

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加) せいふうクラス

私は、いまの自分の状態を、新しい角度から見たような気がした。
10年後、20年後、30年後の自分をどう生かしていくか。
この国はどうか、世界はどうなっているかも踏まえて、自分はどこでどのように生きていたいだろうか。
いつかは考えなくてはいけないことから、逃げている自分。
この言い訳がましい自分をなんとかしなくてはいけないことは、分かっているつもりだった。
でも、その奥のほうに、このようなメッセージも潜んでいるような気がする。
「できそうだとわかれば望んでもいい/考えてもいいが、できそうにないことは考えることすら許さない」
私は、それでいいのだろうか?
自分に機会を与えないということは、もしかすると、自分の命への裏切り行為なのでは?
これが、自分にとって新たな視点だと思った。

今回初めてこのワークショップに参加して、驚いた。
(ギョッとした)
人生を守ることにつながる、このような制度があるのか。
このような想定も、必要なのか。
自分の甘さが際立ってくる。
制度を使おうにも、そもそも私は、何をどうしたいのかという考えがはっきりしていない。
まず、このことを知った。

自分で自分を本当に守るために、とれる手段を徹底的にとる。
そこには、責任と覚悟が伴う。
重みのある大切な選択を重ねるためには、ひとつずつ、自分の態度を決めていかなくてはいけない。
たとえば私は、自分のことに手一杯(これは進歩でもある)で、親の老後にまで意識が向いていなかった。
しかし、いざとなれば、結局は自分が何らか引き受けなくてはと反応してしまうであろうことは、簡単に想像がつく。
本当の自立のためには、内心で誰かをあてにしようとする自分の側の姿勢も、もっと見直す必要がある。

様々な制度やキーワードに触れ、「そこまでやるの?」と感じた自分が、妙に引っかかった。
私はひょっとして、「そこまではしなくてもいい」とでも思っている?
自分の人生を守るために、とり得る方法がある。
けれど、できる気がしない(?)ため、自分にはそれを与えないことにする。
それって、ひどいことなのではないだろうか。
正直に感じてみると、「できる気がしない」「そんなことは無理…」と決めつけたくなる自分は、どこかで「誰かの存在」、「誰かの都合」のことも意識していると気づいた。
「誰か」という言い訳を断つために、制度が役に立つことも出てくるのかもしれない。

私は、自分の将来像を考える上でも、似たような感じを覚えた。
自分に対して、一つの可能性を考えるという選択肢を「与えない」。
そのような、ひどいことをしているのでは…?
これまでも学ぶ機会を得ているはずなのに、私は「日本でいいのか?」という問いを直視できずにいた。
口にするのも怖かったのは、「今できない、わからない」と、自分の力不足を痛感するから。
そして、「誰か」や「何か」の都合を暗に意識しているからではないかと、思い当たる。

私は、「誰か」のために生きているわけではない。
そんなことに気をとられているうちに、私が生きるはずの時間はますます失われる。
私は、「考えるのも保留」というかたちで自分を裏切る自分を、信頼することはできない。
いや、このままではきっと、絶対に許せなくなる。
私は、「日本でいいのか?」という問いを、自分のテーブルに乗せることにする。
自分自身に対して、しっかりと口に出せるようにしていく。

私は、どう生きたいのか? そのために必要なことは、何だろうか?
問い続け、動き続けることは、命の限りずっと続いていくことなのだ。
どのような状況でも、すぐにはわからなくても、常に考えていく。
学び、練習して、自分に力をつける。必要なことを調べ、方法を探す。
自分の命を守る行動を、重ねていく。

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) せいふうクラス

私は今回のワークショップを受けて、改めて自分が将来について、具体的に何も考えずに生きてきたのだと理解した。
そして「今は永遠に続かないんだよ。ちゃんと将来の私のことを考えてくれ」と自分から、はっぱをかけられた気がした。
私は何か計画を立てる時、今の自分で組み立ててしまう。
今の体力、時間、環境、お金や家族構成など、それらは全て変化していくものにも関わらず。
自分の中で、その時で時計が止まっている感じで、以前は「今を生きている」と都合よく解釈していたが、これも単なる「思考停止」というのだろうと思った。

今回、具体的に5年後や10年後、そして20年後や30年後まで考えられて良かったと思っている。
もちろん「こうしよう」という具体的な対策の目途が立ったわけでもなく、むしろ見通しのなさにフリーズ状態になったのだが、それでもその時の自分の答えを考え、探し続けなければならないのだということ、思考停止ではいけないということに、以前より危機感を持って理解できたように思う。
また、改めて制度について学び、父亡き後のことで、今やっておけることを書き出したら、おぼろげながらも安心感を得られた。
もちろん、それに割ける時間はほんの僅かだが、「なんとなく不安」な状態とは違うなと思った。
ここについては兄ときちんと話をして、頼れるところはお願いして(丸投げしないように)、その時が来たら慌てずに動けるようにしていきたいと思った。

ご一種してくれたお仲間さんへ
今回もありがとうございました。
考えることが色々で、頭パンパンになりませんか?
一人では不安過ぎて、到底たどり着けなかった場所に何度も戻って来られるのは、お仲間さんがいてくれるからだと思っています。
また他のワークショップでお会いできることを、楽しみにしています。

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) せいふうクラス

4年振りの参加で、私は前回学んで考えようと思い、結局そのままになっていたことを思い出した。
急がなくてもいいか…と流れてたけれど、こつこつと積重ねておく必要があると改めて学んだ。
私なりに多少動いたこともあったけれど、当然のことながらあれから時間が経っている。
私は自分のために、緊急じゃないけど重要なことを、一つずつ丁寧に片付けて備える必要がある。

その前に参加したワークショップでも感じたけれど、私は自分の10年後20年後が本当に思い浮かばない。
私は自分の将来を考えてこなかったとつくづく思う。
何も浮かばない中でも一つ言えるのは、私は自分の人生を絶対に諦めたくないということ。
だったら、自分で考えてゆくしかない。
乾いた雑巾のような中から絞り出すと、今までやってきたことの中にヒントやキーワードはあって繋がりも感じた。
私は自分が気になることを、少しずつ掘っていきたい。

私は自分のために探していることを、コツコツと続けてゆく。
途方に暮れて投げ出したくなることもあるけど、とりあえず行動していく。
拙くても怖くても、とにかく動いて確かめていくしかない。
自分の代わりに誰かがやってくれるものじゃないし、自分のために行動するのは自分にしかできない。
そのために、私はまた計画を立ててスケジュールを入れていく必要がある。
ワークショップの度に書き出した todo は中々進まなくて、そのまま流れていってしまいがちだけど、まず一つ必ずやると決めて繰返しスケジュールしていく。
何度も挫折しても諦めない私のために、私は行動していきたいと思う。
今回もありがとうございました。

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) せいふうクラス

・私は生きること、人生を守ると言った時、ギラギラした星を目指す。
何か良いものを見つける、うまくレールにのるというイメージになっていた。
けれどそれは全くちがって、命をどう生かしていくかという、非常に現実的なことだった。
何度も他のワークショップでも教わった「考える・計画する・行動する」ここを真剣に小さく愚直にやるしかないのがわかった。

・私は今日々の予定を立てて、回していくのでいっぱいいっぱいだ。10年後、20年後の予定を立てるのは、無理矢理やってみたけど難しかった。
ただ難しくても、考え続けることが必要と言われたので、できなくてもやってみようと思う。
私はできないからやらないて、終わらせようとしてしまう。
それをやめて、うまくできなくても、全然わからなくても自分で自分の人生を考えるしかないのだ。
・私は未来のことを考える時、漠然と今の状況が続いていくような気がしていた。
けれどそれは錯覚で、世間知らずだった。
人生計画に、この先の日本や世界の状況が大きく関わってくると考えていなかった。
私は自分の置かれている状況を、自分1人ではうまく理解することができない。
なので勉強会などで自分のズレや抜けを、修正していかなくてはいけないと感じた。

自分のすること
・完璧な計画、失敗のない理想的な計画を諦めて、今の段階の私の計画を立てる。
私はいつもできない、わからないと止まってしまう。それはありもしない答えを、探しているからだ。
それをやめて今の時点の計画で、スケジュール帳にやることを書き入れてみる。
・自分をどうやって食べさせていくかを長いスパンで考える。
私は不安に駆られると、1秒でも早くなんとかしたくて一発逆転に飛びついてしまうので、年単位の時間で計画する。
・親と私の関わり方を整理する。
私は自分の人生に集中したいので、親のお世話係はできない。そのために距離を取る方法を考えて準備する。
使える仕組みについて、調べて何をするか決めていく。
これも年単位での進め方を考える。いつか妹と話し合う必要があるので、話し合えるように準備をする。
・援助機関とつながる。

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) せいふうクラス

私へ
「先々の状況を見越したライフプランを立てること」「手を作っていくこと」は、私に取って今最大のテーマだね。
「先々の状況を予測すること」が必須なのは、実感として分かってきた。
でも、その「状況」もワークショップのあった日と今では認識が変わっている。
(というか、私が知らなかった・分かっていなかっただけなのだけれども)
知る度に自分が激動の流れの中にいることを、いかに自分が甘いのかを知る。
そして、分かってはいても自分の中をどう探しても、私は今の状況・自分の延長線上でしか考えられていない。
状況との間に埋めようもないギャップがある。
正直、今の私には全く歯が立たない。

将来プランに真剣になるのはいいけれど、私は身近なところで今とこれから起こりえる問題から意識がそれてしまっていた。
というか、将来プランと今回のワークショップで扱った問題をどこか別口で考えていたかもしれない。
でも、そうじゃないと改めて気付く。
どちらも切っても切り離せないし、片を付けていかないと自分の人生に集中出来ない。
いつどこで足を取られるか分からない。
今回参加させてもらって、立ち止まれて良かった。

「家族との関係は永遠のテーマ」「制度が機能しているうちに…」という言葉が、印象に残っている。
(言葉が違っていたり、別の機会に話された内容でしたらすみません)
丁度、「このままではまずい」と感じていたところだった。
相手との距離が離れたことで問題がなくなったかのように感じていたけれど、そうじゃない。
離れたことはスタートでしかない。

今回も量的にも質的にも大きくて重い内容だった。
私に受け止めきれたかは分からないけれど、扱われた1つ1つに納得しかなかった。
それでも、私はまだ相手との関わり方・距離感を決めかねている。
「将来のために、関係を持っておいた方がいいんじゃないだろうか?」という身勝手な欲。
「話し合いが成立しない相手」と見切ったはずなのに、性懲りもなく「私がうまく対応出来るようになれば、いい関係が築けるんじゃないだろうか?」
…嫌になるほど出て来る。
「たった1人の家族なのに」
「私が大変なのだから、相手はもっと大変なんじゃないだろうか?助けなくていいの?」
…そうやって差し出したものに、温かいものが返ってきたことがあっただろうか…?
そして、私はもめるのが嫌なのだ。
「どうにかもめないでうまくいく方法はないだろうか?」と考えるふりで、先延ばししている。

自分の甘さ・ずるさ・依存ぶりが嫌になる。
正直直面したくない自分のありのままの姿。
目をそらすのは簡単だ。
又、そらす口実なら沢山ある。
でも、そらしちゃいけない。
どこかで見聞きした「楽をすると、不幸になる」を思い出す。
私はまず自分を正して、どういう関係性にしていくか決める必要がある。

改めて、1つ1つ「考えること」「決めること」の大きさ・重さを感じている。
(かつて「大人の力を使って変わりますか?」の質問に「変わりたい」と書いた自分の何と無邪気だったことか…)
そして、今迄そうしないで年齢を重ねてきたことが、とても重い。
でも、1つ1つの決断の現実を伴った重さは以前の私には感じられなかったし、理解も出来ていなかったことだと思う。
そして、自分を責めずに「それだけの重さのあることなのだから」と思えたのは、以前より成長かもしれないね。

今回のことは1度や2度向き合っただけでは、到底理解し決めて行動出来ない。
そして、自分の現実の姿・本心にはなかなか直面出来ない。
まるで氷壁にハンマーを刺そうとしても全然刺さらないような感覚だけれど、だからこそ直面し続け、考え続け、小さい行動を積み重ねていきたい。
お仲間さん、優月さん、最後になりましたが今回もどうもありがとうございました。
こんな重いテーマに1人では向き合うことはとても出来ませんでした。

M. K. さん(40代以上/福岡県よりご参) せいふうクラス

私はこのワークショップで自分の未来の安全や命を守るためには、毎日決断して、小さく行動していくことが必要だと学んだ。
また、1人で生き抜いていくというよりも自律した大人同士支え合いながら生き抜いていくのがいいと思った。
それで、私はどうするのかというと、まず今をちゃんと生きるということだと思った。

自分のことに関して10年、20年先の展望を持つことは難しかった。
自分自身の変化、環境の変化なども含めて見つめることが不十分だけど、その不十分なレイヤーを何層も重ねていき少しでも現実的な見通しを持っていきたいと思った。
目の前の具体的なところから手をつけると、私自身の健康を維持増進していきたい。
今まではギリギリ若さで回してきたが、そんな生き方は無理であることを学んできた。
次に、自分の共依存の問題に取り組み続けること。ここの部分をもっとよくしていかないと私の安定や安心はないと思う。
生きていくための土台の部分を整え、それから私自身をどうやって生かしていくか考え続けていきたいと思った。

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) せいふうクラス

自分だけでは見えてこない今後のことを知ることはできたと思う。
それを理解し自分の今後を組み立て活かすことは、わたしにとってはとても難しいと感じました。
自分の今居る場所からできることをやっていきたいと思います。
ありがとうございました。