「ライフワークを発見する」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2025年06月21日開催

画像

タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、「今」この瞬間も、「楽しい」と感じてもいいのだ。


自分を生きるのだと勇んでいたはずが、いつの間にか「立派な」ものを目指す悪しきデフォルト設定に戻ってしまう。

どんよりとした、何の活力も感じられない状態。
不安や焦りにばかり気をとられ、「今」どころではなくなっている。

私は、「楽しむ」や「心地よくする」といったことを、自分から取り上げるようなことをしていたようだ。
これが自分にとっては発見だった。


私は、このようなことに何度も陥っていると思う。
気づくたびに修正する必要がある。

私は、今の状態の自分を、「今」しか生きることができない。
そう学んだことも、大きな気づきとなっている。


文節区切りの線


今の年齢や成熟度の自分。できることもあれば、できないこともある自分。
できていないと分かったこともあれば、以前よりもできるようになったこともある自分。

いま生きている時間は、予備の時間でもリハーサルでもない、と聞いてハッとした。

私は今も、本番の人生を生きているのだ。
たびたび耳にしているはずであり、言われてみれば当然のことだ。


しかし、自分にはその緊張感や真剣度があまりに薄かった。

私はいったい「いつ」本気で生きるつもりだったのだろう…。
自分の問題としてじわじわと感じられてきた。


文節区切りの線


私が、自分のことをだんだん嫌いになってしまいそうなとき。
元気がなくなっていくような、投げやりになっていくようなとき。

それは、なんらかの形で、自分が自分のことに真剣ではない態度をとっているときだ。


「いつか」「立派にできるようになったら」本番が始まるはずだと「星」を妄想し、現実で真剣になることを先延ばしにしている状態である。

私はこれも、気づくたびに現実的な修正していかなければいけない。


文節区切りの線


姿勢を整え、目をつぶり、落ち着いて呼吸をする。
自分という輪郭を感じてみる。私は、この範囲に責任をもつ。

そう感じてみると、あたたかくて、どっしりしていて、どこかピリッとしたような感覚(張りつめているのではなく、真剣であろうとする「張り」のように思われる)が出てきた。


私がしてみたいことは? 
私は、何なら満足だろうか? 
何をあきらめきれないだろうか?

自分に訊ねながら内側に目を向けてみると、たしかに「動く」ものがあると感じられた。
無理やり揺さぶったり理由づけをしたりしなくても、勝手に熱を帯びている。


文節区切りの線


私は、(変な言い方かもしれないが)ギャーギャーわめいて説明をしなくても大丈夫だ、と自然と感じられ、なんだかホッとした。
誰が何と言おうとどう思おうと、この熱量は間違いなく自分の中にある。

これが、自分にとって「意味のある」ということなのではないか。

自分が納得することが実現するように、考えて、動いていく。
自分にあるものを動力源にするとは、こういうことなのではないだろうか。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、自分を健やかに、安全に生かしたい。
私は、自分を誇りに思える自分でありたい。
私は、自分の成長を感じたい。


私は、そのための力の源を自分の中からもっと見つけたい。
振り返れば、1クラス目から2クラス目のあいだに、自分にとっての「いいな」を試すことにつながるいくつかの体験をしていた。

気になり始めていたことは、もっと知ってみたい、本格的に学んでみたいことになった。
初めての場所に行き、自然に触れたり人と会ったりすることは、とても豊かな体験だった。

実際に動くことで、「いいな」と空想するだけでは知り得なかったことが、何らか出てくる。


文節区切りの線


私は、極端にならずに問題を解決していく力を鍛えたい。

試してみたり、バランスを図ってみたりするということは、一度だけ完璧にドカンと何かを行うことではないはずだ。

「いいな」に関わることだからといって、絶対に疲れないとか「ラク」なことばかりではあるはずがない。
自分のための「がんばり」も必要だ。


私は、自分のために「がんばり」を発揮できる、自分に誠実な姿勢の自分がいい。
そして、その自分が関わりたいと思える人たちと豊かに関わることができたなら、どんなにいいだろう。


文節区切りの線


私にとっての「やってみたい」の組み合わせには、どのようなやり方があるだろうか?

どのようなバランスがいいのだろう?
いつまでに、何をすると、そこへたどり着けるだろうか?

これらを考えるのは、自分しかいない。


今すぐにはわからずモヤモヤするからといって、絶望感にひたってみたりできない言い訳を考えたりする時間は、もったいない。
気づくたびに建て直しを図り、自分のための試行錯誤の機会に充てていく。

私が進むための手綱は、自分が握っている。
このことを、忘れないようにしたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は今回のワークショップで「他人から見て立派なことがしあわせ、というのは先進国の価値観」ということを学び、改めて自分がその価値観にどっぷりと浸かっていたことに気が付いた。

それは、正に星を目指すやり方そのものだったと解り、とても悔しい気持ちになった。

私は、健康なしあわせの感覚が麻痺しているし、ズレている。
だから自分の好きや得意が解らないのはもちろん、自分を理解することの重要性も理解できないまま、時間だけが過ぎていた。


文節区切りの線


一方で私は今、「もうちょっと頑張りたい」という少し前の自分からするとあり得ない気持ちが湧いてきている。
あと、「人と関わる、分け合う、共有する」そしていつもの「成長したい」という気持ち。

私は、自分で経験して、自分で納得して、それをもとに自分の力にしていくこと。
解らなかったことや出来なかったことに対しての自分なりの意見や答えが積み重なっていく感覚。

こういうことをもっとやっていきたい。


そしてこれを自信というのだとしたら、健康な人たちが歳を重ねるにつれ、内なる自信を持ち、そして安全になっていくのは当然だと思った。
とは言え、直ぐに頭で出ない答えを探して停滞する悪い習慣は常なので、頭ではなく身体の声を聞く、ということが今よりもっと上手にできるようになりたいと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、等身大の自分と対話をすることは、安心感に繋がるのだと解った。
事実やデータ、私の気持ち、そして定期的に星に走ってしまう自分の癖も、事前に対処の仕方をいくつか持っておけば、必要以上に自己嫌悪に陥ることもない。

自分に優しい眼差しを向けてあげられるのは、今までもこれからも、自分しかいないのだと思えるようになった。


長い年月洗脳されてきた「他人から見てしあわせ」を無意識に追いかけることを、この洗脳を、体感レベルで解いてあげたいと思う。
そして自分にとっての心地良いしあわせを、もっと沢山見つけたいと思った。

タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



今回は、徹底的に自分の「好き」「こうしたい」と向き合って、ライフサークルを作った。

「次の決断には、このライフサークルに合致するかどうかを元に考えるといいですよ」と教えていただいた。


文節区切りの線


私にとっての小さな決断として、ワークショップがない休日の過ごし方がある。

私はいつも悩んでいる。
手帳を前にして、7月の過ごし方を考えているときにも、なかなか決まらなかった。

「子どもに楽しんでほしい」
「少し遠出するか?」
「でもそうすると、買い出しとか、次の日の準備とか、やるべきことが収まらない」

など、あれこれ出てきてまとまらなくなったときに、ライフサークルを見直してみた。


文節区切りの線


「そうだ、私はこういうバランスで、こういう価値観を大事にしたかったんだ」とパッと見て思い出すことができる。

結果、地場産のものが買える店に買い出しに行って、近場にある見晴らしのよい公園でお弁当を食べるというプランに落ち着いた。

これなら、私もやりたいし、納得できるし、ちょうどいいボリュームだ。
たぶん、子どもも楽しんでくれそう。


今まで、何度もライフサークルを作ってきたが、作りっぱなしになりがちだった。
こうやって、日々の小さい決断のたびに、見直して使えるものだったのか!

また一つ、自分に合う決断のためのスキルを身につけることができて、私は嬉しい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・生活の細かな TODO の順番を試行錯誤し、余裕を持てるスケジュールに組み替えた。
・仕事に関する長期目標と短期目標を分けて考え、実際に動き出した。

・子どもに関する複数の団体に飛び込んでみた。結果、違和感を感じたものを洗い出し、取捨選択した。
違和感を「感じる」ということはこういうことなのかと、体験として学び直した。

・子どもとの関わりを、日々試行錯誤し、少しずつうまくいき始めている。
・自分の特性への対処も工夫して、うまくいくことも増えてきている。

・梅が完熟になるまで待っていたら、あっという間に市場からなくなってしまった。それでもギリギリ見つけて、なんとか漬けることができた。