2021.07月開催 第6回「心」と「身体」の勉強会

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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) 



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自分が普通で当たり前だと思っていた事が、実は全然そうではなかったのは正直に言うと泣きたいくらい悔しいです。

何十年もその世界観、価値観に振り回されてしんどい思いをしてきたから。
あの時間を返してと思うし、よくもこんな風にしてくれたなと、うんざりした気持ちになりました。

同時にこの勉強会で教えてもらわなければ、自分の中から出てくることはないなと、はっきりとわかりました。
オセロが逆になっている、土台部分から全然違うのでだからずっと空回っていた…そこがわかれば納得しかないです。


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マズローの欲求段階自体は学校の授業で見た事があったので知っていましたが、一つ一つ説明されると私の知っている内容と全然違っていました。
私と重さが全然違う、深刻さもそうでした。


「命をかけるような重さは、普通に生きていくにはそうそう出てくる事じゃない」

この事はかなりガツンときました。
この重さがなくなるだけで、私の人生の息苦しさは大分和らぐように思います。


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生きていくことは、こんなにも自由で、幸せってこんなにも私自身のために生きることだなんて誰も教えてくれなかったです。

私にとって幸せって宝くじみたいなもので、もらえるかどうかわからないもの、もしくは選ばれた優れた人にしかないもの。そ
んなイメージだったように思います。

キラキラして憧れるけど、全然具体的ではありませんでした。
本当はもっと私に寄り添っていて、私が作り出せるようなものなんだと感じました。


あとずっとむなしい気持ちを抱えているのは、常に鬱状態だというのもすごく納得しました。

実は前から鬱の説明をきいても「そんなの別に普通のことでは?」と感じていたのは全然気のせいではなかったのですね。
このしんどさが決して普通ではないというのは安心しました。


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山のようにやる事がみえてきてちょっと混乱しています。
生活の基本的な部分からやりたい・やらなくてはということばかりで、パンクしそうな気分です。

実は計画を立ててみたものの、歯抜けになっていて難しいと感じています。
整えるのはとても難しいです。
意識しないと出来なくて、想像以上に手強いです。

行動でしか変えられない、毎日やってみる。
そのことを忘れずにまず続けて行こうと思います。
ありがとうございました。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) 



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人が本来大切に育まれなければならないものが、何であるのかの全体像を再確認した。
当たり前に持っている欲求が壊れるとどうなるのか…。

起こっていることから目を背けず、私が取り組まなければならないことをひとつずつ、肩の力を抜いてやっていく。

やっぱり、自分も大切な人も大事にしたいから。
あったか、安全にしたいから。
知識を再確認して、行動を続けていく、その力をまたここで得た。




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S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) 



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回復のプロセスについて、整理された知識で確認すること。
いま自分がいる位置を知ること。

回復を目指す道を進み始めてもうすぐ1年というタイミングで、この時間を経験できてとても良かった。
私は、私のことに、ますます本気になってきたと思う。


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自分に起こっていることを改めて確認できた。

私は「がまんとがんばり」で「なんとかする」という習慣に、どっぷりと浸かっている。
物事がうまくいかないとき、自分が至らないせいなのだと感じるし、自分を責めてさらに追いつめてしまう。


オセロが裏返しの状態と例えられた「自分否定を土台にした世界観」が、まったく心地いいわけがない。
冷静に聞けばそれがおかしいと分かるのに、その状態で走り続けているときはそれを忘れている。

「自己肯定の土台」のほうへ、ひっくり返したい。
少しずつ学んできた中で、それは簡単なことではないということも分かってきた。

難しいことでも、今すぐにはできなくても、その変化を本気で目指したい。
これからの自分のために、そのほうが絶対にいい。


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人間が当たり前にもっている「欲求」の原則を知って、ここでも土台が欠けていた、と知ることができた。
やはり、その欠乏を知れば知るほど、何度も愕然としている。

けれど一方では、その得られた知識で自分の状況を考えてみると、とても納得して安心もしている。
ピラミッドの底辺の方を支えるはずの欲求がきちんと満たされず、危なっかしい土台のままでずっとやってきている。

参加してみたい、という欲求ではなく、時間が流れや周りの雰囲気を察することで「そうせざるを得ないから」社会に参加してきた。
土台が危ういことを知らないままに「自分らしさ」なるものを追求しようとしていた。
うまくいかないのは自分の落ち度、と責め立てながら…。


整理して考えると、土台が不安定なのだから、うまくいくことのほうが難しい。
「回復とは、ポンコツな自分を直すことではない」という優月さんの言葉が、あらためてしっかりと自分の耳に届いたような気がする。

よくない習慣のほうを直していく、ということを本気でやっていく必要がある。
私は自分のために学びながら、新しい習慣を自分へ教え込んでいく必要がある。


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手強い敵に立ち向かうために、気力と体力を充実させることを本気でやっていこうと思う。

ちゃんと食べて、ちゃんと寝る。
この「当たり前」を、どれだけおざなりにしてきていることか…。

自分を後回しにすることは、自分が本当に欲しいと願うことや満ち足りることを「許さない」ということにつながっている。

自分を消耗させるやり方のままでは、わたしが本当に「生きる」ことにはならない。
悪習慣ができるまでには「歴史」があるけれど、それを変えるやり方もある、と知っていくことで、希望も湧いてくる。

知識を取り入れて整理しながら、私は「私」として生きよう、という決意が、静かに確実に、育っていると思う。


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私のなかには、「決めてこなかった」「決められない」「いったいいつまでこうなんだろう」ということが渦巻いている。
少しずつ学びながら、知っていく安心とともに、この先への「怖さ」も際限なくやってくる。

学び始めて1年が経とうとしている今の不安な状態は、勉強会のなかでなぞらえれたように、まさに「マイム・マイム」。
進んだと思っていたら戻っていて、右へ、左へいってみたり、またくるくると回ったり…。

「これをやってきた人は?」という問いかけに、先を行くお仲間さんの多くの手が上がり、皆がそれぞれに通る道らしいということが分かった。
ちょっとぎこちなく踊っている自分を想像するとおかしくて、でも皆が通る道と思うと心強くて、あたたかい。


怖いけれど、自分が自分のためにひとりでやっていくけれど、「ひとり」ではない。

回復のためのやり方があること、お仲間さんがいるということは、とてもあたたかく頼もしいこと。
この道を選んで進もうとしている自分のことを、あらためて励ましたい気持ちになっている。


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定期的に、いま持っている自分という器をこわして、破片になって、取捨選択することが必要らしい。
いま感じている「怖さ」は、その必要性をうすうす感じているから、ともいえるかもしれない。

手放さなくてはいけないと考えると、いったいどうなってしまうんだろう、ということがとても怖いことのようにも思える。
けれど、約1年前を思うと「どうして自分に休むことを許せないのか」と考えることすら想像がつかなかった。

今は少なくとも、これはどういうことだろう、という視点が増え、自分が自分のことをしっかりと掘り下げる習慣がつき始めてはいるのではないだろうか。


自分が納得していない選択は、いつまでも満たされるということがない。
自分が納得した選択は、安心できて、長続きする。

それを目指していきたい。
コツコツと、やっていこう。


「ひとりじゃない」ということがとてもあたたかく頼もしく感じました。
優月さん、皆さま、今回も本当にありがとうございました。




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A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) 



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「好きなことをしていいんだ」と言うのは大きな気づきだった。
これまで『夢かな手帳』で幾度となく発してもらっていたメッセージだったが、改めて心理学的な方向から対面で話してもらったことで腑に落ちるところが大きかった。

社会的欲求とは「『役に立たないことでも』興味を持ったことはやってみたい」と言うことには驚いた。

仕事の役に立たないこと、稼ぎにならないことは、下位のものだと、やはり無意識に思っていたのだと思う。
そして今いる環境もまた、そういう意見の人間(夫、原家族、職場の人間)が多い環境だから、そこに疑問を抱いていなかった。


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Web. WORKSHOP の「コース0/STEP.1」で、「同じような対処法の人間が集まりやすく、その中で意見が完結してしまうので、自分の偏りには気づきにくい構造になっている」ということを学んだが、この考え方は様々な面を見る時の基礎知識としてすごく役に立っている。
今まで正しいと思っていたこと、周囲が正しいと言っていることに疑問を持ってもいい、ということだ。


15年『夢かな手帳』を使い続け、私の家って機能不全家族だったよなあと自覚していながらも、なかなかこのワークショップに来られなかったのも、直接的に仕事につながるものではなく後まわしになりがちだったからだと思う(ごめんなさい)。

今、意識的に、些細なことから、やってみたいことを優先してみている。
すると、やっぱり気持ちがいい。


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マズローの5段階の欲求の三角形は、今まで様々な場面で引用されて目に触れてきたものであったが、実感を持って「これが自分自身のことで、自分に足りてない部分だ」とわかったのは初めてだった。

今までの教科書だと、下の4段の欲求は、成長の過程で段階的に達成されて行くものだと書いてあり、自分も当然達成しているものなのだと思っていた。ひとまず戦争も起こっていない現代日本に生まれ育ち、飢えることもなかったし、雨風凌げる家はあったし、学校にも行っていたし、その中での成績も良かった。

だから下の4段は達成できているのだと思っていた。

最低限食べられていれば、最低限身を守れていれば達成しているのではないかと思っていたのだが、今回話を聞いてみると、もう少し豊かな次元での欲求を満たしても良かったのかもしれないと思う。


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安全欲求の説明の際に、「家庭とは、安心安全のための場所です」と話があり、こうやって書いてみると当たり前のことのようだが、私は「そうだったのか!!」と思った。

幼児期に睡眠不足だったこと、それゆえに食欲も湧かず車中でのウィダーインゼリーやカロリーメイトが朝食になっていたこと、「泣くな」と言われていたこと、高校時代、ピリピリした家庭の空気の中で、家で夕飯が食べられなくなって隣の祖母の家に逃げて夕飯を食べたり眠ったりしていた時期があったことなど。

もしかして本当は、一番下の土台すら危うかったのではないだろうか。


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Web. WORKSHOP の「コース0/STEP.1」を受講して、すっかり忘れていた(あまり思い出さないように努めていた)幼児期の自分の歴史を掘り起こした後、やっぱりこれってかなり劣悪と言っていい環境だったよな、と思い、お腹がひっくりかえりそうになっている。

そして紹介していただいた、「『心』と『身体』の勉強会」の6回分の内容紹介を読んで、うわー、となった。
第1回から順に、幼児期からの基礎的なステップを踏む内容。

知りたい、自分には必要だ、と感じる。


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当時の状況が悪かった。母も悪い状況に巻き込まれたのだ、仕方なかったのだと納得して収めていたものがひっくり返ってしまいそうで、正直、このまま進めて行くのは怖い。

回復には、破壊が伴うという優月さんの言葉を信じて、進んでみようと思う。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) 



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「がまんとがんばり」を前提にしている、自己否定が土台の世界観。
便利で役に立たなければ、存在を認められなかった。

天真爛漫に、ただ無邪気に自分の好きなようにやってみる。そんな子どもの大切な時期を奪われ、どれだけ私の好きや憧れ、好奇心を摘み取られてきたのだろう。
知れば知るほど腹立たしくて、そうしてきた家族をまた許せなく思う。


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食べたいものを食べて、着たいものを着て、しっかり寝る。これに、ただいま絶賛取組み中。

好きなもの、食べたいものを選んで、おいしく楽しく食べる。
これが好き! と思える服を買い足して、着心地のよくないものは少しずつ手放す。

しっかり寝るのが、熱帯夜が続く毎日で課題なのだけど、これも少しずつ。
自分が気分よくいられるために、優月さんに言われた通り、意識して自分を甘やかす。


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普通の家庭は安全のためにあるなんて、知らなかった。
私がいた家は、安全どころか、私を危険に晒すような場所だった。

だから、私が私を安全に守ってあげる。
私に安心安全をあげる。得られなかったものを、大人の私が自分であげるんだ。

私が大切にされていると感じられるように、私の満たされてこなかった欲求をいくらでも満たしてあげる。
まずはとにかくここから、と改めて学んだから。

今回も大切な知識と温かな場をありがとうございました。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) 



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わたしの体と感覚はほんとうに大変なことになってしまっている。

美味しいご飯は作れても、ちょうどいい量を食べられない。
人並みに仕事はできても、疲れを感じて休むことができない。
夜ぐっすり眠れない。


勉強を重ねれば重ねるほど、じぶんのこどものころの風景が違ってみえてきたよね。
何が起こっているのかがわかってきたよね。

今の自分の危険度も肌に迫る感じがだんだんしてくる。
今とても怖いところにいる。


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知識が補ってくれなかったら、わたしには一生気づけなかった。
権利の侵害。
まだ実感レベルに体感はできない。だから悔しい。

存在を否定されてきたってことなんだよね。わたしは胸がねじれるように苦しい。
今までそれを覆せなかったことの重み。
いまだに不意打ちみたいに簡単にそういう風に扱われてしまうことの悔しさ。
今もそれが続いていることのもどかしさや苛立ち。

そしてごく普通のことが普通にできない=生理的なニーズを押し殺してしまう。
だからとても苦しい。
ごめんね。


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じぶんの現状をわかってもらえない、認めてもらえない、受け止めてももらえないって、本当にものすごく恐ろしいことなんだ。
そんなこと本当にあってはならないことなんだ。
そんなところにずっとほったらかしにしておいて、ほんとにごめんね、わたし。

まずは自分と支えあう温かい関係を取り戻そう。
わたしはじぶんの思いをもっともっと大事にしていいんだよ。
じぶんの感性をもっともっと信じていいんだよ。


文節区切りの線

わたしはずっとたすけてくれるひとがいるなんて思えなかった。
よりそってくれるひとがいるとも思えなかった。
たよったりなぐさめてもらったりできると思えなかった。

それをしてもらったことがなかったからなんだ…。
そのことに気づかなかったよ。
ほんとにごめんね。
そうではなかった場所を生きてきたわたしはものすごくこわがっている。
そりゃそうだよね。


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わたしはずっと長いこと、それは他人から与えられないと得られない力だと思っていた。
外から来るものだとばかり思っていた。

一番辛かったときにわたしを支えてくれた力がどこから来るのかわからなかったよね。
何も与えられなかった気がしていたから何も持っていないと思ってた。
わたしには何もないのだと決め込んでいたと思う。

わたしには生まれながらに持つ良さがあるのだ。
それを持つ人たちともわたしは出会うことができるのだ。


文節区切りの線

わたしは自分の夢に寄り添ってあげられる。
わたしは自分を頼ることができる。
わたしはわたしを慰めてあげられる。

認めて受け入れて受け止めて肯定してあげられる。
今まで虐げられていたとしてもそれはほんとにわたしにできることなんだよね。
それはわたしに備わった資質なのだから。

中で助けて、って声がしていても、外には必死で笑顔を向けて生きてきたね。
そういうやさしいこどもだったから。


わたしは深く傷ついている。
疲れ果てている。
そのはずだよね。

だからほんとに手に入る小さな幸せをどんどん手にしようね。
閉じ込めてしまったわたしの声を最初に聞けるのはわたしだけ。
そしてわたしには良さがあるから寄り添うことができるよ。
わたしの声を現実に変えてあげることができるよ。


文節区切りの線

わたしはわたしのペースでゆっくり選んでいいよ。
わたしは居心地よくするといいよ。


わたしは自分の境界線の中にとどまるとほんとうにホッとするなぁって実感が湧いてきた。
あの感じがどんどん続いたらいいな。

少しずつできてきてるから心配しないで。
ゆっくりいこうね。