2023.03月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」さいほうじクラス

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) さいほうじクラス



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私は、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に初めて参加した。

私は、このワークショップを受けることを、とても怖いと感じてきた。
ワークショップの案内を見ても、先を行くお仲間さんの言葉からも、気持ちが大きく揺れて泣き出しそうな感覚があった。

いま思うと、私の中の子どもが助けを求めているサインの一つだったのだろう。

私は、壊れないように必死に守っている部分に触れることを、怖がっていた。
同時に、そこに触れていくことは絶対に必要なのだ、ということを、自分でも見過ごせなくなっていた。


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インナーチャイルドの瞑想のなかで、私は、赤ちゃんの私と小さな私に出会った。
このとても不思議であたたかい体験を、私は大切に覚えていたい。

赤ちゃんの私は、信頼できそうな大人(大人の私)に抱きかかえられて、とてもほっとした。
あたたかかった。


うれしくて安心できることばをたくさんかけてもらって、驚いた。

まさか、ようこそ、と言ってもらえるなんて!
私のために、特別な住まいを用意しているんだって!
私のお世話できることを、喜んでいるんだって!

赤ちゃんの私にとって、かけてもらった言葉はどれも、本当に信じてもいいのかなというぐらい、あたたかかった。
ここでなら、体重をあずけて、安心して呼吸をしてもいいという心地がした。

よく考えてみれば、こんなに小さな存在が、そこにいてもいいとか、安心や安全の感覚を感じられていなんて、なんということだろう。


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小さな私は、さびしかった、こわかった、でも言えなかった、ということを教えてくれた。
ぎゅっと抱きしめたとき、小さな私と大人の私のどちらにも、安心感を覚えた。

2歳のころに最初の弟が生まれて、もしかすると私は、自分のことが忘れられるような気がしたり、何が起こるのか分からずに怖かったのかもしれない。

けれど、そのとき本当に感じていたことを周囲に表すことも、受けとめられるということも、難しかったのではないか。
その不安や恐怖、自分の存在がぐらつくような感じは、消化されないまま、いまの私にもずっと響き続けているのではないだろうか。


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私は、これまでなかった「疑いの目」が開かれてきたように感じる。

赤ちゃんの私や小さな私は、もしかして、安心していなかった…?
私は本当は、さびしかった…?
私には、自己主張のために大切な「イヤイヤ期」は、あった…?

私は、本来あるはずのものが「無かった」と認めたくないために、いろいろな嘘を自分についてきたようだ。


本音を明かすことができず、平気なふりをしたり、大したことではないように扱ったり、「まだマシ」な部分を何とか見つけ出したりして、これまでを生き抜いてきたのだ。

私は、これ以上自分をごまかしてはいけない。
これまでの旧いやり方は、今の私が困っていることの解決法には、まったくならない。


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私は、「しつけ」の大前提を知らなかった。

ありのままの自分でいいということ、この先の自分を幸せにするためのものであること。
これまで持っていたイメージ、「しつけがなっていない=自分の落ち度」とは、まったく異なる。

私は、「しつけ」をやりなおすということを、自分でやっていく必要がある。

それは、できなかったら怒られる、という類のものではない。
それは自分を大切にすることに直結すること。だから、やっていく。


文節区切りの線

私は、私として生きていきたい。
そのために私がやっていくことは、おそらくこれまでと変わらない。

日々、現実の中で、自分に安心・安全・心地よさを与えていく。
自己理解を深め、必要なスキルのため練習をする。
自分の命を守るために学び、備えていく。


けれど、このワークショップを経てからの私にとって、それを行っていくことの意味が、より確かなものに思える。

この私が大切な存在だから、私に必要なことをできるかぎりやっていく。
ただそれだけだ。


誰かの期待に応えるとか、立派に上手くやるとか、完璧にできるならやる、といったこととは、まったく別世界のことだ。
この感じが出てきたから万事解決、というわけではない。

時間がかかるということも、今の自分には難しいことが多くあるということも、より明らかになったと思う。

わかったつもりになって油断しそうな自分も、少し怖い。
それでも、私が私をぜったいに助けるのだ、という気持ちが自然と強大になって、心強い。
自分との新たなつながりが生まれたような気がする。


文節区切りの線

瞑想で出会った、赤ちゃんの私と小さな私。
私にとってこの私・この命は、本当にいとおしくて大切な存在だということが、いまは当たり前に感じられる。

私は、この私を全力で守る。ぜったいに助ける。必ず幸せにする。
だから、この学びを続けていこう。


「ここにいていいの?」「命の感覚って何なの?」と誰かにききたくなる自分には、私が、落ち着いて答えていこう。
私は、ここにいるよ。かけがえのない命として存在しているよ。

知らなかったことは、これから知っていこう。たくさんの気持ちを味わっていこう。
一緒に生きていこうね。


優月さん、お仲間さん、豊かであたたかい時間をご一緒させていただきました。
(締めの挨拶もそこそこになるワークショップもあるということを知りました)
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) さいほうじクラス



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私は、純粋に、「また赤ちゃんの私に会えた」という嬉しさでいっぱいだった。
赤ちゃんの私はつぶらな瞳でこちらを見つめていて、ただただかわいかった。

頭を撫でて、ほっぺをぷにぷにと触った。
赤ちゃんの側になって、抱っこされ包まれている安心感、信頼できる人に身を委ねられる心地よさも感じられた。

また来るよ。私にはあなたが必要です。


文節区切りの線

「インナーチャイルド・ワークショップ」の直後はいつも、自分の中に子ども性がすごく残っている感じがして、実在する自分の子どもの行動も理解できるようになるし、「だって子どもだもの」と優しくなれる。
私にとって、すごく効果が高く、すぐに実感できる。


最近の私はワークショップ・クラス内でよく発言する。
こんなに色々しゃべりたいと思っていたのだと自分でも驚く。
多分こっちが本当の自分なんだろうな。

今までいかに、「話してもわかってもらえないかも」「聞いてもらえないかも」「話したらかえって面倒なことになるかも」と押し込めてきたのだろうと思う。

そして押し込めていることにすら気が付かずに、「私は “引っ込み思案な性格” だ」とか、「聞き上手だから話を聞く方が好きなんだ」とか思い込んでいたのだ。


文節区切りの線

今まで、「普通の子ども」としての経験をしてこなかった自分が、子育てにおいて困惑してきたのも頷ける。
経験していないものは、他人にも与えてあげられない。

今から私にできることは、こうやって後から学んで感情を出して補充して、できるだけ自分を満たして、溢れた分の幸福を子どもと分かち合うこと。

子どもが小さいうちは特に、自己理解のためにも、子どもを理解するためにも、私には必要なワークショップだと感じている。
1人では絶対にできないし、ただ知識の勉強だけを続けていてできることでもない。

ONSA WORKSHOP には様々な面で支えてもらってきているが、この部分は特にサポートが必要だと強く思う。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。