「重い」という言葉を、簡単に使うのは、重い。
ですが、私は個人的に、人生は「重い」と思っています。
人生が、軽いわけがないし、人生は重い。
ひとつずつの人生決断は、重い。
ひとつの決断は、その後何年にもわたって、時間に影響を与えてゆく。
「何年」と言いましたが、たったひとつの決断が、場合によっては何十年……一生を左右することもありうる。
このような状況が、重くないわけがない。
「人生は、重い」
その感覚が、私にとっては普通です。
–
ところで、歴史学科卒の性(さが)なのか、安易に「現代社会は」という言葉を使えない。
というのも、古代ギリシャ時代も、ローマ時代だって、人は似たようなことで悩んでいました。
だからここは、「現代は」ではなく、「人は」とか「社会は」とか言いたいのですが……。
人や社会は、時に、このようなメッセージを送ってきますよね。
「そんなこと、たいしたことじゃない」
「ものごとを、重く考えないほうがいい」
「深く考えすぎるなんて、重い」
「軽く考えて、明るく生きたらいいじゃないか」
–
いや、待って。
軽さと明るさは、根本的に、互いに関係がない。
それ以上に、ここが肝心なところだと思うのですが……。
いくら「他者が」そう言ったからと言って、決断をし、それを生きるのは自分。
無自覚であれ、自覚的であれ。
自分の決断を、実際に生きなければならないのは、本人。
その決断という曲がり角を、曲がった後の時間を生きるのは、自分自身。
だから、簡単になんて、決められないです。
なぜなら、その時間をずっと、ずっと、実際に生きてゆくのは、当人なのだから。
–
ONSA(弊社)では今後も、愚直に愚直に、重さと向き合い続けたい。
なぜなら、この時間はそもそも、とても重いものだから。
誰が、そんな態度は「重い」と言おうと、これは変えられない。
時間は、重いです。
それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。













