「知は力なり」。知ることで、自分に選択権が戻ってくる

子どもたちの叫び。「時間のせつやく。でも、誰のために?」
「時間のせつやく」
「でも、誰のために?」
『MOMO』(ミヒャエル・エンデ/岩波書店)
「知は力なり」
「知ることで、何を選択するのか、何は選択しないのかを決められる」
「知ることで、主体的に生きることが可能になる」
「自分で選択することが、可能になる」
ここが、「自分らしく生きる」上で、重要な点になる。
それどころじゃない。
決してオーバーではなく、」人生の分かれ道になる。
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私たちは多分、エンデの『MOMO』や、ショートムービーの光景に、どこか見覚えがある。
でも、たとえばこれを「世の中には悪がある」といったふうに、一方的に非難できないかもしれない。
というのも、私たちの側が主権を放棄しなければ、その「悪」「搾取」は成立しない。
自分に選択権があることを思い出せば、「選択しない」ことが可能になる。
私たちの側が、思考停止になってしまわなければいいのだ。
誰かが一方的に与えてくる、「これが正しい」というルール。
内心は「おかしい」と感じているなら、「大勢が信じているから」という理由だけで、従順に従わなければいい。

考え続ける。自分の「心の声」を聞き続ける。
でも、私たちの側が、考えることを放棄して、思考を停止する。
すると、巨大な集金システムに、たちまち巻き込まれてゆく。
これが「今ここ」の私たちに、起こっていることかもしれない。
私たちは、自分の人生にほとんど関係ないもののために、毎日大量の時間・お金・エネルギーをつぎこんでいるかもしれない。
それでどうやって、自分らしい人生が生きられるだろう。
私たちは「常時接続中」
ところで、この「金のための支配と搾取」は、現代社会になって、突然はじまったわけではない。
これは、古来から延々、繰り返されてきたテーマ。
『聖書』の主要なテーマでもあるし、仏教の経典には「他人から盗むな」と、繰り返し記されている。
古典や文学の中でも、繰り返し語られてきたし、どの文明にも、同じテーマが転がっている。
現代文明だけが悪いわけでもない。
ましてや、インターネットや SNS が原因というわけでもない。
その上で、注意すべきは、現代の環境。
ネットや超情報化社会は、もともと、人を洗脳しやすい構造になっている。
だから、受け身のまま、思考停止で生きていたら、流されるままになってしまう。
「自分らしく生きる」は、大きなテーマとなっている
テレビやネット、スマホに囲まれ、いつでも「接続中」な私たち。
「国が」
「社会が」
「権威が」
容易に、誰かの考えに巻き込まれやすく、しかも、思考停止になっていることにも気づきづらい。
その中で、「自分らしく生きる」ことは、今や、大きな挑戦になってくる。