日々努力中のあなたへ | 良くも悪くも「報いがない」ことを、経験したことがなかった

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時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。


端的に、話を切り出させてください。
いわゆる、世間で言うところの「引き寄せの法則」みたいなものとか、あるいは「徳を積む」みたいな考えは、信じていないです。

そういう話を、まま聞きます。
が、個人的には信じていない。体験が、ほとんどないから。

でも、当たりまえの「因果応報」なら、色濃く感じます。





まさに、ここだと思うのです。


弊社(ONSA)にお越しのお客様は、過去に、納得できない経験下に置かれた方が多い。

まったく、自分に責任のない年齢、自己決断すらできない年齢の段階で、そういう経験を強いられた。
納得など、ゆくわけがない。


このようなご経験、ご心情の方が、多くお越しです。
事実、理不尽ですよね。






でも、おそらく同じ経験をした私から、言えることがあります。
それは、こういうことでした。

「良くも悪くも『報いがない』ことを、経験したことがなかった」


たとえば、私自身が間違いを犯してしまった時も、報いはあった。
報いに、遅配はあるが、誤配はなかった。

これはもう、自分で気づいて、改めてゆくしかかない。
そして、改め新しくしてゆくことを、「成長」と言うのだと思う。





同時に、私が同じような経験のまっただ中の時、経験の先をゆく先輩から、よく言われたこと。

「あなたの幸せが、いちばんの復讐(リベンジ)」


あなたが相手に、わからせてやる必要はない。
「時が、審判するものもある」

今なら、この言葉の意味が、すごくわかる。
時を重ねるのも、悪いことばかりではない。


長い時間の単位で見た時、他人の権利を奪い続け、それを土台に生きてきた人々が、幸せに終わることはない。
「ない」と断言できるほど、報いはある。


たった、私いち個人の、小さな経験の範囲ですら、そうだった。
そうでない景色は、見たことがない。





さて。今、自分のすべきことに、集中してゆきましょうよ。

「誰もが、自分のことだけに集中」
「自分の時間に、責任を持つ」
それがきっと、いちばんよいことであると、私は信じています。



それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。