「『今ここ』パワーに目覚める」”練習してものにする” | チャレンジのきろく/2024年04月22日開催

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タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は楽な方、楽な方に流されたいのがわかった。
私は自分の人生を真剣に考えて、やってみることから逃げている。

私は頑なに、誰かがなんとかしてくれると信じている。
だから私は毎瞬間、何もしないで現実から逃げている。


私は未知なこと、知らないこと、大変そうなことから逃げている。
現実の自分のダメさを見ないように、必死になって全然ちがうことをしている。

私は自分がこんなに他人任せ、一発逆転なのをわかっていなかった。


文節区切りの線

私は立派なことや、ちゃんとしたことが自分にできると思うのを諦めることにした。

私は本当にどうしようもない、怖がりで怠惰な人間だ。
それを取り繕うのを諦める。

大きなことができる、ちゃんとするのをやめようと思う。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私は安心したい
・私はあたたかい人間関係の中にいたい
・私は自分のことを好きになりたい




タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「生きる」とは私が自分でやることだ。
それなのに私は、自分のことに無責任な姿勢をとってきている。
自分でリスクを冒さないくせに、すべて完璧に上手くいくことを望んでいる。


私はどう生きたいのか。
どうすれば自分は満足なのか。
自分が主体的に生きる選択をせずに、「誰か」「何か」の助けを期待して、いつかうまくいけばいいのにと願っているだけというのは、バカとしか言いようがない。


多くの時間を割いてきた仕事に対して、自分が生きることとつながっていないと感じるということは、自分が無責任な選択を重ねてきたから。
私が生きることを自分でやろうとしていなかったからに、他ならないのではないか。


文節区切りの線

私が、今はまだできないとか分からないとかまだやっていない、そして現実はまだ変わっていないと考えていたことは、「何もしていない」わけではなかった。
私は、「やらない」「変えない」という現状維持の選択を、毎瞬やっていた。

自分で選んでいることであり、自分がその結果を刻々手にしているのだ。
やるつもりであったとか、本当はこう望んでいるのにという気持ちの問題は、架空でしかない。

私は、「つかみにいく」ではなく「待っている」を「選択」している。
私は2週間のあいだ、30億個ぐらいの「今」に、多くの「先のばし」を選択していた。


文節区切りの線

そうやって失ってきた機会のことを思うと、私はかなしく悔しい。

自分でやっているので文句も言えず、とにかく気まずい。
私は、自分のことを嫌になり、ただ悔やむことしかできない。


文節区切りの線

私は、できない自分を憐れんだり状況に対して被害者のような感覚をもったりすることで、その自分が納得できない気まずさを、ごまかそうとしてしまう。

私には、選択する能力は、ある。
ごまかして見ないふりをして逃げるという選択も、できてしまう。

私は、本当にその選択でいいのか。それは刻々、自分で感じて考えて決めなくてはいけない。
私が「今、ここ」という瞬間に何を選ぶのかは、いつでも私自身にかかっている。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、限りのある自分の命、自分の時間に、自分で責任をもつことをしたい。
自分が無責任だったことを最後に後悔したくはない。

私は、できない言い訳を立派に述べるのではなく、実際に行動をすることで自分を信頼できるようになりたい。

私は、「今」の中身を、変えていく。
手帳に書いて実行をしていく。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/北海道よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は Dream Quest WORKSHOP で、自分が「~したい」や「~だったらいい」や「~はいや」は、以前と比べたら解るようになった。
「~したい」は考えるだけで楽しいし、平時だったらきっとその夢を叶えるための具体的な行動に進んでいけたのかもしれないなぁと今は思う。

だけど、この状況下で出来ることは何かと問われると「今は平時じゃないから出来なくなった」になっている。
これは、やらない言い訳になっているのかはまだ解らないけど、じゃぁ、今は何ができるのか? と考えると途端にぼんやりしてしまう。

折角自分の夢が見つかったのに、それを願っている時ではなくなってしまったような気がして、途方にくれている感じがする。


文節区切りの線

時間は刻一刻過ぎていくことに目を瞑り、私は「何が出来る?」という今の大切な問いを吹っ飛ばしてまた依存先を探そうと必死になっていた。

自分に出来ることなんて、今はほぼ、無い。
だから出来るようにするために努力しなきゃいけないところを、自分の今の立ち位置を見ないフリをした。

情けない自分を何とか肯定しようと問題を先送りにしていた。
これは、死ぬパターンなのに、その深刻さが、私はまだ本当には理解できていない。


9月まで時間がないけど、だからどさくさに紛れて「有事なんだから今回は誰かなんとかして!」ではない。

そんな時も淡々と、自分の出来ることをやっていくしかない。
やりきって間に合わなければ、きっとそれまでなんだ。


文節区切りの線

「私には何ができるのか?」そして、「私はどう生きたいのか?」を自問自答していて思ったこと。
それは、世界中に逃げていった(逃げ遅れなかった)弾圧対象だった民族の人たちはいま、何で、どうやって生計をたてているのだろう、どんな気持ちでどんな風に生きているのかな? ということ。

シアワセって感じることはあるのだろうか? 
産まれてからずっとぬるま湯につかって生きている日本人のこの私は、見当もつかない。


この想像力の無さ。これが今の私の現実だ。
情けないけど、生きるって楽じゃないとこの歳で初めて感じた。

でも私は今度は、「やっぱり私には無理だったんだ」ではなく「やれるだけのことはやった。」と思いたい。
今いるその先の景色を、やっぱり今回も見てみたいと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・私の夢は、自分には何が出来るのかの答えを、今より明確にすること
・私の今世の課題を全うすること、やりきって最期を迎えること
・人生を楽しんで、生きること




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線



質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



今までの私がまったくやったことのないものばかりだった。

ワークショップ中も、違う「今」を作る行動計画が、本当に見当違いの方向で考えてしまっていたから。
そして、これまでの現実はその通りの結果でしかなかった。

仕事上出会う他者を通じてみれば、そういうことはよくわかるのに、どうしてこうも自分に対しては盲目なのか。


本当に、私は、私が私を生きることにコミットしていない。

それは、私が書く文章で、明らかだった。
「私は〇〇をしていない」と『未来日記』に現状を観察した結果を書いていることがあるけれど、その「…していない」を選択して行動したのは、私であるということが、イヤになるくらいすっぽりと抜けていた。
状況や他人のせいにしていることを、これでもかと無視し続けていた。


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それから、ワークショップ中に問われた「現状維持の先の結果を引き受けるのか?」を私は、もう一度考えている。

本当にいいのか? 
私自身が納得できるのか? 
今がその最終のデッドラインではないのか? と。

(その dead line を明日、また明日に…とこれまで通りのありえない発想で引き延ばすなよと言い聞かせた)

これから先の困難や大変さを想像すると、ぬるま湯に戻りたくなってしまいそうになるけれど、ぬるま湯からのゆでガエルには、もうなりたくない。
私は、私を生きることを今からでもしたい。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は心身を健やかに保って、私を生きたい。

定点観測での視座、「これを受け入れた上でどうするのか?」の結論(仮説)を打ち出す。
そのために、毎日15分時間を作る、を行動し続ける。




タイトルはじまり目印

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は、ワークショップ中に、「次の出勤日までに、仕事の継続をどうするか考えて返事をする」という目標を打ち立てました。

ワークショップ中に、「それは何時間くらい必要ですか?」「どの日に入りそうですか?」と確認していただいた。「1時間くらいかな」という私の必要時間の見立てが甘く、「3時間くらいはとったほうがいいと思う」と指摘をいただき、私は、ちょっと苦しいなと思いつつも、「月曜日になんとかやれるかなと思います」と答えた。

そういう目標にしたのだから、何よりもその「考える」時間を優先しなければいけない。
のだが…。


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いざ月曜日が始まってみると、まずその週のスケジュールと、先週からの TODO 繰り越しをしなければいけない。私はその時間を確保していなかった。

TODO を繰り越しているうちに、「これは、今すぐやらないといけない」あるいは「今やってしまえば早い」というものをたくさん見つけ、TODO をガツガツとこなし始める。

気づけば午前中も過ぎてしまい、昼食もおろそかに過集中してしまい、ただでさえ色々と立て込んでいて疲労と寝不足が蓄積していたのに、考える時間と体力がなくなってきていた。
(疲労と寝不足が蓄積していたから、苦手な優先順位付けがさらに混乱したということもあり悪循環を生んでいる)


私は、この一瞬の「今」「今」に、「考えない」という選択をし続けている。
その「今」は積み重なり、今日だけでいえば数時間、人生でいえば、何十年もの時間を簡単に過ぎ去らせてしまう。


文節区切りの線

Dream Quest WORKSHOP の回を重ね、徐々に課題がレベルアップしていく中で、私の基礎力は追いついていないと痛感している。
つまり、第2回でやった「仕込み」「見積もり」がイマイチだと、その時間の使い方を前提にいくら「自分のための時間」を乗せようと思っても、ガラガラと崩れていく。

あとは、もっとさかのぼれば、質のいい睡眠をとること。
そのために、心煩わせるようなトラブルの元凶から距離を置くこと。

境界線を守ること。
境界線を守るためのライフスキルの準備。
自分の限界と限度を知り、それ以上のものを入れないこと。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



・今後の仕事の継続について、即返事をせずに、「今後、継続が難しくなってくる可能性があります」とまず伝えることができた。
そう話したことで、相手側も「私にはあまり頼めない」という認識になってくれたようだった。

・「運動は健康のために大事」と思って続けていたヨガ教室に、退会の連絡をした。
今後の資金の確保と、密室内での人混みを避けるため。
引き止められるのではないかと構えていたが、「また始めたくなったら連絡くださいね」というくらいで済んだ。

こういう小さな「断る」練習を積み重ねたい。
運動は、教室じゃなくてもできる。無料でもできる方法はいくらでもある。
私は、今まで当たり前だと思って続けてきたものを、一つ一つ見直して取捨選択したい。


文節区切りの線

・夫との戦いのために、慎重に自分の時間をとった。

「今日の優先事項はこれ」と決めて、他のことはほとんど一切せずに、参考となる書籍を1冊、6時間かけて読破した。
その上で、何度も自分と、「これでいいのか」と確認をした。

書籍の内容を参考にして、「今回の旅行はキャンセルします」と、脅しは使わず、しかし一歩も引かない覚悟で相手に伝えた。
その気迫が伝わったようで、それまで何回も抵抗していたのに、相手は引き下がった。

そういう対応ができるという自分に自信がついた一方で、正直、これでよかったのか、今でも複雑な気持ちは残っている。


今後の決断というのは、全てこういう心境で決めて行くものなのかもしれない。

「みんながスッキリ気持ちよく、後悔も残らずデメリットもない完璧で最高の決断」などというものはない。
今までそういう決断を自分に求めていたから、変な方向に行ったり、逆に何も決められなかったりしたのだろうとも思う。