2021.08月開催 第3回「心」と「身体」の勉強会

画像
タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) 



タイトル下の線


とってもよかった。
夏に学んだこと、過去に「大勉強 & 大準備会」で学んだこと。
参加すればするほど、これは私のことなんだって私のところまで言葉がとどく感じがする。


少しは私自身に素直になれたのかしら。
優しくなれていますか。

まだ私の感情やニーズはとらえにくくて、声が聞こえてこない感じがする。
でも明るくなってきているような気もするよ。


うまくやれるような満ちる気持ちと、もうどうしようもないような悲しみや嘆き。
全部私の大切な感情。

ONSA にはじめて申し込んでくれた時の私、本当にありがとう。
あなたにはスペシャルなボーナスをあげたいくらいだよ。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線


今回の WORKSHOP で私は、知識として知っていたことを改めて聞きながら、カチッと自分の中でスイッチが入った瞬間を感じました。
私が感じたことは本当に全うで、とても信じられるんだという感覚と、そんなに謙遜して生きないでという心の声が聞こえてきました。

自分のことを自分の判断で決められる。決めてもいい。
そんな当たり前なことを、私はずっと放棄して、誰かに盗られるのが当然って思ってたけどそれはもう無理。

そんな風にこの先生きていたら、一生自分の人生を歩めないという怖さを感じました。

やりたいことはまだ不明確だし、ころころ変わったりするけど、その過程だって楽しみたい。
毎日、笑って穏やかに暮らしていきたいです。


文節区切りの線

そして今週は何だかとても静かに過ごせました。
今まで WORKSHOP を受講した後はいつだって気持ちに波があって苦しかったけど、目の前のことにひたすら集中することを今回は意識して過ごせました。

そこで感じたのですが、私の時間はすることでいつも溢れている、ということ。

仕事をしていても、していなくてもやっぱりいつも TODO があって無意識に色々詰め込んでいる。
だとしたら、自分の時間は自分で作っていかないと永遠に来ないし、思ったことは行動していかないと永遠に妄想の域を超えないんだなぁ。と思いました。


文節区切りの線

「自分で自分のことがわからない」
この感覚に慣れすぎて私は今まで何とも思わなかったけど、冷静に考えたら特に「健康な大人」な人たちからしたら不思議というかありえない感覚なんだろうな。
どういう意味? みたいな。


私はずっとずっと苦しくてそこで立ち止まって過去をぐるぐる行ったり来たり、そんな時間を不毛だって思っていたし苛立ちを覚えることもたくさんあったけど、それでも私はいつだって自分のことをもっと知りたいし、新しい自分にも会いたくて、もっともっと自分を生きたいって思ってると解ったし、この思いはずっとこの先多分変わらない。

そう思ったら、私はこれからも私のこの時間を、私自身のことを一番に考えよう。
大切にしよう。
心からそう思いました。


ご一緒してくださった皆様、優月様
今回もありがとうございました。
また、どこかでお会いできたらとてもうれしいです!




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線


普段、ひとりで取り組んでいるときにはなかなか感じるのことのできない過去の喪失感と悲しみ。

今回の勉強会に参加して改めて、みなさんと一緒に勉強できるこの時間は、自分の失ったものの大きさや傷、苦しみを感じ、それを安心してシェアできる場なのだと感じました。

日常に戻って思うのは、普段の生活ではあの時間ほど深くは、私の過去の痛みを感じることはできないのだ、ということです。
だからこそ目の前の時間は、私の「今」のために私の心が感じたことを丁寧にひろって、優しい時間を過ごさせてあげたいな、と思いました。


文節区切りの線

過去に体験できなかったことにチャレンジさせてあげたい。

「やりたい」ということは、やらせてあげたい。
「休みたい」というときは、無理せず休ませてあげたい。

もし、今の時間の中で、過去の苦しさを体感することがあれば、蓋をせずに、ありのまま悲しんだり苦しんだりしてあげたい。

「回復できたら、何かをしてよい」ではなく、今、目の前の時間を大切にし、自分の望みを叶えてあげるための行動をしたいと思います。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線


わたしは今まで自分を守るために人に気を使うことで精一杯で人を思いやる余裕なんかなかったなぁと思う。

親にされたように、自分もする。
それは子育てに限らずとも、いろんなことすべてがそうなっていくと言うことなのだと思う。

わたしは今両親がしていたようにそっくりそのまましているな、と思う。
周りはみんな敵でいつ何をしてくるかわからないからずっと緊張していなさいと。

そして親がしていたように私の子どもに対して不安や心配を感じてそこにアイデンティティを見出している。

本当に私のあり方は、ねじれていると思った。


文節区切りの線

何度聞いても、信じられないぐらい自分が持っていたイメージとは違う。と言うかそもそも自分はイメージを持つ、と言うことさえできなかったんだと思う。

私の生きていた原家族での世界観はループ。
永遠に繰り返すメビウスの輪のようなループ。
そして本当の世界は全然そうではない。
ここが本当に驚くぐらいに、大きく違うと思う。

もっと外に開かれている。そして時間軸は進んでゆく。
ああ、怖かった。閉じ込められた感じ、
永遠に出られない感じはとてもとても怖かったよね。



文節区切りの線

この広い広い世界の中で、わたしはわたしでいていいんだなぁ。って言うほっこりとしたほのぼのとした温かい感じ。
風通しのよい感じ。
小さい頃から憧れて止まなかったあの「ふつうそうな家族」の雰囲気。

うちもあんなんだったらいいのになぁって思っていたこと。あれは本当に普通だったのだな。
非現実的な理想などではなく。
憧れて当然だったのだなー。


わたしは自分が感受性の強い方だと思っていたけれど、気づいて、泣いてから感じる世界の色は原色どころじゃなかった。
これがきっともっともっと濃くなってゆくんだ。
夕立が雨樋を落ちる音、楠の緑、雨粒に霞む空気、全てが「実感を伴って感じられる」ということ。

切り離さずには生きられなかった世界に、わたしはまた戻ってゆくんだ。
戻っていいんだね。よかった。本当によかった。


文節区切りの線

わたしの心の中はまだすごく子どもっぽいかもしれないけれど、そんな自分のことをわたしはやっぱりかわいいと思う。
そうやって自分を守ってきてくれた自分のことをとても愛おしいと感じる。

考えること、決めること、悩むことは全てやってあげるから、私たちのお世話をして、って言われてそうして生きてきたんだと思う。

共依存は家族の病理。関係の病理。
そういう関係しかわたしは知らないんだよね。

わたしはいつも半分だけ。
だからわたしの頭になってくれる人を探し出してその人のお世話をする、っていうスタイルになってしまうんだね。


それ以外のサンプルは見たことがない。
それじゃあわたしは半分しかわたしじゃないや。
いやその半分さえ、その人のためになっちゃう。

わたしがどこにもいないじゃないか。
そんなのは嫌だな。わたしはトータルに全部わたしになりたいよ。


文節区切りの線

仕事だけが人生じゃないってことも、わたしはわからなかったな。いろんな分野でいろんな人と繋がってやってゆくんだなんて思い描けなかったな。

親はそうしてたけど、お前にはない、って暗に言われてた。
お前は働けって。面倒をかけてるんだからその分働けって。

お金を稼げるようにならなければならない。
そしてその資格も力もお前にはない。
その板挟みにされてしまってものすごく苦しくなっている。
本当にわたしは閉じ込められていたと思う。怖かったし辛かったよね。苦しかったよね。


部活もクラブもそこと繋がっているんだ。それなのに制限されたり限定されたり禁止されたり、ありえないことなんだ。
いろんなことをやってみたい、という気持ちをわたしは真っ向から否定されてしまった。
信じ、従わざるおえない立場にいて。わたしが何にむいているのかなんて全く興味を持たれなかった。
苦しかったはずだ。


文節区切りの線

いろんなことをやってみてごらん。その中から「自分に合うもの」を見つけてごらん。
きっとあるから。必ず見つかるから。

それが普通の親のすることなんだ。
自分にあった好きなことをするなんて甘い。そんな風に力を封じ込めることはしないんだ。


普通の家庭なら一緒にやることは全てが「わたし」=子どもの生きる(子どもの未来)に繋がっている。
わたしの家庭ではそれらは全部が親のしたいこと、親の必要だと感じることと繋がっていた。

わたしには未来がなかった。
だから先が見通せなかったんだね。
メビウスの輪みたいにどこまで進んでもまた同じところに戻ってきていたよね。


文節区切りの線

どんなに頑張っても満たすことができないもののために人生をすり減らすことを強いられていたんだね。
わたしは満たそうと思えばどんどん満ちてゆく生き物なのに。

怖かったね。辛かったね。疲れちゃったよね。
わたしは自分を守るためには、本当にそうするしかなかったよね。
よくここまでがんばったね。

なかなか気づいてあげられなくて、本当に本当にごめんね。

本当に他の人なんか関係ないや。わたしと仲直りできたら。こんなに温かいことはないや。


まだ時間がかかると思うんだよ。そしてもうわたしは歩き始めたから。

ごめんね。今まで本当にごめんね。

そしてありがとう。今まで本当にありがとう




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加)



タイトル下の線


この「『心』と『身体』の勉強会」に参加するたびに本当にがっくりくる。
「健康」「普通」を知るたびに、自分の育った環境の異常さを実感し悲しくなる。


今回心に残ったことは「親がその子に合うものを一緒に探してくれる」ということ。

「健康な家庭」の話は本当にとことん温かいなと思う。
私は自分に置き換えたときそれが想像すらできない。

そもそも私の両親は私に関心などなかったと思う。
私が何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手か。そういうことを知らないと思う。
自分たちの希望を押し付けるだけだった。


文節区切りの線

すべてが違いすぎて本当に言葉がない。
知れば知るほどこの先に続く「回復」の道のりの長さ、自分の土台のずれの大きさに気が遠くなる。
しゃがみこみたくなる。見たくない。

それでも、その一方で最近よく思い出すのは
「今、その痛みをどうするかは私にかかっている」
「私はそこから抜け出すかどうかをもう自分で選択できる」
ということ。

私を「健康な世界」に連れていけるのは私だけだといくこと。
そして、私にはそれが出来始めているということ。


つぶれそうになることもあるけれど、出来るようになったことを認めながら、自分が心地よく感じるように自分を温めながら進んでいきたいと思います。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線


正直なところ、26歳から39歳という年代のテーマについて知ることに、怯える気持ちを抱えていた。
このステージの終わりの方に差し掛かっていることで、いま得られていないものを知ってどんなにがっかりするだろうということが怖かったし、もう遅いのでは、と思わずにはいられない気がして、逃げたい気持ちがあった。

しかしこれまでの少しずつの学びの積み重ねにより、怖いけれど、自分のために「知る必要がある」ということも、とても確かなこととして自分に迫っているように感じられた。


実際に参加してみて、たくさんの心の痛みを感じ、とても悲しい気持ちを味わい、やはり打ちのめされることになった。

けれど落ち着いて振り返ってみると、「様々な角度から知ることで、対応できるようになる」という優月さんの言葉が、じわじわと響いてくるのを感じている。

初めて耳にする知識ではなくても、またさほど多くのことではなくても、本当に自分のこととしてとらえられるかどうかでその意味はきっと大きく変わってくる。
「痛み」から目をそらすのではなく、自分がしっかりとそれを見るということがどんなに大切なことか、今回学ぶことができたと思う。


文節区切りの線

この年代のテーマである、「誰と生きるか」、「何で食べていくか」が、自分にとっては超難問に思える。
答えが分からず、決めることができない。

周りはこれを難なくやっているように見え、自分だけが劣っていて、問題があるように感じる。
自分で決められない不安定さを「誰か」の意見や賛同やお墨付きで埋めて、「決める」風のことを繰り返し、いつまでも満たされない自分が残る。

いつか状況が変わるはず、いつか特別な人に出会えれば、などという「幻想」にどこか期待しているが、その「いつか」はやってくる気配がない。
とても残念だけれど、この悪循環が今のわたしの実態であると思う。


文節区切りの線

いまの自分がつまずいていることには筋の通った理由がある、ということを、改めて確認できた。
この年代だけの問題ではなく、それまでの発達段階があってこそ成立するテーマであるということに、とても納得している。

改めて振り返ると、「信頼」を知っていくはずの段階に、「母親に助けを求める」ことができていたのかどうか、どうも疑わしい。
それどころかむしろ、親のほうから暗に発せられる「私を助けて」というメッセージを一心に受けとっていたのではないだろうか。

「自分とはなにか」を真剣に模索していく大切な期間に、親へ本音をぶつけて本気で受けとめられる、という体験はどうやらできていなかったのではないか。


一方で、ゆがんだ土台のままで生き抜く術を磨き、自分のことではなく「誰か」のことに奔走することで自分の多くの時間を埋めて、自分の価値を見出そうとしてきたのでは。

そして、いざ「自分の幸せ」、「どう生きるか」に直面してみると、持っている器はからっぽで、何も取りだすことができない。
どうやら、決めるだけの自分なりのルールを持ち合わせていないのに、「自分で決めなくては」と自分を追い立て、気合いやがんばりで立ち向かおうとしていた…。


知識を取り入れ、シェアを体験することを通じて、自分自身についての理解が確実に深まっていくのを感じる。
痛みや苦しさを避けることはできないけれど、「学ぶこと」、「様々な角度から知ること」が、ゆっくりと着実に、自分の力の一部になっていくことに、とても安心できる。


文節区切りの線

自分が幸せになること。自分を最優先にすること。
これがこれからすることである、と聞いたとき、「あ、そうだった…」と思った。

私はこのことを、忘れていた。自分の中に閉じこめていた。
自分がそれを閉じこめてしまっている、という驚きと恐ろしさ、でも本当はそれが欲しいのだ、という心の奥の奥のほうの声に気づく。


私は「幸せ」と口にすることすら、自分には恐れ多いことで、資格がないように感じている。
自分には価値がない。幸せを受けとるに値しない。

交際がうまくいかなかったのも当然のこと。
蓋を開ければ、次々とあふれてくる声…。


文節区切りの線

「忘れていた」なんて自分でもおかしいのだが、「自分が幸せを感じてもいいと思えない」ということが、自分にとってそれだけ強くて重い痛みなのだということを、あらためて認識した。

あまりに痛むので、自分から切り離すようにして自分を守るということをやっていたのかもしれない。
そしてまさにこうして、感情が分からなくなる、ということが起こり得るのだということに、ハッとする。

今、この痛みを直視してみると…自分の中での印象が、少しだけ違ってきている部分があるような気がする。
みじめで悲しくて泣きじゃくる子供のような自分とともに、少しずつ知識を得て冷静さのある自分も、同時に存在しているような気がする。


文節区切りの線

いまの私は、とても困っている。怖がっている。痛みを抱えている。
けれど、違和感や痛みがあるということは、ある意味「まとも」ということなのではないか。

自分のためにならないおかしな状況にあって、もし痛みも感じないほどに麻痺していたとしたら、その方がよっぽど怖い。
学びを進めるにつれ、大切な自分をこのままにはしておきたくない、という思いがますます強くなっている。


それならば、今の状態は苦しいのだ、というこれらのサインがあることを、自分がしっかりと受け止めよう。
「私は『私』として生きていきたい」という望みは、つまり、自分が自分として堂々としていて、のびのびしていて、あたたかさや幸せや楽しさをたくさん感じていたい、ということではないか。

まだまだ怖いけれど、勇気を出して、「幸せになりたい」と、言葉にしてみようと思う。
それが本当に欲しいのだ、それを望んでもいいのだ、ということを、自分が自分に伝えていこうと思う。


今回も大切な学びを得ることができました。
優月さん、皆さま、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線


私は、今回のテーマである「愛(人間関係)」と「仕事」の普通・健康について
知りたいと思い、参加しました。


クラスで説明を受けて、私のイメージは全然違っていたなと気づきました。

これらは、子どもの頃からの成長や経験によって形成されるもの。
単独で「これだ」という答えは出ないし、人の数だけ答えは違う。

そういうことを聞いて、私は「そうか…」と思いました。
同時に「そうだよね」と深く納得しました。
やっぱり子どもの頃からの成長や経験が積み重なって、次の実が結ばれるんだなと成長の大原則を改めて感じました。


生まれた、最初の段階からいろいろなものがずれている。
それが私の身に起きたこと。

何度学んでも、悲しくて絶望的な気持ちになります。
気持ちどころか、絶望そのものだな…と思います。

それだけ、私の人生はこんなにも破壊し尽くされてしまったのだと深く感じています。


文節区切りの線

勉強会後、道ですれ違ったりする親子の会話を小耳に挟むと、親がごく普通に子どもの面倒を見ているし、子に必要なことをやさしく教えている。
子どもの「わーわー」という会話にも、ちゃんと耳を傾けてコミュニケーションしている。

私の家、親には、こういうことがなかったんだよなぁ。
しかもそれが「ないこともあった」のではなく「基本的に、ほぼなかった」。

そのことを実感するたびに、私はため息が出る。
なんでこんなにも生きている世界が違うんだろう…。
そしてこの嘆きや痛み、ハンデはどこで埋まるの? と私はとても悲しくなります。


文節区切りの線

勉強会の中で「普通はこんなに暴力や暴言を受けることはない」と聞いて、それにまみれていた私の人生って、本当にゆがんでいたんだなと思いました。
それがないだけでも、私の人生はどれだけ違ったんだろう…と思います。

正しい知識を知って、自分の人生に起きたことを正しく認識すること。
そのことのありがたさ、貴重さを噛み締めつつ今はまだ、ため息やがっかり感しかありません。

でも、自分が経験したことの規模や量、年数を思ったらそりゃそうだよね、そうなるよ(受け止めること自体がとても大変だよ)と私は思います。


なので、とてもしんどいですが、今はたくさん嘆いて、たくさんがっかりします。
そのうち、私の心や境界線の中に居座っている親の存在を外に出していきたい。

そうして私は、私の「楽しい」や「幸せ」を感じるスペースや心の余裕を取り戻したい。


文節区切りの線

私は、まだまだ回復が続くなと思いますが、私の人生が、あの出口なし状態の延長のまま、放置されなくて本当によかったなと思います。

せっかく命拾いができたのだから、私は生きている喜びを感じられるようになりたいです。

優月さん、スタッフのみなさん、お仲間のみなさん
ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) 



タイトル下の線


自分の母親に、育児能力が欠けていた…と言う結論に、大きなショックを受けた。
正直に言うと、あまり認めたくない気持ちもあるのだが、詳細を聞くと納得せざるを得ないことが多かった。

ずっと、「母には本当は育児能力はあるはずなのだが、環境のせい、忙しさのせい、病気のせいで、私たち子どもの世話まで手が回らないことがしばしばあった」と思っていた。
しかし、その環境、忙しさ、病気の原因を作ったのは何か??

もちろん、父のリストラなどは完全なる環境因子ではあった。しかし、それも2年ほどで父は再就職できており、母は心身を壊すまで働く必要があったのか?
両親の関係性の悪さ、母は父を信頼できず、自分が働くしかないと思ったと言う。

母の一つ目の復職は体力的には楽な仕事だったにもかかわらず、のっぺりと動かない人間関係が嫌で、1年半ほどで別の、よりハードな職場に転職し、直後に熱を出して入院していたと最近聞いた。そして、母が熱を出しても救急外来にすぐに連れて行ってくれなかったと、父への恨み言が始まる。

ところで、「え、それでは、3歳くらいだった私は、母の入院中どうしていたの?」と聞くと、「わからない。必死すぎて覚えていない。お父さんがなんとかしていたんじゃないの」と…。


文節区切りの線

私も、自分の子どもが産まれてから、自分が体調を崩すことは確かにあった。
でも、その時は必ず、まず子どもの世話ができなくなることを案じて、自分が動けないから子どもをお願いしますと周囲にヘルプを依頼している。

自分の体調が優れない時にまず子どもの世話を案じることができない、周囲にまともにヘルプを出すことすらできない精神状態に自分を追い込んでしまった母の状態は、やっぱり異常だったのだろう。

母は全てそれを人のせい、環境のせいにしているし、私もそうだと思って可哀想な人だと思ってきたが、果たしてそうなのか、疑問になってくる。

夫を選ぶ、環境を選ぶ、転居について意見をする権利はあっただろうに、選択するその時は、そういうものなのかな、と周囲の意見を鵜呑みにし、結果がうまくいかないと全て人のせいにしてきた母。
そして今も、自分の決定に人の承認を強く求めたがっている。


文節区切りの線

私が赤ちゃんの頃のことで、当時のことはほとんど母から聞いている。
母から聞くと、ほとんど母が頑張って父が悪かったと言う結論になるし、父は過去のことはあっさりと忘れてしまうタイプなので、父側が当時のことを話すこともなかった。

母はひたすら当時のことを恨んで生前の父にネチネチぐちぐちと恨み言を夜な夜な話し、それを聞き続けた父は「全て俺が悪かったんだ。だから俺がお母さんの面倒を見なければならないんだ」と話していた。


文節区切りの線

本を読むと、よく世代間連鎖と言う言葉が出てきてゾッとする。
母のようになりたくないという気持ちもあってこのワークショップにも興味を持ったが、母と私は決定的に違うということを今回の勉強会で学んだ。

しかし、まだ、実感を持って、決定的に違うということが、呑み込めていない自分がいる。
何か、一歩間違えば母のようになってしまうのではないかという怖さがあるし、だからこそ、母のことは他人事と思えないしうまく切り離すことができない。

これが境界線がはっきりしていないということなんだろうか?


次は子どもの預け先が確保できれば「境界線ワークショップ」に参加するつもりだ。

これまたやっぱり、自分に必要なんだろうなと思う。
怖さ半分、ワクワク半分。
30年間溜めていた生ゴミの入った蓋付きゴミ箱を恐る恐る開けるような気分だ。


文節区切りの線

一番腑に落ちていないのは、自分が「被虐」だということだ。

(* 編集注/「被虐」とは、人としての基本的権利を、常時侵害される状態で育った人のことを言う。無自覚者が多いゆえ、「自分が悪いからこうなる」とみずからを責め、責任を過剰に背負い、外的にきちんとしていて優秀だが、内的にしんどい人生を送ってゆく特徴がある)

兄弟たちは確かに被虐だと思ってきた。進路を決める一番大事な思春期の時期に、相談もできず、家の中の家事と諍いに巻き込まれ、勉強どころではなかった。

ゆえに、私以外の兄弟は誰も大学を卒業していない。
(最終学歴で個人を評価しているという意味ではなく、勉強や進路について適切に考える環境を奪われていたという意味だ。)

それに比べ、私は、兄弟たちにも助けてもらっていたし、思春期になる頃には比較的両親も落ち着いていて、進路の相談などはよくできていたし、だからこそ周囲からも称賛されるような最終学歴を得ることができた、という部分はあると思う。


自分が「被虐」だということは、親や兄弟やもっと酷い扱いを受けてきた人々に対してすごく申し訳なく感じるし、そう言ってしまうと、自分が被害者だと声高に主張する母と自分が重なってしまうようで、そうなりたくないと思ってしまう。

でも、優月さんの話の内容はかなり自分に当てはまっているし、そうなのかな、本当かな、とまだまだ半信半疑の状態。
気になるので、もっとワークを進めていきたいと思っている。