2021.01月開催 第1回「心」と「身体」の勉強会

画像
タイトルはじまり目印

C. H. さん(30代/福岡県よりご参加)



タイトル下の線


ワークショップに参加して、「安心していいんだ…」と思えました。
というより、まず私自身の「安心・安全」ありきなんだ、と学びました。


見せて頂いた「完璧」と「安心・安全」の図に、目から鱗でした。

「完璧になること」と「安心・安全になること」とは全く別のベクトルだということ。
頭では分かっていたけれど、あの図のおかげで、心でも理解することができたと思います。

軽く衝撃でした。
同時に、深く納得した感覚があります。


文節区切りの線

「温かい・安心・安全・楽しい」
子どもの頃に母からもらえるはずだった、感覚たち。
それが私には与えられなかった。だから今、苦しいんだと気づくことができました。

でも、この四つの感覚を、今大人になった私なら、自分で自分に与えてあげられる。
それも日常生活の中で、とても簡単に。


衣食住の基本的なところで、「温かい・安心・安全・楽しい」が満たせることを学びました。
こうして客観的に教えて頂くと、当たりまえのことなのに、必死で生きていた私には気づく余裕もなかったのだと思います。

…いえ、心の片隅では気づきつつ、
「そんなの私には贅沢!」
「いつかそのうち、時間ができたらやればいい」
と後回しにしていたようにも思います。

それが、ワークショップを受けることで、自分の中の縛りが緩められたと思います。


文節区切りの線

本ワークショップを受ける前の私は、ひたすら「こなす」毎日でした。
料理を作るのも、食べるのも、お風呂も、作業と化していました。

そして、極力節約。
服も靴も、数百円のお菓子を選ぶ時も、毎回本当に欲しいものではなくて、「安さ重視で、買えるもの」を選んで妥協していました。

「私には、これでじゅうぶん。そこそこ好きなものだし」と。
そんなの、全然楽しくなくて当たりまえですよね。


文節区切りの線

ワークショップ・クラス中、「お仲間さん」の皆様のお話を聞かせて頂いているうちに、自分の過去の記憶が次々と浮かんできました。
そして、優月さんのお話から、
「あぁ、私にはこういうことが起こっていたんだな」
と、理解できました。

今年からワークショップを受講し始めたばかりで、まだまだ勉強不足なのですが、今の私なりに腑に落ちたというか、長年の謎が解け始めている、といった確かな感覚があります。


文節区切りの線

そして、優月さんご本人に画面越しですがお会いでき、とても嬉しかったです!
(受講前は、ONSA のスタッフ様が講師として登壇されるものと思っていました。)

ご著書の船の本や ONSA サイトにお写真が掲載されているので、お顔は存じていたのですが、憧れの作家さんとお話できるなんて……不思議な感じでした。
優月さんにお目にかかることができるだけで、もうワークショップを受ける価値があると思います(*^^*)


初めての ONSA WORKSHOP(対面式)、とても緊張しながらの参加でしたが、優月さんが温かく迎えてくださり、お仲間さんの皆様の雰囲気も温かく、次第に緊張もほぐれてゆきました。

優月さん、本当にありがとうございました。
これからも ONSA で学んで少しでも早く回復したいので、これからぜひ、よろしくお願いします!
やる気満々です(笑)。


そしてご一緒させて頂いたお仲間の皆様、多くの気づきをありがとうございました。
そういえば、ワークショップ中はご挨拶もせず、大変失礼致しました……。

またワークショップでお目にかかれることがあるかと思います。
その際は、よろしくお願いします。


文節区切りの線

余談:当日の夜ごはんは適当に作って済ませよう……と思っていたのですが、ワークショップ中にお刺身とチョコレートの話が出たので、無性に食べたくなり、その日の夜ごはんは私にしては奮発して、お刺身にしました。

チョコレートもいつもは贅沢だと思って買わないのですが、本当は好きなメルティーキッスを自分に買ってあげました。
優月さんがおっしゃっていたように、これくらいで破産しないですし、好きなものって、少量でも心が満たされますね。


お風呂も普段はシャワーで済ませることが多く、湯船に浸かるのは月に数えるほどしかなかったのですが、先日、ゆったり浸かってみました。
しかも、いつも湯量は最低の「1」(半身浴程度の量)で沸かすのですが、少し多めの「2」にしてみました(笑)。
私にしては、大進歩です。

お風呂を出たあとも足までポカポカで、お風呂ってこんなにあったかかったんだ……と少し感動すら覚えました。
「温かい・安心・安全・楽しい」ってこういうことなのかな。




タイトルはじまり目印

M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加)



タイトル下の線


私は、赤ちゃんや子どもに対して、ヘンな偏見を持っていることに気づけました。
そして、たった一日で、私の赤ちゃんや子どもに対する偏見は、すっかり真逆のものに変わりました。

そこから、私の中で土台の感じが芽生えました。
ずっと探してさまよっていた感覚に出会えた気がします。

勉強会を終えてそれが嬉しくて大泣きしました。


文節区切りの線

「赤ちゃんや子どもは無力で劣っている。ネガティブな意味で弱い。おにもつ。ギャーギャーうるさい。」
これが私の偏見でした。

とても悲しい内容です。
私は自分が幼いころから赤ちゃんや子どもにそう思ってきました。
思い出そうとしても、私が赤ちゃんや子どもになにか嫌な思い出があったわけでもないのに。

自分の偏見に憎しみすら感じて、不思議でした。
そんな自分は可愛げないと感じてきました。
女性らしくもない気がして、罪悪感のループでした。


文節区切りの線

けれど、この勉強会でヒトの発達について聞けば聞くほど、赤ちゃんや子どもをかわいく愛しく感じる自分の変化に気づきました。

赤ちゃんは、たしかにすべてをまわりのひとに頼っている。
けれど、それはけして弱くて非力な存在だからなどではない。

私には、逆に赤ちゃんの方こそあたたかさに溢れていて、愛やエネルギー、勇気でいっぱいの自立した存在に感じられました。
そのたくましさに感動すら覚えました。

むしろその自立っぷりにあこがれすら感じました。


赤ちゃんは、ひとが(母親が)大好きで、愛情でいっぱいの存在。
人の成長過程とは、人をはぐくむ楽しさを広げ、愛情を交換していく最高の機会であり、本来はとても楽しい時間となるはず。


文節区切りの線

自分には思い当たらないこの時間。自分の偏見への後悔もある。

けれど、人間の愛情のすごさへの感動と、愛情の出発点を自分が確かに知ることができたことは本当に嬉しい。
愛情を注がれることあるいは注ぐことは、本来は楽しいこと。

私の人生にとって重要な土台を授けてもらえました。
私の土台にすーっと入ってきました。これは私にとって安心して受け取れるものでした。


文節区切りの線

そして、もう一つ学んだこと。
それは、赤ちゃんは、成長段階に応じて必要な時間をかけて成長していくということ。

なのに、私は、構図としては、なんだか一瞬で大人にならざるをえなかった。

勉強会で、あらためて幼少期の成長のプロセスをたどれたことで、私もまた一歩一歩成長してきた人間という命であると自覚することができました。


今は。
両親の “ヘタ” な育児にあらためてとても腹が立っています。
そして、とても悲しくもある。

悲しくて、悲して、怒っている。
どうして? なぜ?? 一生の心身の健康に大きくかかわることなのになんで!! 怒りが止まりません。

単に、両親が育児の勉強をし足りなかった怠慢なのではないか、そう思いたいけれどそんな簡単じゃないな。


文節区切りの線

最後に。「勉強会」という形式ははじめてでしたが、座学であるのに、どんどん自分の中に内容が入ってきました。
知識を得つつ、お仲間さんの活きた体験から追体験的に学べる、心とからだに浸透するようなそんな貴重な勉強会でした。

優月さん、ONSA の皆様、お仲間さん、この勉強会の実現をありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線


私が今しんどい思いをしていることが、記憶にない赤ちゃんの頃の経験から繋がっているというのは衝撃的でした。

赤ちゃんや幼児の時の記憶は曖昧だったけど、写真や両親の話から育児放棄されていたわけではなく、ごく普通どちらかと言えばはじめての子どもだから手をかけられてきたと思っていたので。

なので「当人談、私実際に感じてること」から逆算して説明されて見方が変わってしまいました。


文節区切りの線

私はあんなに小さなころから、信じられないくらいしんどかったのです。
アルバムの中の悲しい顔をしている写真はたまたまではなく、本当に悲しかったんですね。

おぼろげな記憶の中の寂しい気持ち、困って止まってしまったこと、あれは本当にそう感じていたんでしょう。

やっとしっくり来た気がします。
私には無条件で愛されてた安心できる場所はありませんでした。


文節区切りの線

あと心地よさの要素の中に「あたたかい」が入っているのにも驚きました。
そして振り返ってみると私は自分にあたたかさがもらえなくても耐えるのが当たり前になっていました。

単純に室温や洋服、そのレベルさえ自分には思い通りにならなかったし、我慢していることが多かったです。

私が欲しい時にあたたかさはもらえませんでした。
だから私は我慢したり諦めたりして、そのうち平気なフリをするようになっていました。


好きで安心して安全なあたたかいもの。
ここちよさ、それはもらえるかもしれないしもらえないかもしれない。

だから貰えなくてもいいように、悲しくならないように我慢しなくてはいけない。
それが当たり前でした。

世の中の人がそんなに我慢しないこと。
心地よさを求めていること。
求めていいし自分に与えていいこと。
どれも知らなかったです。


文節区切りの線

こんなにも自分と違うのか、わかるたびに悲しくなります。
今から間に合うの? 私にできるの? と不安になります。
それでもやってみるしかないのですけれどね。

ここちよさをもっと自分に与えられるよう、少しでもやってみたいと思います。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線


わたしは本当にとんでもないところに生まれちゃったんだね。
わたしがやり直すのはどこからなのか。まだまだ見当違いをしていたことがよくわかった。

本当に生まれたその時からだった。
人生の始まりから、だったんだね。


そして、正しい知識を補うこと、学び続けること、学びを止めないことは今のわたしの命綱であると実感した。

わたしの中からはそれらは出てきようがないからだ。
本当のところをわたしはまだまだ知らないし、なかなか身体ごと理解できない。


文節区切りの線

人間は親となる成熟度を待たずして子を成すことができてしまう。
それでも今わたしが救われているのは、人間がやはり「集団」で生きることを戦略として選んだ種族だからであり、わたしはそのセーフティネットからとりこぼされてはいない、と言うこと。

そのことがわかって素直にとても嬉しかった。

画面越しにいつものみんなの顔を見たとき、わたしはとてもホッとした。
一朝一夕に変わることができないにしても、わたしには希望があると思った。


文節区切りの線

わたしは自分の居心地の良さに尽力することを、とても罪深いことだと感じてしまう。
そこになぜか、恥の概念が植え付けられてしまっている。

おそらく幼い頃に自尊心を傷つけられたからだと思う。
自覚もないレベルで根深くそう感じるようにできてしまっている。
今までのわたしの目の向けどころよりももっと深いところに根っこがありそうだと感じた。


今現在感じている「恐怖」の感覚がやっぱり幼少期の体験と結びついているのだということがわかる。

友だちが離れていくのではないか? という恐怖はそのまま母から見放された時の感覚なのだという自覚が出てきた。
その感覚を感じる時に、少し冷静になれるのではないかと思う。


やっぱりわたしは何か完璧にこなすことを目指してしまうと思った。
居心地よくすること、楽しくすることはいけないこと、悪いことだと感じてしまっている。


文節区切りの線

そしてわたしが目指していくところは「快」であって「不快」ではない、というところにやっぱり一番の戸惑いがある。

わたしは「快」を目指していいということをなかなか受け入れることができない。

「不快」に耐えることはいいと思える。
それなのに「快」を求めることをわたしは素直に受け入れることが難しいと感じる。

そして正直なところ自分にとっての「快」の感触はまだまだ手探り状態でよくわからない。


文節区切りの線

勉強会でのメモを清書しているとき、改めて涙がこぼれた。

「こんなこと、今までの人生で誰にも言われたことがない。」
それが正直な気持ち。

言われたって、届かなかった、気づかなかった、土台にそれは入っていなかったんだもんね。

どこにも特別なことは書いていないリスト。
女王さまの生活が書かれているわけでもない。ごくごく普通のこと。
それをわたしは「奨励されなかった」人生だったんだ。


メモに並んだ言葉にはわたしが今まで言われたことのない言葉、向けられたことのない気持ちが入っていた。
愛情だった。

それを受け取っていいと思えたことがなかった。
だから向けてもらっても、受け取ったことがなかったと思う。
気づけなかったと思う。


文節区切りの線

世界は「気持ち」でできているっていうことも、本当に少しずつわかってきた。
わたしの気持ちが大切だということもゆっくりゆっくり理解してきた。

わたしは生まれてきてからまだ一度も誰からもわたし自身を受け止めてもらったことがないんだ。
居心地よくしていようね、って言ってもらったことがないんだと思った。

最初が肝心なのに、その最初の体験がなかったら、本当に後から来ても「気づく」ことができない。
そしてわたしは自分が受け取れなくなっていること、分からなくなっていることにも「気づかずに」ここまで生きてきた。

それはすごいことだと思う。
よく生きてきたね。

そしてわたしはそれでもやはり誰かに助けられてここまで来たんだとも思う。
そのことに気づかなかったけれどたった一人ではここまでは来られなかったはずだから。


文節区切りの線

誰かに何とかして欲しい、そう思う自分が悪いものだと感じていた。
そして本来なら誰かがいてくれたはずの赤ちゃんの気持ちなら、それがとても自然だとわたしは思う。

自然どころかそれが本来の姿なのだと思う。
なんの不思議もない。悪でもない。

誰かになんとかして欲しかった。
当然だよ。その通りだよね。
よく生きてきたよね。本当によく生きてこれたよね。


文節区切りの線

わたしは正確な自分像をまだ持てていないんだと感じた。
親からのミラーリングがなかった、または一貫性がなく不確かだったこと。

理不尽な要求にぶつかって自分を悪者にして乗り越えてきたこと。
親の像と自分の像が混ざっていることなどからわたし自身がこれが自分、と思って生きてきた像は「本当の自分」とはかけ離れてしまっている。

「本当の自分」なんていうと胡散臭いけれど、わたしの場合にはその空気は当てはまらない。
わたしは本当にまだ知らないのだと感じる。


人生の最初からやり直す必要があると感じた。
正直これは時間がかかるなぁって思う。

要求に応えることが本当に生き抜くすべだったのだから、染み付いていて当然なんだ。
何が正解かわからないから怖いけど、ゆっくりちょっとずつやってみようって今思えている。


文節区切りの線

「こんなことをする自分はダメだ、悪いものなんだ」
そういう自動反応が染み付いてしまってる。
そしてそういう構造があったということがわかってきた。

何かあった時感じた時に、自動的に自分を悪者にしてしまう。
それは仕組みがあってそうなっていたということであって、わたしが本当にダメなわけでも悪いものなのでもないんだ。

すごく怖かった。
今までそれがわからず本当に怖かった。


文節区切りの線

人生の目的は、満たされることでよかったんだ。
何かを目指すことではなかった。

賞賛を求めて達成に向かって生きるのはすごくしんどかった。
認めてもらえても満たされないものがあるんだと思った。

それはとても大切なものなのにわたしには認められていなかったもの、チャンスを奪われていたものだ。

たとえ世の中の人全員がわたしを認める! と言ってくれてもわたしはきっと満たされない。


わたしの大事な仕事がそこに入ってる気がする。
それが何かはまだわからないけど、何かできることがあるんだと感じる。

わたしにしかできないこと。
だから人に認められることを目指してしまうとそれが自分を苦しめる第一歩になってしまう。

そしてそれは大仕事や立派なこととかではなくって、ごく普通でありふれたこと。
多分、自分が自分にそれでいいんだよ、って言ってあげられることなんだと思う。


文節区切りの線

わたしは生きていていい。

本当にそのことがずっとずっと分からなかった。信じられなかった。
そういう境遇にいた、ということなんだと思う。


ウェルカム。という言葉を、態度を、聞けなかったもらえなかった。
それがわたしの人生の始まりだったからわたしにはそれが分からなくなってしまったんだよね。

本当によく生きてきたよね。本当によく生きてきてくれたよね。


わたし自身をいたわって大切にする。これはすぐに上手にできることじゃないかもしれない。
だからできないと感じてももうわたしはわたしを責めたりしないでいいと思う。
ゆっくりゆっくり、できるようになったらいいんだと思うよ。


わたしにとってとても大切なことは、わたしが満足すること。それでいいんだ。
本当にそうなんだと、わたしは思うよ。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)



タイトル下の線


今回も、機能不全家族で育つということはどういうことなのか、それが今の自分にどんな影響を及ぼしているのかを学びました。

小さいときから家族や母親からあたたかさも、安心も、安全ももらえない環境で育つと今も安心して生きられないし、「自分を大切にする」ということがどういうことなのかわからないまま大人になる、そしてそれは当然なのだということを知りました。
また、これからその「あたたかさ」「安心」「安全」を自分で自分に与えていくのだということも。


実際に、私は家族と一緒にいても「あたたかさ」「安心」「安全」を感じたことは一度もありませんでした。
今も心からリラックスできることはないように思います。


文節区切りの線

私は以前から「ていねいに生きる」ということを夢のひとつにしてきました。
でも、実際にどういうことが「ていねいに生きる」ということなのかがまだよくわかっていませんでした。

見よう見まねでするものの、なにか違うように感じていました。
満足感がないというか。


今回学んだ「新しい習慣」は正直なところ「そこから?」と思うような本当に生活の基礎のことばかりでしたが、実際の私は出来ていませんでした。

それはささいなことでしたが「豊かさ」「あたたかさ」「彩り」のある習慣でした。
自分が今までなにかあったとき(自分ではなく他人を優先するとき)真っ先に削ってきた部分でした。
私が求めていた「ていねいさ」とはこういうことなのかもしれない、と思いました。


文節区切りの線

また、健康な人と、機能不全家族で育った私たちでは「忍耐の度合い」が違うのだということを知りました。

私は限界の限界、自分が壊れる寸前まで我慢するといことを自覚なくしてしまいます。
あとから振り返って「あの時は本当はもうギリギリだったんだなあ」と気づくくらいで。

健康な人たちはそこまでは我慢しないらしいということ。
そして、自分が我慢をしすぎるということを自覚することが大事だということ。
これらのことに衝撃を受けましたが、腑に落ちるところもありました。


毎回、機能不全家族の中で育ったということがどういうことなのかを、本当に突き付けられます。
私は教えてもらわないと健康な人の当たり前の習慣を「知らない」ことすら気づけない。

そのズレに全く気付けない。
ワークショップに出るとそのことを痛感します。


自分をあたため、安心して、安全に生きていけるようにひとつずつ練習していこうと思います。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線


今回のワークショップで思ったことは、自分は我慢が常にスタンダードになっているということでした。
何て言うか、どんな出来事もどこまで我慢できるかベースで生きている。

こうやって書いていると(客観的になると)ある意味滑稽だしやめればいいじゃんって軽く思うし、他人だったら言ってしまうと思う。
そしてそういう習慣になった理由も明確。

なのに!
なのになのに、気が付くと息を吸うのと同じレベルで気が付くと自ら苦痛を選んで進んでいく自分がいた。

泣けてくるけど現実で、しんどい。
むしろ苦痛を見つけにいっている。
その時間を自分に充てないとまずいと解っているにも関わらず。


文節区切りの線

ワークショップで教えてもらった、この世の信頼を取り戻すために苦痛を和らげることはいたってシンプルで、自分でもできることばかりだった。
でも私の生まれ育った環境には無かったことに改めて気が付いた。

そう言えば、ちょっと奮発して買ったカシミアのセーターやオーガニックコットンの衣類を着た時や、生産者さんが誰だか解っている野菜やスーパーフードと言われるもので調理した料理、そして素材はスーパーで買ってきてもゆっくり自分や誰かのために作った料理を食べた時のあの満たされる感じ。

あの感覚は「特別なもの」だと思っていたけど、健康な家庭ではどうやらそうではなかったみたいで、それも驚きでした。

ファストファッションやファストフードも時には取り入れることもある。
だけどそれがスタンダードになっては満たされない。
そうだよなぁ…。


文節区切りの線

私は私をもっともっと満たしてあげることが出来るし、そうしてあげたいと心から思いました。
そしてそれをしてあげるためにはやっぱり時間が必要でその為には時間の管理が重要だということも改めて感じました。


優月さん、今回もご一緒してくださったみなさん。
改めていつもいつもありがとうございます。

また次回、お会いできることを楽しみにしています。
一緒に前に進んでいきましょうね。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線


子どもの頃の私は、「私の普通」が、世の中でも「普通」なんだろうと思っていた。
むしろ私は、「それでは足りない」「甘えている」「もっとつらい人もいる」と思ってすらいた。


私は、我慢することが当たり前だった。
私は、自分のニーズを言うのはワガママだから、言わないようにしていた。

私は、母が仕事や家のことで大変そうだから
自分のおしゃべりで迷惑をかけちゃいけないと思って、黙っていた。


私は、周りの空気を読んで的確に動くべきだと思っていた。
私は、それがうまくできない自分はダメで、そんなことをしたら居場所がなくなると信じていた。

私は、人に優しくすることや懸命に頑張ることを手抜きしてはいけないと思っていた。
その「優しくする」は、私をひたすら我慢・犠牲にして他人を優先することで「私がしたいからする」という類のものではなかった。


私は、母の話は全部、黙って聞くのが当たり前だと思っていた。
私は、母が落ち込んだり不安になっていたら、慰めるべきだと思い、そうしていた。
私は、いつも何かに頑張っていないといけない、休んではいけないと思っていた。


文節区切りの線

私は、泣き言を言ったり、甘えたり、すねたり、駄々をこねたり、怒るのは、よくないことだと自分に禁止していた。

私は、母は忙しくて大変なんだから、一人で留守番したり、かまってもらえなくても、仕方がないと思っていた。
そんなことで「さみしい」とか「もっとかまって」なんて言ってはいけないと私は思っていた。


私は、一人でいることが多くて、それは気楽でいいと思っていた。

実際にそうだった部分もあると思うけど、でももしも、誰かと一緒にいられたら…。
私はもっと楽しかったり、あたたかかったり、思い出に残る時間を過ごせたかもしれない。


文節区切りの線

私は、ひとりぼっちでいることが多かった。
それをとりたてて「いやだ」とは思わなかった。

でも本当は、心のどこかで「さみしいな」と思ってたんだと思う。
今、こう書いていて、私は涙が出てくる。
本当は私は「さみしい」「一緒にいてよ」って、言いたかったんだ。


私は、自分の気持ちなんて大事じゃないと思っていた。
そんなあいまいで気まぐれなもの、なんでもないんだと私は思っていた。


私は、何を思っても、意味がなければ、よほどのことじゃなければ口に出す必要も価値もないと思っていた。
悲しみも苦痛も、黙っていれば誰にも知られないし、そのうち消えてなくなるだろうと思って、私は言わなかった。

私は、「自分の気持ちを口にしたって、意味がない」と思っていた。


文節区切りの線

……そんな私の「普通」が、全然「普通」ではなかった。
ワークショップでは、それを赤ちゃんの時期から、一つずつ確認していった。

私には、足りないものが山ほどあった。
私が「我慢」「頑張り」「完璧」に向かって、ひとときも休まずに必死で走り続けていたこと。

それって、なんだったんだろう。

私は、まったくもって、幸せとか命の本質に関係ない人生ろ、生きてきたんだ。
どんなに努力しても、むくわれないのも、むなしいのも、当たり前だと私は思った。


でも別に私は、自分がしたくてこんな生き方をしていたわけじゃない。
私は、恐怖や不安に駆り立てられて、それをなんとか打ち消すために「頑張り」の生き方を手放せなかったんだ。


文節区切りの線

私は、母は大変な中、私や兄の世話をしてくれたんだから、文句なんて言えないと思った。
実際、私がそれを母に言ったら「母さんだって大変だったのよ」と、母の方が泣いて抗議してきそうだと、私は思う。


私はいつも理屈で「〜だから、仕方ない」とか「〜だから、こういうもんだよ」と結論づけてきた。

でももう私は、それをやめようと思う。


文節区切りの線

私は、母が大変だろうがなんだろうがほしいもんは、ほしいんだ。

私は、十分な愛情や、安心・安全の感覚、あたたかさがほしかった。
そんなの、わがままでもなんでもない。
大事な私の、大事なニーズだ。


私は、もっとあちこち冒険がしたかった。
私は、不安で親から離れられなかったり、狭い世界しかないのは、窮屈だ。

私は、思ったことや言いたいことはただ言いたかった。
私は何も考えずにわがまま言ったり、駄々をこねて、大人を困らせたかった。
子どもの頃くらい、そんなことを許してほしかった。


文節区切りの線

私は、永遠に自立しない親の、親をやらされるのは、もうたくさん。
あの人は、私がどんなに尽くしても、永遠に満足することはない。
私は、あの人の面倒をみるために生まれたんじゃない。

私は、適切に育てられることがなく
「自分がよくわからない」
「周りの人とどう関係をつくっていいか、わからない」
「自分の人生を、どうしていったらわからない」…
そんな悩みを、山ほど抱えている。


子どもの頃の経験の喪失によって、こんなに負債を背負わされたこと。
私は、悔やんでも悔やんでも、悔みきれない。


文節区切りの線

私は、仲のいい親子や、子どもにちゃんと向き合っている親を見ると、自分とは別世界のもののように思えて仕方ない。
あんなことが、本来は「ふつう」だったんだ。

私は、親に向き合ってもらったり、自分の話をきちんと聞いてもらった思い出がない。
そのことを思うと、私は悲しくて、泣けてくる。
私は、もっとちゃんと私に、向き合ってほしかったんだ。


私は、もっと泣いていい。怒っていい。
私は、疲れたら休んでいい。
人のために限界を超えて、頑張り続けることはしなくていい。

私は、自分の気持ちにふたをしなくていい。
私の気持ちも感覚も、とても大切なもの。
私は、それを基準にして動いたり、決めていっていい。


文節区切りの線

私には、まだ「健康な世界」は遠い。
私にはまだ「わからない」「ピンとこない」「実感できない」ものが多くて、健康な世界との間に幕があるような、隔たりを感じる。

私はそれを、ひとつひとつ、埋めていきたい。
私はもう、私の親のつくりあげた世界で生きるのは、いやだ。

私は「頑張り」「我慢」ではなく、「私の幸せ」を生きたい。
私は、親よりも私を、大事にしたい。
私は、私をあたためて、心地よくして、これからの人生を生きていきたい。


たくさんのことを丁寧に学んだ勉強会でした。
参加できて、本当によかったです。
お仲間さんのシェアにも、とても共感や気づきがありました。

優月さん、スタッフのみなさん、お仲間のみなさん
ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加)



タイトル下の線


「私には(生きる)価値がない」と思う、その原因、理由、様々な知識・情報を得てきた。

私はどこまで理解・消化できただろう。
もっと頑張れる子なら。もっと賢かったら…。

とにかく、「足跡を残そう」。
書いて、残すことで、
自分だけは、自分のことを認めてあげないと。


優月さん、みなさん、ありがとうございました。
今回も、様々な気づきをいただきました。
本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加)



タイトル下の線


世の中を騒がせるような虐待に比べたら、私なんて大した話じゃないと思ってたけれど、普通の家庭がどんなものかを知れば知るほど、自分が得られなかったものの大きさに愕然とする。
私がどれだけの環境にいたのか、どれだけの環境を生き抜いてきたのかが、つくづく身に沁みた。

私の家には、温かさも安全、安心も存在していなかった。
自分を大切にすることも学べなかった。

親からもらうことはできなかったけれど、大人になった私は自分で与えてあげられる。
これ以上を自分を我慢させる必要もないのだと改めて思う。


文節区切りの線

温かく受け入れてくれる人たちに戸惑ってしまうのは、私の育った環境からすれば当然のことだった。それをありがたく遠慮なく受取ってよいと学んで、練習しているところなんだ。


まずは一つずつ実践してみよう。
早速準備したり、そのための予定を組んだり調整したり。
その一つ一つが私を大切にしてあげること。

だから、やっぱりスケジュール管理は大切。
自分のための時間を確保するのが最優先。

学んでいることそれぞれが繋がって、私は私の人生を取り戻してゆく。


文節区切りの線

優月さん、スタッフの皆さん、今回もありがとうございました。
お仲間の皆さんと気付きを分かち合うことで、貴重な時間となりました。

できることを積み重ねながら、次回を楽しみに待っています。