2013.09月開催 「境界線ワークショップ」ぎんもくせいクラス

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T. S. さん(東京都よりご参加) ぎんもくせいクラス





「境界線(バウンダリー)ワークショップ」、本当にお疲れ様でした。
私は今回、初めて対面式のワークショップに参加させて頂きました。

ワークショップ・クラスが終わったあと、とても疲れて、頭が痛くて、言葉を発するのがやっとでした。
なんとか最寄りの駅にたどり着いて、カフェで食事をとって……。
(生きるために食べる! という感じでした。)

次の日も、ずーんと、落ち込んでしまい、今まで入れていた予定をどんどんキャンセルしました。

「他人のために時間を使っていた」
という、自分の判断を、徹底的に拒否したくなりました。

「他人のために使う時間はないのだ! 私の時間に、誰も入ってくるな!」
と鬼気迫る気持ちになりました。
(そのあと、だんだん冷静さを取り戻して、自分のやりたいことは残すなど、選り分けるようになりました。)

ともかく、こんなに強いクレンジング・リアクションを、初めて経験しました。


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ワークショップ・クラスに参加して、いちばん思ったことは、私は「家族問題」をもっと掘り下げていくべきだということです。
今回のクラスを通して、私は家庭の中でつらい経験をしていたのだということを、ハッキリと自覚しました。

私は、両親が共依存的な関係だったということに、全然ピンときていませんでした。
今もきていません。

私の記憶の中では、両親はとてもよい人で、周りからも
「立派なご両親だね。」
と言われていました。

なので、両親から何をされても、
「別に、たいしたことじゃないし」
「私も同意していたし」
「私もノリノリだったし」
と、感覚を「麻痺」させていました。

そのため、両親の行為が「虐待」だったとしても、気づきませんでした。


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その事実を知った時、私は、もう、茫然としてしまいました。
そうすると、とても恐ろしくなりました。

自分が我慢をしていただけで、
「許されるべきではない」
ことは、もっと存在していたのかもしれない。

帰宅してから、そのことについて、もう少し書き出してみました。
すると、どんどん出てきました。
自分は「なんてことない、これが普通だ」と思っていたけれど、本当は気持ち悪くて我慢していたことが、たくさんありました。

なので、私は、自分のために家族問題を、もっと掘り下げていきます。
これが、ワークショップでできた1つの目標です。


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ワークショップでは、エゴグラムを使って、「自分の処世術」を認識しました。
正にその通りでした。
どうしてこうなったのか、全然わかりません。

私は、自分の深いところまで全部オープンにすることが「親愛」のしるしだと思っていたので(そうやって、人間関係を築いてきたので)、友人たちには、とにかく全部話してしまっていました。

なので、いつからか、友人や後輩、先輩に対する境界線がなくなりました。
みんな、私のことを深いところまで知っています。
そのため、「最近、近況報告がない」と、友人から責められることもあります。


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両親も、私と同じパターンで、えんえんと人の面倒をみます。
特に私です。
そして、境界線を差し出してきます。


私は、それを利用してきました。
私は、思い通りにならないと、怒って攻撃してみたり、大変さをアピールしてみたり……。
(書きながらガーン、と思いました。)

両親がしたように、私もふるまってしまいます。
まるで、両親と私、「三人で一人」みたいです。


まずいです。
これに気がついて、私は、この現状を続けていくのは嫌だと思いました。

私は、「このまま」でいることから、逃げます。
これは遊びじゃないです。

これから、家族問題を掘り下げていくこと、違和感に正直になっていくことが大事だと、更に感じました。


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あと、私はプロセスをふっとばして、結果だけやれればいいやと思っているところがあることにも、気づきました。

ロールプレイの時、自分の感じていることに触れられた時もあれば、口だけが動いてセリフになっている時もありました。
対面式ワークショップや Web. WORKSHOP でも、正直、私は課題をこなしていたのかなと感じました。

だから、これからはもっと「感じること」に注意していこうと思います。


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あと、自分の境界線を守る練習をしながら、過去に職場の所長と対決した時の情景がよみがえってきました。

所長から面談で、
「辞めてくれませんか。」
と言われ、私は
「ハイ。結構です。自分で決めてきましたので。」
とキッパリと言いました。

そんなことを言われてきつかっただろうに、私は、精一杯自分を守ってあげようとしていたのだと思って、なぜか涙が止まりませんでした。
自分はなんて健気だったのだろうと思いました。

いつも、強がらせてばっかりでごめんね、と自分に対して思いました。


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セルフトークの存在に気づいたのも、初めてでした。
今までセルフトークを意識したことがなく、初めて「セルフトークをどかして、聞く」ということをしました。

意識すると、次々に出てくるセルフトーク。
例えば、
「えっ、それこわい!」
「えっ、いやだ~!」
「へぇ~、それってこうじゃないの?」
など。

でも、それらをどかして
「やってみよー(ドカーン!)!!!」
と心のドアを開けてみたら、新しいチャレンジができました。
すごく新鮮で、よかったです。


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チェアワークも初めてでした。

正直、起き上がってくるときに、頭がガーンとなりました。
(横になる時や、起き上がる時に感じる「ガーン」と似た感じでした。)

しばらくすると落ち着いて、「今」にいられる感覚を味わいました。

チェアワークの前と後で、物事に対する感じ方が全然違うのを感じました。
ひきつづき、チェアワークを日常に取り入れていきます。



また、気づきと習慣が大事なことを、感じました。

知らない間にブワァ~っとどこかへ飛んでいってしまう私。
「もう大丈夫でしょ!」
「回復しているし!」
という具合に。

でも、今回、事実や違和感に正直になって、またギョッとしました。
そして、自分の感覚が幻想だったのだと気づきました。


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問題と向き合い続けていこうと、また決意しました。
ここでやめたら気づかないうちに、また我慢を重ねることになると思いました。

そんなの、自分がかわいそうだと思います!
気づいてあげなきゃ!
知らぬ間にいつものパターンに戻っているから!

だから、私は、回復の道のりから離れないぞ!
とりつくろっても、仕方ないのだから!


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これは本当に「参加してよかった」と思うことですが、実際に回復のプロセスにいらっしゃるみなさんにお会いできたこと。

先に取り組んでいらっしゃる方々のお話を伺えたことで、私はほんの入り口に来ただけだったのだと気づきました。
自分が想像していたより、問題は深い。

だから、何度ワークショップを受けてもいいし、どんなに泣いてもいいし。
トントン拍子に進むとか、どうでもよくて、それでも真摯に回復のプロセスから離れないことが大切だと感じました。

自分の問題は、そこまでしてやっと、少しずつ進んでいくものなのだと思いました。

その過程に、人との比べ合いはないと思いました。
要は自分でした。


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また、一緒にロールプレイに取り組んで下さったお二人に、感謝を伝えたいです。

時には演じて下さり、時には一緒にチェアワークに取り組んで下さったおかげで、私は自分の境界線を守る練習ができました。

最後に温かなメッセージを贈りあう時、お二人がとってもいい笑顔をされていて、何て素敵なのだろうと感動しました。

本当に感謝しています。
ありがとうございました。


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最後に、ワークショップを開催して下さった、藤沢優月さん。
そして OFFICE ONSA のスタッフのみなさま。
そして、同じ時間を過ごして下さったみなさま。

本当にありがとうございました。

誰にも打ち明けられない問題を共有できたことに、心がとても軽くなりました。
みなさんが共有して下さったこと、回復の過程で出会わせて頂いたこと、私の宝物だと思っています。

これからも、「よろしく」の時に交わした手のあたたかさを、忘れないでいようと思います。

本当にありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。



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K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) ぎんもくせいクラス





わかっていたことですが、次の日はぐったりでした。
次の日、午前休をとっていましたが、全休にしとけばよかったと後悔しました。

ワークショップ・クラスに参加して気づいたこと。
私にとって、本音を口に出すことってこんなに疲れることなんだ、ということ。

その場をしのぐために、あたりさわりのない言葉をいうときは、そのあと後悔したりすることはあっても、言うときは本当に楽。

心が望んでいることを「i-message(アイ・メッセージ)」を使って言って、境界線を守るには、勇気が必要ということがわかりました。
言った後に、言えた! という達成感もあるけど、すごく疲れるということもわかりました。

そのことを体験できて、実感として落としこめたことは、よかったです。


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自分が相手を裁いているから、裁き返される。
優月さんからのアドバイスで、人に厳しい自分が浮き彫りになってきました。

他人に厳しい人は、自分にその百倍厳しくしている。
そう思うと、自分がかわいそうになってきました。

以前、「身体のワークショップ」に参加したときに、自分を大切にするって決めたはずでしたが、なかなか上手くできずに、日常に埋もれている自分がいました。
ごめんね、私……。

私はこんなにも褒めてもらいたかったんだ、かまってほしかったんだ、ということを、もう一回思い出しました。


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TEG(エゴグラム)の結果からわかったこと。

私は小さいときから大人であることを要求されていて、子供時代をすごさずに大人になってしまっていた。
そして、自分が我慢すればなんとかなる、という処世術で必死で世間を渡っていっていた。

確かに、私には、子供時代を子供らしくすごした実感があまりありません。
そのことに起因した不具合に、まさに今、直面しているところです。


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今回参加して、いつも優月さんがいってくれている「しがみつく」という意味や理由が、ようやくわかりました。
言語メッセージってやっぱり伝わりますね。

回復の道から離れないということ、それは、共に取り組んでいる仲間や先生がいる環境から離れない、ということなんですね。
古いパターンが楽だから、意識し続けていないと、すぐ元にもどってしまうから。


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駆け抜けようと思っていました。
でも、今日からは、歩いていくことにします。
その方が自分のペースにあっていると気がつけました。


「ぎんもくせいクラス」のみなさん、優月さん、スタッフの皆さん、
貴重な経験をありがとうございました。



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C. K. さん(30代/千葉県よりご参加) ぎんもくせいクラス





藤沢さん、ご一緒したみなさま、
先週はどうもありがとうございました。

今はジェットコースターのような情緒不安定の中で、仕事しています。
(こんな時に限って、泊りがけの出張やら……。)

二年前、すがるような気持ちで「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」に出た時、
「もしかしたらこのワークショップは、私の1番求めているものとは違うのかもしれない」
(= 私の本当の問題は、これではないのかもしれない)
と、参加してとても満足した一方で、どこかモヤモヤがありました。

その後、
「では何が問題なの? この依存や焦りは心がけで直るの?」
と改めて自分と向き合いながら日々を過ごし、このワークショップに戻ってきました。

ここをどうにかしないとダメでしょう、と気づいていたけどなるべく避けていた問題に、うんと時間とパワーを費やして戻ってきた、というのが実情です。


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そして、今回参加するにあたり、私の問題は、自分が認識してるよりも遥かに深刻ということを教えていただくに至りました。

甘かったな、と。
頭が痛くて病院に行ったら、頭どころか全身疾患だった、というような。


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今は、不思議なくらい、しんしんと悲しい気持ちでいっぱいです。
ひたひたと静かに悲しいといえばよいのでしょうか。
わんわん泣くような激しい悲しみではなくて、空気のように静かで強力に離れない悲しみというような。

わたしは、いま、とても、かなしい、 と何度もふと言葉が浮かぶような、初めての感情の中にいます。

私、十分悲しんだと思っていたけど、まだまだこんなにも悲しかったのでしょうか?(苦笑)


絶望しつつ、一方で、救いもありました。
今、自分がどんなに身動きとれなくなっていても、両親への感謝は変わらないな、と改めて感じられたことです。
小さい頃にして欲しかったことは消せなくても、恨みを超えることができました。

だから、恨みからではなく、もっと前向きな気持ちで人生やり直せるかもしれない。
問題が深刻だとしたら、余計に恨みベースでないことがありがたいような気がして。


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また、この頭でっかちで自分を守ろうとするクセは、家庭だけでなく義務教育の間のイジメが同じくらい関係しているのではないか、痛いけれどそこも向き合わないといけないのではないかと、今は思っています。


正直なところ、これを書きながら、まだ混乱していて、ひどい文章だなぁと我ながら思います。
ここから、この先どうやって生き直すか、混乱から抜けてからが勝負、思い詰めずに頑張ります。


みなさんとご一緒できてよかったです。
1人では、できなかった。
ありがとうございました。

藤沢さん、ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。



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S. S. さん(神奈川県よりご参加) ぎんもくせいクラス





優月さん、「ぎんもくせいクラス」の皆様、先日はありがとうございました。


私は人と会話をする時、相手が何を考えているかに注意を払い、逆に自分の気持ちが見透かされないように振る舞ってきました。
ロールプレイをしている時、私はいつも、他人から見た自分の印象をコントロールしようとして演技していることに、改めて気付きました。

そして、自分がどう感じているかを真っ直ぐ見ないようにしてきました。

それを何十年も続けた結果、今、自分がない状態になっています。


共依存などの調節障害は枝葉のようなものであって、根ではないと伺いました。
私の根となっている問題は、まだ分かりません。

言われてみると、性的被害が原因である可能性もありますが、今まであまり思い出すことはありませんでした。

確かに、あの時はとても怖かった。
母に言ったら大騒ぎになってしまうかと思い、誰にも言えませんでした。


チェアワークしていたら、右側の肩甲骨がとても痛くなりました。
ここに、私の問題の根のヒントがあるのかもしれません。

私が自分の心を無視し続けたから、体が代わりに SOS を訴えていたんだと思います。
しかし、私はそれさえも、ずっと無視し続けてしまいました。


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私は父親が教師で母親が看護婦なので、「CP」と「NP」(* 交流分析の用語/編集注)の説明は理解しやすかったです。

私が「CP」が高く「NP」が低いのは、父親を尊敬していて、母をちょっと下に見ているのが表れているのかもしれません。


「CP」が高い人は自分に優しくしてくださいとアドバイスを頂いた時、ほっとしました。

今まで父親とは会話も少なかったので、父親の影響を受けている実感はなかったけれど、思い起こせば、生き方が父親そっくりだと気付きました。
どんなに優秀な成績をおさめても、父からは一度も褒められたことがありませんでした。

そして、自分で自分を褒めたこともありません。
私は本当に、自分に厳しかったと思います。

自分に優しくする = 自分を甘やかすことだと思って、自分に禁じていましたが、それじゃ苦しくて当然だなと思いました。

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境界線を3段階で伝える練習をしたとき、だんだん自分の注意が自分に向かっていきました。
すると、他人がどう思うか気にならなくなりました。

自分を確立したい。
癒したい。
守りたい。

初めてそう思いました。


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優月さんと少しお話できる機会があり、自助グループへ行った方がいいとアドバイスを頂きました。

そして、余った時間を全て回復に使うこと。
遊ぶこと。
自炊して身体を大切にすること。

私はこれからの1年、全力でそれをやろうを思います。


回復の道を楽しみながら、共依存の世界を離れ、ご褒美のような世界へ最短で辿り着きたいです。



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S. S. さん(30代/長崎県よりご参加) ぎんもくせいクラス





こんにちは。
優月さん、ONSA スタッフの皆さん、ワークショップでご一緒した皆さん、いかがお過ごしですか?

そして、優月さん、スタッフの野口さんには、忘れ物の件で大変お世話になりました。
ありがとうございました。


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まとまらないまま、書いてみます。

まず、
○ ワークショップ・クラスは、そんなに怖くなかった。です。

今回、初めての参加だったのですが、プレワークの冊子を読んでいる時点で、すごく落ち込んでいました。
自分の今の状況が、あまりよろしくない状況だと、改めて思ったので。

なんだか、“私の人生、返してよ!!” なんて声が上がったような気がします。
ですので、プレワークでこんなに落ち込んでいたら、本番では私はどうなっちゃうんだろう? と、すごく怖くなっていました。

実際のワークショップ・クラスは、“妄想” しているような怖さはありませんでした。


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○ チェアワーク
上体を起こすとき、どのように身体を使っていいのかわからず、「???」と止まってしまっていました。
その時、優月さんがスッと手を添えてくださって、そしたら、不思議に身体が動いて上体が起こりました。

その後の感じ方の変化といい、これは本を読むだけではなかなかわからないことだなあ、と。
体験できて良かったです。

また、ワークショップ・クラス後、何日かだるい日が続いたのですが、そんな時思いついてチェアワークをやってみました。

そしたら、スッと気持ちが切り替わって、
「あれ? 私、今までなに疲れてたんだろう?」
と思っている自分がいました。

この変化に自分でもびっくりで、チェアワークを続けていきたいと思いました。


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○境界線を意識して返答する練習
目の前にいる人は、その「嫌な言葉」を言った当人ではないのに、恐れてしまう不思議。

そして、「嫌な言葉」を言うのも、相手の方のことを感じないようにして言わないと言えなかったので、結構大変でした。

「嫌な言葉」を言い終えた後の疲労感。
境界線を意識したメッセージの三段階の伝え方や、ポジティブなメッセージのやりとりの嬉しさ。

これも、実際にやってみないとわからないことだったなあ、と。
やってみることができて良かったなあ、と思っています。


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○ 子どもには濃縮されてゆく
この言葉を聞いて、「ひーーー(泣)」と、ぞっとしました。
私でさえこんなに大変なのに、さらに大変な思いをさせてしまうなんて、いやだ!
まずは、私の回復!
と思いました。


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○ 調節障害ということや、「 “自分” がないからヒトのことにあれこれ関わってしまって、ますます大変なことになっていく」など、思い当たることがたくさんありました。


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○ だいぶ濃厚な時間を過ごしたようで、ワークショップ・クラス後は、自分で思っている以上に「ふわふわ・ぼーっ」となっていたみたいです。


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○ ワークショップを始める前に、みんなで輪になって優月さんの言葉を聞いているとき、その温かさにおもわず泣けてきました。
自分のことをいたわっているつもりでしたが、まだまだ「つらい」と感じているところがあるんだな、と思いました。

まずは、自分から。
“自分” を大事にしよう。
もっと “自分” に目を向けよう、日常の中でささやかでいいので、「楽しい」と感じることを探してみよう、と思いました。


あと、お仕事して、お金を貯めて、またぜひ参加したい! と、自然に思えました。
そして、最後は横浜から帰りたくなくなりました(笑)。


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ワークショップ・クラス中、優月さんが、私たちに言ってくださった “勇敢” という言葉。
今振り返ると、ほんと、みんな “勇敢” だったよなぁ、と思いました。

あの場を作ってくださって、リードしてくださった優月さん、そして ONSA の皆さん、ありがとうございました。

そしてクラスの皆さん、皆さんと一緒にワークできてよかったです。

私をはじめ、みんなのいたみが、癒されていきますように。

ありがとうございました。



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T. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) ぎんもくせいクラス





藤沢さん、みなさん、こんにちは。

その後、どうしていらっしゃいますか?
私は、自助グループなどを探すために奮闘していました。

そして、今日、自助グループではないのですが、DV・トラウマ関係のセミナーに行ってきました。


共依存者は、時間の感覚がないということ、そしてエゴグラムはそれまでの自分の人生で行ってきた処世の仕方だと知り、ガーンとしました。
両方当たっていたからです。

「日々過ごしているうちに、いたずらに年を取ってしまったおばさん」という事実を突きつけられ、エゴグラムで「AC」(* 交流分析の用語/編集注)が満点だったのは、「自分が我慢すれば……」と考えてそうしてしまう。

「癒し系」とよく言われますが、実は、「AC」が満点の影響で笑顔で我慢しがちなところが、周囲には「癒し系」と映っているのだろうと思いました。
考えてみると、とても恐ろしいことです。

でも、今気づけただけでも幸せなのでしょう。
「今が一番若い」と言います。


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実は、ワークショップ・クラスを受けて、その帰宅後から戦争でした。

再訓練したことを実践したら、両親から、
「お前は素直ではない」
「お前はそれしか言えない、昔から頑固だった」
と言われてしまいました。

両親が重いモンスター級のデビルなので、これから自分をケアすることのために自助グループなどへ出かけること自体、本当のことを言えずにいるので、これからが大変だと思っています。


Web でのワークショップを受けられないハンディはありますが、これからも自分のケアに時間と費用を当てて、自分に手間をかけたいと思います。
(* 編集注/当お客様は Web でのワークショップを受けることができないご事情がございます)

藤沢さん、みなさん、どうもありがとうございました。
また、どこかでお会いできますように。



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M. T. さん(30代/東京都よりご参加) ぎんもくせいクラス





藤沢さん、クラスのみなさん、お疲れ様でした。

PAY FORWARD、ワークショップ・クラス後すぐに書きたかったのですが、言葉にならない感情がうごめき始め、しばらくはノートに向き合い、ようやくたどりつけました。


ワークショップ・クラス直後、私はこれまで経験したことのないような、ボーッとした感じや頭痛を経験しました。
家にそのまま帰宅し家族に会うのも、どうしたらよいものかと考え、お茶を飲み帰宅しました。
翌日は休めず仕事だったのですが、心の疲労は思いの外強くて、びっくりしたほどです。


「境界線」のワークショップ、他人との関わりかな……くらいに受ける前は思っていたのですが、”自分がない” という問題だったなんて……と気づかされました。

”自分がない” ということは、思春期の頃から感じることはあったけど、そう深く考えることなく過ごしてきました。
そして、それが普通になってしまっていたんだと。


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ワークショップ・クラスの中で、共依存のことを知り、藤沢さんにはっきりと言われて、ショックを受けつつも、ハッと気づかされた瞬間でもあり、また、
「あー、これまで私を長年苦しめていたことは、このことだったんだ」
と、すーっと染み渡っていく感じもしました。


「私はそうは思いません」と言ってみるワークでは、初めて言ったときは、子供のように萎縮して言っている自分がいました。

その後、練習していく中で、体や心が変に落ち着かない感じがしました。
藤沢さんが自分が自分を守るための決意だよ、と教えてくれ意識して言ってみましたが、これまでそんな思いでいたことがないので、モヤモヤしたような感じもわき起りました。

最後は、少し言えるようになったかなと思います。


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このワークショップに参加して、私にとっては自分の問題の核心に触れたように思っています。
これまで、なんとかやってこれたけど、それはやりすごしてきたにすぎなくて、時々自分でも気づきながら、見過ごしてきたからだと思います。

けど、今になってというか、仕事の上で取得した資格の役割を果たす上で、これまでの私の関わり方ではどうにもいかないことに直面し、参加するに至ったのですが、それが、自分の根源ともいえる問題に直結しているのだと気づかされました。


今も正直、いろんな感情、思い、過去の嫌なことなどが湧いて出てきています。

でも、それすら参加する前はあんまり感じなかった。
むしろ、感じてもその感情を流したり、忘れ去ろうと無意識にコントロールしてきたんだと思います。

正直、今は苦しいです。
でもそれは、これまで押さえてきたからなのかもしれません。

だから、よかったって思ってます。
知ることができなかったら、これからの私どうなってたんだろうって思うから。


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時間がない、私は参加する資格なんてない(別のワークショップのクラスを諸事情でやり遂げられなかったから)と自分で決めつけて、参加することがこわかったけど、このクラスに思い切って参加して、よかったです。

目先のいろんなことが気になることもあるけど、まずは自分を癒やす、回復することを大事に考えていきたいです。


藤沢さん、時間を共有してくれたクラスの皆さん、ありがとうございました。



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M. S. さん(30代/神奈川県よりご参加) ぎんもくせいクラス





「自分はもう、大分回復している。以前にも WORKSHOP に出て、自分の不具合の原因がなんだかわかってきているから、自分を否定することをやめて、自分の本音をきいて、やってみたい事に TRY したりしているから、だからもう大丈夫かも。」
と、WORKSHOP に参加する前は思っていました。

そして、自分のやりたいこと、興味のあるもの、心が弾むものを大事にして、それを守るためにバウンダリー(境界線)を上手く使いたい。

私の周りに今までいた人、私が育って行く過程で出会った大人は、バウンダリーの作り方のお手本になる人がいなかったから、ONSA で学ぼうと思って、今回は参加しました。


でも、私は自分の心の不具合の深刻さに気づいていなかったのかな。
もしくは、自分の生き方と向きあうのが結構辛くなってきて、自分の育ってきた環境を思い出すといたたまれない気持ちになってしまって、「もう考えるの嫌だな~」という気持ちがムクムクと育ってきて、また、昔からの自分の感性をマヒさせて、その場を切り抜ける手法に頼りたくなっていたのかなと思いました。


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ロールプレイでバウンダリー(境界線)を引くのは怖かった。
「自分の境界線を意識するだけでよくて、相手にわかってもらおうと、すなわちコントロールしようとしないで、自分の味方になってあげるだけでよい。」
というような優月さんの言葉を意識しながら、何度もロールプレイをしました。

でも、チェアワークをしたあとでも、バウンダリーを引くのは怖いままでした。

少しは動揺しないで引けるようになったけど、やっぱり自分が発言したあとの、相手との間にある雰囲気が怖かったのを覚えています。
よっぽど自分には馴染みのない、自分の守り方なんだと思いました。

そして、これが正しく自分を守るやり方なのだとすれば、私は今まで自分をちゃんと守れない方法で人生を切り抜けてきたのだなと、この WORKSHOP CLASS にでて思い知りました。


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「境界線(バウンダリー)ワークショップ」に参加したのに終わってみれば、自分の境界線がどうなっているかということをより正確に理解しようと思うようになったと同時に、また自分が巻き込まれていた家族問題を一段深く、クッキリ意識するようになってました。


自分のバウンダリーの内側にあるものよりも、大切で幸せに安心して暮らしていくために必要なものがある。
私は大した能力もないし、才能もない。

だから、自分の大切だと思うものにこだわっているよりも、不本意でも他人に認められたり、すごいと思われたり、仲間を失わないようにしたり、色々頑張って優秀な人に選んでもらったりしないとだめなんだ。

という風に思いながら生きてきました。


なので、自分の境界線を示す機会が少なかったのだなとおもいます。
境界線を示すより、相手が自分の境界線を侵犯してきても耐えるにはどうしたらいいか、ということに熱心に取り組んでいました。

なおかつ、そういう生き方を肯定するために明るく振舞ったり、
「まぁ人生はこんなもんだよね。」
と何かを悟ったりしたような態度をとったりして、その行動がより自分を苦しめていました。


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バウンダリーの引き方が下手な理由も、つい逃げこんでしまいそうな昔の処世術もまた以前より理解できるようになってきたので、回復の波に乗ってこうと思います。

今までの習慣を切り離すのは怖いけど、私は回復したいので、メゲずに頑張ろうと思います。



Web. WORKSHOP の話や自助グループの話をしながら、一緒に帰ってくださった皆様、ありがとうございました。
回復しようと思ったら色々な手段を使うの大事なんだなと思ったし、自分のために頑張ってる皆さんは素敵だなと思いました。


あと、一緒にロールプレイで組んでくださったSさん、ありがとうございました。
真剣に和まずに相手役を務めてくださったおかげで、私はバウンダリーを引いた時の自分の感情の変化を敏感に捉えることができました。
本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

A. Y. さん(30代/愛知県よりご参加) ぎんもくせいクラス





優月さん、「ぎんもくせいクラス」のみなさん、ワークショップ・クラスではお世話になり、ありがとうございました。

今回、ワークショップ・クラスに参加して、私は自分が無いことを実感しました。
PAY FORWARD もどう書いて良いのか、わかりません。

いつもだったら、これを読んでくれた人の何か役に立つような、価値のあるものを書こうとがんばっていたと思います。
もう、そういうことをやめたいです。

私は、私の感じたことを大切にしたい。


文節区切りの線

私の人付き合い方は、自分のして欲しいことを相手にして(自分はガマン)、して欲しくないことを相手にしないようにすることが基本でした。

ワークショップ・クラスで、みなさんのエゴグラムを見たとき、グラフが全く違うことに、びっくりしました。
感じ方、考え方も人によって違うのだから、私のこの方法が上手くいかないことを、わかっていたようで、わかっていませんでした。


ロールプレイでは、私だけが上手くできていないように感じて、恥ずかしくて、やめてしまいたかったです。

私はできないこと、できない人と見られること、人に迷惑をかけてしまうことを過度に恐れていると気付きました。


文節区切りの線

「私は」という時、私自身と一致していないように感じました。
チェアワークをした後、「私は」の言葉がしっくりきた時もありました。

上手く言えない自分がどう見られるのか気になって、「私は」の言葉をただ声に出しているような時もありました。

上手くできなくても大丈夫な場所であっても、上手くやらなくては! と自分にプレッシャーをかけてしまう。
普段の生活でも、きちんとしなくては、失敗しないようにしなくてはと、自分を追い詰めているのだと思います。


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ワークショップ・クラスが終わった直後は、私は何をやっても上手くできない、また時間とお金を無駄にした、私は変われないと、暗い気持ちになっていました。

数日たった今は、自分を責めるのを止めようと思え、ちょっと心が軽くなった感じがします。
『未来日記』に書いた事を読み返して、自分責めの言葉の多さにうんざりしたからです。

毎日、頭の中で自分責めを続けていたらと考えると怖いです。

まだまだ、自分が何が好きで、どう生きていきたいのかはわかりませんが、自分に出会って、穏やかな人間関係を築けると良いなぁと思います。


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最後に、ロールプレイで一緒になったお二人、私がうまくできなくて申し訳なかったです。
(* 編集注・藤沢/とても勇敢に、うまくできていました!)

一緒に練習できたこと感謝しています。
ありがとうございました。



タイトルはじまり目印

N. Y. さん(30代/千葉県よりご参加) ぎんもくせいクラス





優月さん、クラスの皆さん、ワークショップ・クラスおつかれさまでした。
そしてありがとうございました。

プレワークを受け取ってから当日を迎えるまで、しんどくて仕方がなかったのですが、参加して心から良かったなと思っています。


長くなりますが、ここを読んでいる方のどなたかの参考になればいいなと思います。


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私はこの1年程、資格試験の勉強と称して、会社と家族以外に殆ど人と接点を持たずに生活をしていました。

勉強自体は5年も前から取り組んでいますが、その中で、自分の時間や想いが他人(会社の上司や友達だけでなく、受験仲間でさえも)に吸い取られたり浸食されたりで、しだいにエネルギーを失い、勉強どころか普通に生活することすらままならなくなりかけたこと。

そもそも、受験……人生を変えようとする以前に、こういう問題を抱えてしまう自分を変えない限り、何を選んでもよい方向に進まないのでは? と思ったことが、このクラスを受講した理由でした。


8月初旬に試験を終え、燃え尽きていたところにプレワークが到着しました。

与えられた課題を読み、こんなにも人との関わりが少ない中でどうやって取り組もう?
今はタイミングではなかったのかな?
でも、放り投げてしまった問題を解決しないままで人の中に戻っても、また同じ問題にぶつかってしまう……。

ならば、目の前に問題が存在していた頃の出来事を思い出そう。
でも上手く思い出せない、しんどい。

そんなことを考えていたら、あっという間に提出日を迎えてしまいました。


文節区切りの線

1日遅れてなんとか提出し(野口さん、ご対応ありがとうございました。)あたふたしながら当日を迎えましたが……参加してよかったです!

正しい知識を得たことで救われたことや、自分を理解する手助けとなったことが山ほどあります。
そのなかでも、最も大きかったのは次のことでした。


◎ 境界線について学ぶことで重心をおくべきことは、
「周囲の人と上手くやっていこうとすること」
よりも、
「自分自身が回復すること」

これが「自分重心」という意味。


◎ 境界線の問題を抱えている人は、他人を優先している間に時間が過ぎてしまい、自分が歳を重ねてゆくということに対する意識が欠けてしまっていること。


→ まず、この1年間、自分自身を優先した自分を褒めようと思いました。


そして、プレワークに
「人の中にいながらも、自分自身でありたい」
と書いていたのですが、書きながら実は心が引きつっていたことを思い出しました。

そこには、距離をおいてしまった周囲の人たちと、もう一度上手くやっていきたいという想いがあったからです。

でも、まずは自分が回復することにエネルギーを注ぐことが先だって気づけたら、心の引きつりは治まりました。
これって、自分の為のプレワークですら、本当の自分でいられない自分がいた……ということですよね。


そして、アフターワークをしながら、上手くやってゆくことができなかった人たちとの間にあった問題は、すでに過去のこと。
これから出会う人たちとの間で、必要な境界線が上手く引ければそれでいい。
そんなふうに考えるようになりました。



◎ 言われて嫌な言葉を紙に書き、ペアを組んだ方にそれを言ってもらい、境界線を引く練習

→ そこに書かれた言葉について気づいたことは、実際の私ではないことを、他人に勝手に決めつけられた言葉なんですね。

それを自分の境界線が甘いばかりに、言われるといつの間にか
「他人がそう思うのなら、私ってそうなんだな」
というセルフイメージを仕立てあげている自分がいる、ということにも気づきました。


そして、アフターワークであらためて気づいたことがあります。

「私はそうは思いません」
という言葉は、実際に人とのやりとりで使う以外にも、自分の境界線の外に追い出すことにも役立つのだな、と思いました。



◎ 境界線を張る練習のときに「なごんじゃダメ」と言われているのに、真剣にやっているのに笑ってしまい、てっきり怒られるのかと身構えていたら、この笑いにはおそろしい名前が付いているということ。

→ そのあとのチェアワークでうまく呼吸できなくなったこと、また、以前に参加した別のワークショプの頃に酷い咳に見舞われたこと、私はずいぶん、みずから息の根を詰めているらしいことに気づきました。

このことは、次に参加予定の「身体のワークショップ」で何か得られるといいなと思ってます。


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ところで私は、チェアワークの途中で具合が悪くなり、優月さんにある質問を受けました。

どうしてわかったの? って驚いたと同時に、Yes と答えるか、一瞬迷いました。
自分の中では無かったことにして生きてきたし、つい最近まで本当に忘れていたことだったから。

「きちんとケアを受けてね」と言われても、今の自分にどう関係しているのか見当もつきませんでした。

気になって仕方がなかったので、この一週間、アフターワークの一方で、そちらの専門書を探して読んでいました。
境界線の他にも生き辛さを抱えているのですが、その理由がそこにあるとすれば納得できることがたくさん書かれていました。

今はまだ「解決しなくてはならない問題をまた見つけちゃった、やれやれ」という感じですが、あのとき「はい」と答えたことは正解だったんだと思える日がくるんだろうな、と思っています。


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最後になりましたが、ペアを組んでくれたHさん、一緒に帰った皆さんへ。

真摯に自分と向き合う皆さんに会えて、もっともっと、自分に向き合うことを大切にしようと思いました。

帰る前に、Mさんが優月さんとお話していた「依存することと回復にしがみつくことの違い」の話、帰りの電車での Web. WORKSHOP の話も、私も気になっていたので、途中でお別れでしたが聞けて助かりました。

「ひとりじゃないよ」は、ほんとうに「ひとりじゃないよ」なんだなって思いました。

ご一緒できたのが皆さんで良かったです。
ありがとうございました。



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H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) ぎんもくせいクラス





「ぎんもくせいクラス」のみなさま、先週はおつかれさまでした!
大切な時間をご一緒させていただいて、ありがとうございました。

優月さんにも、スタッフさんにも、今回もすばらしいサポートをいただき、本当にありがとうございます。


もともとは、このクラスに参加するつもりが無かったので、予定いっぱいめだった今週は、ゆっくり進めつつも、何だか体中がむくんで重くて、体的にはとてもしんどい1週間でした。

それでも、参加を決めて、お伺いできて、本当によかったと思います。
私には、約2年ぶりで、2回目の「境界線(バウンダリー)ワークショップ」のクラスでした。


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1週間たって、今ほへっとおなかの方から出てきた言葉は
「境界線が守られる実感がないと、この世界で安心して生きていくなんてできないんだな~」
です……。

「だから、安心なんてできない」と肩に力が入る(=戦闘体勢な)私がいるみたいです。

この場所は安全ですよ、とアタマで分かっても、体の力が抜けないのはクセでもあると思ったので、実際に体を使って練習したら解決できるかも、と思いました。
ヨガは好きです、もう一度やってみます。


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今回は、いちばんグサ! と刺さるのは、これかな~と思って
「ひどい、傷ついた」
という言葉を選びました。

実際に生きていて、これに似たニュアンスの言葉を遠慮なく発言してくるのは、母くらいです。

ただ、私はもう、今でもウッカリこれを言われると「ごめんなさい」という感情でいっぱいになって、何が何なのかよく分からなくなってしまって、とにかく「何とかしなくては」と感じてしまうので、今回の機会で取り上げられて本当によかった! と思います。

(こうして書きながら思い返せば、20代のころの彼氏もよくこんなニュアンスの発言をする人でした……私が言わせていたのかな……いや双方の責任だったかな……)


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ペアになって、相手の方に問題の言葉を言っていただいて、
「私はそうは思わないです」
と何度も返す練習をさせていただいたのですが、クラスの最中は
「会話になってないのでは?」
という気持ちがぬぐえなかったです。

私にとってこれはすごく大切な練習だし、私はこの言葉でいい、という感覚もあったので真剣に取り組みつつ、それでも「?」はずっと残っていて、でも1週間たって少しずつクリアになってきた感触です。


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ある人が
「ひどい、(私は)傷ついた」
と、他人に向かって発言をした場合、その意図は
「あなたは私を傷つけたのよ、あなたは私にひどいことをしたのよ」
ということを相手に伝えたい、ということなのだと思います。

私には、それは、その人の考えたり感じたりしていることで、その人にとっては事実なので、尊重されるべきでは? という感じがします。

なので、「私はそうは思わない」が変な感じがしたのだと思いました。
(優月さんが、実際の場面でこれを言うかどうかは “別” ですよ、とおっしゃっていたのにね。)


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ただ、この言葉は、何だか相手を責めて非難しているような気もします。

この手の言葉や態度にどっぷりがんじがらめになって育ってきた私には、即座に抜けられなくて難しいのですが……
「大人は、自分の感情に自分で責任を持つ」
というのも境界線の考え方だったと思います。

なので、もう少し会話にするとしたら
「あなたの心が痛むのは気の毒だけど、それを癒すのはあなたの責任だと私は思います」
なのかな。

そうすると即座に脳裏に
「(あなたは)ひどい!(あなたは)冷たい!」
という声が聞こえてくるのですが、その声には、心から
「あなたがそう言うのは自由だけれど、私はそうは思わない」
と感じます。

(だけど、とても肩に力が入ります……、相手を納得させたいとか、説き伏せたい気持ちがあるからなのかも。)


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もし私が適切な養育を受けて育っていれば、
「フーン(この人は何をいっているのだろう?)」
と、関わらない選択も容易にできるのだろうと想像します。

だけどとても残念なことに、これを言うのは私の母親で、高校を卒業するまでの 18年間、彼女の元で私は育ってきました。

クラスの前日は別の勉強会に行ってきたのですが、そこで聞いた言葉のひとつがとても印象に残っています。

「母との関係は、娘の人格形成に影響する」
人格という言葉の重さに改めて泣きたくなりましたが、全くもってそのとおりです……。


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刺激的な表現かもしれないけれど、小さいころ、心理的に、私は何度も何度も母から、ナイフを持たされていたと感じます。
小さい私は身に覚えの無いナイフを持っていて、母から、あなたは私の心を傷つけたのよ、何度もそんな風に言われていた気がします。

子供の自己中心性で、私が自分で拾ったのか、本当に持たされたのかは分からないのだけど……、とてもはっきりと言えることは、
「子供だった私には、母の心の傷について、一切の責任がない」
ということです。

むしろ、養育者だったはずの私の両親には、子供だった私を “ひどく傷つくような状況から守る” 責任がありました。

私にもようやく、このことが少しずつ分かるようになりました。


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18年間、母は大概こんな調子だったし、父は家に大概居らず、父も恐らく子供の気持ちに寄り添うという発想の無い人でした。

それが主に原因ではないかと思ったのですが、プレワークの時に
「社会的境界線が、私はよく分からない」
と改めて気がつけたのも、今回参加してよかったと思った理由のひとつです……。

「私は分からないのだ」と知って、ひとつずつ勉強していきたいです。


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「ひどく辛い」と言っているのは、過去の小さい私です。
しっかりその感情は今の私の中に残っているけれど、今の私の感情ではない。

今の私は、自分に責任がある大人です。
過去の自分の痛みを癒すことは、私の責任だし、子供のころに学べなかったことを学ぶことも、私の責任です。


日々の自分を眺めて、被害者と加害者はイコールになるのだと、何度も感じます。
誰かと比較した傷の大小ではないのだと、何度も確認してしまいます。

私は私に対して、まず、自立して自律できる大人になる責任があるのです。
それが何歳からのことでも、気がつけたことは、私にとって幸運です。


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何というか、どこまでも長い長い道だなぁと思うのですが、1週間で私の感じたことは、こんなことでした。
私としては、よくふんばったねと褒めてあげたい気持ちです。

同時に、またひとつ山の前にいるみたいな心地で、安心してみるなんて、それはものすごく怖い気がしています……。
「今は安全なんだよ」と何度も言ってあげられるといいのかもしれないです。


私が1日にできることは、本当に限られているし、できるだけ丁寧に、こつこつ、ひとつずつ、続けていくことがいちばんの早道。

そして、今日一日に何ができても、できなくても、それでも私は私にあたたかく、優しく、いつも味方でいてあげたいと思います。

人間に完ぺきはないのです!
何度も、何度も、確認して歩いていきたいです。


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最後に、ペアになってくださったNさん、いつも大切にしてくれてありがとうって言葉を考えて、選んでくださって、改めてありがとうございました。
言葉を探してくれたNさんの優しさが、私は本当に嬉しかったです。

それから、池袋以来の久しぶりに会えたTさん、たまたまだったけれどお昼をご一緒してくれたSさん、帰りにお話しを聞いてくださったMさん、Web. WORKSHOP で一緒だったAさんとも、それぞれお話しができて、私はとても嬉しかったです。


あの輪の中に、私の場所もあるのだと感じられることが、とてもありがたいことなのだと思います。
クラスのみなさまにも、優月さんにも、今回も、本当にありがとうございました!


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。