2023.11月開催 「境界線ワークショップ」あさひやまクラス

画像
タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


私は「境界線を守る」ことについて、まだまだ理解が足りていませんでした。
私から何かを取ろうとする人、かかわったら奪っていく人から、自分のことを守る…こっちに関して私は距離を取ったりして理解して、行動としてわかるようになってきました。

ただ今回の私が境界線を侵す、依存をやめるというのは、わかっていませんでした。

私は自分の依存心、自分かどれだけ他人になんとかしてもらおうとしているかを甘く見ていました。
私はまだまだ自分で自分の人生を生きていなかった、そのことに気付かされました。


文節区切りの線

私は普段ノーと言っているだろうか、私は他人に乗っかろうとしていないか?
私は自分で考えて動いていることが、日常にどれだけあるのか?

この質問を考えた時、私の普段の生活の中にほとんど見つかりませんでした。

私はこの他人まかせを、やめなくてはいけません。
自信がなくて、完璧な正解がない、私が私でやっていくことに慣れなくてはいけないのです。


文節区切りの線

私の今の処世術は、自分に主導権がなく他人のために我慢し親切にし、そのぶん自分を遊ばせて良しとしていました。
以前よりは依存度は下がっているけれど、自分に対して無責任な、他人重心な部分は強いと感じました。

意識しないと私はつい、他人に時間やエネルギーを注ぎ、代わりに何かをもらおうとしてしまいます。
私は自然と誰かに期待し、自分のことを後回しにします。


なので、意識して面倒を見ることや不自然な気遣い、べっとりとしたコミュニケーションをやめることにします。
私は他人に期待するのをやめます。

私は自分のことを自分で面倒をみる、それをやってみたいと思います。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


線ばかりに気を取られていた。と思う(それが戦うか/逃げるか、という感覚のように思う)。
いや、境界線も、「わたし」から出発してるのだった。

「わたし」がいないと、境界線もない。
自分、さされ! と何回もその感覚を反芻してる。

ささらないと、線も何もない。
だから、自分で自分の安定がとれず、相手の線めがけてまっしぐらになる。
あー…と反省と納得といろいろ含んだものを感じてます。


文節区切りの線

つい安定したいが為、硬直しようとしてしまう。
こういうとき、不安から来てる。ささってない(!)。

完璧な形はどれなのか、それに向かってどうすればよいか(どの人の意見がよいか…!)いや、だから、ささってないんだって。と、何を思ってもそこに辿り着く。


急場で判断しないといけないときに、「完璧な形はどれで、それに向かって…」とやってる時間はないし、仮にそれを見つけたとして、その硬直性で判断でき…そうにない。

手帳の言葉も思い出す、「急場であるほど、みんながみんな、誤った方向へ進んでいる可能性がある」こと。
自分で言うと、急場であるほど、「悪いクセが出やすい」んだわ…と、また「あー…」と出る。


文節区切りの線

変化、変わってくこと。自分も。周りも。
同じということはないし、同じであることは不自然なのか。

変化、って、その昔とても怖かったように思う。
だけど、変化しないほうが怖い、そういう兆しを感じた。

周りは変わっていってるのに、「自分だけ」変わってない(変わることを拒む…)ことは、これは「食べられてしまう」に繋がるんだ。
そして、この社会、「以前と同じ」に見せかけてくることも、罠だなとあらためて思う。


文節区切りの線

そして、自分にとってキツく厳しく感じたとき(質問であれ結果であれ)、ダイレクトに「自分はダメ」という部分で受け止めてたと思う。
そうすれば、それで説明できるし、さらに傷つかなくて済む、と思ってたのだと思う(簡単に言うと、肯定的な NO が受け止められない、傷つかない温度を求める、ということ)。

今回、そこじゃないところで(ごめんなさい、どこかはわかんないけど)取り組めた感じがしてて、昼休みには背筋が伸びる感じもしてた。


文節区切りの線

動物の世界と人の世界は、変わらないのだなとまたあらためて思う。
嫌な言い方になるかもと思うんだけど、「人体」って一番お金になるのだなと思う。

あれがヒット、これが今年一番売れた、って物として宣伝されるけど、それは「人体」がないと消費されない。
食べ物も服も家も…薬や添加物も同じ。

だから、「身体」って、一番狙われてるんだと思う。
それって、動物の世界と同じじゃないかな。


そこから身を守る一番の根底を今回掴んだと思う。
武器ではない、武器を手に入れるための根底だと思う。

それを持って(ささってるか確認しながら…そこがまたなくて七癖)、そこからまた歩きたいと思います。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


自分の行いの結果があるだけ。
私は何をして、何をしなかったのか。何がよくて何が良くない選択だったのか、それとも選ばなかったのか。

他にもいくつかのことを思いました。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


今回のワークショップは痛い気づきから始まりました。
まず、私は自分がいかにまだ漠然と漫然とワークショップに申し込み、参加していたのかということにワークを通して気づきました。

今回は通常の ONSA WORKSHOP(対面式)ではなく「1年のまとめのワークショップである」ということを優月さんに言われるまで全く意識していませんでした。

私はただ自分にとって解決したい問題があって申し込みをしただけでした。
1年の総まとめの時期が来ているという捉え方が出来ていなかった自分にがっかりしました。


文節区切りの線

1年をふり返るワークでは、出来たこと、出来るようになったこと、出来なかったことなどがありました。
以前よりはこのことに素直に向き合えるようになった気がしました。


その一方で、私は自分の最も苦手とする目標設定についてのワークで相変わらず無意識に漠然としたものを書いてしまった自分に気づき、がっかりしました。

私は目標を設定するにあたって具体的に考えることや、期限を意識することも出来ないなりに練習している最中です。
それなのにワークではそれが吹っ飛んでしまっていました。

反射的に漠然としたものにしてしまう、これが今の自分の現状なのだということもわかりました。
それでも、少しずつは進んでいるのでそこは認めて引き続き深めたり、練習していこうと思いました。


文節区切りの線

また、今回一番印象に残ったのは「TEG の結果の見方」でした。
TEG の結果は「今の世に対する自分の処生術」を表しているということでした。

その結果を見ることで、「自分はその処生術で良いのか?」「今の世の中その生き方で大丈夫なのか?」ということを客観的に見ることが出来たり、もしその処生術が世の中の現状に則してなければ変えていく、そういうことに使うことも出来るのだと知りました。


文節区切りの線

私は恥ずかしいですが TEG の結果については「今、自分はこういう処世術をしているのだな」くらいにしか思っておらず、その処生術がこれからの自分に及ぼす影響などについては考えていませんでした。

説明を聞いた後に結果のグラフをみると、私がこれからどうしていけば良いのか、どこを伸ばしていく必要があるのかがすぐにわかりました。

そして、その伸ばしていかないといけないところは自分が苦戦しているところでもあったので「やっぱりここか…」と改めて自分の弱いところを突き付けられた気がしました。

でも、その弱いところを伸ばす努力をしていかないとこれからはますます自分を危なくさせるのだと確認できたことは良かったです。
自分の処生術の現状を把握するためにも TEG を定期的に受けていこうと思いました。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


私は、粘着したコミュニケーションをしている。
私はそれしか知らなかったし、それhが普通のこと、私の個性だと思っていた。

でも私は、ワークショップの中でそれを体験したとき、気持ち悪さや違和感を感じた。
健康な境界線、関係では、ちがうんだ。
新鮮な発見だった。


文節区切りの線

ワークショップ・クラス後の日常で、私は自分のコミュニケーションを観察した。
知っただけで、すぐに解除はできない。

あ、またやってるとも思ったけど、でも「これか」と気づけるようになったのは、確実な変化。
そして私がこれをやりつづける限りは、それに見合う人間関係しかもてない。
私はそう思った。


一方で、過剰に反応しなくていいと思ってやってみたら、心身が楽だと感じた。

この楽さ、軽さを体験して、私は、今までいかに余分なエネルギーを無自覚に消耗、垂れ流していたかもよくわかった。
意味のないところにエネルギーや意識を垂れ流し、心身ともに疲れさせ、そんな日常で私のことがわかるはずなんてなかった。


文節区切りの線

私は、この気づきを、実際のあり方にしていく努力を続ける。
気づきで終わらせるのをやめる。

一発でできることではなく、道のりは長いだろうけど、やり始めれば何かは変わる。
少なくとも、そうやって努力する私は、好きだ。

優月さん、スタッフの皆さん、お仲間さん、
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


第一の質問で、そもそも何のためにこのワークショップに参加したのか? 何を目的としてここに来たのか? と問われてドキッとした。

目的なく来たわけではないけれど、受け身の姿勢であったことを痛感した。
問いに対する私の答えは曖昧な内容もあったし、「それは思考停止です」と言われて、手が止まってしまっていた。

自分のことなのに、自由に表現してよい大きい質問によって、自分の目的がふわふわしていて、それが自分の今の境界線を表しているように思えてくる。


文節区切りの線

私は、子ジカのように全力で自分の命を守っているのだろうか。
今の私は、自分のクセによって自分の判断に自身がないから、誰かこっちの方向がいいよと言ってくれないかと思っているところが、繰り返される問いに対して浮き彫りになった。

受け身であるし、理由付けしているし、〇〇だから無理の発想から転換ができていないことが、まだまだあるのか…と。
それらを甘えだとメモに書いていたが、甘えとかそんな甘やさしいものなんかではなく、それらは相手を利用するためのベタベタしたものだったんだ


“できていない”“できなかった” という事実に対して、事実を事実として受け入れるのではなく、その事実を隠してごまかそうとするところが、まだある。

それに、過去そうやってきたことの結果と向き合って、できることをやる必要がある。
それは、やっぱり痛いけれど。


文節区切りの線

そして、考えていけばいくほど、私はどう生きたいのか? にやっぱりぶち当たってくる。

プレワークの6つの境界線、それは私が安心、安全に生きることということか。

その境界線がふわふわしている事実、結果に対して私がとる責任は取る(やるべきことはやる)のだ。
これまでも何とか踏ん張りながらやってきたことだけれど、それを続けていく。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) あさひやまクラス



タイトル下の線


私は今回の WORKSHOP でいくつかの問いを投げかけられた時、ドキッとしていた。
他の WORKSHOP でも散々自身に問うてきたと思ってきたけど、「あなたはどうなりたいですか?」の答えに、はじめはふわっとした答え(安心安全あたたかい的な)しか浮かばなかったから。

というか、今真剣に答えを出すんだという意識が低いと思ったし、今まで真剣に、自分は WORKSHOP を受けてこなかったと感じたから。

いつもこうして私は、 WORKSHOP 後の日常に戻ると何となく、忘れたフリをして(したくて)意識を低めて過ごし、また WORKSHOP で刺激されてやる気のようなものを出していただけだった。


文節区切りの線

あと TEG の件。
今回も AC が高かった自分。

今ここが高いのは、危機感をもたないといけないはず。
それなのに結果を見た時「あー今回もここが高いな、私ってそういう人だしな」でスルーしていた。


人の言うことに左右され、言われた通りに行動し、人の評価や顔色を伺い優柔不断。
決断が苦手で人に指図されることに疑問を持たない。

こんな人間って、死への道まっしぐら。
書き出すと、本当に解る。

そして焦る。
そして恐怖でフリーズし、日常へ戻っていく(忘れたい)自身のこのパターンを、もっと危機感を持って変えていく行動をとらないと本当に死ぬと思った。

また、スケジュールを見直さないと…。
リスケする時間も、確保しなければ。


文節区切りの線

危機感や恐怖は高くなる一方の世界で、それでも私は、たくさん寝て、ムリなく仕事をして、美味しく食べて真剣に自分と向き合い考え、そして沢山笑い合う、そういう時間を過ごしたい。
そして改めて、この地球にいる最期の時まで自分の意思で生きたいと思う。


「あさひやまクラス」の皆様
今回も、いつもありがとうございます。

お仲間さんの存在が、とても心強く感じています。
また、別の WORKSHOP でお会いすることを楽しみにしています。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。