運営方針と運営哲学 | 05 | がまんのレールを外れてもいい

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運営方針と運営哲学 | PHILOSOPHY

ご縁をいただき、ありがとうございます。藤沢優月ならびに ONSA が関わる書籍やワークショップは、以下の運営哲学によりつくられています。


脊髄反射レベルの「他者優先・自分後回し」の生き方



この、不思議な違和感を連れてくる現象......。実は、名前があります。
「共依存」という名称が、与えられています。

でも、この「共依存」。たとえば Wikipedia 等で説明されている程度の深さでは、到底、全体像を理解できないでしょう。
非常に、根が深いテーマとなっているためです。


そして、ここが重要なところであると思うのですが、あなたのせいで、起こったことではない。
そもそもの発生が、自分のせいではないですから、当然、対処もできなかった。

でも、あなたの人生を、確実に蝕んでいるものの、正体かもしれません。
加えて、もし本当に起こっているとしたら、あなたにしか、何とかしてあげられない。
なぜなら、この感覚を覚え、違和感に苦しんでいるのは、他ならぬ自分自身なのですから。


体験者であるから、同じ違和感がわかる



ちなみに、今までのページに書かれていることに、「わかる」という気持ちがあるなら、著者である私も同じ境遇です。
この「共依存」という状態に巻き込まれながら、前進してきました。

体験者の意見ですが、のらりくらりとかわしているより、決然と向き合って対処した方が、絶対によかったです。
しかも、対処のタイミングは、早ければ早いほどよかった。
結果として、著者として生きる、今の私の人生があります。


ワークショップにご参加いただきましたら、詳しく話すことになりますが、私の着手は、22歳当時。
あなたが今、それとなく話を向けられているように、私もまた、他者(人生の先輩)から話を向けてもらいました。

自分自身の力で現象を見破り、名前をつけることは、できませんでした。
なぜなら、「気づいた時には、はじまっていた」。

すでに、そうであったものを、おかしいと感じることは、できませんでした。
私もまた、自分の努力が足りない、自分の不十分さが引き起こしていることであると、思い込んでいたのです。


そのままにしておくと、現実レベルで、どんどんずれてゆく



この「共依存」という現象。
まさか、自分に発生の原因がないまま、偶発的に巻き込まれていた現象であるとは、知る由もない。
ところが、日常レベルは、恐ろしいことになっていました。
たとえばですが、自分を後回しにし、自分の気持ちやニーズを無視して、誰かを満足させるための選択を繰り返している。
しかも、それが異常事態だという認識が、自分にないのです。

冷静になれば、虚しくなるのは当たりまえでした。
自分より、他人を優先する。......自分の人生であるにもかかわらず。
当然、繰り返せば繰り返すほど、自分の人生に、違和感が積み重なる。

がまんやひずみを解消するには、非現実的なほどの「がんばり」に、頼らざるを得なくなる。
完全な悪循環です。


そのままにしておくと、現実レベルで、どんどんずれてゆく



私は22歳の時、このレールから「おりる」と決断しました。
なぜなら、これを続けたなら、とんでもない未来になることは自明であったからです。


・「誰かの」気分を害さないように、気を遣って落ち着いた選択

・そうやって選ぶ、職業・就職活動・未来の選択(=断ると悪いから)
・交際や結婚、人間関係(=せっかく好意を抱いてもらったのだから)


このどれもに、「私が、こうしたいから」という軸がありません。
これでは最終的に、自分の側のがまんを前提とし、成り立つ関係に終始してしまう。

がまんして就職し、がまんして交際し、がまんして結婚し、がまんして家庭を維持する。
そのどれもが、自分のがまんを土台にして、誰かの幸せを維持する構造に

しかも、選択のコマがひとつ進むごとに、巻き込んでゆく人も増える。
「やめたいです」と言い出すことも、難しくなってゆきます。


これでは、重くて当たり前。
私は幸いながら、ほんの少しだけ、助言に心をひらく余裕を持てたことで、コースを外れられました。

これを読む方にとって、少しでも当てはまっていそうであるなら、対処してほしいと願っています。
人生のコマが、ひとつでも手前のうちに。
あなたが今、27歳でも、33歳でも、あるいは42歳でも構わないと思っています。


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