あらためまして、自分の時間を守るために、できることをしなくては。
とはいえ、
「これから、日本や世界・私たちの未来は、どうなってゆくのか」
こんな壮大な問いに、答えなんてない。
しかも、その答えを、他者に依存するなら、まずいことになるのは見えている。
–
「こんなことになっているのは、誰の責任?」
「誰が、責任を取ってくれるのですか」
確かに、この問いは、ある意味正しい。
責任がある人たちも、きっといるでしょう。
(ここは、力を込めて力説)
でも、それでも、こうも言えると思う。
その「責任」が、取られる頃。
おそらく、それまでの間に、人生のほぼ全ての時間が終わってしまう。
–
だから、この問いを、握りしめていたいと思うのです。
「”私は” どうしたいのか」
「私は、どう生きたいの?」
国とか「誰か」とか、自分以外に所属するものは、変え難い。
仮に変えようとしても、長い時間がかかってしまう。
でも、自分の運命ひとつなら、自分の手ひとつで変えられる。
だから、いつでもここが、いちばん安全な出口。
–
あらためまして、日々、この問いと向き合っている「お仲間さん」。
海の日の連休は、有意義な時間となったでしょうか。
1日に進められるスケジュールは、ほんの少し。
たった、1つや2つの用事。
でも、これを繰り返すことで、こんなに遠くまで来ました。
だから、今、この瞬間も。
そして、ここから先も。
「私は、どう生きたいの?」
この問いを、握りしめたままで、時間を進みたいです。
それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。















