2022.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」そゆーずクラス

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タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) そゆーずクラス



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ワークショップ中、あまりに涙が出過ぎて、途中から頭痛と眠気が強くなってきた。
終わった後は、本当に眠ってしまい、タイマーで起きたら少しスッキリしていた。


「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」の時もそうだったのだが、このワークショップ・クラスが終わった日は、子どもがとても愛おしく感じる(普段ももちろんなのだが、普段以上にという意味で)。
「今ここ」で子どもと接することができている感覚がある。


翌日の疲れは本当にすごかった。1日中、立っているのが辛くて横になっていた。
あらかじめ仕事を休みにしておいてよかった。

そういう時間の段取りも、上手になってきている。
「大人の私」が「子どもの私」を守れるように、ライフスキルを身につけつつあると実感する。


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自分の発言に過度なフィルターをかけない、という練習が、少しずつ実生活にも変化をもたらしている。
夫の提案に対して、「それはやめた方がいいんじゃない」とスッと出てきた。
そう言っても結局相手はやめないんだけど、言わずにモヤモヤイライラするより、ひとまず口に出して自分の意見を伝えられただけでもスッキリする。


翌日の習い事で、他の人が雑談している中に普段は入らないでいるのだけれども、今回はいつの間にかスッと雑談の中に入っていけた。
普段なら、頭の中で言葉が浮かんで、口には出てこないで終わるのだけど、今回は、考える前に口から出てきた。

不思議な感覚だった。こうやって普通の人はしゃべってるのかな。
だとしたら、すごく楽だよなあ。


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ワークショップ・クラス翌日の疲れが強くて、子どもがもっと遊びたいと言っていても、「お母さんは今日は疲れたから早く寝よう」と無理せず言うことができた。
そして早く寝て、翌日にはとても元気になっていた。

これからもこうやって自分を守っていきたい。
そうして私が元気になれば、それが結果的に周り(子ども)にとってもいいことなのだから。


今週は美容室に行った。ここでもフィルターをかけないという練習をあえてやってみた。
相手は商売でやっているので、ある程度こちらが好きに話してもいいはず。
そういう意味で、練習にはいい場所だと考えた。

普段なら頭で考えて終わることも、あえてスッと話してみた。
すると、やっぱり肩の力が抜けて楽だった。
それに、話題も相手の話題だけでなくなるので、より膨らんで雑談が弾むようになった。


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仕事中、水筒が空になり、飲み水が欲しくなってもらいに行くと、お掃除をしている人がいた。
「掃除している人がいるのに水をもらいに行くのは申し訳ないし恥ずかしい」と咄嗟に思う。

普段ならここで一旦引き下がり、お掃除の人が終わるまで待つか、水を別のところまで買いに行くだろう。
でも今回はそうしなかった。

「喉が渇いた。水をもらうことはものすごく迷惑がかかることではない」と、堂々ともらいに行くことにした。
そうしたら、掃除の人からは丁寧に「どうぞどうぞ」と言われ、「まだまだ暑いですものね」と温かい会話が生まれてほっとした。


私が私のために行動を移すこと=迷惑・恥ではないんだ。むしろ、私が私のニーズのために人と関わることを恐れずに行動することで、ささやかなコミュニケーションが生まれ、より仲良くなれるきっかけになることだってあるんだ。

行動としては水をもらうというすごく些細なことなのだけど、私にとってはすごく大きな変化であり発見だった。


私の悩みは、ずっとそんな些細なことの積み重ねだった。
だから目に見える「達成」を繰り返すには無視できてしまうレベルだったのだ。

いや逆だな。
些細な違和感から目を逸らしたくて、「達成」の強い刺激に嗜癖した。

「日常」を安心して楽しむためには、その些細な緊張感が邪魔をし、常に付きまとっている感覚が苦痛だったんだ。
だからなんとか逃げようと頑張り続けた。


今、それを丁寧に一つずつ解消している。
他人からは見えないだろうけど、私にとってはこれもものすごい進歩なんだ。
どんどん私が楽になって、軽くなっていく。


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私はずっと、兄姉に対して罪悪感があった。
「私だけ贔屓されて育った」
「私だけ、進路について考える時間も与えられ、大学に行けた」
「だから、私は兄姉に何かあったときに支えなければいけない」
「経済的に最も余裕があるのは私だから」

仮にそうだとして、悪いのは私ではない、と今は思う。
4人の子どもに対して一貫性のある教育をしなかった親の責任であり、それに対して私がその責任を負う義理はない。


そして、本当に、兄姉はただただ被害者だったのだろうか、とも今は思う。
私は兄姉との間に、いい思い出もあれば、怖い思いをした記憶もある。
そこも善か悪か、被害者か加害者か、0か100かではない。

私は幸いに、自力で原家族から這い出す能力を持っていた。もちろん兄姉にもその能力はあった。
その能力の程度が人それぞれだった、というだけではないのか。
そうであれば、各人の能力に合わせて、その人の責任でこれからは生きていくということでいいのではないか。


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今週は確かに、感情の起伏が激しい。運転中に急にうるっとくることが3回もあった。

今まで自分が無自覚に放り出してきた権利。
その状態が当たり前だと思い込んできたということが、あまりに悔しくてどうしようもなく、怒りの気持ちが湧いてくるのだ。


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