幻想の眼鏡を外す | 自分の意見は、秘めておくのが社会マナー。……本当に?[2]

画像
<< 続きです >>

時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。

居住している、欧州の歴史ある街から、メッセージをお届けしています。
続きです。





「日本の台湾発言で、中国とのあいだが緊張しているよね」
「そのことに関して、日本人は、どう思っているの?」
「これから、どうなってゆくと、予測しているの?」


突然、こんな質問。
でも、場はまったく、しーんとしません。

欧州著者地方では、政治の話は、普通です。
そして、みな、自分なりの意見を持っている。






ところで、この質問を投げかけてきた主は、いかつい風貌の、COOL な兄ちゃん。
日本人でたとえるなら、EXILE の ATSUSHI さんにそっくりな感じで、すごくおしゃれ。サングラス姿も決まっています。
(ちなみに、今は冬で夕刻。眩しさも皆無です)


政治の話に、いちばん遠そうな風貌の彼。
ですが、とりわけ熱心に、疑問をぶつけてきます。

「それって、日本の人たちは、こんなふうに考えているということ?」
「歴史的に、こうだったということ?」
「あくまで、私のいち意見で、日本を代表しているわけではないけれど……」


自分なりの納得ポイントに至るまで、理解を、やめる気はなさそう。
そして、それが普通の会話として、おしゃべりの空気に溶け込んでいます。






「なぜ、自分の意見は、秘めておかなければならないの?」
「政治的な話題はタブーという、暗黙の了解。それは、真に受ける必要がある?」



「なぜなら、争いになるから」「場の空気が、悪くなるから」「マナー」というけれど、……そうかな。


あなたの意見も、正しい。
私のも、正しい。

どちらも、正しい。
だって、どちらも自分の意見があって、別の視点で、ものを見ているから。


だからこそ、異なる意見を聞いて、自分を広げたい。
学びたい。
学ぶことが必要。


この、どこがいけないのだろう。






透明な空気を、思考停止で「うのみ」にしてはいけないと、痛感します。
そして、欧州著者地方の人々は、話し合うことに、とことん慣れている印象。


とにかく、話を聞く。
学ぶ。
なぜなら、自分が信じていること「のみ」が、正しいとは限らないから。

ましてや、大本営が報せてくることなんて、いちばん警戒しないといけない。
だから、現地を知っている人がいたら、自分から話しかけて、情報をとる。
とても普通に、気軽に。


この行動が、呼吸と同じぐらい、自然に行われている。
ここにいると、そのような空気を、あたりまえのこととして、肌で感じることができます。






どれもこれも、未来を安全にしてゆくために、必要な行動。
だから、ワークショップや勉強会をつうじて、山ほど、シェアしてゆきたいです。


2026年もあらためて、世界を、広げてゆきましょう。
自分自身の安全や、未来を、守ってゆこう。

そのために、私の有している基礎知識や、肌で見ているものを、たくさんお分けしますね。
そして、そのまえに2025年のイベントで、ふたたびお目にかかります。



それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。