2021.07月開催 「身体のワークショップ」ぷらむりークラス

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タイトルはじまり目印

S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) ぷらむりークラス



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わたしの中が大変換、革命となった時間でした。
ごっそりやられました(いい意味で)。数年分がいっきにごっそり。

ワークの最初、わたしは「身体を大事にしたい。」と言った。
その真の意味が今花開いてる。

身体を大事にすることは、「わたし」を大事にすること。
言葉で書けば、普通のことを文字として並べてるように見えるけれど、このワークショップ・クラス後は、隠れてる文脈をなみなみと実感しています。


どの順番で何をどう書いていいか、もうわからないぐらい、いろんなものが中で巡り通っている状態です。
とにかく凄い体験でした。


文節区切りの線

「わたし」を大事に…してなかった。
最初に「身体を大事にしたい。」と言ってたわたしは、けっこう大事にしてると思ってた。
そのときの自分を「こらーっ」って自分で怒りたいぐらい、大反省、猛省。

ほんとに「親がしたように」「逃げられない子ども時代」が再現されてる。
人に(自分が足りなくて)すみません、なんて言ってる場合じゃない。


謝る相手が違う、まず謝らないといけない相手は「わたし」。

「わたし」が辛抱強いことをいいことに、あぐらかいて命令して、その上足りてないとか言う自分。
「わたし」は、あんた何様だよ?! とも言わない辛抱強さ、その健気さに泣きそうになる。
わたしが代わりに言ってあげるわ、自分のことだけど。


文節区切りの線

もう、ずっと「ごめん、ほんとごめん」って言ってる。
守るものを間違えてもいた、人のものを守ってる場合じゃない(子どもは除く)。

まず守らないといけないのは「わたし」。


そして、そんなわたしでも「わたし」は許してくれる。
むしろ励ましてくれる。

こんなに近くにいたのに、気づかなかった。
また書いてて涙が出てくる。ほんとにごめんなさい。


文節区切りの線

「あなたは充分でない。」のメッセージ。
このメッセージの意味のなさを心底感じた。
「意味がない」ことが今までわからなかったんだ、と今思う。


それは、今まで「否定」という存在で意味のあるものだったと思う。

「否定」から始まる、嫌だ、辛い、ほらもっと頑張れ、そう先に言われないように…という駆り立て。
そうやってわたしは「わたし」を無理矢理動かしていたんだと思う。

そのもう一歩先があることを知った、「それは意味がない」ということ。
うわー、もうまた大崩壊。


この夏のワークショップの3週間、ことごとく(いい意味で)総崩れしました。
古いものは要らないのだということを、安全に実感できた空間に感謝します。




タイトルはじまり目印

M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) ぷらむりークラス



タイトル下の線


私の身体は、私の鏡なんだね。
私が私の身体を大切にしていけば、私の外の世界も変わっていく、そんな風に思いました。

私がこれまで自分にしようとしていたのは、外の理想めがけて私を改造していくことだったと今回気づきました。
私は自分にそんなことを願っていたんじゃない。
ワークショップで学んだおかげで気づけました。

私はこれから私の身体ともっと対話するようになったら良いんだとわかりました。
私が、もう一人の私とのおしゃべりを楽しむ、味わう。
これが、私が私と対話すること、自己対話なんだって。

逆に、私は私ともっとお話ししていいんだ。
それって素敵なことだと思いました。

生きていくうえで、とても頼もしい味方ができた、私はひとりじゃない、そんな安心するような気持ちを知りました。


文節区切りの線

私の身体はいろんなシグナルを出してくれていた。
私の身体のシグナルは、私へのメッセージであふれていた。

ポジティブなサインだけでなくネガティブなサインもすべて私。
今まで身体のシグナルを無視していたことは私を無視していたことになることも私が今回学べたこと。

こんなに無視され続けていたら、気力がなくなってしまったり、ひがんでしまうのは当然だと思う。

そうやって生きてきた時間の積み重ねの重さに、やはり過去への反省と後悔に潰されそうになる私もいます。
もう一人の私の「私に関心を向けて」って叫びを今回知ったのです。

その叫びは、昔の小さな私の声ともリンクします。
私へ、本当にごめんなさい。
私は私の身体を大切にしてきたつもりが方法を間違えていたよ。


文節区切りの線

私へ、本当にごめんなさい。
このワークショップは私が自分を「ないがしろ」にしてきたことばかりが浮き彫りとなってしまった…。

私はもっと私に相談する。
私は私と仲直りしたい。
そのためにも、あらためて今回ワークショップで学んだ方法で私が私の身体を大切にする大切さがしみます。

新し方法を教えてもらえる場があることに心から感謝します。




タイトルはじまり目印

M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) ぷらむりークラス



タイトル下の線


今までで一番疲れたワークだった。きっと私に効いている。

私は「どうしてこんなこともできないんだろう」という、自分を責めるようなことはしてきていないと思っていた。
だってどうでもよかったから。
頑張っているとは思っていなかった。だって、どうでもよかったから。


想像するに、そもそもの設定が過酷。
できて当たり前。決してもれのないようにやって当たり前。
だからもちろん褒めることはない。だってそれが標準値だから。

そうやって、子どもの頃のしつけを私が私に強いていたんだろうと思う。
よく生きてこられたな。


これから自分の声を聞いていきたい。
体と心が感じることは何か受けとっていきたいと思った。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) ぷらむりークラス



タイトル下の線


私へ。
今年も本当にごめんなさい。
去年も同じように誤ったけど、今年はまた知らなかった自分を見つけることができました。

ワークショップ・クラス中、内なる本当の私を大きなクッションに例えてくださったとき、大きいはずのクッションが、私にはマカロンサイズのように感じ、見えていました。

私は、私を責めて、いじめ抜いて、無理ばかりさせていました。今にも消え入りそうな自分を感じて、涙があふれてきました。
「もう限界なんだ」ということは、表の私にもうっすらわかっていました。

私は、「自分はもうそんなに長くは生きられないかもしれない」と言い訳をしていました。
命を生きることにも、自分の人生を生きることにも、あきらめを感じていて、向き合おうとしていませんでした。


文節区切りの線

私からは、「もう、いじめないでほしい」という悲痛な訴えも聞くことができました。
私は、幼い頃の記憶が少なく、自分が原家族でどんなに苦しい思いでいたのかを、感じ直すことができないでいました。

でも、ミラーワークで「これ以上、私をいじめないで」と、震えて、歯を食いしばりながら怯えて泣いている私をみたとき、私ははっきりと感じました。

「私はこの子を知っている。これは本当に小さかった頃の私だ」

どれ程の恐怖に、私は怯えていたのか。
それなのに、私は、私が原家族にされたのと同じように私をいじめてきてしまった。

私は、この長い人生で一体何をやっていたのか…。
本当に本当に、自分に謝り、もう二度といじめたりしないと誓い、仲直りしたいと思います。


文節区切りの線

仲たがいの時期があまりに長かったので、信頼を築くにも時間がかかりそうだけど、私はもう、絶対に投げたりしない。

昨年のワークショップ以来、身体のケアや食事を色々と考えてきたつもりだったけど、今、内なる私の希望を聞くと、「え!? 本当はそんなこと思ってたの!?」と驚き、笑ってしまうようなこともあります。

でも、とても楽しい。
ようやく、ワガママともいえる、私の本当の希望を話してくれるようになってきて、日々が少し生き生きとしはじめています。


本当の私はどう生きていきたいのだろう。
もっともっと聞いてみたいし、教えてほしい。

これからは、たくさん時間を一緒に過ごしたい。
良い時も悪い時も、たくさん声を聞いてあげたいと思います。


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