「ライフワークを発見する」”まずは、やってみる” | チャレンジのきろく/2025年05月10日開催

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S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加)



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質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



「たどりつくもの」ではなく、「体験しながら、生きていくもの」。
そしてそれは、「一生続いていく」。

いまの自分に、響き続けている。


ライフワークとは? 幸せとは? 人生の豊かさとは?

私は、自分で自分の答えを見つける必要がある。
これらの問いに、「体験する」「続いていく」というイメージが大きなヒントになりそうだと感じた。

私が、ただ不安に駆られたり「考えているつもり」で空転したりしているときは、(立派なものに)たどりつくことを目指してしまっているのだと思う。


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私は、「安定」という言葉の意味が、自分のなかでひっくり返るのを感じた。

何も起こらないことが安定なのではないし、立派に達成することや、それを維持することでもない。


いろいろなことが起こるなかで、対応していく力があるということ。
その力を使い、自分の進みたい方へ進むこと。

「生きる」とは本来、そういうことであったようだ。
自分の体験や体感ともつながり、大いに納得した。



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約1年前の私は、それまでの「安定」を自ら揺さぶりはじめて、とてつもない抵抗を感じていた。

離職、転居と少しずつ動いてみるものの、何もかもが恐ろしかった。
形としては成り立っていたものをわざわざ壊そうとするなんて、自分の頭がおかしくなったのでは? と、何度も思った。

しかしそもそも、あったのは「安定」ではなかったのだ。
「硬直」して「思考停止」であったから、成り立っているように見えていただけだった。

私の心も身体も、本当には動いていなかった。


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私はどうして、あんなに簡単に、自分のことを譲ってしまえていたのだろう。
いったいなぜ、「自分のことを考える」という優先事項を、いつやってくるとも知れない「あとで」「いつか」という時間に、委ねることができていたのだろう…。

あのころの自分の方が、よっぽど気が狂っているように見える。
私はもはや、そのような無責任なことを自分にしたくはない。


私には、「今」という時間しかない。
実際にできるまでにはまだまだ遠いとしても、私は自分の側の対応力を鍛えていきたい。


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私は、前よりは自分に詳しくなっているようだ、と発見した。
「自分に興味を持つ」ということも、以前よりも、当たり前に大切だと感じられる。

チェアワークを交えながら、「自分はどうなっていたいか」「もっとどうであったら、自分はがんばれるだろうか」という問いにも、私はポツポツと答えていた。


私には、何もないわけではなかった。
このようなことが好き、自然とやっている、こんなことをもっとしてみたい、といった小さな種のようなものは、ある。

この「いいな」は、自分にかかわりのあるものだ。
もしそれが少しずつかたちになって「続いていく」ならば、それはプロセスも含めて、自分にとって意味のあることにちがいない。


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一方で、すかさず疑いの声も聞こえてくる。

「こんなことを、願ってしまってもいいのだろうか」「そんなにうまい話があるわけない」「どうやってやるつもり?」等々。
だんだんと恥ずかしくなってくるような、「やっぱり違うのかも」と慌てて取り下げたくなるような心地もした。

「自分がやってみたいならば、実現するまで、納得がいかないはず」。
優月さんから、たしかそのような言葉があった。


「納得がいかない」と考えてみたら、それは困るなと思った。


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私は、それでは困る。
この表現がふさわしいものかわからないが、なんというか、「つまらない」。

納得がいかないということは、自分にとっては一大事だ。
そう思うようになっていることも、自分の変化の一つだと感じている。


私が納得できるのは、どんなことだろう? 
そのためには、どうすることができるだろうか?

それを考えるのは、私なのだ。
そのために行動できるのも、私しかいないのだ。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、「体験しながら、生きていく」という感触を、もっと覚えていきたい。
私は、自分にかかわりのある「いいな」を生きることと、「働く」ということを、結びつけて考えていけるようになりたい。


私は、どんなときでも、自分に誠実な自分でありたい。

自分にとって「いいな」と感じることを、つかみにいって、実際に体験している自分。
自分がすこやかに安全に生きられるように、力を尽くす自分。

意味を感じられないがんばりではなく、自分のための真っ当ながんばりを怠らない、一生懸命な自分。

私は、そんな自分を知りたい。
もっと、見てみたい。




タイトルはじまり目印

S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加)



タイトル下の線

質問[1]
今回のワークショップに参加することで、あなたは、何を発見しましたか?
気づいたことや、意識が変化したことは、何でしょう。



私は今回のワークショップで、自分が苦もなく続けられ、快を感じることに打ち込み、だから上達する。結果として立派になっていることが多く、その状況が(他人から見た時の)ライフワークなのだということを学んだ。


ライフワークを見つけるために、自分の好きや得意を探すのではない。
その逆で好きで得意なことなら続けて、もっと上手くなりたいと打ち込むから、ライフワークになるのだ。

その考えのもとに自分の好きを見つけていく、自分をもっと観察する。
それなのに私は、刺激 → 反応と、自分の本当の好きの区別もつかずに、云々唸っていた。


私は、どれだけ自分を理解しようとしてこなかったのだろう。
どれだけ、両親のやり方だけでこの社会を生き抜こうとしてきたのだろう。
考えただけでもぞっとする。


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私は、このワークショップ・クラスがあった週末明けの月曜日の朝、久しぶりに強いクレンジングリアクションに見舞われ、頭痛と涙が止まらなかった。
泣きながらチェアワークをしたら、「助けて」という声が湧いてきた。


ここ数年私は、具体的な困りごとに対しての対策ばかりに気をとられ、本来自分がやらなければいけなかったことをずっと棚上げにしてきたのだと気がついた。


私は、両親には守ってもらえなかったけど、今度は私が私を守るのだ。
そのために、借りられる力はフルに使って自分を見つけなければいけない。

そしてもっと自分に関心を持ち自分と手を組んで、次の自分の課題を乗り越えたいと思った。



質問[2]
あなたの目標......「夢をかなえる」は、何でしょう。



私は、もっと自分のことを理解したい。
私は、自分を客観視できるようになりたい。

私は、自分に必要な手を借りて人生を設計できるようになりたい。

私は、もっと成長したい。
私は、逃げたくない。