しっとりと、雨の1日になっております。
休日の STAY HOME、どんなふうにお過ごしですか?
お仕事の皆さまは、急に冷え込みましたので、体調崩されませんように。
暖かくなさってくださいね。
応援の気持ちを込めて、私は引き続き引きこもり、今の自分ができることで支えます。
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「お話し」シリーズ、更新します。
時間軸が飛びますが、あなたは、阪神淡路大震災の時、何をしていたか、覚えていますか?
1995年のことです。
このブログをご覧になっている方の中には、まだ生まれていない方、あるいは、小学生や中学生だった方も、いらっしゃると思います。
私も、学生でした。
募金しかできない自分に、無力感を覚えていました。
「現代日本で、こんな人数の方が、災害で、亡くなれるなんて……」
高速道路が横倒しになったり、都市圏で、次々に大火災が起こったり。
配信されてくるニュースに、目を疑ったり、絶望感を抱いたことを、鮮明に記憶しています。
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それでも日本は沈まず、横倒しになった高速道路も、復興しました。
そして、
「生きているうちに、このような大災害には、もう、縁がないのでは」
と思った矢先の、2011年です。
東日本大震災です。
だいぶ、記憶が鮮明です。
迫り来る津波の映像を呆然と見ながら、こんなことが、果たして起こっていいのだろうかと、無力感を覚えました。
そして、私たちはやっと、あの大きな災害から、立ち直ってきている最中です。
この間にも、たくさんのことがありました。 いくつもの地震、台風、洪水に見舞われました。
少し時間をさかのぼってみると、2001年には、いわゆる 9.11 が起こります。
日本で、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれている出来事は、2008年のことでした。
1995, 2001, 2008, 2011, 2020 ……。
重ねて、この大きな数字の間にも、さまざまな災害が起こっています。
たとえばこの冬、まだコロナ禍が、ささやかれる前です。
長野・千曲川の近くを通った時に、目に飛び込んできたのは、ブルーシートで覆われた家々。
夏の大雨の余波が、継続中なのです。
言えることは、
「まさか、こんなことが起こるなんて」
は、実は、けっこうな頻度で起こっているということ。
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「外側の大きな危機は、約10年に一度」
10年説をとなえる方も多いですが、上の数字を見てみると、実はもう少し、頻繁のようですね。
社会人である私が、個人的に、この20年で経験した、外側の大きな危機。
それを仮に、「4回」とカウントします。
すると、こんなことが言えるかもしれません。
自分が、社会の戦力の一員として、支える側に回る、この先20年。
おそらく、あと4回は、外側の大きな危機が、来るであろう。
その先、おばあちゃんにさしかかる、20年。
その20年のあいだにも、おそらく4回、外側の大きな危機を経験するであろう。
社会人である40年のあいだに、おそらく、8回。
老年期の20年に、おそらく4回。 (長生きしたら、もう少し多いかも)
まだ責任を負わなくともよい、子ども時代の20年間に、おそらく4回。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
ではなく、過去の出来事から、しっかり学ぶならば……。
それならば、これは「煽り」とは呼ばず、「経験からくる予測」と呼ぶでしょう。
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逆に言えば、こんなことが言えます。
準備ができていれば、過剰に恐れることはない。
それでも、ショックを受けないことは、ないと思うのです。
でも、
「なんで、こんなことが!?」
ではなく、
「ああ、来たな」
「悲しいけれど、切ないけれど、やっぱり来た」
こう考えられるようになれば、心の方向が、だいぶ違ってくる。
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あなたがもし、今回の出来事で、不安でどうしようもなく、未来も見通せないと感じているなら……。
今回の出来事を、未来への備えの、1回目と考えればいい。
いつだって、誰にだって、必ず「1回目」がある。
阪神淡路大震災の時に、募金することしかできずに、未来はどうなるのだろうと、震えていた私。
1回の経験ごとに、必要なことを学んで、1回ごとに、強くなっています。
やっと、その経験から、何かを分けられるぐらい、私も強くなりました。
だから、今度は、一緒に。
それでは、また。
続きは、また、書きにきますね。