いきなり本題に入ることを、お許しください。
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たとえそれが、大きなことであれ。
あるいは、日常レベルのちょっとした違和感といった、”小さな” ことであれ。
現象に、名前が付かなかったら、それはただの「違和感」で終わってしまう。
「何だか不快」
「もやもやする」
「別にいいのだけれど……よくない気もする」
こんなふうに。
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ですが、ごくごく一般論として、こんなことが言えたりします。
「”小さく” 見えることは、実は、ぜんぜん小さくない」
いうなれば、単に、氷山の頭が見えているだけ。
つまり、見えているものの下には、巨大な容積がある可能性が。
私たちは時に、こう願います。
“小さく” あってほしい。
そうすれば、私はそれを、スルーできるから。
厄介ごとと、認定しなくともいいから。
手に負えないほど、大きなことなんて、今さら抱えたくない……。
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こんなふうに、その感覚の周りをぐるぐるしている時。
その感覚に、名前を与えることができない。
すると、それらは正体不明になり、苦しい感じがする。
しかも、おそらく想像ほど、小さくない可能性が。
物事はおよそ、こんなふうに、相場が決まっているようです。
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