運営哲学 01 | 誰もが「自分」に向かって旅をしている

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誰もが、自分を生きたい


あらためまして、こんにちは。
ONSA 運営者の、藤沢(著者)と申します。

本ページをひらいていただき、ご縁をありがとうございます。
出会いのご縁をいただけて、嬉しく思います。

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あなたが、何を探しているのか、正確なことはわからない。
でも、かつて著者が探していて、このサイトを訪れる多くの方が探しているもののことなら、話すことができる。


それは、「自分自身」について。

「自分らしく生きる」
この生き方について。

この話を私は、これから全力でしたいと思います。


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広告やキャッチコピーには、「自分らしく」というフレーズが、あふれています。
ところが、この「自分らしく」。
現実には、そう簡単にはゆかない。


「自分らしく生きたい」
思えば思うほど、そうできない時、苦しくなる。
そうしている人を見るたび、ひるがえって、自分の現状に苛立ってくるかもしれない。

「こんなはずじゃないのに」
「この時間を、生きたいわけじゃない」


でも、実は「苦しい」を正直に感じられる人は、弱い人ではなく強い人。

なぜなら、ものごとを率直に見る勇気があるから。



誰だって、昨日まで走ってきたレールの上を、そのまま走ってゆくほうが楽。
でも、いったん苦しさを認めてしまえば、昨日までのレールが、ぐらついてくる。

だからこそ、「苦しい」という感覚を認められることは、勇敢さの証。



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誰だって、昨日と同じレールから外れるのは、怖い


あらためて、「自分がわからず」「苦しかった」著者の日々には、こんなことが起こっていました。


「いちいち、違和感で心が満ちる」
「理解し合えると感じるたちと、一緒にいられていない」
「意味が感じられない」
「......生きるって、こんなことなの?」


ところが、妙だったのです。
というのも、社会表面上は、何の問題も起こっていなかったから。

それどころか、がんばればがんばるほど、評価されてゆく。
ちょっと我慢すれば、日々だって、やりこなせてゆく。

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時間とともに、背負う責任も多くなり、ますます多くの仕事をこなしてゆく。
時間だって、1日また1日と、その状態で過ぎてゆく......。


社会的には正しいはずなのに、
「こんなはずではない」
「こんなふうに、生きたいわけじゃない」
この、内側と外側の、何ともならない乖離の感覚。

この違和感を、言葉でどう説明していいかもわからない。



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表面上は、日々は過ぎてゆく。でも、心には違和感が


この、気持ちの混乱。
実はこれは、「混乱」ではないかもしれない。


「混乱に見えるもの」は、重要な問いを、私たちに持ってきているかもしれない。

「私は、"本当は" どう生きたいの?」

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「何かが違う」
「これじゃない」
こんな想い。

それは、そこから逆算して、
「私は、こう生きたい」
まだ形になっていない「何か」......うまく言葉にできない望みや理想が、胸の中にあることを示しているかもしれない。



この現実の中で、なりたい自分になってゆく


内心で、「本当は」願っている生き方。
それを、この現実の中でひとつずつ、形にしてゆく。

それが、大人の「夢をかなえる」。

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大人の「夢をかなえる」は、単純に、何かをかなえてゆくこととは違う。
ましてや、"他人から見て" すごい「何か」になったり、定義のはっきりした「何か」になることとも、何も関係がない。


そうではなく、この現実の中で、「なりたい自分になってゆくこと」。

自分自身になること。
もともと、そうであったはずの自分に、戻ってゆくこと。

これ以上自然なことはないし、しかも、自分になることなら、誰にでもできる。

加えて、そもそもそれが自然な状態だから、その状態に憧れることも、やめられない。



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誰もが、自分への旅のさいちゅう


それほどまでに重要な、「自分が、自分として生きること」......。

なぜ、こんなシンプルなことが、時に、こんなに難しいのだろう。