2019.07月開催 「感情ワークショップ」しなもんばじるクラス

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M. N. さん(20代/広島県よりご参加) しなもんばじるクラス



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感情がやっぱり自分はわからないのだと思った。

そして、わからないことは当然なのだ。
私がいけないとか、私が変だからとか、そういうことではない。

私が生まれ育った環境では学べなかった。
だから、今、学ぶ。

そして、大事なことは、私はわからないから間違いも犯しやすいということ。
だから、ワークを通じて安全に練習することだったり、科学的知見に基づいた新しい知識を学ぶことだったり、継続的に、何度でも、新しい習慣が身につくまでやり続けることが大事。


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それから、分からないことが分からないってとても怖いことだと思った。
何が分からないから分からないかったから、生きることが漠然と怖くなり、過去の記憶から恐怖感がましていた。

でも、1個感情が分からないんだとわかったら、そこを手掛かりに新しい一歩を踏み出すことができる。
そのことを今回のワークショップで気づいてとても安心した。

当たり前のことが分からないって怖い。
無意識の怖さが当然だったのだと思うと、また少し自分に優しく寄り添えそうだと思った。


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あと、感情を一つ一つ棚卸しする必要があると学んで、またまた根気のいる道のりの長い道が始まったと思った。
少しずつステップを重ねて色々な気づきがあるのだけど、まだまだなのか、まだ知らないことがたくさんあるのかと思うと正直げんなりする。

普通の人みたいに知れたらよかったのに! と。
そのことは悔しいって思う。
それから、学んできた人のことを心底羨ましいと思う。


一方で、今回のワークショップに参加して目が覚めた!
あ、私ふらふらしてなかったかな? って。
何か脇道に外れそうになってなかったかなって。

無意識に蔓延っている癖があるから回復を過信してはいけないって言われていたけど、ピンときていなかった。

基本のステップを今また振り返ると学びが多いと思った。
意識してキャッチできるから、また次に新しい対策が取れる。


いろんな感情が私にあってよかったんだよ。
お帰りなさい。
本当はもっといろんな感情を自由に感じて生きてよかったんだ。




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M. Y. さん(40代以上/静岡県よりご参加) しなもんばじるクラス



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優月さん、一緒にワークショップに参加なさった方々、ONSA の皆様、どうもありがとうございました。

そして、私、どうもありがとう。
そして、お疲れ様でした。


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今は色々と思うことがあって、それを静かに受け止めている状態。

帰りの新幹線の中で、悲しいなぁ~って思った。
悲しい、悲しい、悲しい、ただそれだけだった。
ただただ静かに泣いた。

泣けて良かった。
泣けて嬉しい。

そして、物凄い疲労感があった。
寝不足でもあったので、それによる疲労感もあったけれど、ワークショップ・クラスに参加した故の疲労感もやっぱりかなりあった。

でも、参加して良かった~。
色々と霧が晴れてきた感じ。

つかまろうと思った。
いろんなところに。
私、大好きだよ。




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しなもんばじるクラス



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私は「感情ワークショップ」を受けるのは、3回目でした。
何回受けても、私にとって感情は難しいなと感じました。

今回のワークショップで気づいたことは、私の周りは負のストロークで溢れているということです。
藤沢さんに例えでされたシミュレーションの中に、これはいつものストロークでおなじみの感じと思ったものが、がっつり負のストロークで唖然としました。


そして、正のストロークをされたときには、ナイナイナイ! そんなことされたことないって思い、いたたまれなくなって逃げ出したい気持ちになりました。
私の感情の反応が間違っているのです。

私は母親にされた負のストロークをあまりにもなじみすぎて普通のものだと思っていました。
ペアワークでも体感した正のストロークと負のストロークの違いをはっきり認識できたことは、私にとって大きかったです。

また、ワークショップ・クラスを受けて『未来日記』に出てきた感情は、どうしてこんなに自分をないがしろにしてるんだっていう思いでした。


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私が私に怒りを感じているのは当然でした。
どうして私を大事にしてくれないのっという怒りの声を、ちゃんと受け止めることができてよかったです。
私が私の味方になり、優しく応援していくんだと改めて決意できました。

これからも、感情のサインを受け止められるように、しっかり自分と向き合っていきます。
藤沢さん、ONSA スタッフの方々、クラスのみなさん、ありがとうございました。




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M. T. さん(30代/神奈川県よりご参加) しなもんばじるクラス



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皆さまお疲れさまでした。

今回ワークショップに参加して、ずいぶん自分の人間関係の結び方が歪んでいる点や、負の刺激やストロークに慣れ過ぎてしまい(むしろこの刺激があることの方が普通だった為)、本来の正しい、良い(OK)とされる反応やサインとごった煮に混同してしまっている(=歪みがある)ことに気づきました。

今でもきっと、同じ条件の場面に出くわしたら、自動的に反応・反射で駆け出して何らかの対処(反応)をしてしまいそうになると思いますが、ワークショップ・クラスで教わったことを思い出し、まずは落ち着いて「今」に戻ること。

そして、自分のために安全に距離を取ることを心にしっかりと根付かせたいと思います。


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そして、今までは過去の事を(以下凄く感覚的な表現なのですが)
「あの時のあのことは~で(こうことがあった為)、こうだ(こうなった)と思っていたけれど
→(もしかしたら)〜したから、こうで(このようになって)、こういうことになった(こういうことだった)のかもしれない」
…等と、自分のなかで過去の解釈が変わりました。

これも意味あいは少し違うのかもしれませんが、これで、やっと、本当の意味で両親のことを、(私の中から)「手放し」、「許せ」そうです…。


ではワークショップに参加された皆さま、ONSA スタッフの皆さま、そして藤沢優月さん、改めましてこの度はお疲れさまでした。
そして、本当にありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しなもんばじるクラス



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感情が封じられる、ふさがれる。
それって、どれほどの痛手だろうか。

私が、私であること。
私を生き、成熟させていくこと。

そのために私に備わった力(感情)なのに、それを私は、親の勝手な都合で、封じられた。

私の境界線を破って、荒らしてるのは親なのに「こんなふうに怒られる私がよくない」なんて、私は、本当にねじれた解釈の世界で生きてきたんだ。

原因はあっち(親)なのに、あたかも私が原因であるかのように、支配されていた。


…そりゃ、そんなねじれた世界で生きていたら、私が「自分のことが、わからない」と迷子になっていたのも、当然だよね。

「わからない」ように、「知らないままでいる」ように私は親にしむけられていたんだから。
私が、私の感情を「わからない」「感じられない」になっていたのも、当たり前だ。
何一つ、私のせいではない。

そのことを、ワークショップ・クラスのレクチャーを受けていて改めて、ひしひしと私は感じた。


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「感情は、全身で感じるもの」
それを私は、ペアワークでしっかり体感できた。

この、理性とか思考をぶっ飛ばして「ぞわっ」と感じる、この身体感覚。
「あれ?」という、違和感。

感情を封じられた私だって、今の日常でそういう感覚はキャッチしていた。

ただ、私はそれを感じても「気のせい」「大したことない」とかにして拾うこと、向き合うことをしてこなかった。

本当は、私のその感覚こそが、大切な本体であり、私へのサインだったんだ。
その結び目に気づけて、本当によかった。


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感情って、言葉になるようなもの…マンガやドラマ、歌とかで歌われているようなもの、みんなが口にしている「あれ」や「それ」。

そういう、ハッキリした、コントラストの強いものだと私は思っていた。
でも、そうじゃなくて…。

ペアワークで感じた、「なんともいえない感じ」。
「言葉にはならない、でも確かに私が感じている、これ」。

説明ができなくても、わかりやすい感情のラベルに分類できなくても「私は、こう感じている」。

それを私は、認めていい。肯定していい。
そしてそれを、大切にして、次の行動に活かせばいいんだ。


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「自分の感情を感じられるようになりたい」
それが私の、このワークショップへの参加のきっかけで、それもまた OK だったけど、でも、ワークショップに参加して、今の私が思うのは、感情を感じたら、それを「次の私の行動にいかす」。

そうやって「私の人生をひとつずつ、私が選び、積み重ねてゆく」。
それが大切なんだ。

「感じる」で、終わらない。
その先の「私を生きる」ために、活用する。
いつだって目的は「私を幸せにすること」。

どのワークショップも、テーマや手段は違っても行き着く場所は同じなんだな。
改めて、そのことを感じました。


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かつての私にとって感情は「厄介」「投げつけ合うもの」「手強い」。

そういう “問題” だった。

それはそれだけ、私が他人に侵害されていた大きさを表していると思う。

でも、本当の感情は、もっと生もの。
生きていて、その都度私に必要なサインを送り続けてくれるもの。

その受信機を、私は大切にしなくては。


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どうしてあんなに、私は、私よりも他人の感情ばかり、尊重してしまっていたのか。

それは、恐怖や脅しで私が揺さぶられていたから。
そんな卑怯な手口に、私はこれ以上のせられなくていい。

残念だけど、私の周りにはこれからも恐怖や脅しでコントロールしよう、盗ってやろうとする人は、いる。
それは私には、どうすることもできない。

だからこそ、私の意志が大切なんだ。
「私は、私を守る」
「私は、他人の声ではなく、私の心の羅針盤を大切にする」

それが大切で、試されてもいるんだろう。
それが私を「生きる」っていうことだ。


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今までの私は、「できるだけ穏便に進めたい(解決したい)」思考が強かった。
そしてそのためのハウツーをあちこちから集めては、必死に努力してきた。

それは、ワークショップに参加して、回復を進めてからもまだ、手強く残っていたと思う。

でもそれは、結局は私の演技やコントロールを強めるばかりで私の現実に、機能しないやり方だった。

肝心の「私」不在の人生を強めるばかりだった。


「たとえ、穏便に進められたとしても、それで “私” を生きられなかったら?」

穏便の先で、ようやく私を生きることに手を出してもいいよなんて、順序が逆じゃないか。

どうして私を、いつも “引く” の?
いつも私を “マイナスの席” に置いて、外を先に埋めようとする。

それは、私のつらい境遇で生き抜くために仕方なくやるしかなかった処世術だけど、それを打ち破っていくのも、私なんだ。


文節区切りの線

予定調和じゃない人生は、ドキドキする。
怖くて、なかなか踏み出さなくて、勇気のない自分にへこむこともある。

でも、私の中で「そうしていい」という予感は、確実に強まっている。
私の中に「現実味」が増してきている。

私は、私がいる人生を生きられるし、その力もちゃんとあるんだ、と。
強がりでなく、洗脳でも、演技でもなく「そうだよね」という自然な納得や肯定を、私は感じられるようになってきた。


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私が、私を生き始めることで、あの人が文句を言うかもしれない…。
でも、そんなことより、私が私であることで生まれるうねり。
新しい展開、景色、空気。
私は、そっちの方に心を開いていきたい。

どんな人生が待っているんだろうか。
どんな私がいるんだろうか。

予定調和の、うわべの安心はあるけど、嬉しくもない。
そんな人生を、これからも続けていくのは、私はいやだ。

私は、私であるからこそ感じられるもの、喜べるもの、見たい景色、会いたい人たち
そういうもので、私の人生を満たしていきたい。


文節区切りの線

感情は、私の人生を豊かにしてゆくもの。
私は、感情の本来の力を、私のために使いたい。

「生きててよかった」も「幸せ」も私の心(感情)で感じるものだから。

「くやしい」「悲しい」「怒り」とかも相手への反応や、他人重心にしてることで湧き上がるものではなくて。

「私が、私を大切に思うからこそ、感じられるもの」
「私を肯定し、大切にしているからこその、No」
私は、そういう位置づけで感じられるようになりたい。


優月さん、スタッフのみなさん、クラスメイトのみなさん
たくさんの学びを、ありがとうございました!



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。