2018.06月開催 「感情ワークショップ」こうようクラス

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T. S. さん(30代/長野県よりご参加) こうようクラス



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感情、このわけのわからないもの。
感情をちゃんと自分が感じているのか、それが本当に私の感情といえるのか、それがそもそも私にはわからなかった。

こういうときは、悲しいはず、こういうときは怒っていい。
そんな風に感じるもの、こういう風に処理するべきもの。
そういうことしかしていなかったように思う。
とりあえず大丈夫なものだけ拾って、あとは無視するか、「ハイハイ」と言って受け流すか、嵐が去るのを待つか、その程度だった。

でも今回プレワークから始まって、自分の感情をできるだけ丁寧に拾おうとしていると、出てくる出てくる。
それはおなじみのものだったり、意外なものだったりしたけれど、でもこんなにいろんなことを同時に感じたりしていたんだ! というそれだけでも日々驚きだった。


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ワークショップ・クラスでは、感情が本当に求めるもの、意味するものがわかって、私がどういう環境で、何に慣れてしまったのかも分かった。

それを知ると見えてくるものがあった。
私が今までいた環境、慣らされてきたものと、本当に求めているものとの違い。
そして、強烈なアップダウンではなく、穏やかな波や満ち引きの愛おしさ。

私は、その自分に応えたことがなかった。
だからいつも満たされず、外から来るストロークに容易に翻弄されてしまっていた。


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今回のワークショップ・クラスで得たのは、感情というものが肌感覚で迫ってくるという体感。
言葉そのものではなく、その本意を感情や感覚で感じていた。

底意のある感情と素直な感情の違い。そして、強烈な悪意を放つ感情と熱意のある感情。
それは、ロールプレイングで相手に投げつけても、また逆に投げつけられてもちゃんと自分の中に感じられる感覚、あれを掴めたことは私の中でとても大きかった。

日々生きていると、ほんとちょっとのニュアンスで全く別のことを伝えてくる人がいる。
思いやっているようで、本当は自慢話だったり、お願いのようで、コントロールだったり。そういう人に対する自分の違和感を素直に感じず、なかったことにしようとする自分。

そういう自分へのコントロールとしても罪悪感はあった。
でも、本当は自分の中にある感情のセンサーこそ自分がついていく相手。


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私は感じていないわけではなかった。
ただ、感じている自分を置き去りにしていた。

それが必要だった時期もあったのかもしれない。
それでしか、過ごせない今日があったのかもしれない。

でもこれからは、一緒にいようと思った。今の私で、できる限りで、まるごと感じていこうと思う。

・私は、自分の感情のサインを感じていい、信じていい
・私は、そのサインによって自分の行動を決めていい
・私は、自分に100%重心をおいて行動していい

こんなことすら、確認しないと進めない自分を悲しく思った。
それほど自分に信じてもらえなかった私の悲しみはどれほどだったろう。

自分に「ごめんね」と語りかけた。
でも悲しみは、昔の自分を悼む気持ち。

今は思い切り悲しもう。そうして前に進もうと思った。


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普通の会話があんなに楽しいだなんて意識したこともなかった。
そして、楽しい会話があれほど人の表情を明るくするなんて知らなかった。

私は、でっかい太陽の周りを回る惑星じゃない。それがないと存在できない子供時代は過ぎ去った。

これからは夜空に輝く星々のようにたくさんの輝きを散りばめていこう。
私もみんなも、きっとそれぞれが一つの星なのだ。


「あなたが楽しいって思えるものが、あなたに響くものが、あなたの生きる道なのです。」
藤沢さんの言葉が強く心に残った。

最後にはみんなの顔がとっても輝いて見えました。
一緒に組んでくださった方、ご一緒できた皆さん、本当にありがとうございました。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) こうようクラス



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世界で一番大切なSちゃん(自分)へ

「感情ワークショップ」への参加、本当にお疲れ様。
本当によく頑張ったね。
今、カラダもアタマもココロもふわふわしているね。
そのなかで、足だけはオモリをつけられたかのようにぐったりと重く、疲れているね。
こんな風にカラダの感覚に目が向けられるようになったことが素晴らしい!


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ワークショップ・クラスの前半では、人が「分かってほしいとき、助けてほしいとき、愛してほしいとき」に感情的になること、そして感情的になることは攻撃的になっていることとは違うことを知って、少し驚きました。

今まで、私はそういう時にひとは怒りを感じ、それを満たしてくれない相手に不満をぶつけて攻撃するもので、「攻撃させている私が悪い」と思っていたからです。
だから、必死に相手の怒りを、不機嫌を、気分をコントロールしようとしてきたし、感情的になることは悪いことだとも思ってきました。


でも、実は「分かってほしくて、助けてほしくて、愛してほしいときに」感情的になることは、自然なことだったらしい。
だから、私が感情的になるのも、相手が感情的になるのもいい、悪いではなく、コントロールできない自然現象なのかなと思いました。
そして、私はそう思うと感情的になっている人に出会っても、無理にコントロールしようとせずにすむため、少しラクになるかなとも思いました。


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また、わが家では「怒り」は突然降って湧いてくる天災のようなもので、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないものでもありました。
また、「不安や悲しみ」は感じてはいけないもの、表してはいけないものというよりも「無いもの」であり、「罪悪感」は私にとっていつもそばにいるものでした。

でも、常に罪悪感を覚えていたり、いつ降って湧いてくるか分からない怒りにおびえ続けたりするとしんどいので、おそらく私は「死にたい。死ねばラクになる。死ねばすべてが解決する。」と考えることで、感情とココロを切り離して「解離」して、私自身を守ろうとそのときは必死だったのだろうな、と思います。


そして、感情とココロを切り離していたために、「よほど強いストローク」をもらわないと感じられなくなってしまっていた私が、一回の強力なストロークをもらうことにかけているとしたら、母から「私が生きていていい」という言葉・ストロークをもらえれば、一発逆転で、人生が好転し、ラクに人生を生きていけると思っていることに気がつきました。
母の一言で一発逆転することは非現実的で危険なワナであると知っているけど、期待せずにはいられない自分がいます。


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そして、私のカラダはたくさんの感情を感じて、頑張っていた。でも、原家族からもらく負のストロークに耐えきれず、なかったことにされていた。
そうしなければ生きてはいけなかった。

でも、私が感情を感じられなくなったのではなく、ちゃんとカラダで感じられているということに気づけて、とてもよかったです。
だから、私は私のカラダに「今まで無かったことにしてゴメンね。」と謝りたい。
そして、「今までも、今も、頑張ってくれていてありがとう。」と感謝したいです。


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しかし、「なじみの正のストローク」にとてもイヤな感じを抱いていたことにカラダの感じ方から気づきました。

「負のストローク」にいたっては、ノドから下に感情が下りないようカラダに力を入れて、カラダとココロを固まらせていたこと、そして同時に、世界から追放され、宇宙空間にひとり放り出されたように感じていました。これは、まさしく、私が子どものときに「地面が無くなったように感じた」感覚と似ていました。
子どもの私も、今の私も、カラダではしっかり感じられていたことに気づけました。


そして、私はきっと「よほど強い」ストロークを求めるばかりに、お天気などのとりとめない話をすることに、意味を見いだせなかったのかな、と思いました。
そして JIJI(時事)の話をする人は、あいさつだけでも恐いと感じ、また逆に距離を置かれている、置いている人だなとも感じていました。

こう感じるにはわが家の「人の話を聞かない・会話のボールを投げっぱなしで誰も受け取らない」会話、そもそもストロークや会話のキャッチボールが成り立たない環境が関係しているのかな、と思いました。

でも、ワークで「ふつうの正のストローク」が「あなたの存在を認めていますよ、見えていますよ」という意味があると知って、実際にお仲間さんと話してみて、とてもとても楽しいと体感することができました。
その体験から、カフェやコンビニ、泊っていたホテルのスタッフさんとあいさつするだけでも、とても楽しくて、嬉しくて仕方がありませんでした。

それから、「たのしい正のストローク」では、私が話すのもとても楽しく、聞いてもらえるのもとてもうれしかったですが、お仲間さんの話を聞くのもとても楽しく嬉しかったです。


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この「ふつうで、楽しい正のストローク」で1日の7割を占めたら、どんなに人生楽しく、幸せにいきられることでしょう! 
そこはパラダイスですね!!

でも、その場を求めて一歩を踏み出すことには不安を感じます。
でも、きっとこの異常な不安は私の頭のなかにある「失敗のデパート」に蓄積されたデータによって生み出されたものなのでしょう。

また、新しい場所へと一歩踏み出すことに「正当な」不安を感じるのは、自然なことのようにも思います。
このことを頭のすみに置きながら、新しい世界へ一歩を踏み出したいと思います。


最後になりましたが、優月さん、「こうようクラス」の皆さん、そしてSちゃん、本当にありがとうございました。




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M. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) こうようクラス



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今年は「自分と向き合う1年」と決めて行動に移せたこと、そして思い切って2日間連続の受講をしたこと。
まずは、素晴らしかったです! 本当にお疲れさまでした。


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周りの人は私のことを「感情がないなんて、そんな風には見えない」と言うけれど、私自身は「喜びも悲しみも怒りも、自分の本当の心なのかわからない」と思っていたし、いつも心の上澄みだけで生きている感覚がしていた。

ONSA WORKSHOP(対面式)を受講しながら、「あぁ、やっぱり私は心の上澄みで生きていたんだな」と思った。
でも、悲しい気持ちにはならなかった。

どうしてこんなモヤモヤした気持ちになるのか。
どうやって抜け出す練習をしていくのか、
またひとつ、自分を回復させていくための地図をいただいたような気持ちです。


今回の受講は、途方にくれて泣きそうになった時間もありましたが、とても楽しかったです。
この1年間、自分と向き合ってきた私自身の成長もあると思いますが、何よりともに学べた皆さまのお人柄と笑顔のおかげだと思っています。
本当にありがとうございました。




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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) こうようクラス



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ワークショップ・クラスから1週間、なんだか心の中が変に落ち着いたような、でも外側はざわざわしながらすごしていました。
仕事でけっこう大きく感情が動くことがあって、飲み込まれてしまって、あいかわらずうまく対応はできなかったなー、と思います。

でも、少し落ち着いて感情をどう読めばいいか、知識として知っているのは安心できます。
落ち着けば、どういうことが起きてたのか、考えることができる。

感情に感情で返さなくてもいいんだ、という方法をわたしは知らなかったんだと思う。
頭ではわかっていても、そういう方法を知らなかった。


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わたしにとっては負のストロークが日常の、当たり前のことになっていました。

負のストロークがない状態が続くと穏やかにすごせる。
でも、しんどい、嫌だと思いながら、負のストロークが来ると自分から抜け出そうとしていなかったかもしれない、と思います。

その間自分はそのことに没頭していられる。
自分の存在を認めてもらえる。
正のストロークがほんとに少なくて、あーあ、と思います。
どうやっていいか、わからない。

でも、とにかく、これがおかしい、というのはわかった。
それから、ストロークがないのが一番辛い、ということも。

他の人からの(負の/* 編集注)ストロークがない状態に慣れなきゃいけない。負のストロークに満たされている生活がおかしいんだ、と気づけたのはすごくよかったと思います。


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感情をサインを読んだら、どう選択して、どう行動するか自分が決めなきゃいけないんだ、と思います。
わたしは無意識のうちに誰かに正しい答えを求めていたけど、それは自分が考えなきゃいけない。

感情に巻き込まれたときに、まだうまく距離をとることはできないし、チェアワークをしてもすっきりと感情の渦から抜け出せるわけじゃない。
(かなり落ち着くけどね。)

でも、これからも ONSA WORKSHOP(対面式)で学んだ方法で感情とうまくやっていきたい。
それから、わたしは自分とうまくやっていくために、もっと自分を知らなきゃいけないな、と思っています。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) こうようクラス



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最近、特に心が荒れることが多くて、私にとって必要な内容に違いないと思いつつ、日々湧き上がる感情を拾いながら、不安と期待がないまぜの中で参加しました。


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まず感じたのは、普通のストロークがなんて幸せで楽しいんだろう! ということ。
私はそういう場を増やしていきたいと心から思いました。

今通っている趣味の場。
R&B や英語のレッスンで知り合った仲間とは、そういうやりとりをしているかもしれない。
考えてみたら、そういう場って自分でも少しずつ増やしているし、他にも小さな場はいくらでもあって、そこで私はプラスのストロークを受け取ることができる。


私が小さな頃から受けてきたストロークは、とても窮屈で私をがちがちに縛ってきました。
プラスでもマイナスでも、私はその言葉に全身を凍らせて、身体をぎゅっと縮めて、とにかく感じないようにしてきました。

一瞬にして肩で受け止めて、それ以上全身に広がらないようにしている身体の反応に気が付いて、そりゃあ肩がバリバリに凝り過ぎて、塗るシップ薬を手放せないのも当然。

今までどれだけ心を凍らせてきたのだろう。
家族から、そして上司や周りの人たちから、どれだけ負のストロークを得てきたのだろう。

それでも私は何かが欲しかったし、飢えていた。
当日のワークを通じて、多くのことに気が付きました。


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私は私のために生きよう。私のために時間を使って、私のためにプラスになるストロークを得られる場所に行こう。
そうやって、私は自分の人生を生きて、私のことを癒していこう。

他の人のために使ってる時間なんてない。
私のことを最優先に生きていかなければ、人生の帳尻が合わない。

だから遠慮なんてしている場合じゃないし、私は自分の感情を大切にしながら、自分の人生を作っていこう。
そう思いました。


ご一緒の皆さんとの、普通のストロークがとっても楽しかったです。
私はそういう場を探しに、あちこち出掛けてみようと思います。

自分のためにならない人とは距離を置いてきたけれど、自分にプラスとなる誰かとの温かい交流を私は探していたのだと思いました。
人生の計画を立てることは、ささやかな一つ一つの積み重ねですね。


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優月さん、スタッフの皆さん、今回もありがとうございました。
当日、ペアになっていただいた方、ご一緒した皆さん、ありがとうございました。
こういう場に参加できて本当に良かったです。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) こうようクラス



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ワークショップ・クラスが終わって、気持ちがグラグラする感じが続いています。
受ける前よりも、自分の感情に敏感になった気がします。

今まで感情はもっと強く感じるものだと思っていたのですが、それは異常でもっと小さい感覚だったのがとても印象に残ってます。
ワークであった負のストロークでは、あんなにも身体に衝撃を感じていたのに、気付いていなかったのも驚きました。
どれだけ私は凍らせてきたのか、想像以上のことが起こっていたのがわかりました。


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プレワーク期間、職場の人の事で仕事と生活に支障がでるくらい振り回されていました。
すごく苦しくてしんどい、何故こんなことが起こるのかわかりませんでした。

実は起こっていることは私のルーツである原家族で起きていた馴染みの事で、しんどいけど慣れてるからわたしは対処できてしまう。だからそのまま状況が続いているという仕組みが説明の中でストンと納得できました。

私の必死で覚えてきた生き方が、今の私を苦しい状態においてる…感覚として、実体験として結びつきました。
この結びつくことが私を助ける重要なポイントなのだと思います。


自分優先で諦めない、繋がる。
これをまず続けていきます。

ありがとうございました。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) こうようクラス



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今回は2回目の参加でした。1回目は ONSA WORKSHOP(対面式)自体が初めてだった。
あの頃に比べたら、随分変化してきたし、前進してきたと思う。


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プレワークでは、1回目に比べて、色んなことを感じているなと思った。
1回目は確か空虚感や怒りばかりで、今回もそれを感じるときもあったけど、幸福とか自分への愛しさとか、前にはなかった感情も感じられるようになってきて、「私、変わってきてる」って嬉しかった。


当日、1回目に習ったことを、言われれば思い出せるのに、当日まで忘れていたことがショックだった。
調教の話は、嫌悪を感じてぞっとした。
それじゃ生まれてきた意味がない、親のいいように動くだけじゃないかとうんざりした。

実際にワークをして、なかなか解離が解けない私がいることに気づいた。
それを責めるんじゃなくて、そうしないと生きていけない状態だったんだと自分を認めてあげたい。
これから少しずつ、時間がかかっても解離を解いていこうね。


ペアになった方の負のストロークが私にとってショックすぎて涙が出てしまった。
相手の集中力を妨げてしまうかもと思っても、泣かずにはいられなかった。

そんな言葉を言うのが辛くて、それ以上にこんな言葉を言われたらどれだけ辛いだろうと思った。
こんなに辛い言葉を浴びて、本当によく生きててくれたと思う。

本当に本当に、皆さんで幸せになりましょう! 
心から笑いましょう!


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「普通の正」のストロークは私には衝撃だった。
え? そんなことがストロークなの? って思った。
でも、考えて体験もしてみると、確かに必要だなって思った。

思えば、働くまでの私はこれが足りなくて、孤独になっていたのかもしれない。
私には、今これが不足していると思う。

だから、ワークではすごくぎこちなかったと思う。
それだけ負のストロークを受けすぎて、それが普通になってしまっていた。

「普通の正」も、それまで意味ないと思ってた。
そんな小さな世間話いみあるの? って、0か100で考えてた。

でもそうじゃない、この小さな正が大切なことなんだと気づけたのは、私にとって大きいし、私を助けてくれると思う。


もう充分負のストロークはもらったからこれ以上はいらない。
もっともっと自分を安心できる場に連れていきたいと思う。

正のストロークを受け取るのを待つんじゃなくて、勇気を出して、自分から与えられる人になろう。
慣れてないから最初はぎこちなくて当たり前。
それを積み重ねて、負じゃなく正のストロークが当たり前になりたい。
正のストロークを与えること、もらうことが普通になりたいと思う。


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「快」を感じるなにかをみつけたり、自分を「快」にする居場所づくりもしたい。
それまでたくさん失敗をしたり、ぎこちなかったりすると思うけど、そのプロセスも大切にしたいと思う。
だから、尻込みせず、まずは試してみて、ひとかじりしてみる。

優月さん、ONSA のスタッフの皆様、「こうようクラス」の皆さん、ペアになってくれた方、私を励ましてくれる皆様、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




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Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) こうようクラス



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私へ

学んでくれてありがとう。いやぁ、よくやったね。
やっと知れたね。はー、やっと知れたよ。基本なこと…。

どんなけ、我が家は壊れていたのだろう。それを、ひしひしと感じる。
だから、もう、私は私の人生を生きたっていい。原家族から抜けよう…。
自分を大切にしたい。


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どんなに感情を身体に閉じ込めて来たんだろう。
そうしてしか生きてこられなかったこと。残念だ。
あまりにも残酷だ。

私は1つも悪くなかった、本当に。もうそんな呪縛から抜け出そう…。
私は私の人生を、楽しく笑って生きて生きたい。


それぞれの感情が、そんな風に私にやってくるのかを、実際に見た。
目に見えない感情を、コントロールを、見た。
あー、なるほど…と思った。

感情は目に見えないから、仕組みを知るって、本当に大切だとわかった。
もう、モヤってし過ぎる人生だったから、それが当たり前だった。
こう感じるのは仕方がないことなんだと思っていた。

感じても、それを、どう処理すればいいのかなんて知らなかった。
我慢しなさい。そんなことを感じたらダメ。だった。


自分の周りには、家族には、境界線もない。
私も、すぐに境界線侵入してしまう。それが解ってすんごくショックだった。
わぁー、ほんと、私の周りは、壊れているよと、しんどくなった。


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「わー、私は、今、こんな感情なんだ。」
わかるようになったら、次はどうしたらいいか。
それが知れて、本当に良かった。
この一週間、「だから、こうだったんだ」と、一つ一つ、謎解きをしている様だった。


子供が怒って泣きわめいている時、その理由がわかった。
あー、やっちまったぜ…と、自分の行動が引き起こした理由がわかるようになった。

以前なら、訳がわからなかったから、もう育児はしんどいそのものだったが、今なら、もうわかる。
自分の過去がわかることと、今の育児がわかること。
それは、私にとっては、本当に、ホッとする。
「安心して生きたい」の、夢が叶っていくのだ。


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いろんな気持ちを感じていいんだな。そんな安心も出来た。

日常だったことも、もっとやってもいいんだな。それって、健康な事だったんだな。と、安心も出来た。

いろんな事が見えてきた。
あー、と気づける様になった。
向き合わずに、さっと道を変える事も出来るようになってきた。


私は、私を守りたい。
もっと、幸せになりたい。
もっと、笑って生きていきたい。
そう思ってもいいし、それって当たり前なんだってこと。

生きていきたいな。健康な世界で、いっぱい生きていきたいな。
私の生きたかった人生を、1つ1つ取り戻していくのだ!




タイトルはじまり目印

Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) こうようクラス



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今回は2回目の参加でした。

プレワークにがっつりとは取り組めなかったけど、それでも『未来日記』に書かれた私の気持ちは、お馴染みのパターンもわかるようになったし、以前とは比べ物にならないくらい本音の言葉になっていると感じました。

しかし、ワークショップ・クラスに出てみて感じたのは、感情を身体で感じることが難しかったこと、私の解離は根深いということです。

思い当たる節はあって、ワークショップで感じる心を開く感覚が日常に戻ると無くなる感じや、感情がフラットになって動かない感覚はよくありました。
その感情は見ないようにしようと、なかったことにしようとしている自分がいるんだと思いました。

これからは、毎日少しでも『未来日記』に向き合って、どんな感情もなかったことにせず感じていこうと思いました。
もっと自分を知っていこうと思いました。そして、楽しいことに時間をたくさん使えるようになっていきたいです。

優月さん、クラスのみなさん、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。