん ぽらりすクラス





泣いて頭がガンガンするような感覚。
過去の自分を、遠くからみてるような感覚。

一歩進めた。
この一歩を進むのに、私って、10年もかかった。
やっと進める。

自分を嫌いにもならないですむ。
相手にけんかを売らなくてもいいし。
壊れるものは、ない。

脱力。
この先のことは一つずつ、丁寧に心に聞いていこう。

自分重心。
自分で決めるのが、やはり重い。
人に決めてもらいたくなる。
そして、自分の人生だから、周りの皆の幸せのためにも、まず、私が自分の人生を生きていく。
ここがスタート地点。


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つらくてつらくて、しかたがないときには、TAT が must に感じるけれど、本当は、自分がどうしたいのか、まだ、わからない。

自分にまだ、WORKSHOP が必要なのか。
教えて頂いたことを糧に、一人で頑張るか。
一人でも乗り越えられるのか。
皆と一緒に WORKSHOP じゃないと乗り越えられないのか。

わからない。
「灯台の時間」をとって、ゆっくり心に聞いていこう。

あの場にいた、全ての人に、ありがとうございました。



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T. N. さん ぽらりすクラス





みなさん、お元気ですか?
ワークショップ当日は、風邪でみなさんにご迷惑をかけてしまったにもかかわらず、あたたかく受け入れてくださったみなさんに感謝しています。
ありがとうございました。

「境界線がうまく自分で引けないこと」=「自分で自分のことが決められない、共依存である」ということを知り、とてもショックを受けました。
確かに、自分に関する重大な問題は先送りしてきたことは感じていましたが……!

心が病んでいるといわれて、大変な衝撃を受けています。(*1)
でも、自分だけではない、多くの人が共依存症だという藤沢さんの言葉に、ホッとしたことも事実です。
そして、時間をかけて、これからのワークやワークショップで、自分に本当に向き合うことに決めました。

がんばる、という言い方は適切ではないのでしょうが、やはり言わせてください。
みんながいるから、がんばれます。
だから、一緒にがんばりましょう!


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*1:こんにちは! ONSA WORKSHOP にご参加いただき、ありがとうございました!
大変重要なことですので、きちんとした理解のため、正確に追記させていただきますね。
「心が病んでいる」という大まかな解釈の仕方ではなく、以下のように再度ご説明させていただきます。

他者との境界線がきちんと引けなく、他人の意見なのか自分の意見なのかが分からない。他人の意見に従って、つい人生を決めてしまおうとする。
これらの傾向に「だって仕方がないよ」「人生そんなもの」と疑いを感じない方の多くは、「共依存」という病的な傾向にある可能性が大きいと言えます。

人は誰でも、健康な範囲で、他者と依存し合います。
人は一人では生きてはゆけませんので、境界線を持った健康な依存関係は、人間が自然に持つ温かな傾向です。

しかし、いわゆる「共依存」はこれとは別の話で、自分の人生を他人の決断にゆだねる/他人の意見を断れない/他人の意見をのまざるを得ないと信じ込んでいるという意味で、心理学的に言えば、不健康な精神状態に分類されています。
また「共依存」者は、他者と自分の境界線が混濁し、自分の境界線の中の話なのか、それとも相手の境界線の中の話なのかが分からなくなっています。

この現実社会には、共依存関係が非常に多いと想定されています。
正確な理解のために、ひとこと追記でした。(藤沢)



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Y. S. さん ぽらりすクラス





優月さん、田宮さん、ご一緒した皆さん

お疲れさまでした。

体調不良を理由に、ワークショップ・クラスを受けずに帰ろうとした私の背中を、もう一度押して下さった優月さん、ありがとうございました。
正直言うと、押して欲しかったんです。(きっと。)
受けたい気持ちと、受けたくない気持ちとがあって、どれがベストな選択か自信がありませんでした。
だから、自分を会場に運んで、背中を押してもらえて良かったなあと思います。

私は、不都合なことがあると、黙ったり、いなくなったりして、気まずさが無くなるまで避難してきた過去を持っています。
それを優月さんに指摘されて、否定も肯定の気持ちもなく、ただ「そうだな。」と思い、うなずいていました。

「自分の心が何を囁いているのか、わからない。」
なぜ、いつも泣いてしまうのか。
なぜ、いつもやりとげた感がないのか。

端から見れば「それじゃ当たり前よ。」と、自分でも一笑に付してしまう。
だけど、頭では分かっていても、向き合えないのは何なんだろう。
怠け者とか、無気力だから、ってことなんだろうか。
気合いの問題だけだろうか。(でも、そもそも気合いが入れられない。)
自分にしか分からない ”見えないカベ” だったり ”重し” だったりが何かあって、身動きができなくなっている気がする。


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いま「困ってる?」と聞かれれば、「毎日平穏です。」と答えられます。
ワークショップに参加する前までは、人にびくびくしたりしてましたが、いまは大丈夫です。
”罪悪感”も、最初に参加したワークショップの時に、明日館の芝生にぽいって捨ててきてから、もう戻ってきていません。

でも、穏やかに自分が死んでいる(生きていない)という感覚は消えていない。
どうやったら、「あぁ。私、生きている。」という感覚を掴めるんだろう、と考えます。

今度こそ本気の力を出そうと思っても、うまく燃焼できずに、何だか気が抜けてしまったりする。
自分に対する逆風を感じると、身が引き締まります。
(か弱いけど)好戦的な性格だし、生きてる感が出てきて、立ち向かいたくなる。
でも、逆風が手加減に変じる一瞬の(状況)流れ、気持ちを読みとるのも上手です。
そして、ついつい甘えを出してしまう。

私としては、幼児期に生きることが必死だったのかも知れない。
だから、「ここは頑張らなきゃ。」とか、「もう大丈夫かな。」という感覚を研ぎ澄ましていたのかも知れない。
無邪気さのあまりない、警戒心の強い子どもでした。

私は、外側から来るものに対しての対処はできるけど、自分の内側からくるものは、どう読みとっていいのか分からないです。
そして、そのほうが楽(必死)だから、感覚にフタをして過ごしてきました。

現在は、「自動操縦機能が優秀過ぎて、フタをしていることに気づいていない」+「フタをしている状態との区別がつかない」ような気がします。


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問題は外側には何も由来しない、という事も解っています。
手加減してくれる状況や人が、悪いわけではないです。
厳しくされればできる、されなければ出来ない、というのが本当はおかしい。
自分が、ただ何かに掴まらないと立てないだけの話しです。
困難な状況はずっと私の支えであったし、平和さは自分の寄って立つところのない心もとなさを感じさせてきました。
結局は、自分で立てていない。

境界線(私)を自分の心の中に持って、相手に三段階のレベルで伝えることを繰り返し練習するときに、言い方を変えるのにまごついてしまいました。
気持ちが最初で、言葉は後なのに、それが逆転してしまうというか、スッぽぬけて困ってしまう。

だから、「同じことばでも構わないのよ」という事実に、何かを感じました。
優月さんの模擬返答もとても参考になりました。
ペアを組んだ相手の方から伝わるものもありました。
自分の中で、カチリと何かが合った気がします。

今まで「大丈夫、できてるよ。身体揺れてないよ。」と言われても、“できている感じがしない” その違和感は、”私” の不在だったのかも知れません。


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境界線を持った ”私” を自分に意識できた時に、何かが違ったのです。
それは、微かに感じた感覚であって、まだはっきりと分かったわけではありません。
でも、確かに何かが違ったということだけは分かります。
”見えないカベ” が、ひとつ見えたのかも知れません。

どんなに身体のポジションを近づけても、中身が空っぽでは倒れないということに過ぎず、重心が取れているわけではない。
重心は “いま、ここ” という感覚でもあると思うから、”私” のあるポジションというのが重要な気がします。

もうひとつ。
「泣き止まないこと」というアドバイス。
ここまでは、気まずいけど大丈夫。
でも、「泣けなくなったらここを弛めて。そうすれば、また泣けるようになるから」と言われると、居心地が悪いし、とまどいがありました。
「そこまでして泣かなきゃいけないの???」と、思いました。

けど、泣けるだけ泣き続けたら、来たときよりも体調が良くなって(気にならなくなって)いました。

当初、「帰ろう」と思っていた理由のひとつに、クレンジング・リアクションへの不安がありました。
体調不良の上に(本気で取り組んで)重なったら、「私、いったいどうなっちゃうの。」と。


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でも翌日は、気になっていたイベントに行っていました。
そして、パネル展示を見ながら、出てくる涙を気にせずにいることができました。
いままでは、人前で泣くのを隠していました。
映画を観た後でも、泣いてたって思われるのが恥ずかしくて……。
いまは、「何で恥ずかしかったんだろうなあ。」と逆に思います。

心配していた、私の(今回の)クレンジング・リアクションは、高揚感みたいです。
疲れはしたけど、すっきりしてます。
一緒にいるとイラッとすることの多かった母の言動も、全く気にならないし、精力的に気持ちが動いています。
ほぼ一週間たちますが、まだ高揚感でちょっと落ち着かない感じです。
これがおさまったらどうなるのか、と少し不安ですが。
静かにどこかに着地できるのかなあ。

ご一緒した皆さん。
どうされているでしょう。
ずーっと泣きっぱなしの私を、温かく見守って下さいまして、ありがとうございました。
帰らなくて本当に良かったです。

終えて思うことは、「(隠さないも含めて)出し惜しみをしない」ということ。
もうこれ以上出ないよね。出ないよね。と思うとまだ出てきたりする。
“自分のいまの体力の無さのまま” でいい。
いまできるとこまで進んだら、もうちょっと先があるかも知れない。
(たぶん、優月さんの言ってることそのままなんだろうけど。)
本当に、ただそれだけなんだなあと思います。
でも、それが難しいです(笑)。



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S. T. さん ぽらりすクラス





優月さん、田宮さん、ぽらりすクラスのみなさんこんにちは。
先日はありがとうございます。

今回のワークショップも、私なりに気付いたことがいろいろありました。
まず、PAY FORWARD を書こうと思い、パソコンを前に、私はしばし固まってしまいました。

「何を書けばいいんだろう……」

思い出せば、何回かワークショップに参加しているにも関わらず、毎回、心も体もギュッとなって緊張してしまう私。
今回もやはり、自分の感情を解放することが難しく感じました。
しばらくぼんやりと、そんなことを思い出していると、ハッとしました。

「私って、いつも出来なかったことにばかり焦点を当てている」

出来たことだってあるはずなのに、いつも出来なかったことばかり見て落ち込む……。
これが私のパターンなんだと気づきました。


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そういえば、初参加のワークショップに比べたら、優月さんや他の方のお話に集中すること、今に集中することが、だいぶ出来るようになったのではないかと思います。
何より、「変わりたい」と思ってワークショップに申し込んで参加した。
その行動が出来ただけでも、本当は充分なのかもしれませんね。

ワークショップ・クラスでは、共依存のお話もあり、自分と母親は改めて共依存の関係なんだと気づきました。
今まで、何だかよくわからず巻き込まれている感じがあったので、改めてわかって少しスッキリしました。

断るワークもチェアワークをし、回を重ねるごとに境界線を意識することが出来ました。
お相手の方も、私がその言葉を言われた状況をなるべく再現しようとしてくださったことが伝わってきて、とてもありがたかったです。
(京都から参加されていた方だったと思います。ありがとうございました。)

まだ 13回目の場面には遭遇してませんが、今回練習出来たことで、言われた時の衝撃度だけでも全然違うような気がします。

みなさん、本当にありがとうございました。



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H. Y. さん ぽらりすクラス





「境界線(バウンダリー)ワークショップ」でお会いした皆様、大切な時間を共有できたことを嬉しく思います。
ありがとうございました。

今回も、たくさんの発見を持ち帰ることが出来ました。
他人に時間を譲るという意味を初めて認識しましたし、自分の中にある要素の似ている人と付合いを持つというお話は、すこしぞっとするくらいの内容でした。
よくよく振り返ると思い当たることばかりで、私にものすごいインパクトを与えてくれた時間だったと思います。
人との関係性の見方がすっかり変わりました。

現実に戻ってからは、自分重心でいることを一番に意識しています。
まだまだ、自分ひとりの、ほんのわずかな時間でしか意識できていませんが、ワークショップで受けたインパクトを思い出すと、自分重心の大切さも思い出します。
自分の意見を素直に表現することが苦手な私には、境界線をしっかり引いて、安心できる環境を作ることが必須だと思うので、ゆっくり身につけていきたいと思っています。

幸か不幸か、私にはまだ後半で練習した状況は訪れていませんが、対処法を知っている事で、今までよりずっと安心して過ごせています。
これが本当に嬉しいことです。
新しい視点に気付かせてくださって、ありがとうございました。



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E. T. さん ぽらりすクラス





先日はありがとうございました。

藤沢先生のワークショップは、本などと同じくわかりやすい説明で、理解しやすかったです。
直接お会いした先生は、想像よりパワフルな方で、かつてはそうではなかった時があったとは思えなかったです。
変化をされたのだと考えると、すごいです。

それから、田宮さん(補佐をされていた方)にも色々お世話になりました。
居ていただいて、ほっとしました。

お二人に鍛えていただいた境界線主張の機会はまだ訪れていませんが、無駄にしないようその時は頑張りたいです。



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Y. W. さん ぽらりすクラス





優月さん、田宮さん、ぽらりすクラスのみなさん、
この度も、とても素敵な時間をありがとうございました。
おかげさまで、今回もとてもたくさんの気づきや学びを得ることができました。

「境界線」は以前から興味を持っていたものの、どこか「怖い、私にできるの?」という不安も感じていました。
それは、「えい!」と申し込んでから2回目のクラス開始まで、ずーっとありました(笑)。
境界線をひく練習のワークが、怖くて仕方なかったんです。
「うまくできなくて、子どもみたいに駄々こねたりしょげたりして、周りを怖がらせないかな…」
という不安でいっぱいでした。

でも、終わってみれば「やれてよかった!」という清々しい気持ちになれました。
安心して「失敗してもいい、うまくできなくてもいい。トライすれば必ずできるようになるから」という環境を作ってくださった、優月さんとみなさんのおかげだと感じています。

よく考えれば、不安だったのは「したくない、でも、できるようになりたい」1番のことだったから。
これまで幾つかの WORKSHOP にお世話になりましたが、その中でも1番「このワークが経験できて良かった!」と思えました。
とてもとても嬉しかったです。

やりながら
「最初より落ち着いてできるようになってきたけど、まだセリフ言ってるみたい…」
と思っていましたが、そんな私に優月さんが例を見せてくれて、それでやってみたら
「あ、こういう感覚か!」
と、ストンと落ちてきました。
自分重心ってこんな感じなんだなと……。


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そして、これまでの人生で、いかに「私にはできません」と言ったことがなかったのかも、よくわかりました。
(人生で一番「できません」と言った日(笑)。)

とても貴重なワークだったと思います。
(パートナーになってくださった方もありがとうございました!)


全体を通じて、私の「境界線」問題は、セルフトークにあったんだなと気づけました。
プレワークをやりながら
「思ってたより、境界線で反応するシーンがないな」
とか
「私にとっての NG ワードを実際に言ってくる人はいないな」
という発見がありました。

私の NG ワードは「なんで助けてくれないの?」という責めの言葉だったのですが、ワークショップ・クラス後も、実際にそのようなことを言ってくる人はおらず……
「ああ、私の NG ワードは、私が私に言い聞かせていただけだったんだ。それを目の前の人が言ってこなくても、『そう言われたらどうしよう』とビクビクしてただけだったんだ」
と気づけました。
そしてそれが、過去の未消化の傷からきているものだということも理解できました。

そのことがわかって、とても良かったです。
怖がってたものは幻想だったから、もう手放していいよと自分に伝えています。
今では、折に触れて自分にやさしくしてあげるよう、心がけています。


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そうしたら、私の内側から、予想だにしなかった元気な私が出てきてくれました。
今まで、内側の私は「泣いているちいさな女の子」というイメージだったのですが、本当に傷ついて泣きたい気持ちでいたのは今の私の方だったんだって、気づけました。
今では、内側の自分が私の一番の味方になって、たくさん励ましをくれます。

私はずっと「自分らしく生きるための何か(仕事やライフワークなど)」を探しながらも、それが見つからずもどかしい日々に、焦りや自分を責める気持ちでいっぱいでした。
けれど今回、自分の内側とつながることができて、そこから受け取ったメッセージは
「何かをしてるから、っていう条件付きじゃなくて、何かをしてても、何もしてなくても、まずはありのまんまの私を好きになってほしい」
ということ。
それが私の一番の願いだったんです。
そのことに気づいて、びっくりしながらも、とても嬉しかったです。

私は、自分の幸せのためにと思って、全く真逆の方向に走ってたんですね。
でも、心はちゃんとわかってて、止めてくれてました。
そのサインである「違和感」を無視しなくて、ほんとうに良かったです。

「境界線」をテーマにしながら、私の気づきは少し違うところで起こりました。
けれど、それで良かったんだなと思います。
どんなテーマからアプローチしても、最終的にはおなじ、「自分のこと」に還っていくんですね。
「自分のことなら変えられる」という優月さんの言葉が、お守りのように胸で光っています。

優月さん、田宮さん、クラスのみなさん、本当にありがとうございました。
みなさまと貴重な「変容」の時間をわかち合えて、とても嬉しかったです。
どうぞこれからも、みなさんの毎日が光り輝くものでありますように。



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E. J. さん ぽらりすクラス





プレワークの TEG(エゴグラム)のグラフで、「CP」が最も低く、「AC」が最も高い(次いで「A」)と出た段階で、毅然とした態度を取りづらいのが課題だと、あらためて自覚して臨んだ「境界線(バウンダリー)ワークショップ」。
(* 「CP」「AC」「A」は交流分析の用語/編集注)

自分の家族・親戚が抱える家族問題に、数年前に気付いていた私にとっては、「境界線を自分自身がどう引くか」という点だけを扱うのかと思っていたところ、会場に入ったら、いきなりジェノグラム(家族の樹形図)書きから始まったことも含めて、衝撃がいくつかありました。

最も愕然としたのは、自分の感情に堪える、身近な人からのアプローチを「断るロールプレイ」のワークをしたときのこと。
いやはや、正直、こんなにも私自身の境界線が、穴あきのガッタガタ状態だったとは……。
静かに、でも強く、自分に中心をおいて「私はそうは思わないから」と告げる、ただそれだけとも思えることを、あんなに怖いと感じ、無意識のうちにおもねったり場を和ませたりする方向へ向かうことで、境界線を引くことを避ける癖がしみついていたとは。

その癖が出ているのを、藤沢さんに「もう一回。」と鋭く指摘され、見本を見せていただき、出来るまで練習を見守っていただいたのでした。
(湧き上がった怖さから嗚咽してしまい、ペアの方の練習に協力できないでいる間、藤沢さんに練習相手を代わりに務めていただくほど、本当に手のかかる受講生でした……。)


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いま思い返すと、過去に、目上の相手と違う意見を述べたときに
「あなたのその考え(又はやり方)がダメなんだ」
と長期間言われ続けたことがあり、それがいつの間にか、頭ごなし的な
「あなたはダメ」
というニュアンスにすり替わっていたのでした。
(今となっては、相手が実際そう言ったのか、私の中でそういうことになっていたのかは、分かりませんが。)

でも、それでますます境界線が引けなくなったことも一つの要因となり、せっかく掴んだ自分の夢を手放さざるを得なくなってしまったのだと、あのワークを経験してハッキリとわかりました。

また、境界線の示し方を3段階使い分けることも、生まれて初めて学べて良かったです。

その点と、
・何が原因なのか、自分の体が「起きてる間は基本的に緊張しまくり」だったこと
(その反動で、「ドラえもん」ののび太並みに、病的な速さで眠りに落ちること、朝目覚めた(=リラックス状態になった)とき、体のあちこちの筋肉が痛い(けど起きるとそのうち痛みを忘れる)こと、相当な肩こりがあるらしいが自覚していないことは、そこに起因していたということ)

……に気付いた瞬間は、目からウロコが落ちました。


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また、
・イスを使ったシンプルなボディワークでその緊張がほぐせて、自分軸を中心に戻せること

これを、緊張状態との体感覚の差をもって分かった点は、本で読んだだけでなく、ワークショップに参加したからこその収穫で、とても勉強になりました。
今後の日常生活でも、「あ、自分軸がずれたな、緊張してるな」と思ったら、すぐ直せる。
このことは、健やかな生活を送るために、必ず役に立つと思います。

さっそく2日後に、練習と違う場面でしたが、断る場面の本番がやってきました。
なぜか、あまり使うことのないはずのグレード3まで必要でしたが、必死に軸を自分中心に保ち、「即返しない」ことも実践して、最後は相手から引いていく形で終息させることができました。

これで、自分を守ることに少し自信ができました。
次なる本番に備えて、あの日あの場で学んだことを、日々復習していきます。

藤沢さん、田宮さん、参加者のみなさん、どうもありがとうございました。



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M. T. さん ぽらりすクラス





こんにちは。
事情によりワークショップ・クラスは欠席させていただきましたが、皆様どのような時を過ごされたのだろうと思いを馳せております。

私の時にはちょうど、「身体」「境界線」「変容」の3つの選択肢が揃って募集をかけていて、散々悩んだ上で選んだのが、この「境界線(バウンダリー)ワークショップ」クラスでした。
「時間のワークショップ」を受けた後で、何かくっきりとした区切りを作りたかったのだと、今は思っています。

プレワークは、実は読んでも読んでも、どれが最低限やるもので、どこができればやってみるものなのかわからず、とにかくひたすらぐちゃぐちゃと『未来日記』をつけておりました。

私は昔から、境界線だと感じている範囲が広いようで、両腕を広げた倍の長さには基本的に入ってきてほしくないのですが、電車通勤なのでそうもいかず(笑)。
また、私としては不適切でも、毎日の中で譲らないと現実的に動いていかない場面が多くて、ずっと侵犯に気づいていなかったかもしれません。

とにかく、ワーク中の日々はずっと「引っ越したい!」「家を出たい!」「せめて壁に囲まれて誰にも見えない場所でひとりになりたい!」と感じていました。
境界線の重要性はひしひしと感じていましたから、余計にワークショップへ参加できなかったことが残念でした。

代わりに、なのかはわかりませんが、ワークショップ・クラス当日の前後から、ネット上の知り合いと誤解とタイミングから論争になり、最近までひたすら泣いて過ごすことになりました。
互いに譲れない、信念の背骨のようなものが違うのだ、ということは漠然とわかっていて、けれど言葉にできない上に、向こうがとても強い正しさで進み続けているのもわかっていました。
その正しさは、かつて私も従ったもので、その結果、私には寄り添えずに、こちらが壊れていくだけのものだった。


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それらを説明するのに、私は、深い深い過去まで引っ張り出さねばならず、長い付き合いの友人にさえ明かしていないことを語らなければならなかったのです。

そのためにストレスで体調を崩し、仕事と生存で手一杯になった私はそこで初めて、「ちょっと待って!」と言えない自分に気づきました。
できる・できないではなく、どのタイミングで言うものか、そもそも口にするという考えすら、まったく出てこなかった。
おかげで、相手に私が想う境界線を示すことができず、余計に傷つきあうことになりました。

結局、私は泣きながら自分なりに境界を引き、語りました。
あなたとは違う考えなのだ、と言い切れただけでもよかった。
今はひとまず落ち着いています。
……問題は、その余波で思い切り散らかった心の中とスケジュール帳の整理整頓に、ちょっと途方にくれそうだということです(汗)。


野口さん、返信が遅くなってしまい、ご迷惑をおかけしてすみません。
いつも丁寧なメールを有難うございます。

藤沢さん、お気遣いありがとうございます。
また次回よろしくお願いいたします。

ぽらりすクラスの皆様、ご縁をありがとうございました。
一緒にワークショップができなくて本当に残念です。

みんなで無事に自分の境界を築けますように。


――さて、私はまずこの藤沢さんに叱られそうなほど真っ白なスケジュール帳をどうにかしなくっちゃ(笑)。



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A. K. さん ぽらりすクラス





今回、思い切って3回連続で受講させて頂き、その3回目でした。
優月さんのワークは、テーマや切り口が違っても、根っこの大切な部分はずっと共通しているワークショップだと思います。

そしてわかったのは、「私は結構手ごわい」ということ。
ずっとずっと、心よりもアタマ優先で生きてきた私は、どうしても無自覚にアタマで考えてしまう事が多いです。
自分の感覚や心を、気付かないうちに無視してしまう事も多いみたいです。

なんとなくはわかっているけれど、どうもアタマ優先。
なかなか心を開けない自分を、悲しくも思っていました。

今回、そんな自分を、「そうか、私って手ごわいんだ」と自覚したのは、意外にも、すっきりした気分になる出来事でした。
かたくなで手ごわい私を、拒否するのではなく、責めるのでもなく、
「そうかそうなんだな、ずいぶん手ごわかったんだな」
と感じることで、今まで頑張ってた自分を認める事もできた気がします。

これからまた、アタマじゃなくて、心と身体を優先に、と意識して、自分の心に気を配りながら、進んで行きたいと思っています。
そして近いうちに、もっと自分を認め、信じている私になっていたいなと、切に思います。


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。