幻想の眼鏡を外す | 知識を学ぶこと。現象に、名付けられるようになること[1]

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時間と命がメインテーマ、文筆業・藤沢優月です。

いきなり本題に入ることを、お許しください。





たとえそれが、大きなことであれ。
あるいは、日常レベルのちょっとした違和感といった、”小さな” ことであれ。


現象に、名前が付かなかったら、それはただの「違和感」で終わってしまう。

「何だか不快」
「もやもやする」
「別にいいのだけれど……よくない気もする」

こんなふうに。






ですが、ごくごく一般論として、こんなことが言えたりします。

「”小さく” 見えることは、実は、ぜんぜん小さくない」


いうなれば、単に、氷山の頭が見えているだけ。
つまり、見えているものの下には、巨大な容積がある可能性が。




私たちは時に、こう願います。


“小さく” あってほしい。
そうすれば、私はそれを、スルーできるから。

厄介ごとと、認定しなくともいいから。
手に負えないほど、大きなことなんて、今さら抱えたくない……。





こんなふうに、その感覚の周りをぐるぐるしている時。
その感覚に、名前を与えることができない。


すると、それらは正体不明になり、苦しい感じがする。
しかも、おそらく想像ほど、小さくない可能性が。


物事はおよそ、こんなふうに、相場が決まっているようです。


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