運営哲学 02 |「思考停止」から目覚め、この世界をよく見てみる

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誰にでも「自分になる」権利がある


ところで、私たち......あなたや私には、権利がある。

それは、「自分になる」権利。
「自分として、生きる」権利だ。

この命、この心、この身体は、自分のものなのだから。



だから、自分になってゆくために試行錯誤したり、失敗したり成功したりする権利がある。
一度で、うまくできなくともいい。
失敗することをつうじて、「これじゃない」を繰り返し、自分を見つけていってもいい。


私たちは誰もが、時間をかけ、人生をかけて、自分になってゆく。



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誰もが、時間をかけて、自分になってゆく




世の中には、2つの考えがあるかもしれない

ではなぜ、現実には、なかなかそうならないことが多いのだろう。


「私の実力が、足りないからだ」

良識のある大人なら、反射的に、こう考えるかもしれない。
でも、そもそも「自分が自分になる」ために、能力の高低など、関係あるはずがない。

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ちょっとだけ視点をずらして、この世界を見てみる。
すると、意外なところに、ヒントが見えてくるかもしれない。

恐れずに見てみると、世の中にある、2つの異なる考えが見えてくる。
たとえば、こんなふうに。


[1]
人の幸せや笑顔、地球環境の健やかさや、子どもたちの未来のために能力を使い、対価としてお金をいただく生き方。


-

人はもともと、成長したい生き物。
そして、成長の過程では、試行錯誤も悩みも出てくる。

成長の過程で、自然に発生してくる課題や悩み......。
それらを、自分で解決する力をつけることで、人は強くなれる。
自分の人生を守り、幸せを守ってゆく力が、自分の手に養われてゆくから。

人間に、「自立」をうながすこと。
「成長すること」
「命を健やかに保つこと」

この価値を重要視したお金の稼ぎ方(=社会活動)で、生きている人たちがいる。
[2]
ある意図をもって他人を傷つけ、他人の人生や健康・幸福を破壊して、「マッチポンプ」式にお金を生み出すやり方も存在する。
理由は、こちらの手法のほうが、簡単に「儲かる」からだ。


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人は、健康や幸福を取り戻したい。
それゆえ、人の切実な願いを "利用" し、その手段を「買ってもらう」ことを当て込んで、あらかじめ意図的に、健康・幸福を破壊する。
次に、ちょうどよい「埋め合わせ」を、意図的に売りつける。

ところが、売りつけたものには罠があり、たいてい、場当たりの埋め合わせに過ぎなくなる。
根本的な解決にはならないから、さらに健康・幸福が壊れてゆく。

すると、さらに「埋め合わせ」が売りつけられる。
この、延々のサイクルを「商売」(=社会活動)とする人たちもまた、存在する。


「知は力なり」
知ることで、巻き込まれている世界観の全体像を理解できる


どちらも、どこかで見たことのある考えに違いないと思う。

ちなみに、たとえば小説や映画の中では、善人と悪人が、配役として設定される。
そうしないと、物語が進まないからだ。

人間はたぶん反射的に、どこかに悪人がいて、自分はその被害者なのだと考えることを好む。
そして不思議と、いつも自分は「善人」側。



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この世に「善人」と「悪人」がいるという考えは、人気


巨悪があり、自分は犠牲者で、被害を受けていると考えるのは、楽だ。
そう考えることで、人生の責任と、向き合わなくともよくなるから。
そういうストーリーは、ドラマの中でも、現実の中でも人気がある。


でも、著者の私は、この世に「善人」と「悪人」がいるとは考えていない。

この世には、おそらく、様々な考えの人間がいるだけ。
そんな中、現実世界の中では、利害がぶつかり、力関係が生まれたりすることもある。

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ところが、この話とはまったく別軸で、この現実に巨大なシステムが存在することを知らないのは、まずいかもしれない。

「自分が、どんな構造の世界を土台として、生きているのか」
そのことを、自覚的に知らないでは、危険をよけることができないから。
それでは、「自分らしく生きる」どころの話ではなくなってしまう。



このシステムの危険性については、前世紀、たとえば作家のミヒャエル・エンデが、繰り返し警告している。



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時間の本当の価値を描いた、大人のための寓話『MOMO』


『MOMO』の中でも取り上げられているとおり、このシステム......「依存させ、金を稼ぐ」やり方の入口は、単純なこところからはじまる。

「時間」を奪い、自立をくじき、従属させることが、スタート地点だ。


「時間」を奪うと、支配しやすくなる/従属させやすくなる

そもそも時間がなければ、人は、うまく考えられなくなる。
じき、「思考放棄」「思考停止」の状態になる。
そうすれば、与えられるものをただ、受け身にうのみにする状態に、日々が習慣づけられてしまう。

『MOMO』の中から、引用して見てみたい。



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「6章 インチキでまるめこむ計算」より


とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。

すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。
たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。

この秘密とは-----それは時間です。



時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。

というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。

なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。
そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。



このことをだれよりよく知っていたのは、灰色の男たちでした。
彼らほど一時間のねうち、一分のねうち、いやたった一秒のねうちさえ、よく知っているものはいませんでした。

ただ彼らは、ちょうど吸血鬼が血の価値を知っているのとおなじに、彼らなりに時間のだいじさを理解し、彼らなりの時間のあつかい方をしました。

『MOMO』(ミヒャエル・エンデ/岩波書店)
* 改行は著者による


「生きられるはずの時間が、知らないうちに、搾取されている」


現代社会では、このことが、もっと大きな問題になっている。
寓話『MOMO』流ではなく、最新流で語るなら、おそらくこういう表現になる。


以下に紹介するのは、全世界で、550万回以上視聴されたショートムービー。
2017年に制作され、21万もの「共感」が、世界中からついている。

この動画は、私たちの巻き込まれているシステムについて、とてもよく説明している。
表現はデフォルメされ、過激に見えるけれど、どこかで見たことのある景色のデジャビュ。
日々の中で、何となく感じていた違和感が、よくつながる。

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たとえば、すべての音楽が、商業システムに飲み込まれているとは、著者は考えていない。
素晴らしい映画は山ほどあるし、偉大なエンターテイメントも、多々存在する。


でも私たちが、このような手法で「自分」を取り上げられているのも、現実の一部かもしれない。
自分を生きたいのに、自分を取り上げられてしまっているなら、きっと「苦しい」。


知ることで、「自分に」選択権が生まれてくる

賛成するかどうかは置いておいて、まずは同じものを見てから、話を次に進めたい。

いつでも、「知は力なり」。
知ることで、「自分に」選択権ができる。......知らないなら、知らないうちに巻き込まれて終わりになるだけ。

「自分は何を選び、何は選ばずに、距離を取るのか」
選択権が生じることで、犠牲者にならず、主体的に生きることが可能になるから。




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