時間のヒミツ |「過去」は、偉大なデータベース

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時間と心がテーマ、藤沢優月(文筆業)です。


過去を悔いることって、ありますか。
私は、あります。


「あの時、こうしていたら……」というやつ。
しつこいぐらいに、つきまとってくる。


今は、再訓練によって、かなりマシになりました。
ですが、もっと以前には、文字どおり「飲み込まれていた」。

過去に対して後悔のない人が、どれぐらいいるのかと思う。





でも、過去について、本質的な事実が、ふたつあると思う。


ひとつ目は、変えられないという事実。

「過去を、変えることはできない」



いくら悔いても、過去の選択を、過去に戻って変更することはできない。

それはもう、終わってしまったこと。
変えられないこと。

変えられないことに、ひたすら注意を注いでいても、疲弊するだけ。
事実として、変えられないのだから、なおさら消耗してしまう。






ふたつ目は、これ。

「その時は、その時なりに、ベストを尽くした」



どう振り返ってみても、それ以外、ベストの選択はなかった。
不真面目だったわけでも、いい加減だったわけでもない。

その時は、それが、いちばんよい選択だと信じていた。
でも、拡大し、成長した目から見た時、そうは思えなくなった。


けれど、やっぱりその時は、ベストの選択だったのだと思う。

だから、今がある。
その事実を否定しても、仕方がない。





過去は、後悔だらけで、見たくなくなることも。

「あの時、もっとこうしていたら」
こんな気持ちばかり、湧いてくるから。


でも、「過去」を見てゆくと、こんなことがわかってくる。
明確に、わかる。


自分の、(欠点ではなく)弱点。
一種の、癖みたいになっていること。

ほんとうは突破できるのに、自分の中で、おおごとになってしまっていること。
怖がる必要はないのに、トラウマ級に、恐ろしくなってしまっていること。

勝手に、自分で制限を設けていること。
「自分には無理だ」と決めつけている、洗脳みたいな「何か」。



「自分にとっての、最高のデータベース」
こう使う時だけ、過去は過去として、意味を持ってくるように思う。






私もまた、自分ごととして、これらの言葉が響いてきます。
それらと向き合ってゆくことが、この平凡で、神聖な1日ずつを、歩いてゆくということ。


それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。

平和で穏やかな、週末となりますように。