2021.09月開催 「ライフプロテクション」あまなつクラス

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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) あまなつクラス



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今回のワークショップ・クラスが終了した時、色々頭がパンパンで、いつも以上にひたすらぼーっとなっていました。
正に、いっぱいいっぱい。
でも、一日たってみて今思うのは、あぁ、ちょっと肩の荷がおりたなぁ。と感じています。

0、100思考や一人で大きな決断をすること、また完璧を自分に課していたこと。
そのくせ誰にも教えてと言えないでいたこと。

それらの方法は良くないって頭で理解していても全てを無意識に行っていて、正確にいえばそのことにすら気が付いていなかった。

どこか対策していくことが、今の私の生活の大半を占めていて、あわや人生の目的になろうとしていたし、自分の人生を楽しむ余裕なんてないって思っていました。


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でも、そんなのもったいなくない? 
もっと楽しもうかな。いいんだよね。
そんな心の声が、聞こえてきました。

コロナ渦で色々制限はあるけど、1日何か1つでもいいから幸せだなぁって思える時間を今日から意識的にとっていこうって、そんな風に思っています。

優月さん、ご一緒してくださった皆様
今回も、ありがとうございました。馴染みのお顔ばかりだったので、とてもとても安心して終始 WORKSHOP を受けることができました。
また、どこかの WORKSHOP でお会いできることを今から楽しみにしています。




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M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) あまなつクラス



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お疲れ様でした。
まだ私には考えられていない範囲のこと。まだ先と思っている、

そう未来でもない時の私のための話だった。

自立って言うと簡単に聞こえるけど、本当に自分の力で生きていくって大変なんだと思った。
私は何を選んで生きていくのかちゃんと向き合いたいと思った。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) あまなつクラス



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わたしへ

お疲れさまでした。
いろいろなことを知り、少し整理されたような、ホッとしたような。

反面、結構な重量があるなと思って沈んだり、相変わらずの自分のクセにがっかりしたり…。
まだまだまとまらないけれど、一歩一歩いきましょう。


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私は、親や兄弟との距離の取り方について迷っていた。
それは、やはりいつもの0か100で考えていたからだったということが今回わかった。

私は「結局、面倒をみる。関わり続ける」と「縁を切る」しか選択肢がないと思っていた。
それはどちらも極端でとても過酷で重いものだった。

だから、選べなかったし向き合う気にもなれなかった。


でも、この2つの間にもっといろいろな選択肢が、自分を守る対策があるのだということをこのワークショップで知った。
そのことに少しホッとした。


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それでも、現実的に取れる対策は私には重量があるように感じた。

ワークショップ・クラス中にも
「何年もかけて、少しずつ勉強も含め準備をしていくこと。取れる対策をいくつも重ねていくこと。」
と言われた。
それだけ大変なことを扱っていくのだな、と思った。

そして、「受け身はダメ」「相手の出方を待ってはダメ」「自分で決めていくこと」ということ。
「私たちには、もともと幸せに生きる権利がある」ということ。

これらのことを、忘れないように意識していきたいと思った。


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今の私はまだ親に対して「罪悪感」を少し持っている。
それについても優月さんに「自分がどんな目にあってきたのかを自覚すること」と言われた。

ハッとした。
私は今現在「自分がどんな目にあってきたのか」ということと「私」を切り離していることに気づいた。
このあたりも今後の自分の課題なのかなと思った。

クラスでご一緒したみなさん、優月さん、今回もあたたかい空間をありがとうございました。
なかなかな内容で、ひとりではなくみなさんと一緒に学べたことが本当に心強かったです。

ありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) あまなつクラス



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親との今後の関係、起こりうる課題など、私はそういうことを考えることが本当に苦手だった。
法律とか制度を調べるのが苦手な上に、もはや「どういう人か」「私にどれだけの害をなす人か」がくっきりしてきた家族とまた話し合ったり、関わらないといけないのか…。
(しかも、おそらく健康な人でも困難になる可能性のある話題で)

そんなことを考えだすと、私はすぐに「もういやだ」と思考停止してしまう。
結果、具体的なことは何もできないまま時間は過ぎ、漠然とした焦りや不安もあるが、一体何をどこから動かせばいいのか…と、私は途方に暮れていた。

だから、このワークショップの開催を知って私はすぐに申し込んだ。


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ワークショップで、整理された情報を優月さんにひとつずつ、説明してもらうことで、私はまず、ほっとしてきた。

ぐちゃぐちゃに、あれもこれもとからみあってふくれ上がっていた塊が少しずつほぐれて、小さくなっていった。
そのことにまず、私はとても安心できた。


この「安心」がとても大きいと私は思う。

不安を、まず「私はこのぐらい不安です」と言えること、ジャッジなしで、聞いてもらえること。
そして「困っているのはこういうことだよね」と基本の部分から丁寧に教えてもらえること。

こういう体験があると、次は自分で、ここを調べてみようかなという原動力、支えになる。
そのことが私は、とてもありがたい。


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問題や不安を想像すると、私はすぐにそれ一色になってしまう。
ああなったらどうしよう…、こんなことになったらいやだな…。
あんなこと言われたら、もう耐えられない…。

ぐるぐる、ぐるぐる、嫌な想像はどんどんふくれ上がっていって、私は、子どもの頃の家族の状況、自分の立ち位置にたやすくもどってしまった。

自分が小さく、みじめで、力のないような状態。
それは私にはとてもつらいことだった。


でも、そうじゃない。
今後の家族との関係や人生の課題を進めていくのにも柱となるのは「私の幸せ」「私が、どんな人生を生きたいか」なんだ。


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私は、こういう人生を送りたい。
私は、こういうことを大事にしたい。

だから、私は家族とはこのくらいの距離感にする。
私は、こういう制度や助けを借りる。
私は、私にある権利を大事にするし、活用する。

そういう順番で考えるのが大事。
私はすぐ「問題」「他人(家族)」に重心を置いてしまう。


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「でも、家族がこう言うかもしれないし…」の想像は、息を吸うくらい簡単にできる。
でもそれを、「自動的にそうなっちゃうから」であきらめず、意思を持って、私が「ストップ」をかけないといけないんだ。

そしてそれを、私はしてもいい。
そうしたって、私が冷たいとか、薄情とか、そんなことにはならない。

そんなこと言ってくるような人とは、関わらなくていい。
大事なのは私の気持ち、私のニーズ、私の幸せ。


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今回扱った内容のことも、もし自分から口火を切ったら家族が私に「あなたがやって、まとめて」と、一気にのしかかってくるんじゃないか…そんな不安があって、自分から動くことに気が進まなかった。
(合理化した受け身状態だった)

でも、そこだって線を引けばいい。
私は私のニーズ、必要、幸せな人生のために、行動を起こす。

そして「行動を起こす=他人の面倒をすべてみる」ではない。
私はよくこのパターンに、家でも仕事でも巻き込まれていた。

けれど「これは私のために私がする行動。あなたの面倒を全部見るとか、話し合いをすべて私が円滑に進めるとかではない」と、線を引こう。
そうやって、ひとつひとつの行動を、私が改善していくんだ。


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実際問題として、私が私の人生を生きるのは、それだけですごく大変なことだ。
そこに、ちょっとの情で「親の面倒までみる」を取り込んでしまったら、私はますます苦しい状況に、私を追い込んでしまう。

私にはすでに「私の面倒をみる」という大きな責任がある。
それがある以上、引き受けられないものもたくさんある。

私には限界があるんだから、それをちゃんとみて、物事を決めよう。


今回のワークショップでは、起こりうる課題について、それぞれの情報や制度について教えてもらった。
でもこれも「私がどう生きたいか」がないと、具体的には選べないことだなと私は思った。
100%、これさえやれば万事 OK という方法はないんだ。

ますます「私を知ること」「私がどんな人生を生きたいかを明確にしていくこと」が重要だなと、私は思った。


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優月さん、スタッフの皆さん
今回も盛りだくさんな内容、ありがとうございました!

安心な場で学べること、本当に貴重でありがたく思っています。

クラスでご一緒したお仲間さん
みなさんと一緒だったことが、私の安心を増やしてくれました。
いろんなシェアもありがとうございました!




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あまなつクラス



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私が必死に積み上げてきたモノを、本来なら守ってくれるはずの存在に、一瞬にしてぶち壊されるのではないかという不安。
いつでもそうやって壊され続けてきて、もう何をしても無駄かもとさえ思えた。

人生の早々から、諦めることを覚えて生きてきた。
そこから抜け出して、そんなしがらみを切り離して、自由になりたかった。


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ワークショップで整理してみると、色んなことがごちゃ混ぜになって、私の大きな不安になっているのが分かった。
得体の知れない不安も、そのかたまりを分解していけば、未来が見えてくる。不安の中を行ったりきたり、を続けずに済む。

私、いつまでこの人たちの対処に時間使わなくちゃいけないんだろう。と腹立たしくも思う反面、対策を立てておけば、漠然とした不安から解放されるという安堵感もあり。
とにかくなんだかぐったりだった。


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大きな決断をする時は、普通は誰かに相談しながら進めるという話に、再び衝撃…。
私には相談できる環境がなかった。親に相談しても、どうせ大した答えは返ってこないし、むしろ自分の意に反することを言われたり押し付けられたりするから、もはや話す気にすらならなかった。

周りの人に色々聞いたり、専門家に相談したり。そんな選択肢は私には無かったし、教えてもらえなかったし、思い付きもしなかった。
そういうスキルを自分は持ち合わせていないこと。奪われただけではなく、教わらなかったこと、知る術がなかったことが、まだまだいっぱいあることに絶望的な気持ちにもなる。


それでも、私はもっと豊かな人生を生きたいから。だから学んで実践していくことを選ぶ。
理不尽に背負わされた負債を清算するためにも、面倒でも、未来の自分のために備えておくに越したことはない。

そうやって、私は一つ一つ積み重ねて、現にここまできた。
だから、他でもない私のために、また一つずつ積み重ねていく。
投げ出さず、諦めず、私と一緒に進んでいこう。

お仲間さんの貴重なシェア、そして生きるための知識と温かな時間を、ありがとうございました。