「大飛躍への準備」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2025年07月26日開催

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私はたしかに、1年前とは違う景色を見ている。
当時は想像もつかなかった環境で暮らし、当時とは違うことで悩むようになっている。

言われてみればたしかに、そこには連続性はなかった。
そして、自分に正直になってみたからこそ、「このままではイヤなのだ」とわかり、変化のための行動が必要になった。


では次に、私はどこを目指すのか? 

曖昧な状態では、どこにも飛べそうにない。
けれど、将来のイメージはあまりにぼんやりしていて、途端に動きが鈍くなる。

私は、この落ち着かない感じを、無視してはいけない。
すりかえた何かに取り組んで、やっているつもり(=能動的受身)になってはいけない。


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私は、不安定と感じる状態を、なんとか安定させようとしてしまっているのかもしれない。


たとえばこの1ヵ月ほどにも、以前の自分には考えられなかった豊かな体験が増えている。
(季節の恵みを得て、漬ける、煮る、仕込む、等々)

新しく学び始めたことに対しては、もっと知りたい、できるようになってみたいという気持ちが自然と湧く。


自分の好奇心や行動意欲、実際にこんなふうに心が動く豊かさもあるのだと、かつての私は知らなかった。
この「いいのかな?」というほどのワクワク感は、自分にとって未知との遭遇でもある。


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私はここに怖気づき、「知らない」「不慣れ」を「知っている」に持っていこうとしているのではないだろうか。

「これぐらいでもいいでしょ、以前よりはだいぶマシなのだから」
「これ以上を望むなんてぜいたく」

こうしてごまかそうとしてくる自分も、自分が新たに進もうとすることを阻んでいるのではないかと思った。


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私は今、何に憧れるだろうか。
そのことで、どのような感情体験がしたいだろうか。

今回、これらに答えようとして、自分からの強い抵抗を感じた。
チェアワークを経ても、身体の声よりも頭が騒がしく、たびたび涙があふれた。

自分のなかで、激しい争いが起こっている。


「そんなことを望むなんておかしい」と主張する自分。

自分が憧れることは、あまりに「良い」。
信じられないほどにうらやましくて、ため息がでる。

今の自分からはずっと遠いところにあるように思え、どうしたら良いか分からない。
そんな危なくて怖いことは、やめておいたほうがいい…。


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もう一方の自分もねばっている。

いやいや、今回も学んでいるように、「まだ現実にない」から憧れなのでは。
そこへ向かおうとするからこそ様々な体験があり、きっと成長にもつながるのだ。

素直に「憧れる」「ほしい」と言えないことのほうが、「おかしい」のでは? 
私だって、もっと変わりたい、もっと良いものを手に入れたいと思ってもいいんじゃないの?

私は、後者の自分に全力で味方したい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、もっと違う景色も見てみたい。
変化も成長も経験する時間を重ねたい。


そのために、本当に小さなことを、改めて見直していこうと思う。

日々の時間習慣を見直し続ける。
自分の将来について考えたり行動したりする時間を、優先的に確保する。

立てたスケジュールを試してみて、それで良さそうかそうではないかを振り返る時間も予定しておく。
振り返りのためには、時間だけでなく気力体力を残しておくことも必要。


スケジュール通りに「立派に」「こなす」ことを目指すのではない。

大切なのは、私自身が生きるということ。
日々の時間の豊かさを味わうこと。
自分が生きる力を高めていくこと。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、放っておくと、古くて役に立たない考え方をしている自分に気が付かされた。

「悪い人ではないし…」
「やってみれば、続けていればいいこともあるかもしれないし…」

こういう「合理化」を頭の中で延々繰り返し、違和感を感じても折り合いつけ、同じ景色を見続けてきた。
今も、つい、こういう考え方をしそうになる自分にストップをかける。


私は、その人の言動にモヤッとした。
その事実だけで、もう、それ以上考えることはしなくていい。

頭を使って考えるべきは、「どうやってトラブルなく距離を置くか」という計画に対してだけだ。


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「キラッとした選択より、モヤッとしない選択がしっくりくる」
これは、昨年のワークショップで学んだことで、今にもつながってくる。

私が最近モヤッとしたことは、ぱっと見は「キラッとした選択」のように見えるのだ。

逆に私が最近モヤッとせずに選んだことは、全然キラッとしない。
地味だ。


どうして? 不思議だな…と考えていたら、「モヤッとしない」=境界線が守られているからだという指摘を受け、また一つ、一皮剥けたような感覚になった。

結局、基礎が大事。
基礎が大きな土台となって、選択する理由の根幹となるのだ。

改めてそのことに気付かされた。


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その上で、チェアワークを通して念入りに身体感覚(感情体験)を味わってみた。

昨年、このワークをやってみたときは、あまりに抽象的な感じがして、「これは本当に目標につながるのだろうか」と、やや疑いながらだったことを思い出した。

今は、昨年描いた「味わってみたい感情体験」を達成できたからこそ、このワークの大切さがよくわかる。

これを達成できたとき、私は心から嬉しいのだとわかっている。
だから、絶対に次もそうしたいと思える。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私は、お腹の底からエネルギーが湧く感じを味わいたい。
・自然と身体が動いて、軽やかで、飛び跳ねたくなるような気持ちを味わいたい。
・心の底から好きだと感じたい。

・「食べてみたい!」「おいしい!」という感動
・胸いっぱいに呼吸できること
・足先まで血が巡ってぽかぽかしていること
・そうなるくらいの安心感に包まれていること

・子どもや動物など、小さい生き物とのふれあい、抱っこのぬくもり、懐かれている感じ
・それを感じられるくらいの穏やかさの中にあること
・時間的/精神的な余裕

私は、その感情体験に向かえるものを選択し、関係ないものを排除します。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、今回のワークショップで本来の「変える」とは連続性がないことだと改めて学び、「あぁ、あの安定した足場がなくフワフワしていて、1つ1つの新しいドアを一人で開け続けたような、あの不安なやつのことだ」と思い出した。

以前「変える」を経験した時は、ある意味命に関わっていたから、やらないという選択は自分には無かった。
今回、どちらに行きたいのかは身体を緩めて考えれば解るのに、油断をすると直ぐフリーズして怖くて引きこもろうとする。


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ある時は「大きく環境は変えない」という他人の意見を参考にして、やっぱり自分は無謀なことに進もうとしているのかなと何故か落ち込む。
また別のある時は「そこそこ満足している今の現実」に留まっていてもいいのではないか、と弱腰になる。

人と比較をし出すと、とたんに自分の声が小さくなり、直ぐに自信喪失状態になる。

でも、誰かが私に強い動機を運んできてくれるわけではない。


そのままでも後悔しないなら、それでも十分いい。
それで自分はどうしたいのだと身体を緩めて問うた時、その答えが変わらないのだとしたら、粛々と進んでいくしかないのだなと思う。

私は、自分の人生にいつまでも弱腰で居続けるのは、嫌だ。
堂々と前を向いて、自分の力で人生を切り開いて生きていきたい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私は、現実を直視できるようになりたい。(見極めが上手くできないので)
・私は、新しい挑戦をしている自分を励まし続けたい。もっと強くなりたい。

・私は、今を大切に生きていきたい。
・私は、小さくていいから(副業とかフリマとか)自分の好きで得意なことでお金を稼いでみたい。
・私は、今よりもっと自分のことが知りたい。