Pay Forward

S. H. さん(40代以上/岩手県よりご参加) かてぃもーるクラス
私は、「お金」「自立」について、非現実的な感覚をもっているのだとわかった。
育った環境で暗に教わったことは、引いて見れば異常なことだった。
今回、「契約は有限責任」と学んだことが衝撃的だった。
私は、その逆の「無限責任」のおそろしさと、それによる自分の異常な期待値設定の存在に驚いた。

この一週間で、私は職場において、契約外のことに気をとられているのだと気づくようになってきた。
私の意識にも行動にも、「他人の機嫌」「相手の気分」を経由している瞬間がたびたび見つかっている。
私はまた、この気づきが小さい(大したことがない、こんなことしかない)と感じていることも発見した。
ここにも、自分への非現実的な期待が見えてくる。
私は、存在すら気づいていなかった自分のおかしな部分に、また一つ目が開いた。
大きさの問題ではなく、これは、自分にとって意味があることだ。

私は、自分の生きる姿勢がなんて受身なのだろうと、改めて感じた。
「自分の側の条件を決められさえすれば転職がうまくいく」という考えには、ぴったりのものが向こうからやってくることを待つ姿勢がみえる。
「他人の気分を上げなくては」という無意識の動きは、自分の問題も誰かに察してもらい解決を得ようという打算が隠れている。
私は、自分で決める、自分でやる、という態度を覚える必要がある。

私は、お金とは時間であり、手(できること)であり、自分のエネルギーでもあると学んだ。
私は、何を価値として、どのぐらいの時間を、何をもって、どれだけのエネルギーを注いで対価を得るのか。
つまりこれは、「私は、どう生きたいのか」。
その時間や契約に入る前に、私は自分を知り、自分で考えなくてはいけない。
そのためには、小さな時間をつなげて取り組むしかない。

私は、「お金と自立」が、境界線や時間習慣とこれほど密接とは思ってもみなかった。
だから基礎が本当に大切なのだと身にしみてきた。
自分の習慣を変えるということは、気が遠くなるほどに小さなことに思える。
けれど、いざやってみると、そう簡単ではないともわかってきた。
私は、これをやらずには、自立や豊かさを実現することは難しい。
今できるだけのこと、やるべきことのために、日々の大切な時間を注ごうと思う。

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) かてぃもーるクラス
私へ
PAY FORWARD を書こうとして、なぜか過去のことを思い出した。
私は小学校高学年にもなると、「自立」が不安でたまらなかった。
焦るばかりで恐怖しか感じられず、なぜ周りが将来のことを楽しそうに語れるのかが分からなかった。
今振り返ると、しなければならないことは分かっていても、それがどんな状態でどうしたらそうなれるのか全く分からなかった。
代わりに私が原家族から受け取っていたのは、「大人になったら、それでゴール」「家庭というレールに乗れば、もう安泰」という空気で、内心違和感だらけだった。

お金にしても、私は社会人になっても遣い方が分からなかったし、そもそもどういうものなのか考えたこともなかった。
反面、お約束のように、浪費出来ることが「豊さ」だという勘違いもしていた。
でも、浪費しても虚しさが残るだけだった。
当時はその状態が当たり前だったから気付けなかったけれど、訳が分からなかった。

社会人になってかなりの年数が経ち、私は「お金」と「自立」に向き合うようになった。
お金の管理もするようになり、家賃も払っている。
でも、お金にも自立にもどこかふんわりとした感覚があって、そんな自分が怖かった。
自分はどこかおかしいのではないかと感じていた。
そんな自分を隠すように、私はずっと「これが自立・大人というものだろう」というふりを続けてきたように思う。

今回のワークショップで「自立しない、お金も稼がない、浪費だけの人にお金・自立を習った(だから、上手くいくはずがない)」と聞いて、当たり前いえば当たり前のことに、それなのにまるで初めて聞いたかのように感じる自分に、その場で崩れ落ちそうになった。
レクチャーを聞き、問いを立てられ、自分の中がかき回された。
正直な処、色々ありすぎて今も整理がつかない。

ふと、気付いた。
私は、何かをする時・探す時、自分が何を欲しいのか? 何をゴールとするのか、考えている?
「何をしたら、私はお給料をもらっていいのか?」と、考えたことはあっただろうか?
…発想自体なかったかもしれない。
そもそも自分のゴールがなかったら、辿り着けるはずもないのに。
時々に外側から提示される「動くゴールポスト」を目標にしていたら、永遠に終わるはずもないのに。

私は、代わりに「いかに先回りして、相手の気持ちを満足させるか」「正しい答えに、自分をどうやって持って行くか」「(責められない為に)完璧にやらなくてはいけない」にフォーカスしていなかっただろうか?
以前「8割OKならOK」と聞いた時、「そのほうが絶対いい!」と思っていたのに、私は自分に対しても人や何かに対しても常に100%を期待していないだろうか?
私が日常で感じ・考えていると思っていることは、自動で反応していることだらけだ。
「なぜにこうもずれるのか」と言いたくもなるけれど、ここで気付けて良かった。

前回のこのワークショップで「手」の話を聞いてから、ずっと心に引っかかっていた。
折にふれて自立や手についてレクチャーや例えを聞くと、「そういうことか」と思う。
あの頃にこの話を聞けていたらどんなに良かったかと思う。
でも、自分自身からかけ離れ過ぎていて、とっかかりがつかめずにいた。
今回、「今の仕事の中で」と問われて、気が付いた。
異動してただ必死だったこの2年間、今迄積み上げたことがなくなってしまったように感じていた時もあったけれど、得た物もあったことに。
私は、無意識に「立派なものでないと手とはいえない」思い込んでいたから、気付けなかった。
そして、本当はそれを前の部門でもやりたかったことを。
でも、お仲間さんのシェアと同じで、私も遅れる人のフォローや動くゴールポストの先手を打つことに追われ、出来なかったことに。
とても苦い。

私が磨きたいと思うことは他の場所で通用するか分からないし、これだけでは足りないと思う。
そして、「これからをどう生きるか? その為の手を探す」という問いには、私は答えられていない。
それでも、「自分には何もない」とどこかあきらめていると思っていたのに、私自身が必死に探し続けていたことが嬉しい。
「自分の中から見つけられるのかもしれない」と思えたことが嬉しい。
私の能力とキャパには、かなり限りがある。
でも、自分の無力さを嘆くのは、もう止めたい。
「私は、私の中から手を見つけ、育てる」と思ってやった方が、自分にないものを数えるよりきっとずっと楽しいから。

そして、自立は能力とは関係がない。
自立は、この私の中から探すもの。
そして、まっとうな人達と共にまっとうに生きること・まっとうな大人に成長すること・そのプロセスそのものではないかと感じる。
お金はその為に必要な手段=技術・能力であり、それを身に着け自分でやっていく力をつけていくことが自立。
全てが表裏一体でつながっている。

私は、一生を安全に自立して生きたい。
私は、小さくとも学び成長し続けることで、自分を豊かにしていきたい。
私は、お互い豊かにしあう関係がいい。
私は、自分で何とかしていく力を身に着け、不安に振り回されず自信を持って生きられるようになりたい。
自分の限界も、自分に取っての豊かさも手も、私の中から見つけ出して決めないと、永遠に叶わない。

何を豊かさ・価値とし、どうなってゆきたいのか?
その為に、何を手として育ててゆくのか?
答えは私の中にしかない。
この現実のささやかな自分の中から、あきらめず、出来ることを1つずつ探し育てていきたい。
最後になりましたが、優月さん、お仲間さん、今回も沢山の学びをありがとうございました。

A. M. さん(40代以上/愛知県よりご参加) かてぃもーるクラス
私は就職してから、職場で居心地の悪さを感じていました。
私はどんなに仕事をしたり、残業しても申し訳ない気持ちがありました。それは私が始終「こんな私を使ってもらえるのはありがたい」「私はどう思われるか(悪く思われないだろうか)」と、自分以外の誰かを経由していたからでした。
私は契約通りの仕事をしていたのに、謎の罪悪感を感じていました。
私は自分と周りの境界線がなく、他人の仕事まで手を出していました。

私は1週間、自分の仕事に集中することを心がけました。
私は居心地が悪くなってきたら、仕事の契約内容を頭に浮かべました。
私は自分の仕事をしていると確認できると、気持ちが落ち着きました。
私はマニュアルを見直したり、自分のための作業に取り組めました。
私は「誰か」を気にした時より、安心して過ごすことができました。
私は居心地の悪さを感じた時に、誰かを経由するのではなく、自分を軸にする習慣を引き続き練習しようと思います。

私は自分で考えて決めるということが、まだ理解できていませんでした。
私は反射的に、現実的ではない120%の理想を、自分の期待値にしてしまいます。完璧な理想を描いて、勝手にやる気をなくしていました。
私は自分が本当はどのくらいの期待値ならOKなのか、自分の中の基準を真剣に考えてきませんでした。
私は自分のことなのに、ここでも他の人にどう思われるか、こんな私ならこれくらいなら許される…自分以外の誰か目線で選んでいました。
どんなペースで働きたいのか? という問いに私はすぐ答えが出ませんでした。
私は1週間悩んでみて、「相場くらいでそこそこしっかりした仕事をしたい」の方がいいと思いました。

私は細かいことは、全然まだ考えられていません。
ただこれが、私の考えるスピード感なのがわかりました。
私は私が思ってるよりも、全然すぐ決められません。
私は想像の100倍以上時間がかかるのがわかりました。
私は自分の考えるスピードの現実時間を理解したいです。
私はそのために記録と振り返りを練習していこうと思います。

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) かてぃもーるクラス
これまで私はいつも誰かを満足させることに躍起になっていた。
でもそれは私の仕事ではなかった。
私は相手のニーズを満たせば十分とは思ってもみなかった。
私はニーズと感情の違いがまだ十分理解できていなくて、混乱している。
ずっと要求されてきて、自分も追求し続けて、あまりに慣れ親しんできた。

先日のカウンセリングで「他人と上手くやらなくてはいけないの?」と聞かれて、私はハッとした。
私は境界線を引くのに四苦八苦しながら、その相手とさえも上手くやろうとしていた。
私は幼い頃から「上手くやらなくてはいけない」「満足させなくてはいけない」とずっと刷り込まれてきた。
永遠に満足することのない人たちを相手に、費やした時間の不毛さに悲しくなる。
一生頑張っても辿り着けない目標に、しかも自分の幸せとは何ら関係のない目標に向かって、私は突き進んでいた。

ワークショップの中で聞いた「無意識に判断する際に、その誰かを経由してはいけない」との話を、私は今週何度も思い返した。
私は都度、自分以外の誰かをベースに判断している。
相手を満足させられるか。自分がどう見えるか。
どう思われそうか。
もうエンドレスに他人目線で、どこまでも自分に軸がないことに愕然とする。
それでも、私はまずは気付けるようになった自分を認めたい。
そして、私は判断基準を自分の中に取り戻したいと切に思う。

私は他人の機嫌を取ることよりも、自分のスキルを上げることに時間を使いたい。
私は自分の得手と不得手を正しく認識して、小さくても強みを伸ばしたい。
私は正しい時間感覚を身につけて、他人ではなく自分のために時間を使いたい。
面倒がらず、一つずつ少しずつ。等身大の自分で、自分の力で私はやっていけるようになりたい。
今回もありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「経験者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「経験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
そのため、基本に忠実でありつつも、現況に即した、実践的な内容が特徴です。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて現状を変え、新しい時間を生きはじめています。









