幻想の眼鏡を外す |「思い込み」は透明。外すのに、うんと注意力が要る

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時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。


自分のこととして、よく、感じることがあります。

「何かが、おかしい」
「うまくいっていない感じがする」


こんな時、ありますよね。



言葉で、整理してあらわせないけれど、何かが、かみあっていない感じ。

だからといって、今すぐ、生活すべてが崩壊するといった感じでもない。
でも、直感的に、よくない感じがする。……こんな時。






こんな時は、無意識の「思い込み」が悪さをしていると、気づくようになってきました。


ちなみに、今になって、気づいたわけではない。
時を重ねるごとに、このことの重みに、より意識的に、気づいてきた。

「無意識の、思い込み」

別の言葉で言えば、透明な洗脳。
これほど、外し難いものはないと。






「外す」以前に、「気づく」という段階で、難易度が高いのです。

なにせ「思い込み」ですから、完全に透明。
形があるわけでもないし、文字にして、書いてあるわけでもない。


だから、自分を、よく観察するのです。
そうすると、考えや行動が、おかしなことになっていると気づける。






個人的に、思い込みに気づいた時の、
「あ!! ……ああ」
という瞬間が、とても好き。

得体の知れない、正体のわからないものに、気づけた。
人生の時間を、また一段、軽くできる瞬間です。




そして、かんじんなこと。

この、形のない気づき。
無意識の思い込みに、気づくこと。


自分しか、行ってあげることができない。
誰かに、代行してもらうことはできない。

「私の人生を、何とかしてください」
こんなことは、できないこと。


自分で、自分と、ていねいに付き合う。
これは、自身の人生に責任を持つ、神聖な行為。




それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。