2021.06月開催 「境界線ワークショップ」むらさきこまちクラス

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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) むらさきこまちクラス



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今回は久しぶりの「境界線ワークショップ」でした。
現在並行している Web. WORKSHOP でも感じていたのですが、課題や講義内容のいちいちが今の私の心に刺さります。


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大人性って、本当に私に備わっているのかなって、どこか半信半疑だったけど今回のチェアワークで今に戻るを体感してやっと理解できたし、(知識としてはずっと前から知っていたにもかかわらず)境界線を守って相手に何かを伝えることは、納得させる必要はないっていう事実も、本当に理解できたしむしろ安心感を覚えました。

私は、自分の頭の中だけにあってまだ腑に落ちていない知識が、きっとたくさん残っているんだろうなぁ、と思います。


そして、頭がクリアになった時のこの何とも言えない解放感。
色んなことを全部全部ひとりで抱えて一人で悩んで思いを巡らせては時間ばかりが過ぎていた日々は、一体何だったんだろうと感じました。

やっぱり、ONSA WORKSHOP(対面式)って凄いですね。


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今回自身が体感をしたことを、怖いけど、実践していこう、いかないとなぁ、と思っています。
誰かの犠牲で成り立つ関係なんて、やっぱりどう考えてもおかしい。

それは人間関係だけに留まらず、色々なことに言えるのではないのかな、と思いました。

自分が着るものや食べるもの、電気なんかのエネルギーは自身で選択できる。
その、沢山の選択肢を、自分の大人の力を使って自身で選んでいきたいと思います。
常に自分重心で。
あぁ、この気持ちが空気を吸う様に習慣になって、ずっと持ち続けられたら、いいなぁ。


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それにしても、朝起きた時、モーニングを食べに行った時、ベランダで風を感じた時の気持ち良さったら! 
健康な人は毎日こんな気持ちで過ごしていたのか、と思うとやっぱりどこかで自身の身に起こったことへの怒りと理不尽さを感じます。
でも、もう過ぎたことに縛られるのは、止めたいです。

ご一緒してくださった皆様
今回も、ありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう!




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) むらさきこまちクラス



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私へ、今まで私を無視してきて、本当にごめんなさい。
心から謝ります。

私は私の生きてきた大前提が違いすぎて、この事実に大きく動揺しています。

私は自分以外の誰かの基準で物事を考えてしまっている。
私の行動のすべてにそれがベースとして染み付いてしまって出ている。

私は「自分のことを知りたい」と思って学んでいるのに、私がどうもうまくいかないのは、自分の中に自分が不在の状態がそもそもあるから。
私の不存在が見えれば見えるほどとても悲しくなりやりきれない気持ちです。


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私自身の、周りの顔色ばっかりを気にしたり、外のなにかをたえず気にした行動は、私が私の存在を認めていないのと同じことだと思えます。
私が自分のことを知りたいと思っているならばこそ、私は自分の気持ちを大切にすることも本当に重要なのだとわかります。

聞いたときはとても遠い世界の標語に思えた「本当は自分を大好きでいいし真っ先に私自身を大切にしていい」はまだちょっと恥ずかしさもありつつ、でも照れながらもその感じなんかわかります。


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「私、これは嫌」だったり「私、これがいいと思う」と思った自分の気持ちに気づき素直になってみることは大切なこと。すなわち私が私のために行動する。

私はこれまでそれを自分に許していなかったな。
私が自分を偽る前に反応していいのだということをたっぷり感じました。


ワークで境界線は私が自分で思っているよりも感じているような感触があって、私自身への境界線のあり方も考え直させられています。

私は私の本心に向き合わないで持ってしまっていた境界線なんて捨ててもいいと思えました。

まず “私は” どうしたいのかをたえず意識します。
答えは自分の中にある。


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自分と向き合うことはたくさんのエネルギーがいるな。

私、お疲れさまでした。
すごくがんばってたよ。




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C. H. さん(30代/福岡県よりご参加) むらさきこまちクラス



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心理学の前では、清々しいくらいに全てがお見通しでした。
提出させていただいた TEG(エゴグラム)の結果を見て、私の心は自分で思っている以上に病んでいることに気付けました。
とても、危ないところにいるのだなと。

TEG で出た結果に驚いたのと同時に、深く納得しました。
今までの、幼い頃からの人間関係を振り返ると、本当に TEG の結果通りに私は動いていました。
自分で自分のことを、多分初めて可哀想だと思い、じわじわ泣けてきました。


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人といると、それがどんなに素敵な人でも、疲れてしまうこと。
人といるのに、孤独感が拭えないこと。

自分の好きなことをしているはずなのに、なぜか空虚な気持ちになってしまうこと。
いつも生きる理由を探しているような人生だったこと。
……その他、いろいろ。


学び始めてまだ半年ほどですが、全ての謎が、適切な段階を追って解けていっている感じがします。

私は今まで、全然何も分かっていなかったんだなと恥ずかしくなりました。


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ワークショップ・クラス中に、優月さんのご指導のもと、皆さんでおこなったチェアワークもとても良かったです。
自己流でやるのとは、効果が明らかに違いました。

これが「今ここ」の感覚なのか……頭も心もスッキリとして、クリアになって、なんだかとても懐かしい感覚でした。
抜き方の分からなかった肩の力も抜けて、身体も久々にリラックスできました。

遠い昔に知っていた感覚に、再会できたような気持ちでした。
安心できる、信頼できる感覚でした。


「みんな、自分でちゃんと答えを出せるんです」と、優月さんがおっしゃったことが、心に深く響きました。

(そうか。そうだった。私は、何かや誰かにすがらなくても、自分で答えが出せるんだ)そう思えたことが、とても大きな収穫でした。
「答えは自分の中にある」の本当の意味が、体感できたように思います。


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心理学では、魔法みたいに一朝一夕には変わらないけれど、私の世界の見方、人間関係の見え方が変わったことは、ほとんど魔法みたいに思えました。
本当に、科学的な知識は力だなと思いました。

学んだことを習慣づけられるよう、意識して日常生活を送りたいです。
(チェアワークはもうすっかり、日常の一部になっています^^)


優月さん、ならびに ONSA の皆様、ご一緒させていただいたお仲間の皆様、たくさんの学びと気づきを、本当にありがとうございました。
いつもながら温かい空間で、ホッとしました。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) むらさきこまちクラス



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わたしへ

まずはおつかれさまでした。

今回も境界線の大切さと難しさを実感したね。
そして、以前よりも私の境界線があることも実感できたね。

新しいことを学ぶことで(きっと、今までも聞いていたのだと思うけれど)ショックを受けたりもするけれど、納得することも多くなってきたのでこのまま進んでいきましょう!


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今回の「境界線ワークショップ」で私が一番心に残ったことは「健康な人の人間関係の作り方」でした。

私の今までの人間関係の作り方、考え方とはまったく違うものでした。
あまりの違いに衝撃を受けました。

さらに、
「境界線がないと健康な人間関係は作れない。
私に境界線がなければ健康な人とはつながれない。私が望んでも相手が境界線のない私を避けて近づいてこない。相手にも誰と関係を持つのかを選ぶ権利がある。
そして、そもそも私もその健康な人のまぶしさについていけない。」

このことは今までも聞いていた気がしますが、今回は自分と照らし合わせたとき心当たりがあったのでとても心に突き刺さりました。


境界線は自分がないと持てない。
「私はどうしたい?」がわからないと境界線が引けない。

私は、少しずつだけれど「自分」がわかり始めている。
私は、やっぱり健康な人と人間関係を作りたい。自分を踏み荒らされることはもう嫌だ。
私は、絶対に健康でしなやかな境界線を手に入れたい。


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ワークで「NO」と言う練習もしました。
自分でも「実際に声に出して言う」練習もして「NO」という言葉を口にすること自体に慣れていこうと思いました。


今回で「境界線ワークショップ」への参加は6回目でした。
「何回出るんだ」と我ながら思いますが、ようやく腑に落ちることも多くなってきた気がします。

優月さん、ご一緒したお仲間のみなさん、あたたかい空間をありがとうございました。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) むらさきこまちクラス



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クラスが終わった瞬間、ぐったりして動けなくなってしまいました。
それだけ集中していたのと、衝撃を受けたのだと思います。

健全な人間関係、境界線の正しい知識はとても真っ当で、そのことを知らずに過ごしていたことに振り返ると恐ろしい気持ちになりました。
しんどかったのも、訳が分からなかったのも当然でだって私は全然知らなかったののだから。

ルールを知らないまま進むのは怖くて当たり前。
よくぞここまで大事故を起こさずに過ごしてこれたと思いました。


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今週はクラスでもアナウンスされた通りすごくイライラして、会社で何でもないようなことに怒りが込み上げてきます。

イラッとしたらひたすらチェアワークをして、できないときは『未来日記』にぶちまけていました。
そうすると自然と落ち着いて、下手するとぐるぐるしない分普段より落ち着いて過ごせた様に思います。

チェアワーク分だけ今にいたからなのでしょうか。

…もしや健康な人は普段からこんなに頭がクリアなの? 
そう思うと私もこのすっきりとした頭で過ごしたいと強く感じました。


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クラスでたくさんの知識とやることが出てきて、ドキドキしています。
ひとつひとつが普段の生活に欠かせなくて理屈を知った今はどれも早く自分に馴染ませたいと焦っています。

やることがいっぱいで時間が足りない。
どうしよう、少し不安にもなりました。


まずはこの調子でチェアワークを続けて落ち着いた状態、今で感じることを続けようと思います。
ありがとうございました。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) むらさきこまちクラス



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今回のワークで、お腹から声を出して「わたしは嫌です」と言ってみて、自分にも気迫があることがわかった。
そして自分はそれを出さないように気をつけて生きていたんだと思った。

今の状況は大事なところで自分の嫌を表現できず自分からどんどんと離れてきてしまった結果なんだとわかるとすごく悔しいと思う。


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わたしのためにわたしの自己主張ができる人間はわたし以外にいない。
生き抜くためには自分を守る必要があるし、ちゃんと自分が守れなければ自分を維持保存できないから人と生きていくことは大変難しいことになってしまう。

それはやってもいいこと。とても必要で大切なこと。
なのにわたしはそれをダメなこと、してはいけないこと、という風に理解して生きてきたと思う。


わたしは嫌です、と言うことは相手をかき回したり傷つけたり物を投げつけたりすることなんだとわたしは思っていた。
自己主張=相手を傷つける恐ろしいこと。と言う構図しか見たことがなかった。

お腹から声を出し、嫌ですと言ってみた時これはそういうこととは違うな、と感じた。
むしろ逆だった。

わたしは嫌です。と言っても何かに危害を加えたり物を壊したりするような感じはしないままで自分がそこにいる、という感じがした。存在感があり気迫があった。


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チェアワークで体の力を抜いて、こわばって固くなって必死に大人ぶった演技をする自分の姿をちゃんと見たとき、いたたまれない気持ちになった。
その様子は、ゆったりとした気持ちで「生きる」ではなくて、生死のかかった必死の「生き延びる」だった。
生き延びるために媚びているのだった。


チェアワークをしてリラックスした自分の状態から感じた「生きる」はもっと全然違うことだった。
硬直して怯えて必死に演技する自分はただただかわいそうで仕方なかった。

ごめんねとなんども言いながら身体をさすってあげた。
わたしは健気に生きてきた自分に対して悲しい気持ちでいっぱいになった。
なんてことだ。という言葉しか浮かばない。


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自分はどう生きたいのか。それをわたしが考えてよかったんだとしたら、今までの時間って一体なんだったんだよ。
わたしはとても悔しい。
嫌だと言えなくてだから奪われてしまったものはこれだったのかと自覚できた時、悔しさと悲しさがこみ上げてきてすごく腹が立ってきた。

嫌って言えない子ども時代ってなんなんだろう。そんな時間あっていいのか。
そんな状態を生きる指針にしちゃうことになってすごく困っている今の自分を見るとき、やっぱり怒りが湧いてくる。


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2回目のチェアワークで感じた身体の力の抜け具合を基準に生きたとしたら、他人のお世話なんてめんどくさすぎてできないと思った。
なのにわたしは人の期待を無意識レベルで察知してその期待に応えるべくとても普通じゃないレベルの「やっちゃえ」を遂行している。

あそこから出発すればいいのなら、わたしはだいぶ、いやかなりがんばりすぎている。
しかも自分ではなく「他人」のために。


どれだけ「周り・人・調和」にエネルギーを割いているんだろう。どれだけ「自分自身」を置き去りにしているんだろう。
それだけ縛られていた。それだけ追い詰められて生きていた。そして「今」は実際にはもう追い詰められてはいないのに、今でもそれをやっちゃうんだよね。
人から見放されるような気がして怖くて期待に応え続けてしまう自分が悲しくて、そしてすごくすごく悔しい。

自分の体のコンディションよりも人の気持ちに神経が向いてしまうよね。
けれども人に構ってもらうために頑張ってその人のために神経をすり減らしている自分はほんとにもうとてもかわいそうだ。


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そして今のわたしは、嫌だ、と思う方向に対して全部閉じ、みたいなことはできるけれど、好きな方向に対して部分的に閉じることはできないんだ。

ここまではいいけど、ここからはダメ。ということもしていいことだと感じられていない。
そういうコミュニケーションの不器用さもとても心もとない。歯がゆい。うまくいかないかもしれないと思ってしまう原因の一つ。

それをこれから勉強して習って練習してだんだん慣れてゆこうとしているところなんだよね。
自分が今は丸腰であるという自覚が湧いた。わたしは今新しいことを習ってやろうとしているんだよね。


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47年分かしらと思うぐらいにどっと疲れを感じる。

自分を偽るっていうことはものすごくくたびれることなんだね。
それを無理してずっとやってきたんだね。

ほんとはとても疲れてる。
もうやめたい。ほんとにもうやめたいって思ってる。

それは本音だよね。
わたしは自分に嘘をつくのはもう嫌なんだ。


自分が自分を受け止めて、自分が自分を支えられるようになりたいと思う。
今は弱っちくて情けないけれど、それができるようにならないとほんとに困るな、と思う。


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過去にカラクリがあったことがどんどんわかってきたよね。そしていろんなねじれやこじれがあったにも関わらず、わたしはわたしの資質を失っていない、ということもまた実感した。

わたしの良さが枯れてしまったわけじゃないんだ。
自分に優しくしたり自分を労ったり自分を守る、ということをしていいと思えていなかっただけなんだよね。


自分のペースを守りつつ生きることはひとりぼっちにもどるのではないんだよね。

無理だよ。きっとだめだよ。わたしには無理なんだよ。
自信がない。逃げ出したい。ひとりぼっちの穴にまた閉じこもりたい。誰とも関わりたくない。
泣きそうになる自分もいる。そうなってしまう気持ちも痛いほどわかる。

それでもわたしはやっぱり自分を救い出したい。
誰からも何も強制されなくても自分を苦しめる習慣をやめられない自分を何とかして苦しいサイクルから救い出したい。


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わたしは悔しい。
「わたしは嫌」ということが自分のものなのに、自分のものと思えないで生きてきたこと。

わたしは悲しい。
嫌と言えずに失ってきたもの。自覚がないまま奪われるままになってしまったもの。
一生懸命だったつもりが自分にとって真逆の結果をもたらしてしまったこと。


わたしは腹が立つ。
小さい頃の刷り込みで出来上がっている自分の習慣。それがもたらす果実の不毛さ。そこに閉じ込められたままでいる自分を見るとき、いたたまれなさと憤りを感じる。

わたしはもうそれを抜け出したい。古い習慣と決別していきたい。
日々の決断の時にいつもとは違う、自分を守る方の選択をしていきたい。


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わたしは新しいことを学んで練習して自分のものにしていきたい。
わたしは古い習慣を脱して違う人生のレールを歩き始めたい。

わたしは自分のことを大切にできる生き方を学び自分のものにしたい。
わたしは今までとは違う、新しい人生を今すぐに始めたい。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) むらさきこまちクラス



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私へ

「境界線ワークショップ」は、今回で何回目だっただろう?
「基礎中の基礎」だし、どこかでもう分かっているつもりでいたかもしれない。

それでも、今初めて聞いたように感じたり、過去の自分を「何て危なっかしかったんだ!」と、内心青くなったり、心が動いた1日だった。
(そういう風に教えて下さったこと、感謝しています)


「私にも、境界線はある」
「私の境界線には、私の許可がいる」
「そして、相手にも同じようにあるし、相手の許可がいる」
ということが、体感出来た。


私の境界線を大切に守りつつ、相手の境界線も大切に守る。
そんな関係だけ、持ちたい。
今、素直にそう思う。


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健康な境界線の引き方も人間関係の作り方も、正直もっと早くにというか、子供時代に知っていたかったと、切実に思う。
過去の私は、そんな知識も概念も分からないまま、ただひたすらがまんしたりがんばったり、うまくいかなくて「自分はダメ」と追い込んで、傷ついていたんだろうな。

「最近は、外ではそんなに侵害されることもないし…」と思っていたけど、それは環境のおかげだったと思う。
私自身は、自分を変えようと大勢の人と関わって、境界線がうまく引けなくて心を閉じた頃を引きずっていたんだなぁ。


私は、「人とどういう関係を作るか」「どうしたら好かれるか」ばかり気にしていたけれど、それは違っていた。

私は、相手本位・相手次第で、自分で舵を取っていなかったよね。
分かっているつもりだったけれど、分かっていなかったな。
何だか、悔しい。


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「健康な人間関係の作り方」で健康・不健康を比較して聞けたことは、本当に良かった。

これを聞けただけでも、参加する価値が十分過ぎるほど。
(私の不健康だったところ・やってしまったこともあぶりだされて、そこは痛かった。でも、今後につながるいい気付きだった)


今までの人間関係がすっきり整理されたし、言葉を与えられたことで、
「なぜ、心地いいのか」
「なぜ、嫌なのか」
「誰に、どういう人に近づいてはいけないのか」
「健康な人は、なぜそうしていたのか」
すっきり分かった。

自分の中で、かけがえのない確かな基準が出来た。
そして、上手く表現できないけれど、なぜ私が今の私になったのか、腑に落ちた気がする。

こんなこと、大人になっていくほど誰も言ってはくれない。
でも、知らないではいられない。


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とはいえ、良かったとばかりは言っていられない。
「私がない」「これからどうして行きたいか分からない」のままでは、簡単に巻かれてしまう。
これをどうつなげるかが大事だ。

私のすることは、どこまでいっても「私を知ること・私の人生を生きること」。
そして、「その為に、具体的に行動していくこと」だ。


私は不器用で、早くは進めない。
でも、自分に対しての誠実さは持っているよね?

だから、焦らずあきらめず、今目の前のことをコツコツやって行こう。
これからも宜しくね。


最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆さん、ご一緒した皆さん、2度とないかけがえのない時間を本当にありがとうございました。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) むらさきこまちクラス



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「私には境界線がないらしい」
そう知ったのは4年ほど前のこと。

私は、自分で自分の境界線を破ってしまうことが多かったので、まずは自分を責めてしまう癖を棚卸しし続けてきました。
癖はキャッチしやすくなりましたが、「境界線がない」事実を実感できないままだったと思います。


「物理的に離れること」
その言葉が重くのしかかった1週間でした。

今の自分には、ずっしりと重さが感じられて、それを行動に移すことの難しさを思うと、過去に、自分が「自分を持たずに、流されるまま行動してしまった」「もう少し踏んばれたかもしれない」と思う数々のことがあまりに痛すぎて、それが苦しい1週間でした。

それは、なんとなく知っていた気になっていたことが、「自分のこと」としてわかるようになってきた、ということでもあります。


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このワークショップの後、私はトラブルを起こしてしまいました。

「近づいてはならない!」とはっきりわかっていたのに、私は依存心に負けて近づいてしまった。
そして、相手の境界線の中に手をだしてしまい、結果その人を傷つけてしまった。


自分を大事にできない。
その結果、他人まで傷つけてしまう。
そして、それは、当然自分のこととして返ってくる。
ちっとも幸せじゃない。


境界線がないことが、どれほど危険なことなのか。
境界線を作らないまま、どんなに「自分の幸せ」を考えたって、たどり着けるわけがない。

境界線がないまま作り出してしまった数々の状況も、ひとつひとつ返していかなくてはならない。
ずしっとした重さとチクチクする痛みを、1週間感じながら過ごしました。


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ちゃんと行動に移そう。
「頭ではわかってる」をもうやめよう。

行動を毎日積み重ねて、私はこの古い生き方から抜け出すんだ。
決心を持つことができました。


優月さん、お仲間の皆さま、今回もありがとうございました。
皆さまにお会いするたび、「ひとりじゃないんだ」を感じて温かい気持ちになります。

また日常に戻って頑張ろう! と勇気もいただいています。
本当にありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) むらさきこまちクラス



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ここしばらく、毎年参加を続けている「境界線ワークショップ」。
毎回鍛えられながら、しなやかで丈夫な境界線を目指して練習中。

そして、毎年 WORKSHOP の直前に、私を試すように必ず現れる手強いボスキャラ。
これまでは怪獣系が中心だったのが、今回は巧妙で分かりにくいけれどじわじわ侵食するタイプ。

激しい人たちに慣れすぎた私には、更に難関に思えた。それでも、そのことに気付けただけでもまた一つ成長なのかも。


文節区切りの線

そして、そんな風に私を荒らす人から身を守ることばかりをいつも考えがちだったけれど。
境界線って、本来なら、人とうまくつながっていくために使うスキルだ。

誰かと何かを分かち合って、自分の人生を作っていく。
自分のためにならない人やコトとは線を引き、真に自分に必要な人と必要な関係を築いていく。

境界線を鍛える目的は、本来はそこにあるのかも、と今更ながら思う。


文節区切りの線

今回教わった人間関係の進め方。
今までの私とは真逆にすら思える話に戸惑う。

えっ? そうだったの?? 全く違うように考えてたな、私。
そんな風にしか教わらないままここまで来ちゃった。

今まで何やってたんだろう、私…。
つい自分を責めそうになるし、これまでを思って惨めな気持ちにもなる。


それでも、私は本物の関係性を築きたい。
幼い頃から欲しくても得られずにきた温かな絆にも触れてみたい。

だから、「人間関係の進め方の基本」は、早速手帳の後ろのページに書き留めた。
忘れないよう、いつでも思い出せるように。


文節区切りの線

これを忘れたら、私はまた同じ失敗と苦い思いをきっと繰返す。
そして、私には手に入れられないものなんだと、勝手に理由を付けたくなるから。

もうこれ以上痛い思いはしたくないけれど、でも、自分の幸せは諦めきれない。
手に入れないままで人生を終えるなら、きっと私は悔やんでも悔やみきれない。


私はいつも誰かの問題を解決しなくちゃいけなくて、母性全開で誰かのお世話ばかりしてきたけど。

こんなに必死に生きてきて、人生をこのままにはできない。
そんなこと、とても納得がいかない。


文節区切りの線

そして、結局、私はどうしたいのかにまたたどり着く。
そこから逃げれば、人生からも逃げてしまう。


私は私の人生を生きたい。
だから、私の人生を害するものから、私は自分の身を守る。

そして、私の人生をより良くしていくものを見極めて、そこに積極的に関わっていく。
そのための境界線を、私はさらに鍛えてゆこう。


優月さんとスタッフの皆さんに見守られ、お仲間の皆さんがそれぞれの場所で境界線を守ろうと頑張っていることを想いつつ、私もまた進んでいきます。
ありがとうございました。


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
実際に回復(リカバー)した者が主催であるため、現実的・実践的な内容が特徴です。

「その状況も気持ちも、"体験して" "知っている"」
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