「あなたの中の『人生脚本』」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2022年02月05日開催

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タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は「人生脚本」を「やらない」「あきらめる」言い訳にして逃げている自分がいることに気づいてがっかりした。
そして、私は気づいたからまた先に進めると思って少し嬉しかった。


発言をするときは「きれいに言おう、立派なことを言おう」ではなく、「自分の気持ち」を言うよう心掛ける。

私は、立派なことを言おうとするとおかしくなる。
「i – message」を忘れてしまうので注意。

頭で考えるのではなく、心で感じる。
「どんなときも i – message を忘れずに」
(難しいけど…)


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「人は生きるために生きている。人は練習するためや克服するために生きているのではない」
と優月さんから聞いたとき、びっくりした。
私は練習する気満々だった自分に気づいて、いててて…となった。

「人生脚本」や「ドライバー」の解決策は練習するものではない。

私がすることは「今、ここ、目の前をありのままで見ること」。
これだけ。


「目の前のことを、何も付け加えず、意味をつけずに見る」
私は、実際にこのことを意識するととても軽い感じがした。

逆に、自分がいかに「過去からのもの」をくっつけて生きているかということもわかった。
昨年も参加したけれど、気づきが深くなったように思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、もっといろいろなことを気軽にトライしたい。
私は、どんなにちいさなことでも出来たこと、トライしたことを見逃さす、自分を認めることができるようになりたい。

私は、自分のやりたいようにやってみたい。
私は、あらゆることに「時間がかかること」「時間をかけること」を自分に許せるようになりたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、今までどれほど考えてこなかったのか、話を聞いていなかったのかを実感した。
それは、自動的にに「早く早く」が出動されてしまって、焦って、適当なそれらしい言葉を並べるしか術を知らなかったからだと思う。

今、認知症で施設に入ってる父とよく似てると思う。
今私が言ったこと、理解していないんだろうな、覚えていないんだろうな、適当に相槌打ってるなって思うことがよくある。
そして、認知症を発症する前の父も、そんな感じだったと思い出した。

私でさえ解るんだから、もっと健康な人たちは私が適当に相槌打ってることなんて直ぐに解っていたんだろうな。って思った。
でも、その時はそれで、私は精一杯だったことも事実。
本当に、悪気全くなし。


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少しづつでいいから、私の本音を話す毎日を送りたいって思った。

私は、脚本の中に入ると、フリーズして思考停止になりやすい。
私は、目の前の事実に、余計なことを加えすぎ、加えるのがデフォルト。頭の中ぐるぐるぐるぐるしてしまう。
こういう自分を自覚して、落ち着きたい。


私は、やってみて合わないと思ったことは、やめてもいいんだと思った。
苦しいのに最後までやり遂げなくていいって、今までは思えなかった。


私は自分の好きな結末を、自分で描く。
自分で描いてもいいんだと思った。

そして結果その通りにならなかったとしても、自分をもう責めなくてもいいし、違うやり方で結末をを考えてみればいいんだということも解った。

そう思ったら、ホットした。
そういう気持ちがわいてきた。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、焦った時、冷静になることを覚えたい。
私は不安になっても、解決策を見つけられるようになりたい。

私は、自分の答えを持ちたい。
私は、今沢山悩みがあっても、まず今を楽しめるようになりたい。


特に仕事時間に日々起きていた自分の困りごとを、少し客観視できるようになった。
実際、その状況下になったらまた古い方法をとってしまいそうだけど、でも私は知識を学んだ。

次は焦ったら時間を確保するようにして、出来ることを書き出して、行動に移したい。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



*私は「練習する」ということを勘違いしていた。
練習する=生きるということだった。

私は「練習している」つもりだったけど、それは生きることになってなかった。
ワークショップ内で、私はたくさん演習してもらった。

私は、ひとつひとつに答える、考えるだけでも、とてもパワーを使った。
私は、日常を生きると、こんなにパワーがいるんだと思った。
反対から見ると、そういうパワーを使っていない私は、生きてないんだと感じた。


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*私は、日常で「自分の中の声」がものすごく湧いているんだと気づいた。

私は、買い物したり、遊んでる時も、自分の中のあれこれ言う声にとらわれて、まったく、今ここ、目の前のものを見ていなかった。
私は、人の話もちっとも聞いてなかった。


私の人生を「お決まり」「いつもの」にとどめていたのは、私だった。
目の前の、何の色もついていない「今」に、私は過去のあれこれを勝手にくっつけて、決めつけていた。

私は、予想以上に頑固で、かたくなで、予定調和外を拒んでいた。
だから私の日常も、人生も変わらなかったんだ。


私は、湧いてくる声に対し「それを変えてみたら?」をしてみた。
私は、目の前のもの良さや工夫を感じる心がもてた。
私にかかっていた強固なメガネが、はずれた。
みんな、こうやって世界を楽しんでいるんだと私は思った。


文節区切りの線

*私は、ワークショップ内で i – message に挑戦した。
私は、どうやって私とつながったらいいのか、わからなかった。

優月さんのレクチャーを受けて、私は「そういうふうに私を感じることをしていいんだ」と思った。
私は、今までそうやって、自分を感じていいとすら思ってなかったんだと気づいた。


私は、私の気持ちを感じ、口にすることができた。
私は、こうやって練習できて、本当によかった。

私は、この「私」がなかったら、手帳も行動もうまくいかないと感じた。
私は引き続き、私を感じ、出していきたい。


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*私は、脚本やドライバーによって「思考停止」になったら、そのままで終わっていた。
「もうだめ、私には無理」で終わり、私から何かをしようとしていなかった。

私は、ワークショップ内の演習で「自分にできることを5つ考える」に挑戦した。

私にはとってもむずかしかった。でも時間をかけて、できた。
まずは挑戦したことを、私は褒めたい。


私は、こういうのが「生きる」なんだと思った。
自分なりの結論・仮説でいいから、考えてみる、行動してみる。
私はそれを放棄して、「うまくいかない」「私はダメ」にぬくぬくととどまって「誰か、なんとかして」という受け身だった。


ワークショップ内の「演習」ですら、こんなに苦戦してるんだから、日常で実際に生きることは、私にはとてもむずかしいと思う。
でも、ひとつやればひとつ進むの精神で、私はやっていきたい。

私は、下手でもたくさん練習して、生きる力をつけていく。


文節区切りの線

*私は「自分で結末を作れない」ことに悩んでいた。

優月さんに「まずは一つ結末を作り、その結果を受けて、また次を作る」と教えてもらって、私は、少し気持ちがラクになった。
私は、結末すらも「一度に、全部、完璧に」作らなくちゃと、これまた不可能なハードルを立てていた。


自分では自覚できてなかったけど、仕事のことでも、私はちゃんと結末をつくり、一つずつやれていたんだと教えてもらって、そういうことなんだ、と私はほっとした。
私は、自分ができたことをちゃんと確認し、褒めたい。


文節区切りの線

*ワークショップ・クラスを終えてから、私は日常で「あ、また自分で決めつけている」と気づけるようになった。
すぐに外すのはむずかしいけれど、まずは気付けるようになったことが進歩。

そしてそれを外してみて、過ごしてみた時間。
私はほっとしたし、このくらいでいいんだ、と思った。

私はそんなに構えなくても十分にこの社会の一員だし、親切にしてくれる人たちもいる。
目の前の人と一言、二言でも言葉を交わすと、私はうれしくなる。


私の目の前にあったのに、気づけなかった時間、関係。
私は、そういうものに少しずつ心を開けるようになって、うれしい。
私はこっちの世界で生きていく。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



*私は、自分の思っていた「問題」も「解決」も幻なんだと深く実感した。
そう思ったら、私は「生きる」がやりたくなった。

私はたくさん遊ぶし、いろんな場所に行く。
私は食べたいものを食べて、いろんな人と交流する。
私はそのために働いて、お金も稼ぎたい。
私は、今もやっている「安心・安全」の暮らしを、ますます楽しみたいし充実させたい。

私は現実にエントリーして、進みながら、私を知っていきたい。