Pay Forward

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) きりんクラス
私は今回ワークショップを受け、今まで自分が決めてきた多くのことは、自分の頭の中のファンタジー、皮算用に基づいていた、という恐ろしい事実が朧気ながら見えてくるようになった。
私は長い間私のことを置き去りにし、私の力を握り潰し、長所や得意なことまで無かったことにし、ひたすら自分には合わないぎらぎら星を追いかけながら生きてきた。
自分の手元にあるものは、小さくて、理想とはほど遠い。
こんなんじゃ生きていけないと思っていたけど、実は逆だった。

本当の私は、確かに以前思い描いていた理想の私ではなかったけど、持っていた力も元々の環境等ももう既に持っていて、それらを少しずつ磨いただけだった。
ちょっと磨いたら、キレイに光るからもっと磨きたくなって、そうこうしているうちに、また自分の中に光る原石らしきものに出会う。
これからもそんなことの繰り返しになったら、きっと楽しいだろうと思う。

またワークの中で、身体で自分の境界線を感じた時と頭の中で考えた時とでは、線の引き方が全くと言っていい程異なった。
前者は強固な境界線だが、後者は途端に弱くなる。
身体の感覚は、本当に大事なのだと改めて思った。
だから私は、身体に負荷をかけず、自分のことをもっと理解していきたい。
自分の中にある力を、見つけて、磨いて、自分のことを守っていきたい、そう思った。
ご一緒してくださったお仲間さんへ。
今回もありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしています。

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) きりんクラス
私は今回のワークショップに参加して、ようやく学んでいることと自分の現実が結びついた気がしました。
「自分の境界線の中に責任を持つ」
「手に負えることをする」
何度も聞いてきた言葉がようやく自分事としてわかりはじめた気がしました。
それは、自分がこの1年「自分の手に負えること」について考えたり、助けを借りながら試行錯誤してきたからかもしれません。

とはいえ、私は新しい環境や変化に弱く、そのような状況になったときに、いまだに「差し出す」という処生術が出るときがあります。
反射的に受け身になったり、取り繕ったり(やってます感、出来ます感を出す)してしまいます。
この行動は自分の中には何も残らないし、何も積み重なりません。
そのことがわかっているのにほぼ無意識でしてしまうことは、長い間自分の中の課題でもあります。
それが「境界線がない。どこからが自分で、どこからが他人かがわからなくなっている」状態なのだと改めて確認できたことは良かったです。

また、私は新しく何かを始めるときに不安から「誰のため」「何のため」がズレやすいのだということに気づきました(キャパオーバーになっているのかもしれません)。
そうすると、自分の境界線の中のことをしていたはずが境界線があいまいになり、努力の方向も気づくと「自分のため」から「他人のため」になってしまうのだということもわかりました。
ただ、これらについては「自分の境界線の中に出来ることを増やす」と意識して取り組むことでかなり解消できる気がしています。

今回のワークショップでは、おなじみの自分の根強いクセやパターンについて再確認したり、痛い気づきも多くありました。
その一方で、自分の環境の変化や成長も確認できました。
たとえば、今、私は「差し出す」「受け身」という処生術を使おうとしても、それが通用しない環境に身を置きつつあるということ(優月さんに言われて気づきました)。

自分の周りに境界線を尊重する人が増えたこと(そういう人との出会いも増えました)。
以前の私はその健全な環境を信じることが出来なかったり、自分の知らない世界におびえていたりしていたけれど、今はそういう環境が当たり前になりつつあるということ。
そういう環境で生きていけるようになりたいと思っていること。
そのためのスキルを習得したいと思っていること。
他人のためではなく自分のために努力をしたい、力をつけたいと強く思うようになったこと。
そのためにどうしたら良いかを考えるようになったこと。
「自分の手に負えること」をすれば「自分の中に積み重なる」ということが体感でわかり始めたこと。
改めてふり返ると、思いのほかいろいろあったのだと気づきました。
そして、こうして大きさに関係なく自分の変化や成長を認めることが出来るようになったこと、このような場に書くことが出来るようになったことも成長かもしれないと思いました。

この1年、ONSA、優月さんをはじめ、いろいろな助けを借りながら進んできました(いつもありがとうございます)。
この先も、この環境を当たり前と思わず感謝しながら、自分が進むために必要な助けは借りながら、自分に力をつけていきたいと思います。
そのためには境界線の知識もますます必要になると思うので、引き続き学んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) きりんクラス
私にとって「自分の境界線の中にあるものでやっていく」のが強く印象に残りました。
私が親から教わったのは、誰かに乗っかって楽をする生き方です。
わたしが黙っていい子にしていれば、優しい誰かがなんとかしてくれる。そういう人を探して助けてもらう…境界線のない考えでした。
もしくは誰かを助けてあげると、かわりに何とかしてもらえる。
暗に利益を得ようとする、相手の境界線を踏み越えるやり方でした。

私にとって自分の境界線の中にあるものは、奪ったり奪われたりするものでした。
私は自分で自分の資源を育てていく、力をつけること学んできませんでした。
だから私にとって手元にあるものが、想像以上に何もなく、自分の力のなさに悲しくなりました。
私が自分の境界線を守り、自分の手元を豊かにしていくことでしか、自分の人生を作れない。
私が自分に集中することでしか、変わることができないのがわかりました。

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) きりんクラス
ワークショップ・クラスに参加した後、私は本当に生き方を変える必要があると、日々の中でつくづく思う。
私が「少しくらい譲ってもいいか」と考えてしまうのは欲だと分かって、そんな自分にがっかりする。
心のどこかでそれは優しさだと思っていたのは、大きな勘違い。
良い人を装って自分を正当化していたけれど、言われてみればその通りだと思う。
そうすることで、私は人から何かもらおうとしていた。

はたから見れば、誰かに乗っかったり利用しようとするのはとても失礼でおかしなこと。
私は自分がそうされたら悲しくなるし、怒りも覚えるかもしれない。
それを自分は他人にしていることに気付いて、自分がただただ残念になる。
親切にしてもらったらそのことにちゃんと感謝をして、そこについ依存したくなる気持ちは手放して、自分のことは自分で一つ一つ丁寧にやっていく。
私はそれをいつも忘れないよう意識する必要がある。

誰かに認められたくて、褒められたい。優しくされたい。フィードバックが欲しい。無意識の内にずっとそう思っている自分に気がつく。
私がつい親切にしてしまうことも、誰かの面倒を見てしまうことも、結局は見返りを求めていることなのか。
純粋な気持ちもあると思っていただけに、悲しくなる。
その違いが私には分かっていなかった。
そこに欲があるかどうか、私は自分を観察する必要があると思う。

他人が先ではなく、自分が先。自分に集中している中で、その先に他人との関わりが出来てゆくなら、私の順番は間違っていたと思う。
ワークショップの中で、「親しくならなくてもいい」と聞いて、少しホッとする私がいた。
幼い頃から親に「周りから愛される人間になりなさい」と言われ続けて、上手くやれない自分が欠陥品に思えて、違うと学んでも無意識に刷り込まれている。
私はお互いに境界線を守る大人の関係が築ける私になりたい。

私は自分の人生を自分の境界線の中にあるものでまかなうと決める。
ちっぽけだとしても、私にも何かしらの力はあるとは思う。
誰かの助けを当てにしたくなっても、踏みとどまって自分で何とかしようと挑戦すると、時間が掛かっても案外できてることもある。
自分から逃げずに、ショートカットやズルをしない。自分でやるという決意をする。
渋々でも自分で何とか努力すると、道は開けると感じることも少しずつ増えてきた。
そうやって拙くとも日々自分の人生を生きていると感じられたら、私は徐々に自信が持てるようになってゆくのだと思う。
私は私を生きるために私に集中する。
今日1日を丁寧に、諦めず投げ出さずに自分なりにコツコツ取組む。
今回もありがとうございました。

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) きりんクラス
私へ
今回も基礎の確認をしたね。
学ぶほどに、基礎は決して簡単だということではないということを、実際に出来ることの重要さを、切実に感じる。
基礎って全てと言ってもいい位じゃないだろうか。
かつての私は、基礎もそこそこに難しいことに手を伸ばして、何かやったような気になっていた。
そんな気はなかったけれど、一発逆転狙いの発想のままだったのだと今は分かる。
その難しいことを仮に出来たとしても、基礎が出来ずにいるのなら単に「出来ているふり」で、
難しいことが出来れば自動的に基礎も出来るようになるという訳じゃないのに。

「自分がないのなら、どうやって境界線を守ればいいんだ?」と途方に暮れたことも、断れたことに一喜一憂していたこともあった。
何か大きなことを変えないとだめなのだと思っていたこともあった。
今振り返ると、そんな自分が何だか笑えてしまう。
時間をかけさせてもらったお陰で、少しは自分のことが客観的に見られるようになってきたのかな。
1つ何かが出来たからといって、大きな何かを変えたからってどうにかなるものじゃない。
今は、境界線は細く長く付き合っていくものだと思う。
私がすることは、自分の境界線を広げようとすることじゃない。
目の前の1つ1つに必要な時間をかけて片をつけることを積み重ねることで、結果的にキャパが広がれば嬉しい。
こんなスタンスが大事だと思う。

「自分の・人の境界線を守る」
ずっとそう思って気を付けてやってきたけれど、やはりやってしまっていることもある。
後味が悪く後ろめたくて、グルグル後悔しているのが私に取ってのサインだ。
心地よくない。
そうなってしまのは、大抵焦っていて早く何とかしたい時だ。
だから、そもそも自分をそういう環境や状況に置かないようにすることがとても大事だと思う。
その為にも、時間管理は重要だと改めて肝に銘じる。

私の人間関係は、相手ありきで相手次第だった(今はそうじゃないと言い切れないのが痛いところ)。
相手に言われたら親しくなるし、すぐに親しくならないといけないと思い込んでいた。
そして、ちょっと話や趣味が合うと、相手のことを良く知らないうちに境界線を差し出していた。
何というか、自分には選択権がなく「自分では変えられないもの」と思っていた。
…そうか、「親しくならない」「今は無理」という選択肢もあるのか。
今回も、当たり前と言えば当たり前のことが腑に落ちる。

今なら分かるけれど、私は自分の持ち分の50%に責任を負わずに100%を相手に預けることで、依存になっていた。
自分に言い訳して、人間関係を作る責任を放棄していたのかもしれない。
今も気が付くと「相手待ち」になって、相手の出方に「反応」している。
やれやれ。
やはり境界線や人との関わりは、私に取って永遠のテーマかもしれない。

人には決して超えてはならない一線がある。
引き返しも取り返しもつかない一線が。
それは、日常の1つ1つの小さな積み重ね。
1つ1つは小さくても、積み重なると、ある時まるで堤防が決壊するみたいにかけがえのない日常が崩壊する。
心が1点に留まったままでいるのは苦しい。
人と自分の境界線が分からない・守れないことは、とても不幸なことだ。
「依存は1%もダメ」と、かつて聞いた言葉に一層重みを感じる。

境界線の重さを理解するほど、怖くなって思わず身がすくむ。
到底何とか出来る気がしなくなる。
でも、逆から見ると、小さい1つ1つになら立ち向かえる。
目の前のことを1つ1つを丁寧にしていくのなら、私にも出来る。
何とかしてゆけるのは、私だけだ。

自分の境界線を感じるワークの後で「境界線のある同士の出会い」の話を聞いた時、なぜか大きな入れ物の中に無数のスーパボールが投げ込まれた様子が思い浮かんだ。
1つ1つが、それぞれのペースで跳ね回っている。
カラフルで大きさもまちまちだけれど、一緒に。
ボール同志がぶつかっても、べちゃっとつぶれたりくっつくこともなく、ポンッとはじけ飛ぶ。
その度に色合いがクルクル変わって、豊かな感じ。
そんな様子はとても楽し気だ。
たまに勢い余って場外へ飛んで行ってしまうボールもあるけれど、それはそれでOK。
別の場所に混ざればいい。

ふと、境界線を持った人同士の出会いは、こんな感じなのかもしれないと感じた。
お互いがお互いを持ちながら、相手と違っていてもお互いを損なうことなく、そこから新しい良いものが生まれる。
私もこんな風に人と関われたらいい。
こんな風に自分の世界を広げられたらいい。
最後になりましたが、今回も貴重な時間をありがとうございました。

H. M. さん(40代以上/福島県よりご参加) きりんクラス
今回のワークショップでも、見たくない、気づきたくない自分自身の現実の姿を知り、これまでよりもさらに自分がしてきたことを自覚することができた。
私が過去にしてきた行動は、そんなつもりはなかったが、他人の境界線を侵害して人の資源を奪うというしてはいけない不健全な行動だった。
自分としては、ワークショップを受け始める前までは、自分は奪われている側、被害者だという認識でいたが、自分が本当に自然に取っていた行動が、実は奪う行動だったということがわかった。
具体例を出してもらったとき、そのような行動についてずいぶんと心当たりがあってギクっとした。
そして、それを長年続けてきてしまった結果、人に迷惑をかけただけではなく、自分自身を成長させるための学習機会をふいにし、自分の人生をつくりあげていくために必要な力を自分につけたり、育てたりしないまま今の年齢になってしまっていた。
この現実を今目の当たりにして、自分の生き方がいかによくないものだったかがわかった。

さらに、自分が自分の子どもから何かの資源を奪うなどということはつゆほども考えていなかったが、説明に照らし合わせて考えると自分の行動は、子どもから奪うということになってしまっていた。
私がこれまでの人生で一つ一つ時間をかけて自分で解決するべきことをしてこなかった代償は、とてつもなく大きい。
私はそれを今からやり直して行かなければならない。
とてもやり直し切れるような量ではないことを考えると、とても悲しい気持ちになる。
ただ、救いであり希望だったのは、健全な境界線のある生き方を学べたことだ。
ワークをして自分の境界線を感じたとき、とても安心する感覚を感じた。
人はここの中に責任を持って、ここの中にある資源を使って自分の人生を作っていくということがわかり、ホッとした感覚があった。

また、健全な人間関係がどういうものなのかということやこれから健全な人間関係を築いていく際にしていく具体的なことを教えていただき、納得した。
これを子どもの頃に教えてもらえていたらどんなによかっただろう思った。
私は、私自身がこれを知らずに生きていたので、子どもに示してあげることができなかった。
今後子どもにも私と同じ混乱を味わわせるのかと思うと心が痛む。
私はこれまで長く生きてきたのに、自分の人生を生きるということの意味も、何に向かって生きているのかもわかっていなかった。けれども、ワークショップで学んできたことで、自分の人生を生きるということやその方法が少しずつわかってきた。

私はまず、これまでの長い間にためてきてしまった膨大な量のつけを払っていかなくてはいけないけれど、本当にするべきことが少しずつ見えてきたことが嬉しい。
これからまた学びを重ねながら、やるべきことを投げ出さずに辛抱強くやっていきたい。
今回も多くの大切なことを学ばせていただき、ありがとうございました。

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参) きりんクラス
わたしが今回のワークショップで学んだことは、怖い、不安、と向き合うこと。
自分の今いる場所の責任をとっていくこと。
自分と子どもの境界線を確認していくこと。
自分の物事の理解の範囲を確認していくこと。
良くない癖を都度確認していくこと。
過去の取り返しのつかないことから繋がる今のことを、粛々と受け入れていくこと。
です。
そして、そういう自分の人生を生きていくこと。
です。
今回も、ありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。









