2016.10月開催 「時間のためのちいさなワークショップ」こーらすクラス

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Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) こーらすクラス



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参加してから、ふわふわした時間を過ごしました。
眠たい中、必死に日常を歩いて。

頭の中は、ワクワクが止まんなくて。四六時中、ワクワクの事を考えている状態でした。

あー、これこれ、私がやっちゃうパターン。ずーとワクワクをやり過ぎて、家事も育児もおろそかになっていくパターン。
いかんいかん。
そっか、この鉛筆で何度も囲んだこの時間に集中なんだよね。ここだけにする。
それは、この時間を生きるということ。
どの時間もていねいに生きるということ。踏み台にしていい時間なんてない。

そうして、バランスが取れてきました。
随分、心も体も落ち着いてきました。よかった。


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「時間のためのちいさなワークショップ」のワークに、こんなにも疲れるとは思っていませんでした。
ほんと、現実なんだよね。
時間が、私のほとんどを現している。
考え方も、生き方も、選んだ選択も。ここに、私が現れている。この手帳が、私の事を客観的に見せてくれているんだな…。

参加した皆さんを見ていて、あー、私はなんて複雑な時間を生きているんだと感じました。
私は、すーっと手帳に、ここ! と書き込めない。
私の時間には、主人の休日、子供の行事、その振り替え休日。午前保育だったり。
かなりの作戦をたてないといけない状況。

だからって、嘆いてもしかたない! そんな、覚悟みたいな気持ちになっています。
「おーおー、やってやろうじゃないかぁ!」みたいな。私にケンカ売っています(笑)。


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ネットで私の夢を検索していくと、どんどん出てきます。
「私は、古民家で、縁側でゴロゴロしたり、バーベキューをしたり、赤い軽自動車に乗っています。」

古民家でも、いろいろあるってこと。
その中でも、心がキュンとなる古民家があるんですよね。答えは心が知っている。

近所に、「古民家レンタル」があって。
あーでも、私、レンタルって言われた時、もやっとしたな。
レンタルじゃいやなんだよね。「私のモノ」がいいんだよね。


ワークショップ帰りの新幹線で、古民家の写真を見ながら。ふと気付く。
「あれ? これ、我が家に似てない? この昭和な窓ガラス。最近カーテン外したから、なんかそっくりだよ。」
「あれ? この古民家カフェの台所の写真、私の台所に似ていない?」
「あれあれ? もしかして、私の家、 『古民家』じゃねぇ?!! 『古民家(アパートバージョン)』やん!!!」
もう、私、古民家に住んでいましたー!! 笑える!!

藤沢さんが、柿渋や、漆喰や、木が曲がっても直るとか。そのとき、はーはーと思ってただ聴いていた。
いやいや、まてよ。我が家は、トイレは漆喰の壁。
畳みの部屋と玄関は土壁。この壁紙の下も、漆喰なのかも。
灯台もと暗し。

なーんだ。私、ちゃんと、選んでいたんだ。心がワクワクすること。
きっと、見えなくなってしまっていたんだ。
必死にここで、育児して家事して。頑張って頑張って。雑誌みたいなかわいい家にしたくて、いっぱいモノを増やして。
もう、そんなの捨てちゃえ。
もう、今の私にはいらない。頑張りも、理想も。誰かの賞賛も。誰かのための人生なんて、もういらない。


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ワークショップ前に、食器を減らしたり、カーテンを外したり。どんどん、私色に家事も育児も変わってきていて。
新幹線の中で、「家に帰ったらどんどん私色にカスタマイズだ!」と思って、帰宅すると、玄関にゴミの山が…。

なんと、主人がモノをほっていた。
結婚当初から10年間、もう壊れているのに、直せば聴けると捨てなかったコンポが、ゴミ袋に入っている。
あんなけ言っても捨てなかったのに!
他にも、いろんなものが。あんなに頼んでも捨てなかったのに!
なんだ、これ、面白い。
そして、我が家は、なんか、予想以上のスピードで、どんどん、古民家化しています。

可愛い食器棚も中身は空っぽになり。
回収して貰おうとほってたら、主人が解体しだして。あらまぁ、ラクチン。
私、頼んでないのに(笑、こればっか)!

パソコン棚から、パソコンをこたつに移動させました。パソコン棚も撤去中。こたつでぬくぬくしながら、書いています。

縁側。そういえば、玄関前に、主人が作ってくれた縁側ベンチがある事を思いだしました。
物置になっているのを出して、一番いい場所においてみようと思っています。
バーベキューは出来ないけれど、七輪ならおけそう! 
さんまを焼きましょうか。なんなら、七輪でも肉焼いてもいいんじゃない?!


玄関の前には、大家さんが綺麗に手入れされている畑が。私がしているわけじゃなくて、頼んでいるわけじゃなくて。大家さんのご趣味の畑。時々、頂いたりもして。
藤沢さんが「私、家もってるから」を連呼してたけど(* 比喩となります/編集注)、それなら、私も「私、畑もってますから」みたいじゃない? 
これ。すごーい。きゃぁ、私、畑持ってるよ。
そんな私の畑を見ながら、縁側ベンチで、ゴロゴロ。
あれ、もう、夢叶えちゃうよ。いいの? …いいに決まってるやん!


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夢を叶えるって、苦行で、試練なんだと思っていた。私が、勝手にそうしていただけの事。そう思った。

古民家カフェ。いろいろある。
ここから、近いもの。…いや、こんなんじゃない。
やっぱり、実家の近くにあるのかな。あー、ここは、土日だけだわ。ここは…平日もある。いや、行くまでに1時間かかったら、高速代もかかるし、子供が帰ってくるまでに時間が足りないな。…思考錯誤。
この思考錯誤が、きっと、ぶれない芯を作っていくんじゃないかと思った。
いつかは、さくっと決めたい。決められるようになるはず。

そう、時間がない。
なら、妥協もしたくない。そう思ったら、迷いもなくなった。

そしたら、実家と反対方向の山里に、ここから車で30分で、ぴったりの古民家カフェが見つかった。
あー、これこれ、こんな古民家。
来週は、子供の振り替え休日が二日もある。うーん、一緒に行こうか。いや、一人がいい。来週はムリか。次のページを見て、チェック。うーん、なんか、違う。

私は、まず、我が家の古民家化をしたいんだわ。
どんどん、古い木が現れてくる我が家がいい。
今は、ここで、時間をかけたい。そう、思った。だから、カフェは少し保留。我が家の古民家化は、さくさく出来そうな予感。


そして、わが市では、山も海もあって、山の高齢化、過疎化がある。
そこで「里山移住サポート」というのをしているのを見つけた。

お! 移住か…私は、レンタルじゃなくて住みたい。
我が家で、気兼ねなく肉を焼きたいのだ。
そして、この市に住みたい。他の場所は旅行でいいんだ。
この街にずっと住んでいたい。この街が好きなんだ。


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実家の反対側にも山里がある事を知った。
ここなら、親と離れていて、古民家に住めるかも。この街に住み続けられるかも。
そして、街にも近い。
海が見えるかも。あー、私、海が見える所に住みたいって思ってたな。

ビンゴだった古民家カフェも、この地域。
よし、スケジュール帳をみて、寒くなる前に行ける日を…戦略会議だ。


ひとつのワクワクから、こんなにも、いろんな事が繋がりました。
確実に、まだまだいけるよ。
そうだったね、ほんと、まだまだいけたよ。って感じです。

いろんな事をしなくても、一つの事から、どんどん広がっていく。
ひとつ見つけたら、またひとつ。

ONSA WORKSHOP(対面式)に行ってよかったな。
それに、年に一度のチェアワークも、復習出来てよかった。

ご一緒した皆さん、藤沢さん。ありがとうございました!!




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M. K. さん(30代/東京都よりご参加) こーらすクラス



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ワークショップを終えてからの時間はつらくて、悲しくて、落ち込んでいました。
いつもより食欲もなく、大丈夫かしら? と思いました。

私は自分の夢を因数分解し始めた時から、やる気がうせてしまってやりたくない気持ちのほうが強くて、こんなことをしている場合ではないと思っていました。でもじゃあ何をしている場合なのか? というとその答えもしばらくでてきませんでした。一番していてましだと思えたことは、回復に関する本を読むことでした。
読んでいると、気持ちが落ち着きました。

ワークショップ・クラスの帰り道は、こんなことをしている場合ではないという気持ちと、無性に泣きたい気持ちと、夢の残骸から解放された安堵した気持ちがありました。
家で泣いてもただひたすら悲しいという感じでした。
何に? っていうのも言葉にならなくて、月曜日も会社から帰ってきて、おいおい泣きました。
これまではワークショップやカウンセリングに行くと過去の自分が過去について悲しんでいる感じでしたが、思い切り泣いて感じたのは今回は今の自分が今に対して悲しんでいる感覚です。


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私はたくさんさして意味のない無駄なことに時間を使ってきて、自分からも諦めて人に自分の時間を与えてきて。
そうして過去に叶えられなかった夢にも苦しめられてきて。
でも時間がないとわかったことで、私はもう過去に叶えられなかったことに使える時間はないから、今で補えないし、そうしなくていいんだと思えたことはとても解放された気持ちになりました。

ただそういうことに時間を割いていた分、私の回復には傷の深さだけではなく時間がかかってきたのではないかと思いました。
時間を適切に充てられていないことが原因。
やってきたし、充ててきたと思うのだけど、質、集中度合いにむらがあったように思いました。思い通りにならない他人に怒ってきた時間、正しくあるためにやたらと細かいことに割いてきた時間…こういうことに足を取られて、十分に回復を進められてこなかったことを自分は悲しんでいると思いました。


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1分、1秒でも自分や他人を責めている時間はないと思うようになりました。
自分を責めたり、げんなりすることを考えて足をひっぱるより、やっぱり自分を励ます声かけをしようと意識的に思うようになりました。

人を責めるより、自分ができることを考えて、動く。
人の分までやらない、その人の分はその人の境界線の中に戻して、仕事で自分がやれるだけのことを時間内に収め、定時になったら前よりも早く、罪悪感も少なくなって帰るようになりました。


ワークショップで宣言した私の夢は、ヒュー・ジャックマンみたいな人と結婚して、遠くに海が見える丘の上に建つ家に住んで、自分は暮らしに関わることをする(仕事にする)でした。
あと時々乗馬をしたり、家に人を呼んでホームパーティーをすること。

ワークショップ・クラスでは恥ずかしくて言えない…と言い淀んていた私ですが、実はプレワークのワクワクリストの一番最初にどんな人と結婚したいかを書いていました。
自分のこの夢を言うことになりそうだとワークショップ・クラスに行く前に思っていたのですが、リストに書いたまま言うのは無理、でもぼかして言わずに(ただ「結婚したい」じゃなく)このまま言ったほうがいいような気がして言いました。
言ってみると、自分のなかでほんとにこれは私に関わる夢か!! って驚きと、やっぱりそうだという納得の感覚です。


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この1週間にすることは住みたい家のイメージを探して、印刷して机の前の壁に貼ることでした。
私は夢の段階ではワクワクしても、因数分解すると楽しくなくなってしまって、しかもだいたいやったことがあるしでいまいち気が向きません。

イメージを探すのは以前やったことがあり、けっこう見つからなかったので、自分で挙げておいて面倒だなあと思いました。
ただ、カンペキじゃなくていいから、1週間の期限で見つけたなかでいいと思うイメージを見つけて貼ることにしてやってみました。
やってみると案外楽しいものです! 
楽しくないという思い込みかもとも思いました。

そうして気づいたのは、私は窓が大きくてよく光が射す空間がいいということです。それから温かみのある色合いの家具がいいっていうことでした。それからヒュー・ジャックマンの写真も貼りました。
こちらは見るだけで、いつも心が和みます。
笑っている写真なので、見るとどんな気持ちでも、自分もふっと楽になって、ちょっと笑顔になれます。


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私は次につなげていくのが苦手かも。今までもばらばらと今の夢に関する色んなことをやってきていると思いました。
それらをひとつの大きな夢につなげていく作業がこれからは必要になるのかなと思っています。できないでやめてしまったことも続ける必要があるのかもと思いました。
根気がいると思うので、手っ取り早いことに惑わされないように時間を丁寧に使っていきたいと思います。


そして、やっぱり私が今いちばんにやりたいことは自分を癒す作業だと思っています。
こんなことをやってる場合じゃないと思うのも、ワクワクリストの因数分解で挙げたことのやる気がしないのも、今の時期に大きく時間を割く必要があるのは自分を癒すことのほうが大切だと感じているからです。

今までと違うのは、私がちゃんと取り合ってこなかった夢を目指しながら、癒す作業に取り組めることです。
ワークショップに参加していなかったら、またばらばらと小さな夢で食いつなぐ、その日暮らしの毎日を送ってたように思います。

自分の一番の夢を大切にするのは、こんなにも力強い。
頼もしいなあと思います。


参加されたみなさん、藤沢さん、ありがとうございました。
みなさんの夢が叶いますように。




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Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) こーらすクラス



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「時間のためのちいさなワークショップ」へ初めて参加しました。
明るく柔らかい雰囲気の中、時間について考える時間でした。

考えるだけじゃなく、ワークを行えば行うほど、時間について厳しい目をするようになり、「現実的な時間」をぐっと身体に染み込んだようです。

こうなるともう、すっごくガーンとなって、ショックを受けてしまいました。
それと同時に、あれこれしようとしていた私は、私の時間についての優先順位がはっとひらめいたように感じました。
うん、うん。

仕事中とか、日々の生活で考えていなかったことがほわっとあふれて、そうだね、私が望んでいたことは、そうだったね。その想いと、生活を両立するために、スケジュール帳が、とっても味方になるね。
味方になってもらうために、書き込んでいこう。
どんどん書き込んでいこうと決意しました。


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だから、今ここで生きるよう、いや、生きていけるようにしたい。
自分の時間を大事にしなきゃ。

ただこれが、継続できるように、時間を設けようと思いました。


ONSA WORKSHOP(対面式)でのお仲間さん方、お疲れ様でした。
ONSA 運営スタッフさんたちも、今回もお世話になりました。
そして藤沢優月さん、的確な言葉選びで時間との闘い方を教えていただき、本当にありがとうございました。




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R. K. さん(40代以上/千葉県よりご参加) こーらすクラス



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今日は、先週のワークショップ・クラスの日とは違ってとても肌寒い日です。
みなさんお疲れさまでした。
体は疲れていたけど、心は興奮気味で、この一週間乗り切りましたが、今日は時計一回り近く寝て、もうどこにも出かけたくないそんな感じです。お部屋の掃除をして扇風機をしまって。

珈琲も今週は飲みたくなくて一杯しか飲まなかった。
一週間しかたってないのに遠くまで来たような。10月の初めが大昔のような不思議な感じです。


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今思うことは、私は何を手に入れたくて頑張っているんだろうって言うことです。
お仕事の日はそれに頑張って動いて、お休みの日は、お仕事で無駄な時間? を過ごしたから、それを取り返すように好きなことしなきゃって、分刻みに動いて、かといって空いた時間で何をしようって思っても、特に浮かばなくて、見栄えの良いことをしてみるけど疲れてしまったり。あまり心に残らなかったり。

保育士の資格だって、何年もかかってとったのに、そんなの大したことないって感じで、結局誰かに認められたり、褒められたりすることはなく、どこかで、人から、すごいって言われたいから取ったのかなって思うこともあったり。
何かまた人に認められるように頑張らないとって常に思ってたり。
ワークショップ・クラスに参加した後、そうとう私頑張ってるねって、ありのままの自分を受け入れられるようになった。毎日お仕事してお弁当作って。そう思ったらもっと休ませてあげようと思った。


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藤沢さんが、ワークショップ中おっしゃってたこと。
母親から、散々子どもの時から、侵略?(言葉は違うとおもいます)されて、なお今も私たちから、奪おうとしてるというような内容。

この言葉を聞いて泣きそうになりました。そして怒りが湧いてきた。
家にワークショップ・クラスを終えて帰ると、様々な侵略を許し、断らなかった自分、ひどい扱いを許してきた自分が見えてきました。
家でも職場でも。

自分のことや時間を守ろうとすれば、きちんと周りも尊重してくれる。
自分のしたいことより、どんどん見栄えの良い予定を入れていた自分。今体がストップしています。
家の掃除をしたり、丁寧にお料理したりそんなことをしたい気持ちです。
私のチェアワークのあとのしたいことは、「のんびり家で~する」とかそういうことも出てきた。
そんなのお金もいらないし、今すぐできる。

私のしたいことは、誰にも賞賛されないようなことばかり。
こんなんでいいの? って自分をバカにするような言葉が浮かんだ。

でもそれが私なんだね。誰にも賞賛されなくても、それがしたいんだからそれを自分に許そう。家でゴロゴロして、動物と触れ合ったり、星を見たり、絵をかいたり手作りのお料理をゆっくり作って食べたり。そんなことすら自分に許してなかった。こんなに頑張ってる自分をこれ以上いじめるのは辞める。


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私の今の心配は、藤沢さんから、パーソナリティー障害の検査を受けたほうがいいと伝えてもらったこと。
新しい仕事に代わって余裕がなくて、とどこかで、他人事のような気がしてピンと来なくて、メールでも、伝えていただいてたのに先延ばししてた。どこかで、藤沢さんの勘違いであってほしいと思ってた。
(* ONSA WORKSHOP では、念のため、皆さまに基本知識のお声かけをさせていただいております。ONSA は医療機関ではございませんため、どなた様に対しても、いかなる判断も致しかねますことを、念のためお書き添えさせていただきます/編集注)

いよいよ調べだした。
図書館で本を借りて読んだ。そうだったとしても、よりよく生きられる方法がわかるのだったらいいことかも。
私の特性を理解したうえでいきられるのなら。ってシフトがチェンジした。                   

ずっと、10年以上前に、児童英語指導者の通信講座50000円ほど払った。
ずっといつかやろうと思って押入れにとっておいた。
もう私それはしたくないんだね。そんなしたくないことに、時間も場所も費やしたくない。

保育士の資格のテキスト、もう受かったのに、受かったらスッキリ処分しようって思ってたのに、その時嬉しかったから、こんなに私頑張ったんだって証だったから問題用紙までとってあった。
それもまとめて処分した。
今までのものを手放して、本当の自分になること。とても怖いです。でもワクワクしてきました。

最後になりましたが、藤沢さん、厳しいと思われた助言でしたが、本当に私自身のことを思ってのことだと伝わりました。実際ワークショップ・クラスの空間で、私自身に返った感じがします。
これからもありのままの自分を受け入れます。ありがとうございました。     




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) こーらすクラス



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わたしへ。
まずはお疲れ様でした。
今回は参加するまでは
「時間配分もうまく出来ない。毎日リストのつけかたもわからない。それよりもなによりもワクワクすることがわからない…。」
という、ちょっと重い気持ちだったね。
でも、終わってみれば「あ~。楽しかった。参加して良かった。」と思えたね。
いつも、ありがとう。勇気を出してくれて。


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ワークをしていくうちに、自分のキャパがわからず、現実の時間を見ずに理想の時間で物事を入れ込み、結局出来ずに自己嫌悪の悪循環。自分で自分の首を絞めていたことがわかりました。
そして、実際に眠っている時間や、日常のあれこれ、仕事にまつわる時間などを毎日リストで実際に塗りつぶしてみると、純粋に自分のために使える時間は少ないのだと実感しました。
それを、どう工夫していくかがこれからの課題です。

でも、その塗りつぶす作業も楽しかったです。
パッと手帳を開けたときに一目瞭然なのが嬉しいというか。

「出来ないものは出来ないよ。」と手帳に言われているようで。
自分にムチを打つのではなく、自分を守るためのものになった感じがしました。
わかりやすいので手帳を何度も開けて確認するようになりました。


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そして、「5億円ゲーム」。
これは、私にとって忘れられない出来事になりました。

私は順番が回ってくるまで「どうしよう…。どうしよう……。」と焦っていました。
そして、口から出た言葉は「休みたい」。
これは、本音。

次から頭に浮かんだのは「エジプト」「暑い」「ピラミッド」「ラクダに乗りたい」と、エジプト関連のものばかりでした。
その時はなぜだか全くわかりませんでした。
でも、どうしてもそこから離れられませんでした。

藤沢さんが「自分の心にはウソはつけない。本当に望んだものが出てくる。」と話されていたときも「私は…どうなんだろう? なんでエジプト? パリとかじゃなくて?」と思いながら、「昔漫画とかも読んでたから行きたかったんだな…。」と思っていました。


そして、帰りの車の中でふと、高校の進路を決めるとき「考古学」を学びたいと思っていたことを思い出しました。両親に「役に立たない」と反対されて諦めましたものです。

全てがつながった気がしました。

「え~。ずっと覚えてたの? おそろしいな~(笑)。」
自分に言いながら、笑えて泣けてきました。


「ずっと、引っかかってたんだね。ずっと行きたかったんだね。
あ~。やっぱり、そこから~?…ですよね…。」と妙に納得しました。

でも、そんな自分が出てきたことに嬉しかったです。
今までのワクワクとは桁が違うというか。自分にとって、とても意味のあるものだから。
私が私を信用したから出てきたもののような気がします。


藤沢さんの言っていた「5、6番目の彼氏(* 比喩/編集注)ではなく、いきなり本命。いきなりトップギア。」という言葉がよくわかった気がしました。
今までの何かをなぞるような「ワクワクっぽいもの」とは全然違います。

まずは、この夢を大事に、現実レベルで向き合って、しっかり因数分解して実現したいです。


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今回も、深い深い場所に隠れていた「ワクワクの扉」を一緒に探してくださった藤沢さん、そして、その扉を「バーン!!」と安心して開けることが出来る温かい空間を作ってくださったクラスのみなさん、いつも陰で支えてくださっているスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) こーらすクラス



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「時間のためのちいさなワークショップ」ワークショップ・クラスに参加しての、1週間。
1週間とは思えないような…長く、密度の濃い時間でした。
それだけ、いろんなことを心で感じる1週間でした。


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「時間のためのちいさなワークショップ」に参加してよかったこと、一つ目は「自分の持ち時間のなさを、痛感できたこと」。

優月さんのリードのもと、みんなで手帳に線をがしがし引きまくって
「じ、時間が、ない…!!!」
と心から、感じられるようになったこと。
超貴重な体験でした。


私は、「手帳に線を引く」ことは、以前のワークショップ・クラスで聞いていたので
「スキルとしては」わかってました。
(実際、プレワークの手帳も、線を引いて使っていました。)

でも、プレワークの時の手帳は「一応、書いているけど」な雰囲気がムンムン。
自分でも書いてて「弱々しい感じ」と思ってたし
「手帳、使えてない、どう使っていいかわかんない」
「仕事の予定は書けるけど、他の時間がうまく使えない…(苦痛)」。
そんな、私の心境をありありと表す手帳でした。


でもワークショップ・クラスで、みんなと一緒に、えいって「赤ペン」で線を引いて…。
その後も、使えない時間には、がしがしと斜線を引いていきました。
(最初は、うわーって思ったけど、一度引いたらハラがくくれた。)

そうしてあぶりだされた私の時間。
そうか…特にあれこれしなくても、もうこんなに私の時間は埋まってるのか!


自分の時間が、はじめて立体的に見えました。
やったことは、『夢かな手帳』にも書かれていること。
でも、ワークショップで、いろんなことを感じながら「した」こと、
それが私にとって、すっごく大きく、意味のあることでした。

これ、体感しておいた方が絶対にいいと思います。
頭でなく、心と体で「自分の時間がどうなっているか」がわかることは
何にも勝る武器になるんだなって、思いました。


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ワークショップ・クラスが終わっての、日常に帰っての1週間、
私は職場で、クラスで書いた手帳ページが、心強い相棒のように見えました。
「私の時間は、ここからここまで!」
その枠を意識して、時間を組み立てていく。
今まで漫然と使っていた時間に、一本の軸が通った気がしました。

「時間は限られている、だから戦略的に使うことが大事。」
という優月さんの言葉が、心の中に残っています。


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一方、むずかしいことも、たくさんありました。
「時間がない」とわかっている。なのに…。
あせる気持ちと裏腹に、どうも、回復に向けての作業に手が伸びない。

あんなに「時間は貴重」「大事に使わなきゃ」と、身にしみたのに…。
「やらなきゃ」と毎日頭であせっても、体と心がついていかない。
つい、ネットしてしまったり、寝落ちしてしまったり…。
だめだ、と思いながら、つい…という日々を、過ごしてしまいました。


でもそこで思い出すのは「あぁ、これが今の私の現実なんだ」ということ。
平日、仕事が終わって、家に帰ってごはんをつくって、食べて…。
その後に残る1時間ほどが、私の「自由時間」だけど
そこですでに私はもう「寝たい」んだな。

どんなに頭で「頑張れ! やろうよ!」と責め立てても
私の体と心は「これ以上は、む、むり…。」とギブアップしてた。
その揺るがない証としての「寝落ち」。
そのくらい、私は日中の仕事で消耗してるんだ、と思いました。


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「いつでも、現実に即して始める」という優月さんの言葉の意味、深くしみてきました。

だから私は、この1週間でわかった「私の現実」に対して
・日中の仕事のペースを、意識して落とす
・夜はさっさと寝て、朝、回復した状態で自分の時間を持つ
ことを、やってみよう。

仕事についても、手帳をつけ、書き直しながら過ごしたこの1週間で
「私、気づけばまた、詰め込み型になってるわ(ドライバー全開だ)。」と気づくことが何度も。
そして、意識してもう少し落としても、大丈夫そう(私は、それだけ仕事をしてる)だから、何度も立ち止まって、調節してみよう。


朝は起きるの苦手だから、できるかわかんないけど(笑)。
でも、一度早起きできて、朝から好きな DVD 見ちゃった(!)日は、
1日がすごく心地よかった!
私が、主体的に時間を動かしてる感覚がした。
だからこれも、やってみて調節してみます。


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あと、休日の過ごし方も、私には難題で、
どうしたものかと思っていますが。

でも、今日(日曜日)には
「今日のお昼は、近くの公園で食べようかな」と思って
お弁当をつくって、公園で食べました。

家でじーっととじこもって、興味ないテレビを流しながら食べるお昼より
おいしいなぁって、思った。
気持ちものびのびして、リラックスできた。

その時、あぁそうかって、思いました。
同じ「お昼を食べる」時間でも、工夫次第で私の好きな時間にすることができる。


私は「誰の100点」をとるような行動をするんじゃなくて
「私の中の100点」に近づくには、どうしたらいいかな? って考えて
それで行動すればいいんだ。

それだけでも、時間の満足度がずいぶん変わる気がしました。
そして、そういう時間を増やしていくほど、仕事とかも頑張れる。
いい時間の循環ができそうだなと思って、ワクワクした気持ちになりました。


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そして「夢」について。

クラスで5億円ゲームをやってる時、
私は「宣言」の時も「チェアワークして」の時も
なんだかしっくりこなくて、困ったな…と思ってました。

でも、3回目にチェアワークしたとき、
私の夢は「私を大事にしたい」という気持ちにつながってるんだって、
かちっと、パズルのようにつながって、そうか…と納得できました。
夢が、自分のどのニーズを表してるのか
それがわかることの安心感、心からの納得って、大きいなって思いました。

クラスで宣言した夢のうち、「1週間以内」はさっそくやりました。
私は「花を買う」ことでしたが
さっそく、「これがいい! 素敵!」というフラワーベースを買い、
週末にミニブーケを買って、いま、部屋に飾っています。

見るだけで、自然と笑顔になれて、心がゆるみます
あー、私、こういうのがうれしいんだなぁって、しみじみ感じてます。


そして気づいたのは「やることもうれしいけど、やると、次が見えてくる」ということ。

「したいことができてうれしい!」という純粋な喜びと一緒に
「あ、ここは私、こういう方が嬉しいんだ。」
「もう少し、こういう風だと、私は嬉しいかも。」
そういうことが「する」ことで見えてくる。

『夢かな手帳』にある「消えたはしご段」って、こういうことか~って、思いました。
やってみると、私がわかってくる。次が見えてくる。
それがわかって、良かったです。


文節区切りの線

「夢」も、ほんと、頭で一生懸命考えてたな~って、思いました。
「頭はウソをつく。だから心で感じる。」という優月さんの言葉、何度も思い出してます。

チェアワークして、自分の素直な心から出てきた夢で、いい。
なんだ、こんなに素直な夢でいいのか。
そのことがようやく体感できて、うれしい気持ちです。

夢に関する予定が入った手帳も、毎日の幸せ度をあげてくれます。
「楽しい」がちりばめられた時間って、なんて幸せなんだろう…!!

これが、私の人生の主体なんですね。
決して「あれとこれとそれが終わったら…自分のことを考えていいよ。」ではない。
義務ありきの人生なんて、もう送りたくないです。
(時間がもったいなさすぎ!!!)

私は、誰かの何かにせっせと時間を使うのをやめて
私の「嬉しい」をちりばめた時間を、つくっていきます。

「好き」「楽しい」がなきゃ、やる気出ませんもんね。


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まだまだ、私の時間や夢に対する立て直しは、これから。
この1週間で見えてきた課題もあるし、心の中も整理しきれていません。

でも、「一気に全部」はできないから、
気づいたものから手帳にメモして、ひとつずつやっていく。

私は、私の心を中心にした時間や、人生を、つくっていきます。
外側に100点を求めるんじゃなくて、私の中の100点に近づくことを
「今、ここ」で、そのつど、やっていきます。


このクラスに参加できて、本当によかった!
優月さん、お仲間のみなさん、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) こーらすクラス



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「時間のためのちいさなワークショップ」はかなり前に受けていました。
わかっているつもりだったけど、前回うけたときとはぜんぜん違う。
他の WORKSHOP や Web. WORKSHOP で自分を見つめ続けた後の受講。
ちゃんと自分とつながって、自分と、現実の時間とのつながりを考えられた時間でした。


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わたしの時間ってこんなに少なかった!
Web. WORKSHOP で数字を計算して、頭ではわかってるつもりだったけど、自分が自由に使える時間って本当に少ない。
だから何に使うか考えとかないと、あっという間に過ぎてしまうことがよくわかった。

それに、何かをするときって、そのためのプロセスにも時間が必要なんだってことが見えてきた。
好きなことをするときだって、その準備の時間が必要。
そのプロセスの時間を考えていなかったから、わたしはいろんなことを詰め込みすぎて、結局睡眠時間を削ったり、やろうと思っていたことのほとんどができていなかった。


ワークショップ・クラスを受ける前の日の手帳と、あとの手帳。
それまでもけっこう、しっかりつけているつもりだったのに、ぜんぜん違った。
自分が時間をどれほどもっているか、一目でわかる。

見せかけの手帳にしないこと。
わたしの本当の生活を手帳の中に入れること。
そうすると本当にわたしの時間は少ない。休日なんて、あんなにたくさんあるように見えるのに。


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わたしの夢。
お金とは関係なく、やってみたいこと。
チェアワークをするたびにどんどんシンプルになってきた。時間に追われる仕事の中で、頭を空っぽにする時間が欲しかったんだと思う。

でてきた夢は、きっとそのときのわたしに必要なこと。小さなことだけど、ホントにやろうとすると結構準備が必要。
何を持って行く? 
どこに行く?
ちゃんとスケジュールにいれとかないと、きっと面倒になって、なくなってしまう。
スケジュールにいれておいても、他の用事で消えてしまう。

でも、そのことを考えていると本当にたのしい。
旅の準備の楽しい時間と同じだ。


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チェアワークをやると、普段とても緊張しているのがよくわかる。わたしは、自分のことを信用していなかったんだ、と思った。
自分を信用できないから、肩に強く力を入れて緊張して、頭と体のつながりを断ち切って、ものごとをすべて頭でコントロールしてたんだ、と思いました。

わたしの時間はわたしの人生そのもの。
わたしが幸せな人生を過ごしたいと思うなら、自分で、幸せな時間を作らないと。

自分の時間をどう過ごすかはわたしの人生へのわたしの責任だ。
そしてわたしの時間をどうするかは、わたしが決めることができる。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) こーらすクラス



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今週ずっと、アフターワークの感想を書いていました。
気が付けばページは10枚(今迄で最長!)になっており、我ながらびっくりです。

何となくやり切った感を感じてしまい、今ちょっと気が抜けてしまっています。
PAY FORWARD を書ききれるか心配ですが、今出来る分だけ書いてみます。


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一緒に挑んだ皆さんは、今、何を感じているでしょうか?

実は、私は「時間のためのちいさなワークショップ」をまだ受けるつもりはありませんでした。
「今の自分に夢ややりたい事なんて何も出てこないだろうから、きっと時期尚早だろう」と思っていたから。
「ONSA Web. WORKSHOP『コース1/STEP.1』で時間は学んだから、別のことをやった方がいい?」という気持ちもありました。

そして、「でも、来年『お金と自立のワークショップ』に出たいから、『時間のためのちいさなワークショップ』をやろう。」という、やや腰が引けた気持ちで始めました。

実際やってみて、「そんなこと思ってて、ごめんなさい。」という気持ちと、「やって良かった!」という気持ちを感じています。


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「現実を見て、現実から計画を立てる」
「ない時間は『ない』」
「だから、『こうなったらいいな(理想)』ではなく、現実を土台にする、だからこそ、時間を作る工夫をする」
「切り分けた1日1時間の中で、夢を生きる」
「限りある時間の中で、夢を実行する」
「限られた時間だからこそ、6、7番目の彼氏(夢)へ行くのではなく、いきなり本命に行く」
(言葉が違っていたら、すみません。)

もらった言葉たちは、すごくシンプルでもっともなこと。
でも、それが本当に分かっていて出来ていたかというと、そうではなかった。

大げさですが、今までの自分の生き様を突きつけられたような気がして、痛かったです。
(過去の私は、「失敗が・叶わないのが・責められるのが・ものにならないのが etc.…こわいから、6、7番目の彼氏(夢)へ行っていた」ことが多かった! そして、私の時間は「こうなったらいいな」でした。)

だから、手帳に線を引く作業をしただけで、あんなに疲れたのかもしれないと思います。
ワークショップ・クラスの後に、じわじわ「ガーン」ときてます。


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「『依存症を治そう』としても治らない(生きがい・楽しいことがないから動機が弱い、また過去の習慣に戻ってしまう)」
「夢(=楽しいこと)があると、前に進む原動力になる」と聞いた時、「今が、自分に取って丁度いいタイミングだった」と感じました。

私は今でも、なにか楽しくないから・自分を見たくないから、つい過去の習慣(もう読んでしまった本・まんが類を読み返すこと、自分に楽しさを「与えてくれる人」を求めること)が出ます。
「本当に楽しい時間の使い方」を知らなかったから、無理もないけれど。
(「依存症に巻き込まれたということは、自分の時間を家族に捧げざるをえなかったということ」って、本当に分かり易い構造だと思います。)

そして、私はプレワークに何度も
「回復と仕事、決まりきった日常生活だけではイヤだ」
「心に新鮮な風を入れたい」
「日常の時間の中に、うるおいやときめきを入れたい」
って書いていました。

そうかと言って、今までのように気晴らしをしても、満足出来ない自分がいる。
今振り返ると、私は自分で思っていたよりずっと苦しかったんだと思います。


決まりきった日常を送っていると、どうしても
「私は人と同じように変容出来なかったし、自分の家族・子供を作れなかった(だからダメだ)。」
「私は変わりたいけど、無理。今までの延長で、今までと同じように生きて行くしかないんだ。」
と思ってしまう。

これは周りからの暗黙のメッセージでもあるけれど、何より、私は自分自身の過去に捉われた思い込み・自分自身で課した制限に押しつぶされていて、すごく苦しかった。

そして、私は早く健康に生きられるようになりたいから何より回復優先で(それはいいけれど)、心と頭の中はいつも共依存と回復のことだけで一杯だった。それが「回復優先」ってことだと思っていた。
そして、「回復をがんばればがんばるほど、進まない」というパラドックスに陥りかけていたんだと思う。

気付けて良かったし、自分のがっちりした思い込みに1つ風穴が開いた気がしています。
まさに「私が求めていた(したかった)のは、これだったのか!」でした。


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藤沢さんの夢の話を聞かせてもらって、人も人生も多面的なもので、夢の叶い方も本当に人それぞれなんだな…と感じました。
「白黒思考を止める」「1から100の間で選べる・決める」を思い出しました。

「全部自分だけでやってるんじゃない感じ」がとても豊かで、どの夢も矛盾なく共存していて、自分の中の素直な興味・欲求にしたがって世界が広がった、という風に感じました。
(「『すごい』と言われる為にあれこれやっている」ということとは、根本的に違う。今までの私の人生は、「共依存による問題を解決しないで、一発逆転で人生を何とかしようとして挫折する」ことの繰り返しだったかも? 痛い。そんなことに時間とエネルギー使うなら、今、回復と本心の夢に注いだ方がいい。)

又、皆さんの話を聞いて、それぞれの人の夢には統一性・関連性がある、と客観的に分かりました。
「自分に合っていること」って大事だなぁ…と感じました。
(藤沢さん、皆さん、大切な夢を見せてくれて、ありがとうございました。)


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そして、やっぱり、原点なんだと。
私も、出て来たものは全く自分に関係ないものじゃなかった。

私のキーワードの中に「動物・かわいい・創る」が出て来たけれど、私は幼稚園の頃キティちゃんが大好きで、たまにサンリオショップ(?)に連れて行ってもらうのが楽しみで、人生で初めてなりたいと思ったのがキャラクターグッズのデザイナーさんだった。
「私もこんなのつくりたい」と思ったのかもしれない。
小学校の手芸料理クラブでは、動物のマスコットやグッズを自由に作っていた。型紙を使うのが嫌いでフリーハンドでやったから、出来上がりはでこぼこしてたけど、私はとても楽しかった。
まんがのキャラクターの絵も描いたけど、テストの裏やノートの片隅に動物の絵も描いていたっけ。
(「楽しい」「好き」の回路が刺激されたのか、昔好きだったことや感動したこともぽつぽつ思い出しています。)


チェアワークの後、身体(特に肩)の力がうまく抜けなくて、私は今一つ「自分」とつながれませんでした。
でも、キーワードの「動物・かわいい(かわいくてちょっと面白い)・創る・安心・イタリアにあるような家・森」は、自分にとって大切なものだと感じているので、否定せず、制限せず、形にこだわらず、大事に取っておきたいと思います。
ちょっとがっかりですが、まずは断片だけでも拾えてヨシ! です。

「1週間以内に出来ること」は「使って楽しい文具で手帳マークすること」へ、「2週間以内に出来ること」は「ピーターラビットぬり絵をする、透明クレヨンを見る、気になっていた近場の緑ある水辺を調べる」に変更かな? と思っています。


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「動物」は大切なキーワードですが、今の私には一緒に暮らすことはハードルが高いと感じています。

私の中で、動物は「失うおそれ」につながっているし、「失うおそれ」は母の死につながっています。
私の母が他界したのはもう6年前のことですが、私は本当のところ向き合えていないし、整理出来ていない気がしています。
いわゆる突然死だったのですが、第一発見者は私でした。
その時の「感じ」を忘れられないし、その後の自分の状態を思うと、私はもう、何かに依存してそれを失うのがこわい。自分がどうなってしまうか今度こそ分からなくて、こわい。

多分、私は思ったより傷ついただろうし、今は複雑な気持ちがあり見えないけれど、本当は誰より悲しんだのも私だったかもしれない。
でも、多分こわくて、その感情は今も封印されたまま。
私は、いつかここを超えていけるだろうか。

「夢」の PAY FORWARD で重い話を書いてしまって、すみませんでした。
初めてここまで書けました。
これから、少しずつでも向き合っていけたらいいと思っています。
動物も、一緒に暮らすだけが形ではないだろうし。
読んでいただいて、ありがとうございました。


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私に取って、全ては「待っていれば与えられるもの」でした。
(単に「恵まれている」というのとは違って、「自分で選ぶことを許されず、与えられたことを受け身でこなしているうちに、自主性・積極性・能動性が損なわれた」という意味で。)
ただ「与えられる」のを待つしか出来ず、起こったことは否応なしに引き受けるしかなかった。
「自分で選べるし、選ばなくてはいけない」ということを、本当に知らなかった。

だからか、私は小学生の頃から、「夢」ってはかなくて現実的じゃなくて遠い世界のものと感じてきて、どこか信じられなかった。

でも、それは違うと分かった。
「待っていれば与えられる」というのは違うし、夢は現実の時間にあるもの。
ほんの少しだけど、「夢」に現実の手ざわりがあることを、夢と現実がリンクしているだということを感じられました。


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プレワークに書きだした沢山の夢たち。「自分の夢」と思っていたのが単なる憧れだったり。
憧れていたものは「楽しむもの」で、自分の外側にあるものも多かった。
そして、今の私が本当に望んでいることは、もう「キラキラしたこと」・「キラキラした自分」になることじゃない。

もっとシンプルでいい。
私がするのは、私の好き・楽しい・嬉しい・したい・ワクワクをキャッチして、それを実際にやること。
形にこだわらず、もっと気軽にやってみればいい。
立派にやることに、何の意味があるんだろう?

もっと自分の制限に気付いて、なくしたい。
私は、動物のキャラクターやエピソードを思いついては、頭の中であれこれ楽しく空想するのが好きだけれど、「子供の魔法の思考じゃないか?」と自分を疑っているし、「現実的じゃない」と否定していたし、「もっと現実に役立つことをしないと」って、無意識に厳しくもなっていた。
それで最近はあまり思いつかなくなり、心の中が余計息苦しくなっていた。

そもそも、2次的な結果を求めるから「子供の魔法の思考」になるのだし、自分の中で自分を喜ばせるためにやる分には、別にいいんじゃないかな? 「制限」は必要ないんじゃ?


仕事じゃないんだから、結果がついてこなくてもいい。
形にしたくなったらすればいいし、したくなかったらしなくていい。
自分の世界に入り込まれるのがこわいなら、自分の中で楽しんでいればOK。それに、私はだんだん自分を守れるようになってきている。
自分の心の中が安心して、平和で、楽しければそれでOK。
今の私と小さい私の欲求を、ただ大切にすればいいんだ。

今の私は、夢は「自分に何か欠けている所があるから、何か特別なことをして補う」ことでも、「人並みの人生を送っていない理由付け」でもないと知っている。
何かを証明・PRするためにやることじゃない。
これを忘れなければ、充分だと思う。

本気で「夢」に向き合って、そう分かった。


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「幸せ」「夢」と聞いて、世間でいうような人と同じようなものを思い浮かべてばかりいてはダメだな、と思った。
あくまでそれは形のひとつで、夢や幸せにも1~100、もっと沢山の形があるのかもしれない。

私は、人と同じでなくていい。私は私でいいし、私らしく生きていいんだ。
「人と同じ」ではなく、自分に合った「夢」「幸せ」を自分の中から見つけたい。
私は、現実の時間を、自分らしいことをして自分らしく生きて行けるようになりたい。


今回のワークショップでは、「自分らしさ」を肯定され、励まされた気がしています。
うまく言葉にならないですが、藤沢さん、皆さん、本当にありがとうございました。
私は1回で出来なくてもいいのだから、あきらめずに又トライします。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。