

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) へきりょくクラス

今回は、自分で変えられない自分の元々の持ち物と、変えていける習慣を学んだ。
そして、わたしはその習慣を理解できるのにも時間がかかったし、どれほどさぼってきたかということもわかってきた。
また、いかに自分が人や周りからの意見や指針に頼っているか、ということをより深く気づけた。
そういうことに気づくと、恥ずかしく情けないとやはり一瞬で思うが、一つ気づけてよかったとも思えた。
自分で変えられないところが、周りを圧していることにも気づいて、もう本当にどうしようもなく申し訳ない感じがした。
そして、それは変えていける習慣をさぼらないことで、自分の周りをも大切にしていけることだとも思った。

チェアワークでは、自分の身体の境界線をまた確認した。
その範囲を意識すると、心地よさや安心を感じた。
また、日常それができてはいないが、おそらくシンプルなことなのだとも思った。
そして、そうでなかった過去を想うと、それはほとんどそうでなかった状態だったのだけど、いかに人のものを自分のもののようにしてきたか、人のものを奪ってきたか、人のものを共有だと思ってきたか、ということがわかり、そちらの方をより強く感じた。
不健康な共有の図、そのものだと思った。
そこから抜ける努力というよりは、自分がそれをしない作らない努力、だと自分の課題を思った。

そして、そんなとんでもない自分を批判し責め消したくなる。
だけど、ミラーワークをすると、自分はやはりそこに居て、存在は否定できないと思った。
身体は自分を否定しないのだなと思った。
疲れたよ。疲れてるよ。
一つ一つ、やっていこうよ。
今けっこうズタボロだけど、あなたの良いところだって僅かながらあるよ。
こういうことやああいうことが苦手なんでしょう。
それが一つわかったじゃないか。
やらかしたことは謝っていこう。
とても疲れた表情の自分が、疲れているのに応えてくれた。
頭より身体のほうが、自分のことをよくわかっているんだと思った。
今回も、ありがとうございました。

M. K. さん(40代以上/福岡県よりご参加) へきりょくクラス

私は何度かこのワークショプを受講していて、今回は身体のサインを読む習慣をつけることを目標に受講した。
ワークショプ・クラス開催まで、ノートに身体からの警報を書き留めようと過ごしていたが、書いていたことはニキビができたことや少し顔色が良くなったことだった。
これでも以前よりは、自分の身体を観察する機会が増えたと思う。
ずっと他人しか見てこなかったので、自分を見ようとできたことはよかったと思う。
今は仕事をしていないし、ゆっくりしているから私は落ち着いているのかもしれない。
でも、整体では肩こりや頭痛がないか毎回確認される。私は鈍感なだけなのかもしれない。
本来「ある」はずのサインを長年ないものとしてきて、認知できないのかもしれないと思った。

私は境界線のない家庭で育って、自分で選択した場所も境界線のないところであった。
私は自分の責任のある範囲がどこまでなのか理解していく必要がある。
私は私の両親が、複雑な文章を話していることを聞いたことがない。
私のことに時間を割いてもらえるとも思わなかったし、私もその価値があると思えず年齢を重ねてしまった。
不思議なお弁当や、いつも同じ砂糖・醤油・酒の味付けのご飯。
家のご飯は出されるだけでありがたい、美味しいと思うべきものだった。
私はケアしてあげられなかった頃の自分の分も、今の私が関心を持って自分を成長させてあげたいと思った。
私はおいしくて栄養のあるものを食べさせてあげたいと思う。
まだどのくらいがちょうどいいのかわからないけど、しっかり身体を休ませることも体に覚えさせてあげたい。
私は運動は苦手だけど、少しずつ継続していきたい。
まずは本来の健康な身体を取りもどしていくことが私の安全につながると思った。

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加) へきりょくクラス

今回のワークショップで練習したチェアワークでは、「私の身体の輪郭=境界線」を強く意識した。
私が原家族で教えられた、間違った境界線。
それは、私の身体の輪郭を越えて、あまりに広すぎるものだった。
この感覚に、私はとても馴染みがある。
同じ空間で揉め事があれば、それは全て私に関係があり、解決を手伝わなければいけないように感じていた。
実際に、このやり方で手伝っていると、消耗して自分のことが進まなくなる。
そして、人の輪の中に入っていくことに疲れて、何もしたくなくなるのだ。

また、違和感を感じても、「ここでそのことを私が口にしなければ、みんなが気分を害さず、笑顔で円満に終わる」と、その違和感をねじ伏せた。
その誤った処世術が、私の人生を徹底的に破壊した。
「みんなが笑顔になるような解決を探してはいけないの。それはあなただけが我慢して成り立つ解決方法だから」と、ワークショップ中に教わった。
チェアワークで、「私が責任を持つのは、私の身体という境界線だけ」と、何度もイメージする。
そうすると、私は安心できた。
この身一つの範囲なら、やれる。
生き抜かせる方法を、なんとしても見つける。

私が、私の境界線を守るとき、必ずしも後味のいい結果には終わらない。
場の空気が悪くなることもあるし、対立することもあるだろう。
以前は、そのことがあまりにも恐ろしく、逃げるために内面のコントロールを使い続けた。
今は、「そのままのやり方では、私の人生の破壊が止まらない」ということの方が恐ろしく感じる。
だから、私は私にだけ、責任を持つのだ。

今回のミラーワークでは、自分でも驚くほどに大泣きした。
ミラーワークは、これまで何度もしてきたのに、回を重ねるほどに溢れるものが強くなっていく。
初回は、正直、戸惑いの方が多かったような気がする。
自分との距離が近くなって、やっと言えるようになった。
そのようなことが増えてきているように感じた。
あんなに泣いている自分は、本当に子どものようだった。
置き去りにされて、傷つき悲しんでいる自分の顔に、心から申し訳ないと感じた。

ワークショップ・クラスの夜は、立っていられないほどの眠気に襲われた。
そして翌日、邪気が抜けたように肩こりがなくなり、身体が軽くなった。
何かが一皮剥けたような、そんな感覚だった。
その後の1週間の中で、不安を感じる出来事があると、身体は正直にこわばった。
こんなとき、以前なら、気を紛らわせたり、マッサージをしたり、真の解決とは別のやり方でほぐそうとしてやり過ごしていた。
「不安があるのに、緊張するな」と言うのが、無理だったんだ。
緊張するのは、緊張するなりの理由がある。
私は、それに対して、丁寧にチェアワークをして、自分の意思を再確認した。
そして、それに基づく解決の方向に、エネルギーを注いだ。
解決に向けた行動を一つ進めた翌日には、再びすっきりして、肩こりが和らいでいた。

私が自分で増やしてしまった「人生の荷物」はとても重い。
肩こりと無縁になるということは、この一生のうちに経験できるかどうか、わからない。
それでも、できることはある。
これ以上、肩に荷物を載せないこと。
すでに載せているものを、1グラムずつでも、解消していくこと。
今までも、そのやり方で、かなり軽くなってきた。
この長く地道な作業しか、有効な道はないと知っている。だから続けていく。

ミラーワークで、私は、久しく自分の顔をじっくり眺めていなかったと気がついた。
肌が荒れていて、なんともかわいそうな顔をしていた。
「私のこと、全然見てくれないね」と、悲しそうな顔をしていた。
肌が荒れ始めた2ヶ月前のことを思い出す。
私は基礎化粧品にかけるお金を節約するために、「化粧水はつけなくてもいいんじゃないか」と考えた。
すごく乾燥するときだけつける、あとはつけない、とやってみていた。
どんどん、鏡の顔も見なくなり、肌が荒れた部分を無意識に掻き壊すようになっていた。

今回のワークショップが終わってから、朝晩の化粧水を再開した。
自分の顔をじっと見て、優しく触れ、触れられる感触を味わう。
「今まで、傷つけてごめん」
「もう、掻いちゃダメだよ」と話しかける。
すると、まず、無意識に掻き壊すことがなくなった。
顔を掻きそうになった手を見つけて、意識的に止められるようになった。
たったそれだけのことなのに、2ヶ月治らなかった肌荒れが、5日間くらいで治ってきた。

別に、化粧水をびっしょり塗るわけでもない。
数滴しか、もともと使ってない。
無添加のものを使っているが、決して高級化粧品の部類には入らない価格帯のものだ。
それすら自分に許せない。
まさしく、「欲しがりません勝つまでは」をやっていた。
そして、ただルーチン的に塗るのてはなく、いたわるように触れてほしかったのだ、と感じた。
そのちょっとした感触と思いやりの違いで、同じ化粧水を使っていても、心の満足が全然違った。

「肌は境界線の象徴」と、ワークショップ内で学んだ。
私はいったい、なんの境界線侵犯を感じて、肌荒れになっていたのだろう。
その答えは、まだはっきりとは出ていない。
ただ、上記のことから、少なくとも、自分自身が自分を粗末に扱うことをしてきたことは、間違いなく言えるかもしれない。
あとは、「欲しがりません勝つまでは」と、自分自身を粗末に扱わざるをえない状況に、私を追い込んでいる相手がいる。
経済的な境界線を、じりじりと…いや、がっつりと、侵犯してきている。
私は、そのことを断固として許さない。
私は怒りを感じている。
私はその怒りのエネルギーをもとに、権利を主張し、奪還していく。
その意思を、改めて確認した。
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ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。