Challenge Record

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)
質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。
私は今回のワークショップで「地に足を付けて暮らす」とは、こういうことなのだと学び、幾度と「地に足を付けて生きたい」と口にはしていたものの、どこかふわっとしたイメージしか持てていなかった自分にとっては、とても大きな発見となった。
また、地に足を付けて暮らすためには、「何が正常なのか」が解っていなければならないとも学び、そういう観点で見れば私は異常な環境に慣れすぎていて(麻痺していて)正常な感覚が全くと言っていい程解っていなかった。
きっと以前の自分なら、「今の環境ではもう無理」と0、100思考で焦り、一気に環境を変えるという手段に奔走し始めたと思う(というか、していた)。
でも今回は「今解らないことが解って良かった。
今の環境で『正常さ』の理解を深めるには何ができるだろうか、むしろこの環境を活かすやり方はないかな」と考えられるようになった。

チェアワークや日々自分と向き合う中で出る自分の望みは、大方ブレは少なくなり方向性が見えてきている。
ただ今の生活環境と、自分の望むものとの差が大きいため、たびたび私は目的が見えなくなり、道を間違えたり目的と手段を履き違えて右往左往してしまう(そして焦る)。
だから1つずつ、一旦止まり、ノートしながら自分と向き合って前に進みたい。
今まで自分が学んできたことを試し、トライ&エラーを繰り返しながらやっていく以外方法はない。
長期戦になると思うが、その過程をも楽しめる自分になりたいなと思った。
質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。
私の夢は今の大きな課題を現実に変えること。
そしてその過程を楽しめる自分になること、成長すること。
私はどんな時でも、自分に集中できる自分でいたい。
今を生きたい。

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)
質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。
「そうしたいなと思ったら、そうするしかない」
本当に、その通りだと思った。
自分が望むことのために行動するのは、自分しかいない。
それ以外に、一体どうやって実現しようというのだろう。

時間の消費方法について、自分なりに新たな気づきがあった。
たとえば「旅行」という行為は、そのメンタリティによって「儀式」にも「活動」にも「親密さ」にもなり得る。
そのように学び、私はもしかすると、自分にとっての行動の意味をねじ曲げてしまうことがあるのかもしれない、と感じた。
焦るあまり、あるいは良かれと思って、「頭」で行動の理由づけを行うものの、現実の私(の心や身体)は着いていくことができない。
その結果、自分の時間を生きていると感じられないならば、本末転倒ではないか。

私は、「引きこもり」や「儀式」の状態にある種の安心を覚えてしまうことを痛感した。
やり方を変えることを拒んでいるとき。誰かや何かの軸に合わせることでなら、「決断」できるような気がするとき。
その状態で、どうやって現状を変えようというのだろう。
「ひまつぶし」の目的のなさを思うと、耐えがたい心地がする。
けれど、目的を見失っているとき私の行動は、結果的にこの状態である。
不安に駆られ、やみくもに情報を探し回ってしまうという時間も、これに当たるように思う。
(時間が飛ぶ実感がある)
「活動」や「ゲーム」の不毛さの部分には、いら立ちすら覚えた。
役割や共依存に生きること…。
これまでの私の時間の多くを占めており、自分がそこへはまりやすいのだということを、重く受け止めなければいけない。

私が「親密さ」の時間を増やすためには、どのようなことが必要だろうか?
自立した者同士の関係を築くためには、まず自分自身が自立しなくてはいけない。
自分の身を立てるためのあらゆる取り組みは、長い目でみれば「親密さ」につながる時間になるのではないか。
ただし、もし私が「これはきっと本物だ」「自分にとって意味があることだ」と事実をねじ曲げて行動するならば、いつまでたっても本当の「親密さ」を味わえるようにはならないのでは。
目的と手段が入れ替わってしまうようなときにも、一見「行動している(と自分にも見せかける)」ことが「儀式」にも「引きこもり」にも、なり得てしまうのだろう…。

私の時間の消費方法は、自分の望みのためになっているか?
そもそも私は、何をどうしたいと望んでいるのか?
いつでも、慎重に確かめながら進まなくてはいけない。
私は、自分が志そうとしていたことについて、見直す必要に迫られつつある。
いま感じている居心地の悪さは、恐れかもしれない。
認めてしまうとますます自分がわからなくなる、ということへの恐怖。
でも、「自分がわからない」ならば、まずそのことに取り組まなくてはいけない。
下位の時間の消費方法で、ごまかしてはいけない。
自分にとっての優先事項は、ここであるように思う。
質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。
私は、幸せに生きていきたい。
私は、自分を知りたい。
自分にとって、好きで、合っていて、続けていけることを、本当に見つけたい。
私は、自分に合っていることで、身を立てていけるようになりたい。
そうしたいならば、自分でそのように動くしかない。

私は、自分が何を目指すのかを忘れて冷静でなくなっていたら、まず落ち着いて「今」に戻ってこられるようになりたい。
自分との対話が極端になっていたり、すべてで満点を目指そうなどと気が狂っていたら、できるだけ早く気づけるようになりたい。
私は、いま感じる「自分のことがわからない」ということに、もっと正直になることが必要ではないかと思う。
自分を知るために、自分に必要なことに時間を使えるように、手帳と未来日記を使っていく。
日々のなかで、時間習慣の練習を続ける。









